「土田プロダクション」の版間の差分
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2021年4月13日 (火) 10:01時点における版
株式会社 土田プロダクション (つちだプロダクション)は、かつて存在した日本のアニメーション制作会社である。
概要・沿革
放送動画制作出身の土田治が、オフィス・ユニ(アニメの背景・美術を手掛ける企業、スタジオ・ユニとは別)のスタッフを経て、作画・演出・仕上げを手掛けるアニメ下請制作会社として1974年頃に創立。設立当初は、『ドカベン』等の日本アニメーション作品のグロス請け等を中心に活動していたが、1980年、『がんばれゴンベ』より元請制作を開始した。1982年制作の『さすがの猿飛』以降は、NAS制作作品の実制作を主に手掛けた。なお、本社は1984年時点では、東京都練馬区富士見台2丁目5番4号に所在した「富士見台第一ビル」内にあった(同ビルは、後に撤去され、現存していない)。
1983年から制作に関与した『キャプテン翼』で一躍脚光を浴びるも、経営不振に陥る。『キャプテン翼』と同時進行で制作していた『ハイスクール!奇面組』は、当作の制作スタッフ(茂垣弘道、三沢伸、金沢比呂司、原田一男など)が独立し、立ち上げたスタジオコメットが引き継いだ(制作体制が整うまで、ぎゃろっぷも制作に参加していた)。
その後『キャプテン翼』の放送が終了してからは資金繰りが悪化し、経営が破綻。1986年7月11日に倒産した。
主な作品
テレビシリーズ
- がんばれゴンベ(1980年)
- おじゃまんが山田くん(1980年 - 1982年)
- まんがことわざ事典(1980年 - 1982年)
- さすがの猿飛(1982年 - 1984年)
- まんが日本史(1983年 - 1984年)
- キャプテン翼(1983年 - 1986年)
- らんぽう(1984年)
- あした天気になあれ(1984年 - 1985年)
- ハイスクール!奇面組(第7話まで制作、1985年)
OVA
- 黒い雨にうたれて (1984年)
- 酎ハイれもん LOVE30S(1985年)
劇場映画
- おじゃまんが山田くん(1981年)
- キャプテン翼 ヨーロッパ大決戦(1985年)
- キャプテン翼 危うし! 全日本Jr.(1985年)
- キャプテン翼 明日に向って走れ!(1986年)
- キャプテン翼 世界大決戦!! Jr.ワールドカップ(1986年)
その他
- 科学救助隊テクノボイジャー(制作元請:じんプロダクション、パイロット版制作協力[注 1]、1982年頃)
関係者
- 渡辺はじめ
- 福本潔
- 川島彰
- 小川博司
- 岡迫亘弘(現:スタジオ・ヴィクトリー代表)
- 茂垣弘道(現:スタジオコメット代表)
- 三沢伸(現:スタジオコメット所属)
- 別府幸司(現:スタジオコメット所属)
- 一川孝久(現:スタジオコメット所属)
- 興村忠美(現:スタジオコメット→スタジオエル所属)
- 山田雄三(馬場健、現:スタジオコメット所属)
- 金沢比呂司(現:スタジオコメット所属)
- 竹内昭
土田プロのOBが設立した会社
現在
- スタジオコメット(土田プロのプロデューサー出身、茂垣弘道が設立)
- スタジオ雲雀(土田プロの仕上出身、光延幸子が設立)
- スタジオ501(土田プロのアニメーター出身、小川博司が設立)
- スタジオ・ヴィクトリー(土田プロのアニメーター出身、岡迫亘弘が設立)
過去
- スタジオ・ファンタジア(土田プロの色指定・検査出身、飯塚智久が設立。2016年11月16日に破産手続開始決定)
- カオスプロジェクト(土田プロの文芸出身、榎本歩光が設立。2016年頃、事業停止)