「夢 (映画)」の版間の差分
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「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式。黒澤明自身が見た[[夢]]を元にしている<ref>「赤富士」については福武文庫版「まあだかい」([[内田百閒]]著) での解説 (黒澤明のインタビューを収録) のなかで「東京日記」からの着想だと発言している。</ref>。各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示されるが、これは[[夏目漱石]]の『[[夢十夜]]』における各挿話の書き出しと同じである。 |
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本作は現在入手可能な[[DVD]]では、オープニングおよびクロージングのクレジットタイトルは英文字表記となっているが、日本の劇場公開時は日本語表記であった。なお、日本語版には「提供 [[スティーヴン・スピルバーグ|スチーブン スピルバーグ]]」とクレジットされているが、英語版にはない。 |
本作は現在入手可能な[[DVD]]では、オープニングおよびクロージングのクレジットタイトルは英文字表記となっているが、日本の劇場公開時は日本語表記であった。なお、日本語版には「提供 [[スティーヴン・スピルバーグ|スチーブン スピルバーグ]]」とクレジットされているが、英語版にはない。 |
2020年6月17日 (水) 08:08時点における版
夢 | |
---|---|
Dreams | |
監督 | 黒澤明 |
脚本 | 黒澤明 |
製作 |
黒澤久雄 井上芳男 |
出演者 |
寺尾聰 倍賞美津子 原田美枝子 根岸季衣 |
音楽 | 池辺晋一郎 |
撮影 |
斎藤孝雄 上田正治 |
編集 | 黒澤明 |
製作会社 | 黒澤プロダクション |
配給 | ワーナー・ブラザース |
公開 |
1990年5月25日 1990年8月24日 |
上映時間 | 119分 |
製作国 |
日本 アメリカ合衆国 |
言語 | 日本語 |
製作費 | $12,000,000 |
配給収入 | 3億3200万円[1] |
『夢』(ゆめ、英題:Dreams)は、1990年に公開された、黒澤明監督による日本とアメリカの合作映画である。
解説
「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式。黒澤明自身が見た夢を元にしている[2]。各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示されるが、これは夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じである。
本作は現在入手可能なDVDでは、オープニングおよびクロージングのクレジットタイトルは英文字表記となっているが、日本の劇場公開時は日本語表記であった。なお、日本語版には「提供 スチーブン スピルバーグ」とクレジットされているが、英語版にはない。
アメリカのワーナー・ブラザースが配給権を有しているため、現在国内で上映可能なプリントは東京国立近代美術館フィルムセンターに保存されている1本のみである。そのため黒澤映画の中では『デルス・ウザーラ』同様、日本でのフィルム上映の機会はあまり実現していない。
あらすじ
日照り雨
江戸時代を思わせる屋敷の門前で、幼い私は突然の日照り雨にあう。畑仕事帰りの母から冗談交じりに「外へ出ていってはいけない。こんな日には狐の嫁入りがある。見たりすると怖いことになる」と言われるが、誘われるように林へ行くと道の向こうから花嫁行列がやってくる。
しかし、木陰で見とれている私の存在を次第次第に意識するそぶりを見せつけてくる行列に、居たたまれなくなって自宅に逃げ帰ってしまう。帰り着いた屋敷は一転して冷たく閉ざされ、門前に立つ母は武家の女然として短刀を渡し、自ら始末を付けるよう告げ、引っ込んでしまう。
閉め出された私はさまよう内に、丘の上から雨上がりの空を見上げるのだった。
桃畑
屋敷の広間で姉の雛祭りが行われている。遊びに来た姉の友人たちにお団子を運ぶが、6人来たはずなのに5人しかいない。姉におまえの勘違いだと笑われ、華やかな笑い声に戸惑って台所に逃げ出すと、裏口に同じ年頃の少女が立っている。
逃げる少女を追って裏山の桃畑跡に辿りつくと、そこには大勢の男女がひな壇のように居並んでいた。彼らは木霊で、桃の木を切ってしまったお前の家にはもう居られないと告げ、責める。
しかし、桃の花を見られなくなったのが哀しいと告げる私に態度を和らげ、最後の舞を披露してどこかへ去って行く。後には桃の若木が一本だけ、花を咲かせていた。
雪あらし
大学生の私は、吹雪の雪山で遭難しかけていた。3人の山仲間と共に3日間歩き続けたあげく、疲労困憊して崩れ込んだまま幻覚に襲われる。
朦朧とした意識の中、美しい雪女が現れ、誘うように問いかけてくる。「雪は暖かい、氷は熱い」と囁かれ、薄衣を被せるように深い眠りへと沈められそうになるが、危ういところで正気に返り、仲間達と山荘を目指し歩き始める。
トンネル
敗戦後、ひとり復員した陸軍将校が部下達の遺族を訪ねるべく、人気のない山道を歩いてトンネルに差し掛かると、中から奇妙な犬が走り出てきて威嚇してきた。
追われるように駆け込んだトンネルの暗闇で私は、戦死させてしまった小隊の亡霊と向き合うことになる。自らの覚悟を語り、彷徨うことの詮無さを説いて部下達を見送った私はトンネルを出るが、またあの犬が現れ、吠えかかってきた。
私はただ、戸惑うしか無かった。
鴉
中年になった私がゴッホのアルルの跳ね橋を見ていると、いつしか絵の中に入っていた。
彼はどこにいるのか。彼は「カラスのいる麦畑」にいた。苦悩するゴッホが自作の中を渡り歩く後を、私はついて行く…。
赤冨士
大音響と紅蓮に染まった空の下、大勢の人々が逃げ惑っている。私は何があったのかわからない。足下では、疲れ切った女性と子供が座り込んで泣いている。
見上げると富士山が炎に包まれ、灼熱し赤く染まっている。原子力発電所の6基の原子炉が爆発したという。居合わせたスーツの男は、懺悔の言葉を残すと海に身を投げた。
やがて新技術で着色された、致死性の放射性物質が押し寄せる。私は赤い霧を必死に素手で払いのけ続けた…。
鬼哭
霧が立ち込める溶岩荒野を歩いている私を、後ろから誰かがついてくる。見ると、1本角の鬼である。
世界は放射能汚染で荒野と化し、かつての動植物や人間は、おどろおどろしい姿に変わり果てていた。鬼の男もかつては人間で農業を営んでいたが、価格調整のため収穫物を捨てた事を悔やんでいた。
変わり果てた世界で何処へ行けばいいのか惑う私は、苦しみながら死ぬこともできない鬼に『オニニ、ナリタイノカ?』と問われ、ただ逃げ出すことしか出来なかった。
水車のある村
私は旅先で、静かな川が流れる水車の村に着く。壊れた水車を直している老人に出会い、この村人たちが近代技術を拒み自然を大切にしていると説かれ、興味を惹かれる。
話を聞いている内に、今日は葬儀があるという。しかしそれは、華やかな祝祭としてとり行われると告げられる。
戸惑う私の耳に、賑やかな音色と謡が聞こえてくる。村人は嘆き悲しむ代わりに、良い人生を最後まで送ったことを喜び祝い、棺を取り囲んで笑顔で行進するのであった。
キャスト
- 第1話「日照り雨」
- 5才位の私 - 中野聡彦
- 私の母 - 倍賞美津子
- 狐の嫁入り - 舞踊集団菊の会
- 第2話「桃畑」
- 第3話「雪あらし」
- 第4話「トンネル」
- 野口一等兵 - 頭師佳孝
- 少尉 - 山下哲生
- 第三小隊 - 二十騎の会
- 第5話「鴉」
- ゴッホ - マーティン・スコセッシ
- 洗濯女 - カトリーヌ・カドゥ
- 第6話「赤冨士」
- 第7話「鬼哭」
- 鬼 - いかりや長介
- 鬼達 - 二十騎の会
- 第8話「水車のある村」
- その他の出演者
- 日野道夫
- 外野村晋
- 東静子
- 夏木順平
- 加藤茂雄
- 門脇三郎
- 川口節子
- 音羽久米子
- 牧よし子
- 堺左千夫
- 歌澤寅右衛門
- 渡辺哲
- 伊藤敏八
- 天田益男
- 山田明郷
- 坂田祥一朗
- 宮坂ひろし
- 姿晴香
- 速水典子
- 石倭裕子
- 小栗さち子
- 日野道夫
スタッフ
- 監督・脚本・編集:黒澤明
- 提供:スチーブン・スピルバーグ
- プロデューサー:黒澤久雄、井上芳男
- アソシエイトプロデューサー:アラン・H・リバート、飯泉征吉
- 演出補佐:本多猪四郎
- 音楽:池辺晋一郎
- 振付:畑道代
- 撮影:斎藤孝雄、上田正治
- 美術:村木与四郎、櫻木晶
- 照明:佐野武治
- 録音:紅谷愃一
- 音響効果:三縄一郎、斉藤昌利
- 衣装:ワダエミ
- 助監督:小泉堯史、米田興弘、酒井直人、杉野剛、早野清治、田中徹、ヴィットリオ・ダッレ・オーレ
- プロダクションマネージャー:野上照代
- ビジュアルエフェクト・スーパーバイザー:ケン・ローストン、Mark Sullivan
- マットペインター:上杉裕世、Caroleen Green
- ハイビジョン協力:ソニー、ソニーPCL
- スタジオ:黒澤フィルムスタジオ、東宝スタジオ
- 現像:IMAGICA
- 協賛:安田生命、日本信販、テンポラリーセンター
ロケ地
- 第1話「日照り雨」
- 第2話「桃畑」
- 第4話「トンネル」
- 第5話「鴉」
- 第6話「赤富士」
- 第7話「鬼哭」
- 第8話「水車のある村」
エピソード
- 日本国内では出資者が見つからなかったために、スピルバーグに脚本を送り、彼がワーナー・ブラザースへ働きかけ(圧力をかけ)たおかげで制作が実現した。
- 黒澤は当初、合成場面は従来通り、すべて光学合成で行うつもりであったが、フランシス・フォード・コッポラの助言(「“コッポラ”と“天ぷら”食ってる時に」と黒澤本人は駄洒落を交えてうれしそうに語っていた)によりハイビジョン(デジタル)合成を本作で初めて導入している(鴉)[4]。また特殊効果にはデンフィルム・エフェクトの中野稔やジョージ・ルーカスの視覚効果特撮工房ILMも参加協力した(日照り雨、赤冨士)[4]。なお、本作で導入されたハイビジョン(デジタル)合成は『八月の狂詩曲』『まあだだよ』でも使われることになる。
- 「日照り雨」の撮影で立てられた家の軒先のセットは、かつて黒澤が幼少期に住んでいた家を忠実に再現したものである。
- 最後の田舎の風景は探すのに苦労したという。なお、実際に回ってる水車は数台しかなく、他は人が動かしている。宮崎駿はこの水車の美術をやりたかったと対談で語っている。
- 本作で、黒澤が最もお気に入りだった画家ゴッホを登場させた。これまでゴッホを描いた伝記映画は何本も製作されたが、黒澤いわく「どれも画家の本質を描いていない」という。そのゴッホを演じたのは、黒澤を敬愛する映画監督のマーティン・スコセッシである。
- 「鴉」では、撮影前から農家に依頼して飼育してもらっていたカラスを使い撮影に臨んだ。飛び立ったカラスは当然戻って来ないので、NGは1回しか許されない状況であったが、2度目に無事成功した。
- 「水車のある村」の葬列には『七人の侍』で農民役だった人達や「雪女」の原田美枝子が参加している。
- 伊崎充則と建みさとは2011年の『仮面ライダーオーズ/OOO』(テレビ朝日)第21-22話で21年ぶりに共演している[5]。
- 本作の製作中、黒澤のアカデミー名誉賞の受賞が決定した。授賞式では本作の出演者、スタッフに加え黒澤の孫が一堂に会して製作された受賞祝いメッセージと黒澤の80歳の誕生日を祝うビデオが上映された。
ショパンの「雨だれ」をめぐって
「鴉」で使われた「雨だれ」について、黒澤は当初ウラディーミル・アシュケナージのCD演奏を使うつもりであったが、使用許諾が得られなかったため、日本のピアニストに真似て演奏してもらうことにした。音楽担当の池辺晋一郎が「音大生に演奏してもらいましょう」と提案したところ、黒澤が「学生なんかじゃダメ、もっと有名な人でないと。“中村なんとか”とかさ」と言うので、思わず池辺は「中村紘子ですか? 彼女なんかにアシュケナージの真似をしてくれなんて言ったら引っ叩かれますよ。プロのピアニストは他人とは違う演奏をするのが仕事なんです。他人の真似をしろなんて失礼な事なんですよ」と返したという。結局、池辺の友人であった遠藤郁子に依頼した。しかし、「アシュケナージなんか知らないわよ」と乗り気でなかった彼女に、同席していた夫が「黒澤明といえば大したものじゃないか。そういう人と一緒に仕事をする事は、君の演奏にも何かプラスになることがあるんじゃないか?」と取りなし、何とか引き受けてもらえた。録音時に黒澤は、池辺の前述の話のせいか彼女に対し「大変無理なお願いを致しまして」と終始平身低頭であったという。
脚注
関連人物
関連項目
関連作品
- 映画の肖像 黒澤明 大林宣彦 映画的対話(1990年、監督:大林宣彦) - 今作の制作過程を記録した大林宣彦監督のドキュメンタリー作品