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* [[木枯し紋次郎|新・木枯し紋次郎]] 第21話「命は一度捨てるもの」(1978年、[[テレビ東京|12ch]] / C.A.L) - 多田玄斎
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* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI・II|横溝正史シリーズII]] / [[八つ墓村]](1978年、MBS / [[映像京都]]) - [[よろずや|よろず屋]]
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* [[大岡越前 (テレビドラマ)#第5部|大岡越前 第5部]] 第19話「復讐に燃える女」(1978年6月12日、TBS / C.A.L) - 勘次
* [[大岡越前 (テレビドラマ)#第5部|大岡越前 第5部]] 第19話「復讐に燃える女」(1978年6月12日、TBS / C.A.L) - 勘次
* [[死人狩り#1978年版|死人狩り]](1978年 - 1979年、CX / 東宝)
* [[死人狩り#1978年版|死人狩り]](1978年 - 1979年、CX / 東宝)

2021年4月18日 (日) 10:28時点における版

ときた ふじお
常田 富士男
本名 常田 富士男
生年月日 (1937-01-30) 1937年1月30日
没年月日 (2018-07-18) 2018年7月18日(81歳没)
出生地 日本の旗 日本長野県下高井郡上木島村(現・木島平村
死没地 日本の旗 日本東京都
職業 俳優・声優、歌手、ナレーター
ジャンル テレビドラマ・映画・舞台・アニメ
活動期間 1960年代 - 2018年
活動内容 1969年 劇団青年劇場結成
配偶者 あり
著名な家族 倉崎青児(息子)
主な作品
テレビドラマ
バス通り裏
源義経
高原へいらっしゃい
バラエティー番組など
巨泉・前武のゲバゲバ90分!!
アテレコ
まんが日本昔ばなし
 
受賞
第4回日本アニメ大賞 声優部門特別演技賞
第30回モービル児童文化賞
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常田 富士男(ときた ふじお、1937年1月30日[1] - 2018年7月18日[2])は、日本俳優声優歌手、ナレーター。本名同じ[1]。個性派の怪優として知られた。また歌手として、ビートルズを題材としたカルトGSのレコードも発表している。長男に俳優の倉崎青児がいる[3][4]

経歴

長野県下高井郡上木島村(現・木島平村)で生まれ、定職を持たぬ父とともに東京浅草横浜静岡九州を転々とし[5]、小学3年時より熊本県阿蘇郡南小国町で育つ[6]。中学を卒業すると親元を離れ、熊本県立済々黌高等学校定時制に通う[5]

高校卒業後、上京して劇団民藝養成所へ入所[5]。養成所を出た後は、劇団員にならず、1960年米倉斉加年岡村春彦らと劇団青年劇場を結成[5]黒澤明監督作品『天国と地獄』(1963年)と『赤ひげ』(1965年)に出演。

バス通り裏』や『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』への出演で知られた。また、1970年には「私のビートルズ」を発表している[7]。同曲は深夜放送を中心としたラジオでもオンエアされた。1972年には人気ドラマ「木枯し紋次郎」にゲスト出演し、中村敦夫と共演している[8]。また1973年には映画『股旅』で萩原健一と共演した。

声優としても活動し、1975年から1994年までは『まんが日本昔ばなし』で語りとすべての登場人物の声を市原悦子と2人のみで長年に渡って演じた(復活を望む声が多かったため、2005年からはゴールデンタイムで再放送された)。

1977年、「まごころの政治」を掲げて保谷市長選に立候補し、中村敦夫らの応援を受けるが落選した。

1986年、第4回日本アニメ大賞声優部門特別演技賞を受賞。1995年、第30回モービル児童文化賞を受賞。

2018年7月18日午後頃、脳内出血のため東京都内の病院で死去。81歳没。関係者によれば、亡くなる数か月前から入院療養していたとのことである[2][9]

テレビ、映画、演劇を通して個性派として長く活躍し、独特のセリフ回しや風貌で強い印象を残した。

市川崑に重用され、10本以上の作品に出演した。

雑記

ムーンライダーズの曲「ニットキャップマン」に名前が登場する。

出演

テレビドラマ

映画

テレビアニメ

劇場アニメ

人形劇

ディスコグラフィ

  • 私のビートルズ(1970年)「私のビートルズ」を発表している[7]
  • 2001年生まれのフランケンシュタイン 「おはよう!こどもショー」内
  • ゴリラの一郎 花とさけ 「ソング・オブ・カリキュラマシーン」所収(1974年)
  • トッピンからげて逃げられて(1983年)

アルバム

  • 常田富士男 民話の世界

ラジオ

バラエティ・情報番組

その他

CM

関連項目

出典

  1. ^ a b 『声優名鑑』成美堂出版、1999年、544頁、ISBN 978-4415008783
  2. ^ a b “俳優・常田富士男さん死去 「まんが日本昔ばなし」”. 熊本日日新聞. (2018年7月19日). https://kumanichi.com/news/559085/ 2018年7月19日閲覧。 
  3. ^ S&Dプロモーション
  4. ^ 株式会社イワプロ 有明海に生きて 特設ページ
  5. ^ a b c d 『シネマ個性派ランド』キネマ旬報社、1981年、177-179頁
  6. ^ 「晴れのち夢=俳優・常田富士男さん 郷愁かき立てる味わい深い語り [略歴]」『熊本日日新聞』2006年1月10日 朝刊
  7. ^ a b http://www.kayou-center.jp/12633
  8. ^ http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-12981
  9. ^ 俳優、常田富士男氏が死去 まんが日本昔ばなし - 産経ニュース 2018年7月19日
  10. ^ まえがみ太郎”. 日本アニメーション. 2016年6月29日閲覧。
  11. ^ ユニコ 魔法の島へ”. メディア芸術データベース. 2016年11月6日閲覧。
  12. ^ 天空の城ラピュタ”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月4日閲覧。

外部リンク