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2020年3月23日 (月) 16:14時点における版

雪鯨橋
瑞光寺の境内にある鯨の骨
瑞光寺、鯨橋の写真

雪鯨橋(せつげいきょう)は、大阪府大阪市東淀川区瑞光2丁目にある瑞光寺境内の弘済池に架かる橋である。地元では「くじら橋」とも呼ばれる。

概要

長さは約6m、幅は約3mの橋である。欄干はクジラの骨で造られている。クジラの骨を使用して架けられている橋は日本でもここだけといわれ、また世界的にも例をみない珍しいものとなっている。最初の橋は18世紀半ばに架けられた。古くは橋のすべての部分にクジラの骨が使用されていたといわれるが、天明1780年代)の頃からは橋板は石造となったと伝えられている。

橋は老朽化に伴って何度か架け直されたが、1945年太平洋戦争の戦災によって焼失した。その後29年間橋は途絶えていたが、1974年捕鯨地で橋ゆかりの地でもある和歌山県東牟婁郡太地町の協力を得て橋を復興した。橋はその後、老朽化に伴い2006年11月に架け直された。

橋は浪速の名橋50選に選定されている。また日本百名橋の番外にも選定されている。

橋の由来

1756年宝暦6年)に瑞光寺4代目住職・潭住知忍(たんじゅうちにん)が、南紀太地浦(現在の和歌山県太地町)に行脚した。太地の村人は捕鯨で生計を立てていたが、折からの不漁のために食べるものにも困っている状況だった。村の代表者が潭住に豊漁祈願を依頼したものの、潭住は「殺生は仏教の教えに背く」として一度は断った。しかし村人の困っている様子を見て豊漁祈願に応じることにした。

潭住が祈願をはじめたところ豊漁となり、村の危機は解決した。後日、村人は瑞光寺を訪問し、お礼として黄金30両とクジラの骨18本を寄進した。潭住がクジラの供養のために、クジラの骨を使って橋を造ったことが、雪鯨橋の始まりとなった。

備考

  • 東淀川区役所は区内に伝わる民話絵本にする事業をおこなっている。その一環として、雪鯨橋を題材にした絵本『瑞光寺のくじら橋』(三善貞司制作指導・東淀川区役所編 ISBN 4-9901231-1-5)を2003年3月に発行している。
  • 近年では雨風の影響により、欄干の一部が崩れている。

所在地

  • 大阪市東淀川区瑞光2丁目2番2号 天然山瑞光寺境内

交通

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度44分57.2秒 東経135度32分17.0秒 / 北緯34.749222度 東経135.538056度 / 34.749222; 135.538056