「玉屋 (百貨店)」の版間の差分
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| title = 日本商業年鑑 1972年版 |
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2020年6月15日 (月) 22:37時点における版
玉屋(たまや、英称:Tamaya)は、佐賀県と長崎県にある百貨店の屋号。現在、2社の「玉屋」を冠する企業がある。
概要
- のちに「九州の百貨店王」とも呼ばれ[要出典]た二代目田中丸善蔵(幼名善吉)が創業、現在も同族により経営されている。
- 九州北部の主要都市で、1店舗1社制で百貨店ネットワークを形成し、「デパート文化」の一時代を築く[要出典]。現在は福岡県からの百貨店事業の撤退で、西九州地域に密着した展開を行っている。
- 髙島屋主体のハイランドグループに加盟[1]。シンボルマークに同じ「バラ」の花を採用しており、紙袋とレジ袋、ギフトカードのデザインは昔から高島屋と全く同じものを使用しており、高島屋のロゴの部分が玉屋のロゴに変わっただけである(ただし、高島屋は2007年に紙袋とギフトカードのデザインを変更したため、現在は両デパートで共通して使用されているデザインのものはレジ袋のみである[要出典])。
- 同じく九州で創業から今に至るまで百貨店の経営を続ける一族として、かつて福岡県で岩田屋を経営し、現在は長崎県で浜屋を経営する中牟田一族が挙げられる。
店舗
- 佐賀県佐賀市中の小路2番5号(本館、南館)[3]
- 1930年(昭和5年)12月3日設立[3]
- 1933年(昭和8年)12月1日に佐賀市呉服町に開店[4]
- 1965年(昭和40年)12月1日に佐賀市中央大通りの現在地に移転[5]。
関連会社
- 株式会社タマヤサンローズ(店名:タマヤサンローズ)
- 福岡県北九州市小倉北区浅野二丁目14番2号 リーガロイヤルホテル小倉1階
- 旧小倉玉屋従業員が中心となり設立、佐賀玉屋北九州地区販売代行などを行っている。
- 玉屋のブランド名を借りて営業しているが、田中丸一族の経営ではない。
かつて存在した玉屋の店舗
- 小倉玉屋(1938年開店[6]、2002年閉店[要出典])
- 福岡玉屋(1925年開店[7]、1999年閉店[要出典])
- 諫早玉屋※佐世保玉屋の運営であった[2](1978年開店[2]、2006年閉店[要出典])。
- 伊万里玉屋※佐世保玉屋の運営であった[2](1966年(昭和41年)[2]4月23日開[要出典]店、2016年(平成28年)1月31日閉店[8])。
歴史
※詳しくは、各店舗の項目を参照のこと。
- 1806年(文化3年) - 初代田中丸善蔵が、肥前国小城郡牛津村(現・佐賀県小城市牛津町牛津)西町で荒物店「田中丸商店」を開業[2]。
- 1894年(明治27年) - 軍事都市として栄えた佐世保に進出[2]。
- 1918年(大正7年)10月30日 - 佐世保玉屋の前身の「株式会社田中丸呉服店」に改組[2]。
- 1925年(大正14年) - 福岡市東中洲町に福岡玉屋の前身の「株式会社玉屋呉服店」を設立[7]福岡市初の百貨店として開業。九州では佐世保玉屋に次ぐものだった。
- 1930年(昭和5年)12月3日 - 「株式会社佐賀玉屋」を設立[3]。
- 1933年(昭和8年)
- 1938年(昭和13年) - 小倉玉屋の前身「菊屋百貨店」、小倉市(現・北九州市小倉北区)室町で開業[6]。
- 1942年(昭和17年) - 福岡玉屋が香港店開業[10]。
- 1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦終結。小倉玉屋、米軍により接収。この状態が占領中続いた。
- 1962年(昭和37年)8月 - 福岡玉屋が玉屋リネン・サービス設立[7]。
- 1965年(昭和40年)12月1日 - 「株式会社佐賀玉屋」を佐賀市中央大通りの現在地に移転[5]。
- 1966年(昭和41年)4月23日 - 佐世保玉屋、子会社を設立して「伊万里玉屋」開業[11](伊万里玉屋は日本百貨店協会には非加盟)。
- 1969年(昭和44年)5月 - 佐世保玉屋、長崎支店(長崎玉屋)開業[12]。
- 1999年(平成11年)7月15日 - 福岡玉屋閉店。跡地は数年後に解体され、新たな商業ビルとなった[要出典]。
- 2002年(平成14年)3月 - 小倉玉屋、旧小倉そごう跡(現・コレット)の地下1階~4階に移転[要出典]。
- 2002年(平成14年)12月25日 - 小倉玉屋、百貨店廃業[要出典]。
- その後、旧小倉玉屋を解雇された一部の従業員、佐賀玉屋の支援を受け、リーガロイヤルホテル小倉の1階にショップ「サンローズ」をオープン[要出典]。
- 2005年(平成17年) - 財団法人田中丸コレクション(田中丸善八による九州古陶磁コレクション)より、九州国立博物館ならびに福岡市美術館に所蔵品を寄託すると発表[要出典]。
- 2006年(平成18年) - 創業200周年。
- 2016年(平成28年)1月31日 - 伊万里玉屋閉店[11]
脚注
- ^ 日本商業年鑑 1972年版, 商業界, (1972), pp. 112
- ^ a b c d e f g h i j 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 31
- ^ a b c d 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 30-32
- ^ a b 松尾建設百年史, 松尾建設, (1986-02-10), pp. 260-262
- ^ a b 佐賀経済のあゆみ 佐賀商工会議所創立七十周年記念, 佐賀商工会議所, (1966-09-29), pp. 403
- ^ a b 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 28-29
- ^ a b c 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 69-70
- ^ 菅原普 (2016年2月1日). “伊万里玉屋が閉店 50年の歴史に幕 惜しむ客、県内外から”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 佐賀全県版
- ^ 佐賀経済のあゆみ 佐賀商工会議所創立七十周年記念, 佐賀商工会議所, (1966-09-29), pp. 415
- ^ 川端基夫. “戦前・戦中期における百貨店の海外進出とその要因”. 龍谷大学経営学論集Vol.49 No.1 (龍谷大学) (2009-06): 1-22.
- ^ a b “来年閉店、伊万里玉屋惜別の「同窓会」”. 佐賀新聞. (2015年11月11日) 2015年11月12日閲覧。
- ^ 週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版, 東洋経済新報社, (2009), pp. 1786
関連項目
- 福岡玉屋
- 小倉玉屋
- 博多リバレイン - 当初は福岡玉屋をこの再開発ビルに移転する計画であった。
- リバーウォーク北九州 - 小倉玉屋敷地を含む一帯を再開発。当初はこの再開発ビルに入居する計画であった。