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堀雄二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ほり ゆうじ
堀 雄二
堀 雄二
宗方姉妹』(1950年)
本名 堀 吉太郎[1]
生年月日 (1922-09-26) 1922年9月26日
没年月日 (1979-06-19) 1979年6月19日(56歳没)
出生地 東京市浅草区馬道町(現在の東京都台東区[1]
死没地 東京都新宿区河田町
国籍 日本の旗
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1946年 - 1979年
配偶者 甲斐はるみ(女優)[2]
著名な家族 松本虎藏(祖父・歌舞伎役者)[3]
堀倉吉(父・興行師[3][1][4][5][6]
堀之紀(長男・声優[1][7]
堀秀行(次男・声優)[1][7]
堀光昭(三男・俳優)[1][7]
孫︰堀友美[8][9][10]
事務所 ぷろだくしょん榎[11]
主な作品
大学の門』(1947年、新東宝
忘れられた小等』(1949年、新東宝)
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堀 雄二(ほり ゆうじ、1922年9月26日[1] - 1979年6月19日[12][13][14])は日本俳優。本名は堀 吉太郎。東京都出身。ぷろだくしょん榎所属[11]

来歴

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シナリオライター志望であったが、偶々空きっ腹を抱えて東宝撮影所近くを散歩中、募集の看板にあった「昼食付」の文字に誘われて進路変更したという[15]

本郷中学校を経て、早稲田大学政経学部中退[1]1946年、第1期東宝ニューフェイス東宝へ入社[1]。同期に三船敏郎[12]久我美子伊豆肇若山セツ子堺左千夫らがいる。翌年、新東宝映画『大学の門』で主役デビュー[1]

1950年大映へ移籍[16][17]。同年春、仕事で京都府のある旅館に泊まっていた時、のちの妻である甲斐はるみと偶々旅館が一緒であった[16][17]。相手役の関千恵子と甲斐は部屋が一緒で、紹介されたという[17]。甲斐と知り合ってからは京都で2人だけのデートをしていた[17]。堀のほうが先に仕事が終わり、その晩東京都に帰る時、「食事でもしましょう」と、先斗町へ連れて行き、その時から親しくなった[17]

当時堀には妻子がおり意思表示はしていたものの、甲斐と結婚するまでは先妻からかなりの抵抗を受けていた[16][17]。当時の堀は暗い気持ちで酒を飲んでいたが、甲斐は慰め役になり堀は「女房と別れるから結婚してくれないか」とプロポーズした[16]。堀は「ただ一つだけ条件がある。結婚したら、女優をやめてくれないか。私は一度結婚生活に失敗した男だ。今度こそは、どんなことがあっても成功させたい。素晴らしい家庭を持ちたい」と言っていたという[17]

1951年4月27日に堀の家で、ごく内輪で結婚式をした[17]

1970年に映画界を離れ、テレビドラマ舞台に専念。

その頃、妻と共にゴルフが好きであり、次男の秀行も高校時代はゴルフ部に所属するほど一家はゴルフ・フィーバーであった[7]。1969年時点では次男・秀行をゴルフ場に連れて行っていたという[16]

静岡県御殿場市のゴルフ場に行くためには、朝早くに家を出なければならないため、一家揃って東京都世田谷区成城から静岡県御殿場市に転居した[7]

1978年9月に、胃癌手術を受け、の三分の二を切り取った[13]。この時、家族は一致団結して癌であることを隠しており、堀自身は最後まで自分の病気を胃潰瘍と信じていたという[12][13]

1979年6月18日、トイレに行くために病室のベッドから降りようとして、起き上がった直後に倒れる[13]。意識不明のまま24時間昏睡したあと、意識が回復しないまま、同年6月19日午前9時46分に胃癌の為、東京女子医科大学病院で死去[12][13][14][18]。葬儀は本覚寺で行われた[12]。戒名は偉雄院光芸日隆居士[14]

人物

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妻、息子全員が役者の役者一家[19]。父は、高麗屋の番頭、松本幸四郎 (7代目)の番頭で浅草の公園劇場を経営していた興行師の堀倉吉[1][4][5][3][6][20]で、市川團十郎 (11代目)松本白鸚 (初代)尾上松緑 (2代目)中村雀右衛門 (4代目)の面倒を見ていたなど歌舞伎関係の仕事をしていた[21][22]。父からは、役者になることだけは固く禁じられていたという[15]。堀は「いつか、3人の息子と一緒に芝居をしてみたい」といっていたが、この夢は実現しなかった[12]

1965年時点では、休みには3人の息子を相手にキャッチボールをするのが楽しみであったという[23]

甲斐が長男の之紀を妊娠中にインフルエンザにかかり、レントゲンの結果、町の老医師から結核と診断された[16]。その時に老医師は「一刻も早く人工中絶したほうがいい」と忠告した[16]。堀は「どんなことがあっても生みなさい」と言っており、甲斐は困っていたという[16]。堀は自宅に帰っても、苦しそうにしていた甲斐を見るのにしのびなく、好きな酒のハシゴをすることが多くなった[16]。堀がとまり木で浮かない顔をしていたところ、「よう、堀さん!」と肩を叩かれ、振り返ったところ旧知の病院の歯科医師であった[16]。「顔色が悪いじゃないの」と言われた堀は、その理由を歯科医師に話したところ、「じゃあ、うちの病院に来てみないか、専門医を紹介するよ」と言われた[16]。その結果結核は誤診だとわかり、嬉しかったという[16]。あの時渋谷区のバーへ行かなかったら、之紀は誕生しなかったかもしれず、酒好きで良かったかもしれないという[16]。1969年時点で雄二は之紀が生意気なことを言い出すと、之紀にこの話をしつつ「オレがもし酒が嫌いだったら、お前は生まれてないかもしれないんだぞ」と語っており、之紀は「またか」というようにニヤニヤしながら聞いていた[16]

七人の刑事』で共演していた天田俊明は、堀のことを実の父のように慕っていたという[13]

親族

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主な出演

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映画

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テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本映画人名事典』 男優篇 下巻、キネマ旬報社、1996年、603-604頁。ISBN 978-4873761893 
  2. ^ a b 「奥さまはタカラジャンヌ」『主婦と友』1971年5月号、主婦と生活社、1971年5月、105頁。 
  3. ^ a b c d e 三島霜川「松本虎蔵」『役者芸風記』中央公論社、1935年、117-118頁。 
    「役者芸風記」『日本人物誌選集』 第5巻、紀田順一郎監修・解説(復刻版)、クレス出版、2007年9月1日、117-118頁。ISBN 978-4-87733-380-5 
  4. ^ a b c 『我ら大正っ子 第2集』徳間書店、1961年、25-26頁。 
  5. ^ a b c 『静岡市産業百年物語』静岡商工会議所、1968年、629頁。 
  6. ^ a b c マキノ雅弘「第三章 父と子」『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』平凡社、1977年6月20日、109頁。 
    マキノ雅弘「第三章 父と子」『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』(新装版)平凡社、2002年9月1日、109頁。ISBN 978-4-582-28201-6 
  7. ^ a b c d e f g h 「シリーズ家族 第4回 いま語る 故・堀雄二の遺児たち」『週刊平凡』1979年11月1日号、平凡出版、1979年11月、132-137頁。 
  8. ^ a b 堀 友美”. Gガイド. 2024年7月16日閲覧。
  9. ^ a b 堀友美 (2016年11月30日). “堀友美★大事な出演者”. 猫舌TOMOり言。. サイバーエージェント . 2024年7月16日閲覧。
  10. ^ a b torushomeの2018年6月18日のツイート2024年7月16日閲覧。
  11. ^ a b 『日本タレント名鑑(1977年版)』VIPタイムズ社、1977年、153頁。 
  12. ^ a b c d e f 「名刑事役者・堀雄二さんがガンで急逝」『週刊平凡』1979年7月5日号、平凡出版、1979年7月、41-44頁。 
  13. ^ a b c d e f 「『七人の刑事』堀雄二の若過ぎた死」『週刊女性』1979年7月10日号、主婦と生活社、1979年7月、176-177頁。 
  14. ^ a b c 「「親子4人で共演」の約束もむなしく 俳優・堀雄二がガンで死去!」『女性自身』1979年7月12日号、光文社、1979年7月、217頁。 
  15. ^ a b 「墓碑銘」『週刊新潮』1979年7月5日号、新潮社、1979年7月、141頁。 
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「七刑とおさらばの堀雄二夫妻」『週刊平凡』1969年4月10日号、平凡出版、1969年4月、68-71頁。 
  17. ^ a b c d e f g h 「お茶の間インタビュー 京都は先斗町、東京はハチ公前でデート」『週刊平凡』1965年7月22日号、平凡出版、1965年7月、90-92頁。 
  18. ^ 俳優の堀雄二さん死亡。読売新聞1979年6月19日夕刊11面より
  19. ^ アニメージュ』1987年9月号、徳間書店、1987年9月、194頁。 
  20. ^ 中村雀右衛門 (4代目)「第3章 戦後、混乱期のなかで」『私事――死んだつもりで生きている』岩波書店、2005年1月7日、127頁。ISBN 978-4-00-025755-8 
  21. ^ 中村雀右衛門 (4代目)「第I章 雀右衛門以前」『女形無限』白水社、1998年3月1日、51頁。ISBN 978-4-560-03559-7 
  22. ^ 倉田幸雄編「人気声優にがぶりより! 第18回 堀秀行さん」『アニメディア 1988年12月号』学習研究社、1988年12月1日、雑誌01579-12、86頁。
  23. ^ 「本日非番」『主婦と生活』1965年1月号、主婦と生活社、1965年1月、112頁。 

外部リンク

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