コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「源氏物語 (1951年の映画)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 高島屋→髙島屋の依頼 - log
50行目: 50行目:
*庭園考証:[[重森三玲]]
*庭園考証:[[重森三玲]]
*舞楽考証:[[平安舞楽會]]
*舞楽考証:[[平安舞楽會]]
*衣裳調整:[[島屋]]
*衣裳調整:[[島屋]]
*特殊撮影:[[松村禎三]]、[[本多省三]]
*特殊撮影:[[松村禎三]]、[[本多省三]]
*編集:[[西田重雄]]
*編集:[[西田重雄]]
102行目: 102行目:
本作は、当時の[[源氏物語]]ブームにあやかって製作され<ref name="悲劇">若井田恆『源氏物語の悲劇』、文芸社、2005年、p.287</ref>、当時の日本映画においては空前の規模で製作を敢行した<ref name="カドカワ">[http://www.kadokawa-pictures.jp/official/genjimonogatari/ 源氏物語]、[[KADOKAWA]]、2015年2月2日閲覧</ref>。[[新藤兼人]]は、原作に最も忠実といわれる[[与謝野晶子訳源氏物語|与謝野晶子の現代語訳]]をもとに、長大な原作を約1年半の物語に脚色し、さらに[[明石の上]]と[[女三宮]]を合体させた「淡路の上」という人物を新たに創出している<ref name="悲劇"/><ref>[http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2006-04-05/kaisetsu_14.html 源氏物語]、[[東京国立近代美術館フィルムセンター]]、2015年3月3日閲覧</ref>。脚色には、[[谷崎潤一郎]]が監修、[[池田亀鑑]]が校閲、[[紫式部#紫式部学会|紫式部学会]]が後援にあたった。
本作は、当時の[[源氏物語]]ブームにあやかって製作され<ref name="悲劇">若井田恆『源氏物語の悲劇』、文芸社、2005年、p.287</ref>、当時の日本映画においては空前の規模で製作を敢行した<ref name="カドカワ">[http://www.kadokawa-pictures.jp/official/genjimonogatari/ 源氏物語]、[[KADOKAWA]]、2015年2月2日閲覧</ref>。[[新藤兼人]]は、原作に最も忠実といわれる[[与謝野晶子訳源氏物語|与謝野晶子の現代語訳]]をもとに、長大な原作を約1年半の物語に脚色し、さらに[[明石の上]]と[[女三宮]]を合体させた「淡路の上」という人物を新たに創出している<ref name="悲劇"/><ref>[http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2006-04-05/kaisetsu_14.html 源氏物語]、[[東京国立近代美術館フィルムセンター]]、2015年3月3日閲覧</ref>。脚色には、[[谷崎潤一郎]]が監修、[[池田亀鑑]]が校閲、[[紫式部#紫式部学会|紫式部学会]]が後援にあたった。


主演級の俳優の衣裳60組は、[[島屋]]の全面協力によって調達し、花の宴のシーンでは30人の女官の衣裳代だけで総予算をオーバーしたという<ref name="カドカワ"/>。
主演級の俳優の衣裳60組は、[[島屋]]の全面協力によって調達し、花の宴のシーンでは30人の女官の衣裳代だけで総予算をオーバーしたという<ref name="カドカワ"/>。


[[1951年]](昭和26年)[[11月1日]]に[[帝国劇場]]で行われた大映創立10周年記念式典で先行上映され、翌日の[[11月2日]]に封切られた<ref name="経営">『占領終結前後の映画産業と大映の企業経営(下)』、立教大学</ref>。本作は当初[[カラー映画|カラー作品]]として構想されたが、技術的な問題でモノクロとなった<ref name="経営"/>。
[[1951年]](昭和26年)[[11月1日]]に[[帝国劇場]]で行われた大映創立10周年記念式典で先行上映され、翌日の[[11月2日]]に封切られた<ref name="経営">『占領終結前後の映画産業と大映の企業経営(下)』、立教大学</ref>。本作は当初[[カラー映画|カラー作品]]として構想されたが、技術的な問題でモノクロとなった<ref name="経営"/>。

2020年6月16日 (火) 00:00時点における版

源氏物語
監督 吉村公三郎
脚本 新藤兼人
製作 永田雅一
出演者 長谷川一夫
京マチ子
乙羽信子
木暮実千代
大河内傳次郎
音楽 伊福部昭
撮影 杉山公平
編集 西田重雄
製作会社 大映京都撮影所
配給 大映
公開 日本の旗 1951年11月2日
上映時間 123分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 1億4105万円[1]
テンプレートを表示

源氏物語』(げんじものがたり)は、1951年(昭和26年)11月2日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は吉村公三郎、脚本は新藤兼人モノクロスタンダード、123分。

大映の創立10周年記念映画として、豪華出演者・スタッフで製作した大作映画。紫式部の『源氏物語』の初の映像化作品であり、本作では、桐壺の死と光源氏の幼少期をプロローグとし、26歳頃の源氏を中心とした1年半の物語を描いている[2]。配収は1億4105万円で、1951年度の邦画配収ランキング第1位となった。第25回キネマ旬報ベスト・テン第7位、第5回カンヌ国際映画祭撮影賞受賞。

スタッフ

キャスト

作品解説

本作は、当時の源氏物語ブームにあやかって製作され[3]、当時の日本映画においては空前の規模で製作を敢行した[4]新藤兼人は、原作に最も忠実といわれる与謝野晶子の現代語訳をもとに、長大な原作を約1年半の物語に脚色し、さらに明石の上女三宮を合体させた「淡路の上」という人物を新たに創出している[3][5]。脚色には、谷崎潤一郎が監修、池田亀鑑が校閲、紫式部学会が後援にあたった。

主演級の俳優の衣裳60組は、髙島屋の全面協力によって調達し、花の宴のシーンでは30人の女官の衣裳代だけで総予算をオーバーしたという[4]

1951年(昭和26年)11月1日帝国劇場で行われた大映創立10周年記念式典で先行上映され、翌日の11月2日に封切られた[6]。本作は当初カラー作品として構想されたが、技術的な問題でモノクロとなった[6]

脚注

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』、キネマ旬報社、2012年5月23日、p.88
  2. ^ 田中純一郎日本映画発達史Ⅲ 戦後映画の解放』、中央公論社、1976年
  3. ^ a b 若井田恆『源氏物語の悲劇』、文芸社、2005年、p.287
  4. ^ a b 源氏物語KADOKAWA、2015年2月2日閲覧
  5. ^ 源氏物語東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年3月3日閲覧
  6. ^ a b 『占領終結前後の映画産業と大映の企業経営(下)』、立教大学

外部リンク