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*胡蝶:[[大楠道代]]
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*揚羽:[[伊藤かずえ]]
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*津田邦彦:[[高嶋政宏|髙嶋政宏]]
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*森下雪乃:[[丘みつ子]]
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*北崎:[[イッセー尾形]]
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*第9回[[ヨコハマ映画祭|横浜映画祭]] 主演女優賞([[富田靖子]])
*第9回[[ヨコハマ映画祭|横浜映画祭]] 主演女優賞([[富田靖子]])
*第2回[[高崎映画祭]] ベストアイドル賞(富田靖子)
*第2回[[高崎映画祭]] ベストアイドル賞(富田靖子)
* [[第11回日本アカデミー賞]] 新人俳優賞([[高嶋政宏|髙嶋政宏]])<ref group="注" name="totto">『[[トットチャンネル#映画|トットチャンネル]]』とあわせて。</ref>
* [[第11回日本アカデミー賞]] 新人俳優賞([[髙嶋政宏]])<ref group="注" name="totto">『[[トットチャンネル#映画|トットチャンネル]]』とあわせて。</ref>
* 第30回[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]] 新人賞(髙嶋政宏)<ref group="注" name="totto"/>
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* 第12回[[報知映画賞]] 新人賞(髙嶋政宏)<ref group="注" name="totto"/>
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2020年12月23日 (水) 04:08時点における版

BU・SU
監督 市川準
脚本 内館牧子
製作 小倉斉
出演者 富田靖子
音楽 板倉文
主題歌 原由子あじさいのうた
撮影 小林達比古
編集 奥原好幸
製作会社 東宝映画日本テレビ放送網 
配給 東宝東和
公開 日本の旗 1987年10月31日
上映時間 95分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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BU・SU』(ブス)は、1987年公開の日本映画市川準監督、富田靖子主演。

概要

CMクリエイターとして活躍していた市川準の映画監督デビュー作。ひねくれた性格ブスの女の子が次第に成長し、自分の殻を破り自立して素直になっていく姿を描く。

主人公の麦子は当初、歯並びが悪いとか見た目も悪くしようとかルックスにコンプレックスを持っている女の子という話もあったが、監督の市川準が見た目じゃなく精神的に閉じた感じの女の子にしようと言ったという[1]。市川は「ブス」という言葉の意味を、どうしても「容姿」のこととしてはとらえたくなくて、いまを生きている若者の多くが感じている「心の閉塞感」が「BU・SU」という「記号」になればと思っていたと述べている[2]

フィルムは普通本番から回すが、市川はテストの段階からフィルムを回すことがあったという。通常、フィルムは100分の映画で約9000フィート、許容尺数がその4~5倍で4~5万フィートだが、本作では10万フィート以上になった[3]

1987年のキネマ旬報ベスト・テン第8位、読者選出第2位。2004年第6回ファーイースト映画祭招待作品。

ストーリー

複雑な家庭環境ゆえに性格が“ブス”になってしまった女の子が、上京して様々な経験を重ねる中で自分の殻を打ち破って成長していく姿を描く。

18歳の森下麦子はどこにでもいる普通の女子高生だが、少々性格のひねくれた暗い女の子だった。そんな心の“ブス”を直すため田舎から上京、置屋を営む叔母に“鈴女(すずめ)”という名をもらい芸者見習い修行をしながら高校に通学している。

高校でのクラスはまったく纏まりがなく各々好き勝手なことをする者、クラスメートをからかう者、見下す者など様々。

折しも文化祭の季節。やる気のない彼等は出し物を決めかねていた。そんな中、半ば麦子に押し付ける形で彼女が文化祭で「八百屋お七」を舞うことになる。 お七の舞いとはかつて芸者をしていた麦子の母親が舞い、その界隈では伝説になっているほどのものだった。

少ないながらも仲間のサポートを得た麦子の地道な努力は、やがてバラバラなクラスメートの心も動かし自分の殻も打ち破るまでになっていた。

文化祭当日、麦子が舞台で華々しく舞っている。舞台装置であるやぐらの梯子を麦子が登りかけた矢先に梯子が壊れ、麦子の思いも虚しく収拾がつかないほどの散々な終わり方をしてしまう。

失意の中、後続の出演者の波に飲まれ身動き出来ずにうずくまる麦子を、自身も挫折を味わったばかりのクラスメートの一人が校庭へと連れ出す。 キャンプファイアーのために組まれたやぐらに火の着いたランタンを投げるよう促された麦子は思いの丈を込めて思い切り投げる。

燃え上がる炎を眺める麦子の心はいつしか晴れ晴れとしていた。

キャスト

スタッフ

エピソード

  • 本作は当初大林宣彦が撮る予定で脚本まで完成していた[4]。しかし『漂流教室』の撮影が長引き不可能になった。
  • オープニングとエンディングの麦子と母親の海岸でのシーンは本作クランクアップ後、富田がすでに次の映画の撮影に入っていた時期に追加で撮影された。

受賞

小説版

脚本の内館牧子が自らの脚本をもとにしたノベライズを講談社X文庫ティーンズハートより1987年に書き下ろしている。映画とは異なり主人公は外見のブスな女の子に設定されている。1996年には『BU・SU すべてのプリティ・ウーマンへ』と改題して加筆改訂されたものが講談社より刊行され、1999年に講談社文庫で文庫化された。

脚注

注釈

  1. ^ a b c d e トットチャンネル』とあわせて。

出典

  1. ^ 河出書房新社編『市川準』河出書房新社、2009年、40頁。ISBN 978-4-309-01907-9 
  2. ^ 東京新聞編集局編『映画監督50人―自作を歩く』東京新聞出版局、2001年、97頁。ISBN 978-4808307325 
  3. ^ 『市川準』137頁、155頁。
  4. ^ 大林宣彦『映画、この指とまれ』徳間書店アニメージュ文庫〉、1990年、128頁。ISBN 4-19-669627-9 

外部リンク