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* [[クリーブランド・インディアンス|クリーブランド・ナップス<br />クリーブランド・インディアンス]] (1910 - 1915)
* [[クリーブランド・インディアンス|クリーブランド・ナップス<br />クリーブランド・インディアンス]] (1910 - 1915)
* [[シカゴ・ホワイトソックス]] (1915 - 1920)
* [[シカゴ・ホワイトソックス]] (1915 - 1920)
*[[サウスカロライナ大学]]
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2020年9月9日 (水) 02:38時点における版

ジョー・ジャクソン
Joe Jackson
1913年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州ピケンズカントリー
生年月日 1888年7月16日
没年月日 (1951-12-05) 1951年12月5日(63歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
初出場 1908年8月25日
最終出場 1920年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジョセフ・ジェファーソン・"ジョー"・ジャクソン(Joseph Jefferson "Joe" Jackson, 1887年7月16日 - 1951年12月5日[1])は、1910年代アメリカメジャーリーグの元野球選手外野手)。右投左打。サウスカロライナ州出身。マイナーリーグ時代、足に合わない小さなスパイクしか持っていなかったジャクソンは、靴擦れから足によくマメが出来たため、ある試合でスパイクを脱ぎ捨てて裸足でプレーした。この逸話から、「シューレス(靴なし)・ジョー(Shoeless Joe)」という愛称を持つ。

1919年に起こった八百長事件「ブラックソックス事件」で球界を追放された、「悲運の8人」の1人である。

経歴

プロ入り前

子供の頃から織物工場で働き、十分な教育を受けることができなかった。13歳の時に野球を始めた。 1908年フィラデルフィア・アスレチックスと契約し、同年8月25日に18歳でメジャーデビュー。しかしフィラデルフィアでの2年間はチームになじめず、ほとんどをマイナーリーグで過ごした。

現役時代

タイ・カッブ(左)とジョー・ジャクソン(右)

1910年クリーブランド・ナップスにトレードされる。同年にマイナーリーグで結果を残し、メジャーに昇格すると、少ない打数ながら打率.387を記録。翌1911年にはレギュラーに定着し、打率.408、233安打、41盗塁を記録するも、タイ・カッブがそれを上回る打率.420を記録したため首位打者になれなかった。このときの年齢は24歳2ヶ月で4割打者の最年少記録だったが、後にテッド・ウィリアムズに更新される。

その後の1912年1913年も2年連続で最多安打を記録するなど活躍し、特に1913年にはMVPの投票でウォルター・ジョンソンに次ぐ2位となった。

ジョー・ジャクソン(ホワイトソックス時代)

1915年シーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスに移籍。翌1916年に打率.341を残し、1917年のワールドシリーズでは全6試合に出場して打率.304を記録。ホワイトソックスの11年ぶり2回目の優勝に貢献した。1918年は故障でシーズンのほとんどを棒に振ったものの、翌1919年には139試合に出場して打率.351を記録するなど復活した。

1920年、自己3番目の高さとなる打率.382、自己最高となる121打点を記録。しかし、同年シーズン終了後、1919年のワールドシリーズで八百長事件に関与したとして、32歳という若さでメジャーリーグから永久追放されることとなった。

通算打率.356は史上3位の高打率であるが、同時期にタイ・カッブがいたため、結局1度も首位打者を獲ったことがなかった。

引退後

現役引退後はジョージア州サウスカロライナ州のセミプロリーグでプレーした。後にバーベキューレストランや飲み屋 (liquor store) を経営。1951年、翌日テレビで自身の無実を主張するはずだった12月5日に、心臓発作で死去した。

特筆

ブラックソックス事件

ジョー・ジャクソン(1913年)

ジャクソンが本当に八百長に関わっていたかどうかについての議論は尽きない。問題のシリーズで、ジャクソンは打率.375(32打数12安打)、無失策、チーム唯一の本塁打を打っている一方、第1戦でバックホームを大暴投している。また「本気の彼なら5割を打っていた」という主張もある。大陪審で証言を済ませ、裁判所から出て来たジャクソンに、ひとりの少年ファンが、"Say it ain't so Joe!!"(「嘘だと言ってよ、ジョー!」)と叫び、これに対してジャクソンは「ごめんよ、どうも本当らしい」と応えたという逸話が残っているが、それは新聞記者のねつ造であり、実際は少年ファンに話しかけられなかったどころか、裁判所の外に子供はひとりもいなかった、とジャクソン記念館のアーリーン・マークリー館長は話している[2]

現役時代のジャクソンはチームの看板選手であり、「悲運の8人」の中で最もファンに愛されていた選手であった。カッブはジャクソンのことを「メジャーリーグ最高のレフト」、「彼のグローブの中で三塁打は死ぬ」と高く評価し、ベーブ・ルースはジャクソンの打撃フォームを参考にしたという。現在もジャクソンの認知度は高く、ジャクソンやタイ・カッブ等を含めた1914年度のベースボールカードセットが、オークションで80万ドル(約8200万円)で、また直筆サイン入りバットが13万7500ドル(約1450万円)で落札されたことがある。復権の嘆願も多いが、2020年現在もジャクソンはピート・ローズとともにアメリカ野球殿堂の審査対象となっていない。

埋もれていた記録

ベーブ・ルースとジョー・ジャクソン(1920年)

1947年に制定されたルーキー資格に照らした場合に、ジョー・ジャクソンが1911年に放った233安打が、それまでの「ルーキー最多安打」であったことが発見されたのは、2001年のことである。この年メジャーリーグ1年目のイチローが200本を超える安打を記録した頃から、ルーキー最多安打記録が話題になり始めたため、メジャーリーグ機構がルーキー表彰制度の始まった1947年以前の記録を改めて調べなおした結果、それまで認知されていたロイド・ウェイナーのメジャー1年目安打数(223安打)を、ジャクソンの記録が超えていたことが判明した(現在のルーキー最多安打記録は、イチローの242安打である)。

その他

ウイリアム・パトリック・キンセラの1982年刊行の小説『シューレス・ジョー』およびその映画化作品「フィールド・オブ・ドリームス」に、ジョー・ジャクソンは登場する。

アメリカ合衆国のミュージシャン、元クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)ジョン・フォガティの1985年のアルバムタイトル曲『センターフィールド』の2番の歌詞において、有名なベースボール・ポエム「ケイシー打席に立つ」の一節、ウィリー・メイズタイ・カッブジョー・ディマジオといった殿堂入り中堅手の名前と共に、ブラックソックス事件における有名フレーズ "Say it ain't so Joe!!"(「嘘だと言ってよ、ジョー!」)が「Don't say "it ain't so"」として引用されている。ちなみに、フレーズだけで名前は登場しないジョー・ジャクソンは左翼手だった。

2013年のメジャーリーグのドラフト会議において、ひ孫のジョー・ジャクソンがテキサス・レンジャースから5巡目で指名されている[3]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1908 PHA 5 23 23 0 3 0 0 0 3 3 0 - 0 - 0 - 0 - - .130 .130 .130 .261
1909 5 18 17 3 3 0 0 0 3 3 0 - 0 - 1 - 0 - - .176 .222 .176 .399
1910 CLE 20 86 75 15 29 2 5 1 44 11 4 - 3 - 8 - 0 - - .387 .446 .587 1.032
1911 147 641 571 126 233 45 19 7 337 83 41 - 6 - 56 - 8 - - .408 .468 .590 1.058
1912 154 653 572 121 226 44 26 3 331 90 35 20 15 - 54 - 12 - - .395 .458 .579 1.036
1913 148 623 528 109 197 39 17 7 291 71 26 - 10 - 80 - 5 26 - .373 .460 .551 1.011
1914 122 513 453 61 153 22 13 3 210 53 22 15 13 - 41 - 5 34 - .338 .399 .464 .862
1915 83 338 303 42 99 16 9 3 142 45 10 10 3 - 28 - 3 11 - .327 .389 .469 .858
CWS 45 193 158 21 43 4 5 2 63 36 6 10 8 - 24 - 3 12 - .272 .378 .399 .777
'15計 128 531 461 63 142 20 14 5 205 81 16 20 11 - 52 - 6 23 - .308 .385 .445 .830
1916 155 658 592 91 202 40 21 3 293 78 24 14 16 - 46 - 5 25 - .341 .393 .495 .888
1917 146 623 538 91 162 20 17 5 231 75 13 - 19 - 57 - 7 25 - .301 .375 .429 .805
1918 17 78 65 9 23 2 2 1 32 20 3 - 5 - 8 - 0 1 - .354 .425 .492 .917
1919 139 599 516 79 181 31 14 7 261 96 9 - 17 - 60 - 4 10 - .351 .422 .506 .928
1920 146 649 570 105 218 42 20 12 336 121 9 12 16 - 56 - 7 14 - .382 .444 .589 1.033
通算:13年 1332 5695 4981 873 1772 307 168 54 2577 785 202 81 131 - 519 - 59 158 - .356 .423 .517 .940
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録

  • 最多安打:2回(1912年、1913年)
  • 最多二塁打:1回(1913年)
  • 最多三塁打:3回(1912年、1916年、1920年)
  • 最多塁打:2回(1912年、1916年)
  • 最多長打:1回(1916年)
  • 最多出塁:1回(1913年)
  • 最高出塁率:1回(1911年)
  • 最高長打率:1回(1913年)
  • 通算打率:.356(歴代3位)
  • シーズン新人安打数:233(1911年)※歴代2位。2001年にイチローよって90年ぶりに更新された
  • ワールドシリーズ優勝:1回(1917年)

脚注

  1. ^ https://www.mlb.com/player/joe-jackson-116432
  2. ^ 現在まで「Say it ain't so(嘘だと言ってよ)!」は野球ファンの心からの叫びとして語り継がれており、選手会ストライキによるワールドシリーズ中止やサミー・ソーサのコルクバット使用疑惑の時など、誌面にこの言葉が躍った。
  3. ^ 「シューレス・ジョー」のひ孫も!話題選手のドラフト指名相次ぐスポーツニッポン2013年6月9日配信

外部リンク