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=== ハッスル参戦 ===
=== ハッスル参戦 ===
[[2008年]]7月27日より[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]参戦。[[高田延彦]]推薦枠として『ハッスルGP2008』に出場した。『ハッスルGP2008』1回戦で[[小倉優子]]が招聘した「こ♥り♥た♥ん」と戦う予定だったが突如、乱入した[[ゼウス金谷|ゼウス]]にフライパンで殴られて失神した。そのため、次の8月21日に2回戦進出決定戦でゼウスと戦うが敗れた。その後、[[高田モンスター軍]]に加入し、昇格した[[島田裕二|特命係長 島田工作員]](旧・二等兵)から新人ということもあり、『'''小路二等兵'''』と命名された。9月17日の3対1の[[ハンデキャップ|ハンデ]]戦(相手・[[天龍源一郎]])でハッスル初勝利を飾った。
[[2008年]]7月27日より[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]参戦。[[髙田延彦|高田延彦]]推薦枠として『ハッスルGP2008』に出場した。『ハッスルGP2008』1回戦で[[小倉優子]]が招聘した「こ♥り♥た♥ん」と戦う予定だったが突如、乱入した[[ゼウス金谷|ゼウス]]にフライパンで殴られて失神した。そのため、次の8月21日に2回戦進出決定戦でゼウスと戦うが敗れた。その後、[[高田モンスター軍]]に加入し、昇格した[[島田裕二|特命係長 島田工作員]](旧・二等兵)から新人ということもあり、『'''小路二等兵'''』と命名された。9月17日の3対1の[[ハンデキャップ|ハンデ]]戦(相手・[[天龍源一郎]])でハッスル初勝利を飾った。


[[2009年]]4月、パンチザドCのと自分との扱いに憤りを感じ、[[坂田亘]]と試合で負けた後、[[島田裕二|特命係長 島田工作員]](旧・二等兵)の制裁に怒り、払い腰で高田モンスター軍を脱退宣言し、高田総統が最後のチャンスの意味で、6月25日の試合で坂田亘、アンジョー司令長官と3WAYマッチの試合を組んだが、試合中の島田工作員の制裁に怒り、坂田亘と一緒にアンジョー司令長官を攻撃し、決別逆十字で勝利。
[[2009年]]4月、パンチザドCのと自分との扱いに憤りを感じ、[[坂田亘]]と試合で負けた後、[[島田裕二|特命係長 島田工作員]](旧・二等兵)の制裁に怒り、払い腰で高田モンスター軍を脱退宣言し、高田総統が最後のチャンスの意味で、6月25日の試合で坂田亘、アンジョー司令長官と3WAYマッチの試合を組んだが、試合中の島田工作員の制裁に怒り、坂田亘と一緒にアンジョー司令長官を攻撃し、決別逆十字で勝利。

2020年12月23日 (水) 04:39時点における版

小路 晃
基本情報
本名 小路 晃
通称 最後の日本男児
日本柔術界の荒法師
ミスターPRIDE
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-01-31) 1974年1月31日(50歳)
出身地 富山県魚津市
所属 和術慧舟會
→A3-GYM
→フリーランス
SMASH
→小路道場
身長 172cm
体重 90kg
階級 ミドル級
バックボーン 柔道柔術
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小路 晃(しょうじ あきら、1974年1月31日 - )は、日本男性総合格闘家、元プロレスラー。現ラーメン店店主。総合格闘技審判員富山県魚津市出身。小路道場所属。

ニックネームは、「最後の日本男児」。PRIDEには23回出場し、最初の大会PRIDE.1と最後の大会PRIDE.34にも出場するなど、「ミスターPRIDE」とも呼ばれた。

来歴

小学生から柔道を始め、富山第一高等学校時代は村上一成と同級生となり同じ柔道部に所属。高校卒業後はプロレスラーになることを夢見ていたが、柔道推薦で中京大学に入学。全日本学生体重別選手権でベスト8まで進出。

大学時代に知り合った青柳政司に薦められ、1995年に新東京プロレス青森大会で覆面レスラー「誠軍団1号」としてプロレスデビュー。

その後、村上の勧誘で和術慧舟會へ入門。1996年11月、第五回骨法の祭典の骨法vs和術慧舟會対抗戦に出場。骨法のエース大原学と対戦。ペドロ・オタービオとの対戦経験もある大原有利と思われたが、予想を覆し一方的に攻め込んでのドロー(判定なし)。

1997年7月27日に開催されたザ・トーナメント・オブ・Jでは、辻嘉一に判定負け。

1997年10月11日、PRIDE.1に参戦、圧倒的不利と予想されていたヘンゾ・グレイシーを相手にドローに持ち込み、試合後のリング上で「何がグレイシーじゃあ!何が日本最弱じゃあ!」と絶叫した。1998年10月11日、PRIDE.4ではヴァリッジ・イズマイウにTKO勝ち。1999年7月4日、PRIDE.6ではガイ・メッツァーに判定勝ち。

2000年PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦エベンゼール・フォンテス・ブラガに判定勝ち、PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦の2回戦では優勝したマーク・コールマンに判定負けを喫した。

2000年12月のヒカルド・アルメイダ戦から精彩を欠いたファイトが続き、黒星が続くようになる。

2001年4月18日、和術慧舟會を離脱、代表を務めていた「和術慧舟會A-3ジム」も後輩に譲った。フリーとなり一時はプロレス参戦が実現寸前まで至った。

2002年アメリカ合衆国ワシントン州シアトルに拠点を移し、マット・ヒュームの主宰するAMCパンクレイションで練習を行なうようになった。

2003年12月31日のPRIDE SPECIAL 男祭り 2003でのムリーロ・ニンジャ戦を最後にナンバーシリーズで試合は組まれず、階級を落として臨んだPRIDE武士道でも連敗が続いた。2005年4月3日、PRIDE 武士道 -其の六-のミドル級グランプリ ラストワントーナメントでは、ディーン・リスターに一本負け。

2005年12月3日、英国で開催されたCage Rage 14に参戦。マーク・ウィアーに開始17秒でKO負け。

2006年2月5日、DEEP 23 IMPACTにおいて、三崎和雄に一本負け。

2006年8月4日、アメリカ合衆国カリフォルニア州で開催されたKing of the Cageでトッド・メディーナと対戦し、判定勝ち。

2006年10月28日、King of the Cageでケイシー・ウスコーラに2R左フックでKO負け。

2007年4月8日に行なわれたPRIDE.34では、内臓疾患のため欠場となったヴォルク・アターエフの代理出場でギルバート・アイブルと対戦。およそ2年ぶりのPRIDE参戦であったが、パウンドによりTKO負け。

2007年11月9日にオープンしたジム「A・E FACTORY」の組み技担当コーチに就任。

2009年5月26日、DREAM.9でジャッジを務めた。

ハッスル参戦

2008年7月27日よりハッスル参戦。高田延彦推薦枠として『ハッスルGP2008』に出場した。『ハッスルGP2008』1回戦で小倉優子が招聘した「こ♥り♥た♥ん」と戦う予定だったが突如、乱入したゼウスにフライパンで殴られて失神した。そのため、次の8月21日に2回戦進出決定戦でゼウスと戦うが敗れた。その後、高田モンスター軍に加入し、昇格した特命係長 島田工作員(旧・二等兵)から新人ということもあり、『小路二等兵』と命名された。9月17日の3対1のハンデ戦(相手・天龍源一郎)でハッスル初勝利を飾った。

2009年4月、パンチザドCのと自分との扱いに憤りを感じ、坂田亘と試合で負けた後、特命係長 島田工作員(旧・二等兵)の制裁に怒り、払い腰で高田モンスター軍を脱退宣言し、高田総統が最後のチャンスの意味で、6月25日の試合で坂田亘、アンジョー司令長官と3WAYマッチの試合を組んだが、試合中の島田工作員の制裁に怒り、坂田亘と一緒にアンジョー司令長官を攻撃し、決別逆十字で勝利。

6月27日の桐生大会で、坂田亘とタッグを組み、レイ大原、アンジョー司令長官と対戦し、レイ大原に払い腰の大技(黒部の太陽)で勝利し、元の小路晃の名で初勝利を飾った。

2010年、TAJIRIを中心とした団体「SMASH」に入団。

2011年1月、同月限りでプロレスラーとしての活動を停止し、総合格闘技に復帰することを宣言した[1]

しかし、総合格闘技への復帰は1試合のみで、4月22日開催のDEEP 53 IMPACTでの試合を以って現役を引退することを発表した。ラストファイトの対戦相手は三崎和雄[2]

2011年4月22日、DEEP 53 IMPACTで三崎と対戦し、2ラウンドに三崎のパウンドによるレフェリーストップ負け。試合後には引退セレモニーが行われた[3]

引退後は東京・高田馬場のラーメン店「渡なべ」での修行を経て、同年10月11日、富山市にラーメン店「つけめん えびすこ」を開店[4]。店のTシャツ・タオルは宇野薫がデザインした。2014年11月には2号店として豚骨ラーメン専門店「とんこつ えびすこ」をオープンした。

また、DREAMやDEEPのリングなどでレフェリーおよびジャッジを務める。

戦績

総合格闘技

総合格闘技 戦績
36 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
14 2 5 7 0 5 0
17 8 3 6 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 三崎和雄 2R 1:13 TKO(パウンド) DEEP 53 IMPACT 〜小路晃引退興行〜 2011年4月22日
× ギルバート・アイブル 1R 3:46 TKO(パウンド) PRIDE.34 2007年4月8日
カルロス・トヨタ 5分2R終了 判定2-0 club DEEP 富山 -野蛮人祭り5- 2006年11月19日
× ケイシー・ウスコーラ 2R 2:23 KO(左フック) KOTC: All Stars 2006年10月28日
トッド・メディーナ 5分3R終了 判定3-0 KOTC: Rapid Fire 2006年8月4日
× 三崎和雄 1R 2:32 フロントチョーク DEEP 23 IMPACT 2006年2月5日
× マーク・ウィアー 1R 0:17 KO(ハイキック) Cage Rage 14: Punishment 2005年12月3日
× ディーン・リスター 1R 3:13 三角絞め PRIDE 武士道 -其の六-
【ミドル級グランプリ ラストワントーナメント 1回戦】
2005年4月3日
× パウロ・フィリオ 2R(10分/5分)終了 判定1-2 PRIDE 武士道 -其の四- 2004年7月19日
玉海力 1R 0:18 TKO(パウンド) PRIDE 武士道 -其の参- 2004年5月23日
× ムリーロ・ニンジャ 1R 2:41 KO(跳び膝蹴り) PRIDE SPECIAL 男祭り 2003 2003年12月31日
× マウリシオ・ショーグン 1R 3:47 TKO(スタンドパンチ連打) PRIDE 武士道 2003年10月5日
ダスティン・デニス 5分3R終了 判定3-0 Absolute Fighting Championships 4 2003年7月19日
アレックス・スティーブリング 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 PRIDE.25 2003年3月16日
× パウロ・フィリオ 1R 2:48 腕ひしぎ十字固め PRIDE.22 2002年9月29日
デイブ・ロバーツ 2R 4:46 腕ひしぎ十字固め KOTC 13: Revolution 2002年5月17日
× ジェレミー・ホーン 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 PRIDE.18 2001年12月23日
× セーム・シュルト 1R 8:19 KO(スタンドの打撃) PRIDE.16 2001年9月24日
× ダン・ヘンダーソン 3R 3:18 TKO(グラウンドの膝蹴り) PRIDE.14 2001年5月27日
× ヒカルド・アルメイダ 10分2R終了 判定0-4 PRIDE.12 2000年12月23日
ヘルマン・レンティング 1R 3:48 腕ひしぎ十字固め PRIDE.11 2000年10月31日
ジョン・レンケン 1R 6:44 腕ひしぎ十字固め PRIDE.9 2000年6月4日
× マーク・コールマン 15分1R終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【2回戦】
2000年5月21日
エベンゼール・フォンテス・ブラガ 15分1R終了 判定2-0 PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】
2000年1月30日
柳澤龍志 15分1R終了 時間切れ PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR
【パンクラチオンマッチ】
1999年9月18日
ラリー・パーカー 延長R終了 判定3-0 PRIDE.7 1999年9月12日
ガイ・メッツァー 延長R終了 判定2-1 PRIDE.6 1999年7月4日
× イゴール・ボブチャンチン 10分2R終了 判定0-5 PRIDE.5 1999年4月29日
ヴァリッジ・イズマイウ 2R 1:26 TKO(スタンドパンチ連打) PRIDE.4 1998年10月11日
アドリアーノ・デ・スーザ 5分3R終了 時間切れ G.C.M. 出島バーリトゥード 1998年8月29日
松井大二郎 10分3R終了 時間切れ PRIDE.3 1998年6月24日
ジュアン・モット 1R 3:47 スリーパーホールド PRIDE.2 1998年3月15日
ヘンゾ・グレイシー 10分3R終了 時間切れ PRIDE.1 1997年10月11日
× 辻嘉一 5分+延長3分終了 判定0-3 ザ・トーナメント・オブ・J '97
【ヘビー級トーナメント 1回戦】
1997年7月27日
フィダル・セラディラ 1R 2:16 TKO(パウンド) エクストリームチャレンジ 1997年5月28日
大原学 20分1R終了 時間切れ 第五回骨法の祭典 1996年11月30日

グラップリング

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
矢野倍達 5分3R終了 判定1-0 The CONTENDERS 1 1999年1月31日

脚注

関連項目

外部リンク