「瑶子女王」の版間の差分
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'''瑶子女王'''(ようこじょおう、[[1983年]]〈[[昭和]]58年〉[[10月25日]] - )は、[[日本]]の[[皇族]]。[[身位]]は[[女王 (皇族)|女王]]。[[敬称]]は[[殿下]]<ref>[[皇室典範]]第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」</ref>。[[お印]]は'''[[星]]'''。[[勲等]]は[[勲二等宝冠章]]。 |
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2021年4月27日 (火) 14:51時点における版
瑶子女王 | |
---|---|
三笠宮家 | |
続柄 | 寬仁親王第2女子 |
全名 | 瑶子(ようこ) |
身位 | 女王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 星 |
出生 |
1983年10月25日(41歳) 日本東京都渋谷区日本赤十字社医療センター |
父親 | 寬仁親王 |
母親 | 寬仁親王妃信子 |
栄典 |
勲二等宝冠章 |
役職 |
一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会総裁 社会福祉法人友愛十字会総裁 東京モーターショー総裁 |
称号:女王 | |
---|---|
敬称 |
殿下 Her Imperial Highness the Princess |
皇室 |
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|
瑶子女王(ようこじょおう、1983年〈昭和58年〉10月25日 - )は、日本の皇族。身位は女王。敬称は殿下[1]。お印は星。勲等は勲二等宝冠章。
学位は学士(日本文化)(学習院女子大学・2006年)。寬仁親王と同妃信子の第2女子。大正天皇の曽孫、徳仁(第126代天皇)の再従妹にあたる。
略歴
1983年(昭和58年)10月25日、寬仁親王と信子妃の第二子として誕生。松濤幼稚園から学習院幼稚園に移り、初等科・女子中等科・女子高等科を経て、学習院女子大学国際文化交流学部日本文化学科卒業。
2003年(平成15年)10月25日に成年を迎え、皇族身位令により第125代天皇明仁から勲二等宝冠章(のちの宝冠牡丹章に相当)を受ける。同年から、宮中行事・祭祀に出席している。
初等科5年時から剣道を始め、大学時代は女子副主将も務めた。2005年(平成17年)3月フランス・ドイツへの第2回日欧交流関東学生剣道連盟親善使節団に参加し、また同年8月に開催された愛知万博での剣道のデモンストレーションにも参加した。2006年(平成18年)7月の全国家庭婦人剣道大会にも出席、観戦した。また、大学卒業後は、初等科剣道部でボランティアで剣道の指導も行なっている。平成29年7月現在で、段位は五段[2]。
2006年(平成18年)12月から2012年11月まで日本赤十字社(事業局組織推進部青少年・ボランティア課を経て血液事業本部販売管理課)で嘱託ながら常勤で勤務しており、これは女性皇族として史上初のことである。2013年8月一般財団法人国際ユニヴァーサルデザイン協議会総裁就任、2014年1月社会福祉法人友愛十字会総裁就任。一方で、父母がともに闘病中、姉・彬子女王が留学中で不在であった時期には、その分の公務も務めていた。
外遊歴
2019年12月11日から17日にかけて、即位礼正殿の儀で来日したアウンサンスーチー国家顧問からの招待により、ミャンマーを私的訪問した。日本の皇族が同国を訪問するのは初めて[3]。
系譜
瑶子女王 | 父: 寬仁親王 |
祖父: 崇仁親王(三笠宮) |
曾祖父: 大正天皇 |
曾祖母: 貞明皇后 | |||
祖母: 百合子 |
曾祖父: 高木正得 | ||
曾祖母: 高木邦子 | |||
母: 信子 |
祖父: 麻生太賀吉 |
曾祖父: 麻生太郎【先代】 | |
曾祖母: 麻生夏子 | |||
祖母: 麻生和子 |
曾祖父: 吉田茂 | ||
曾祖母: 吉田雪子 |
その他
官報等における正式な呼称は宮号を冠さず「瑶子女王」である。なお、一部に旧字体の「瑤子」を用いる向きもあるが、出生当時の官報告示では新字体で表記されている。2013年8月29日付で、国際ユニヴァーサルデザイン協議会(IAUD)の新総裁に就任した[4]。
脚注
- ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
- ^ 学習院剣道部公式サイトより、「剣道時代」2008年4月号インタビュー記事
- ^ https://www.asahi.com/articles/ASMD35QGLMD3UTIL038.html
- ^ IAUD Newsletter vol.6 第10号(2013年9月号)発刊 - 国際ユニヴァーサルデザイン協議会