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* [[2005年]][[7月27日]]の[[千葉ロッテマリーンズ]]対西武ライオンズ13回戦、西武が2-0とリードして迎えた2回裏無死一、二塁の場面でロッテの[[李承燁 (野球)|イ・スンヨプ]]が三塁横へ邪飛を放った。スタンド方向へ切れていく難しい打球だったが、三塁を守る西武の[[中村剛也]]はこの打球を追い、三塁側カメラマンブースに突っ込むような体勢で捕球した。しかし捕球後、そのままブースに倒れ込んだため[[安全進塁権|ボールデッド]]が適用され、二走がタッチアップにより三進した。なお、試合は西武の先発[[松坂大輔]]の好投で5-1で西武が勝利した。中村はこのプレーで[[JA全農Go・Go賞]]の7月度「好捕賞」を獲得している。 |
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;金本知憲、意地の400号ホームラン |
;金本知憲、意地の400号ホームラン |
2020年6月16日 (火) 22:26時点における版
富山市民球場アルペンスタジアム Toyama Municipal Baseball Stadium ALPEN STADIUM | |
---|---|
施設データ | |
所在地 | 富山県富山市下飯野30-1 |
座標 | 北緯36度43分50.95秒 東経137度15分43.12秒 / 北緯36.7308194度 東経137.2619778度座標: 北緯36度43分50.95秒 東経137度15分43.12秒 / 北緯36.7308194度 東経137.2619778度 |
開場 | 1992年 |
所有者 | 富山市 |
管理・運用者 | 富山市体育協会(指定管理者) |
グラウンド | 内外野:全面ロングパイル人工芝 |
照明 |
照明塔 - 6基 照度 - 投捕間:2000Lx 内野:1500Lx 外野:1000Lx |
使用チーム • 開催試合 | |
・読売ジャイアンツ(1993年、2008年、2010年、2011年、2013年、2016年、2018年) | |
収容人員 | |
30,003人 (内野:-席、外野:-席) | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
グラウンド面積:14,200m2 両翼 - 99.1 m 中堅 - 122 m |
フェンス | 3.5m |
富山市民球場アルペンスタジアム(とやましみんきゅうじょう アルペンスタジアム、Toyama Municipal Baseball Stadium ALPEN STADIUM)は、富山県富山市にある野球場である。施設は富山市が所有し、富山市体育協会が指定管理者として運営管理を行っている。
なお、愛称を含めた上記の名称が施設の正式名称となっている。
歴史
富山市内には、市内中心部西側の富山大学隣接地に県営富山野球場(1950年完成、現在も存続)があり、高校野球や社会人野球など各種アマチュア公式戦をはじめ、プロ野球公式戦も開催された。特に読売ジャイアンツ(巨人)の創設者で「プロ野球の父」とも言われる正力松太郎が富山県の出身である縁もあって、巨人が年間1カード、石川県立野球場との2連戦形式で北陸シリーズ[1]を開催するなどプロ各球団が公式戦を開催してきた。しかし、老朽化で敷地が狭隘であるため大規模な増改築やナイター設備の追加設置が望めないことから、富山県内ではプロ野球を開催できる本格的な野球場の建設を求める声がかねてから上がっていた。
そこで富山市が市制100周年の記念事業のひとつに「市民球場の建設」を掲げて事業着手し、1992年7月1日に北陸地方では初の全面人工芝の野球場として完成した。3万人を収容できるスタンドを有し、両翼99.1m、中堅122m、ナイター設備、磁気反転式スコアボード等の設備を持つ。愛称「アルペンスタジアム」は公募により決められ、建設時の仮称であった「富山市民球場」と組み合わせて正式名称として命名された。収容人数3万人クラスの野球場は日本海側初となった。開場以来社会人野球、高校野球など各種アマチュア野球公式戦に幅広く使用されている。
またプロ野球公式戦も同年から開催されるようになった。1995年10月7日にはファーム日本選手権(読売ジャイアンツ対近鉄バファローズ)、翌1996年7月23日にはオールスターゲーム第3戦が開催された。また、2007年からベースボール・チャレンジ・リーグの富山GRNサンダーバーズがホームゲームの大半を行っている(本拠地ではない。同リーグの方針により、所属6球団は特定の本拠地球場を定めず、本拠とする県内を巡回してホームゲームを開催している)。
内野スタンドからは、晴れた日には立山連峰を望むことができる風光明媚なスタジアムである。内野スタンドの外周が回廊状になっている姿は、明治神宮野球場などによく似ている。スタンドは大きく分けて、鉄骨鉄筋コンクリート造のメインスタンド(内野)と、土盛りの外野スタンドの2つの構造物から成っている。
完成当時は「日本海側で随一の設備を誇る野球場」と言われていたが、開場から四半世紀が経ち、スコアボードなどの経年劣化や老朽化が進行し、設備の陳腐化も深刻になりつつある。フィールドにはメンテナンス軽減を目的に砂入り人工芝を採用したが、既に人工芝張り替え時に採用をやめている。またバックスクリーン部全体が前方(フィールド側)にせり出しているため死角が生じ、外野スタンドの一部の観客がスコアボードを見づらくなっているほか、ネット裏の記者室・貴賓室などの壁面が白いため、夜間の試合時にこれら室内の照明を点灯した場合、投手や内野手からボールが見えづらくなる恐れがあるなど、設計上の問題点も多い。
なお、この間に一部改修が行われており、開場時は、ポール際のファールゾーンのスタンドも外野スタンド同様芝生席だったが、1996年のオールスター戦開催時に、ベンチ席に変更している。(その為一塁側、三塁側共に内野スタンドの一部からはポール際へ入るホームランは打球が見えない。) 2006年6月には内野部分のみ人工芝の張り替えを行った。2010年4月に全面をロングパイル人工芝に張り替え、同時にフェンス[2]の緩衝材も新調した。なお5月1日には杮落としとして、ベースボール・チャレンジ・リーグの富山サンダーバーズと石川ミリオンスターズの公式戦が行われた。
プロ野球の公式戦は毎年行われているが上述のような設計上の問題点や設備の経年劣化もあり、開催数が伸び悩んでいる。セ・リーグの公式戦は開場以来、中日ドラゴンズ(毎年開催していたが、2015年は組まれなかった)と広島東洋カープ(隔年開催だったが、新潟県立野球場開場以降は不定期)の主催により年間1〜2試合が開催されているものの(2017年は開催なし)、パ・リーグ公式戦は2005年7月27日の千葉ロッテマリーンズ対西武ライオンズ戦を最後に開催が途絶えていた。ただし、2000年代後半以降では日本生命交流戦での中日主管の対パ・リーグ勢の試合が割り振られることがある(2010年の日本ハム戦は降雨中止 → 6月16日にナゴヤドームで代替開催)。2011年は久々のセ・リーグ同士の対戦となるヤクルト戦が予定されたが、前日の金沢を含め2日間連続の雨天中止となった。2017年9月5日は日本ハム対東北楽天ゴールデンイーグルスが開催、12年ぶりのパ・リーグ公式戦開催となる。
また先述の通り富山県は正力の出身地であることや、巨人ファンの多い県民の間では巨人主催公式戦の開催を待望する声が上がっていたものの開場翌年の1993年に1試合開催されたのを最後に、中々実現しなかった。しかし2008年、15年ぶりに巨人の北陸シリーズが復活。8月7日に開催された対横浜ベイスターズ戦にはほぼ満員の約2万2000人の観客が詰め掛けた。その後も巨人主催の公式試合が開催されている。
2009年10月3日には14年ぶりにプロ野球・ファーム日本選手権が開催され、中日が巨人を下している。
高校野球富山大会でも、完成した1992年以来、一回戦から決勝戦までメイン会場として使用されていたが、新湊高校が優勝した1999年大会を最後に、翌年以降は準決勝・決勝戦のみの使用にとどまっている。(2015年のみ、ボールパーク高岡で開催のため使用せず)
施設概要
- グラウンド面積:14,200m2
- 両翼:99.1m、中堅:122m
- 内外野:ロングパイル人工芝(アストロピッチSL PRO)
- 2009年まではショートパイル人工芝(アストロターフ)であった。
- スコアボード:磁気反転式
- 照明設備:6基
- 収容人員:30,003人(内野:17,003人=椅子席、外野:13,000人=芝生席)
- NPB公式戦フェンス広告貼付あり
交通
アルペンスタジアムは富山市北東側の郊外の、住宅と田畑が混在する地域にある。最寄駅である東富山駅や、富山駅など市内中心部からスタジアム近くまで直行する定期バスの本数は少なく、駐車場も収容台数が少ないなど、交通の便はあまり良くない。尚、プロ野球公式戦等が開催される場合には富山駅から臨時の直通バスが運行される。
一方、富山県内の政財界関係者の一部には、あいの風とやま鉄道の富山~東富山間(富山貨物駅付近)から分岐し、アルペンスタジアム方面に直通する支線の新設を求める動きもあるが、実現には至っていない。
- 富山駅正面口4番のりばより富山地方鉄道バス
- 「直行・運転教育センター」「西町経由 運転教育センター・済生会病院」行で「運転教育センター」下車後徒歩約5分
- もしくは同バス「荒町・水橋経由 中滑川・滑川駅前」「荒町経由 水橋東部団地」行で「針原小学校前」下車後徒歩約15分
- プロ野球等開催時には富山駅正面口より臨時バスあり
- 富山駅地鉄ビル前のりばより富山地方鉄道バス
- 「県リハビリセンター」行で「下飯野」下車後徒歩約10分
- 本数こそ少ないが、最寄駅の東富山駅と球場付近を結ぶ唯一のバス路線である。
- 「県リハビリセンター」行で「下飯野」下車後徒歩約10分
- 東富山駅から徒歩約25分、またはタクシー約10分
主なエピソード
同球場では数々のエピソードを残している。
- 巨人対ヤクルト、遺恨勃発
- 1993年6月8日の読売ジャイアンツ対ヤクルトスワローズ10回戦の初回表、ヤクルトの古田敦也が巨人の先発・宮本和知から死球を受けたのをきっかけに両チームが睨み合いとなった。更に適時打で本塁に還ってきた古田のスライディングを巡って、遂に乱闘に発展。ヤクルト側はジャック・ハウエル、巨人側は吉原孝介が退場処分となった。前回の同カードで大久保博元が死球を受けて骨折した際、古田が「ファールでしょ」と審判に主張したことが伏線で、当日のスポーツ紙には古田に報復する旨の関係者の証言が記載されていた。
- デストラーデ、投手で登板
- 1995年5月9日のオリックス・ブルーウェーブ対西武ライオンズ戦、9-0でオリックスのワンサイドゲームとなった8回裏、西武のオレステス・デストラーデがファンサービスを兼ねて投手として登板した。この回二死無走者からマウンドに上がったものの、三塁打と四球2つで満塁のピンチを招き降板した。
- 史上初、3度目のサイクルヒット
- 1999年6月30日の横浜ベイスターズ対広島東洋カープ11回戦、横浜のロバート・ローズが自身3度目となるサイクル安打を達成した。当時サイクル安打の通算最多記録はローズと元阪神タイガースの藤村富美男、元阪急の松永浩美が記録した2回であったが、ローズはこの試合で日本プロ野球史上初の3回目の達成を記録した。この活躍もあり、試合は横浜が20-4で大勝している[3]。
- 中村剛也、カメラマン席に倒れ込みながら捕球
- 2005年7月27日の千葉ロッテマリーンズ対西武ライオンズ13回戦、西武が2-0とリードして迎えた2回裏無死一、二塁の場面でロッテのイ・スンヨプが三塁横へ邪飛を放った。スタンド方向へ切れていく難しい打球だったが、三塁を守る西武の中村剛也はこの打球を追い、三塁側カメラマンブースに突っ込むような体勢で捕球した。しかし捕球後、そのままブースに倒れ込んだためボールデッドが適用され、二走がタッチアップにより三進した。なお、試合は西武の先発松坂大輔の好投で5-1で西武が勝利した。中村はこのプレーでJA全農Go・Go賞の7月度「好捕賞」を獲得している。
- 金本知憲、意地の400号ホームラン
- 2008年5月13日の広島東洋カープ対阪神タイガース6回戦、阪神の金本知憲の第4打席は9回表1死1塁。1-9で8点ビハインドの中、広島の横山竜士の投じた初球をフルスイング。打球は雨風をついてライトスタンドに入り、史上15人目の400号ホームランを達成した[4]。
- 雨天中止はリーグ制覇の予兆?
- 中日ドラゴンズは2014年まで毎年、北陸シリーズと銘打って金沢・富山の2連戦(以前は金沢2試合と富山1試合または福井・金沢・富山各1試合ずつの3連戦)を行っていた。このうち、落合博満政権時の2004年・2006年・2010年・2011年が雨天中止となったが、いずれもその年中日がセ・リーグ制覇を成し遂げている。
- Jリーグオープン戦の開催
- 1993年のJリーグ開幕を前に1992年8月6日夜、読売サッカークラブ対日産自動車サッカー部の試合が行われ、3万人の観衆の中1-1の引き分けに終わった。当時、富山市内にはサッカー競技も可能な富山県五福公園陸上競技場が有ったがナイトゲームに必要な照明設備が無かったことや、収容人数で当球場が上回っていたことなどから開催に至ったものと思われる。外野部分を中心にサッカーフィールドを急造したが、人工芝グラウンドと蒸し暑さが影響してか読売の北沢豪、石川康、都並敏史の3選手がケガをする事態となってしまった[5]。
ギャラリー
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