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2020年3月25日 (水) 01:30時点における版

木畑 和子(きばた かずこ、1947年 - )は、日本歴史学者[1]成城大学名誉教授。専門は、ドイツ現代史、とくにナチス・ドイツ時代のキンダートランスポート (Kindertransport) や「医学の犯罪」についての研究[2]

経歴

東京都世田谷区等々力に生まれる[2]東京都立駒場高等学校から、大学紛争期の東京女子大学に進み、西川正雄の指導を受け、以降、師事する[2]1970年東京女子大学文理学部史学科を卒業し、東京都立大学 (1949-2011)大学院に進み、1972年に修士課程を修了した後、東京大学大学院修士課程に転じ、1974年にふたつめの修士を取得した[1]。博士課程に進学し、1975年から1977年まで、ドイツ学術交流会 (DAAD) の留学制度によりミュンヘン大学に学び、帰国後の1981年に博士課程を単位取得退学した[1]

1986年東洋英和女学院短期大学国際教養学科の専任講師となり、1989年に助教授へ昇任、1994年に改組により東洋英和女学院大学短期大学部所属となった後、1995年に教授へ昇任した[1]1997年には、短期大学部から東洋英和女学院大学社会学部助教授に転じた[1]1999年成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科助教授となり、2003年には教授へ昇任し、2014年に成城大学を退職した[1]

家族

夫の木畑洋一は、東京大学名誉教授[3]、成城大学法学部名誉教授[4]

おもな業績

単著

  • 『キンダートランスポート:ナチス・ドイツからイギリスに渡ったユダヤ人の子供たち』成文堂、1992年
  • 『ユダヤ人児童の亡命と東ドイツへの帰還 キンダートランスポートの群像』ミネルヴァ書房、2015年 

翻訳

脚注

  1. ^ a b c d e f 「木畑和子 略歴および研究業績」『ヨーロッパ文化研究』第33号、成城大学大学院文学研究科、2014年3月18日、23-28頁。 
  2. ^ a b c 「私が出会った人々」『ヨーロッパ文化研究』第33号、成城大学大学院文学研究科、2014年3月18日、7-22頁。 
  3. ^ 後藤春美 (2014年). “主任挨拶” (PDF). イギリス科ニューズレター (東京大学教養学部イギリス科研究室) (22): p. 1. http://british-section.c.u-tokyo.ac.jp/_src/sc653/N22_Apr2014.pdf 2015年1月21日閲覧. "一昨年秋、名誉教授の木畑 洋一先生が紫綬褒章を受章され...内輪のお祝いの会を...開催しました。当日は奥様の木畑和子先生も参加して下さり、..." 
  4. ^ 木畑洋一成城大学法学部教授が紫綬褒章を受章しました” (2012年11月3日). 2015年1月21日閲覧。

外部リンク