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2021年4月4日 (日) 13:33時点における版
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高山右近、ホセ・リサール、フェルディナンド・マルコス、呂宋助左衛門、Edgar "Injap" Sia、Raffy Tulfo 代表的な日系フィリピン人[疑問点 ] | |
総人口 | |
255,000[1][2][3] (2006年) | |
居住地域 | |
メトロ・マニラ、 ダヴァオ、ヴィサヤ諸島、イロコス・ノルテ州、 ラ・ウニョン州 | |
言語 | |
フィリピン語、日琉語族、英語 | |
宗教 | |
仏教、カトリック | |
関連する民族 | |
日本人、メキシコ系フィリピン人、中国系フィリピン人 |
日系フィリピン人(にっけいフィリピンじん,Japanese Filipinos, Nippongo Pilipinos)とは、日本に家系起源を持つフィリピン人である。
- 最初の移民:前スペイン植民地時代。
- 第2グループ:江戸時代初期のカトリック迫害(禁教政策)を逃れたカトリック教徒の貿易商・商人が移住。
- 第3グループ:19世紀後半から20世紀前半にかけての移民政策によりフィリピンへ移住した人々。彼らの多くはフィリピン人と結婚し、日系メスティーソ・コミュニティーを形成。多数はマニラ、ダヴァオ、ヴィサヤ諸島等に居住している。
日系フィリピン人、フィリピン系日本人の一覧
戦国時代の一世
[疑問点 ]
二世以降
- ジョビー・カツマタ
- タムリン・トミタ
- アイコ・メレンデス(en:Aiko Melendez)
- アキコ・トムソン(en:Akiko Thomson)
- イワ・モト(en:Iwa Moto)
- ガイ・オノ(en:Gai Ono)
- ケネス・ナトリ・ジュニア(en:Kenneth Natori Jr.)
- ジロー・マニオ(en:Jiro Manio)
- ニーナ・コダカ(en:Nina Kodaka)
日本国籍
→詳細は「Category:フィリピン系日本人」を参照
- アイ・ジョージ
- 秋元才加
- 石井マーク
- 大友慧
- 小川龍也
- 越智千恵子
- 佐々木莉佳子
- ざわちん
- 白濱亜嵐
- 朱里
- 須田アンナ
- 高橋メアリージュン
- 高橋ユウ
- 高橋祐治
- 髙安晃
- 戸根千明
- 中島愛
- 舛ノ山大晴
- 御嶽海久司
- 山﨑康晃
- 吉村真晴
- ラブリ
- 渡部絵美
著名な日本系子孫
[疑問点 ]
- フェルディナンド・マルコス - フィリピン共和国第10代大統領[要出典]
- フェルディナンド・マルコス・ジュニア(Ferdinand Marcos, Jr.)[要出典]
- マリア・イメルダ・マルコス(Maria Imelda Marcos)
- ルー・ダイアモンド・フィリップス - フィリピン出身で、アメリカの俳優
- マーク・ダカスコス - アメリカの俳優
出典
- ^ “Japanese Filipinos - Ethnic Groups of the Philippines”. 2018年9月12日閲覧。
- ^ Agnote, Dario (October 11, 2017). “A glimmer of hope for castoffs”. The Japan Times. オリジナルのJune 7, 2011時点におけるアーカイブ。 August 9, 2016閲覧。
- ^ Ohno, Shun (2006). “The Intermarried issei and mestizo nisei in the Philippines”. In Adachi, Nobuko. Japanese diasporas: Unsung pasts, conflicting presents, and uncertain futures. p. 97. ISBN 978-1-135-98723-7
- ^ https://sites.google.com/site/truelakandula/joserizalclan
- ^ Lee Khoon Choy. https://books.google.co.jp/books?id=ID&pg=PA108,109
フィリピン残留日系人問題
日本人男性と現地の女性間に生まれた者が太平洋戦争の混乱によりフィリピンに残留及び無国籍状態に置かれていた問題[1]。戦後のフィリピン社会は、戦争により大きな被害を受けたことが原因で反日感情が強かったため、母親が夫との婚姻証明書を破棄、名前をフィリピン式に改名する事態が起きた。また当時のフィリピンの法律は父系優先血統主義であったため彼らはフィリピン国籍を取得できず無国籍状態になっていた[2]。彼らへの差別はマルコス政権誕生までは強いものであった[3]。
2018年に実施した外務省の調査では3810人[4]が確認されそのうち1000人は連絡先の判明により日本国籍の取得が出来たが残りの1500人は日本人の父を持っていたが無国籍状態のままであった。そのため就籍をするために裁判所に申し立てを行っており2017年までに200人が国籍を取得した[5]。2018年の調査では1210人の国籍が回復、1531人は確認が終わる前に死亡、893人の確認が終わっていない[6]。
2020年3月末時点では3836人が確認されており[7]無国籍状態におかれているのは910人であった[8]。
脚注
- ^ “「日本人と認めて」 フィリピン残留日系人2世が来日”. 2018年8月2日閲覧。
- ^ “「捨てられた」日本国籍”. 2018年8月2日閲覧。
- ^ “立ちはだかった壁”. 2018年8月2日閲覧。
- ^ “陛下の前で涙を流した彼らは何者か〜放置され続けたフィリピン「無国籍邦人」という問題 北島純”. 現代ビジネス. 2018年8月2日閲覧。
- ^ “就籍手続きで日本国籍取得200人に”. 2018年8月2日閲覧。
- ^ “「時間ない」進まぬフィリピン残留日系2世の国籍回復”. 産経新聞社. 2019年8月6日閲覧。
- ^ “フィリピン残留2世の実情伝える 映画「日本人の忘れもの」公開中”. 産経新聞. 2020年8月19日閲覧。
- ^ “映画「日本人の忘れもの」フィリピン残留2世、老境に願う日本国籍取得”. 西日本新聞. 2020年8月19日閲覧。
参考文献
- 鈴木賢士『フィリピン残留日系人』草の根出版会〈母と子でみる〉、1997年7月。ISBN 978-4876481187。
- 船尾修『フィリピン残留日本人』冬青社、2015年12月。ISBN 978-4887731677。
関連項目
外部リンク
- 財団法人 海外日系人協会
- 「わたしを日本人と認めてください」82歳の女性が今、伝えたいこと(BuzzFeed Japan)