愛子内親王
愛子内親王 | |
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2021年 | |
続柄 | 今上天皇第1皇女子[1] |
全名 | 愛子(あいこ) |
称号 | 敬宮(としのみや) |
身位 | 内親王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | ゴヨウツツジ |
出生 |
2001年12月1日(23歳)14時43分 日本・東京都千代田区千代田 皇居・宮内庁病院 |
父親 | 徳仁(今上天皇) |
母親 | 皇后雅子 |
栄典 |
宝冠大綬章 |
称号:内親王 | |
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敬称 |
敬宮愛子内親王殿下 Her Imperial Highness Princess Aiko of toshi |
皇室 |
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敬宮愛子内親王(としのみやあいこないしんのう、2001年〈平成13年〉12月1日[2] - )は、日本の皇族。諱は愛子、御称号は敬宮(としのみや)[3]、お印はゴヨウツツジ(五葉つつじ)。勲等は宝冠大綬章。身位は内親王。敬称は殿下[4]。日本赤十字社常勤嘱託職員[5]。
天皇徳仁と皇后雅子の第1皇女子。上皇明仁と上皇后の皇孫にあたる。21世紀(2000年代)に誕生した初の皇族であり、2024年12月14日現在、皇室の女性構成員11名かつ内廷皇族の中で最年少者である。
概要
[編集]現在の天皇、第126代天皇徳仁の一人娘。現在日本に存在する唯一の皇女である。第125代天皇・上皇明仁の孫4人(1男3女)のうちの一人。
現在の皇室典範では女性皇族(内親王・女王)に皇位継承資格はないため、彼女が父親の後継者として天皇に即位することは不可能である。ただ、男性皇族が少なく女性皇族が多いため(2024年12月14日現在、親王3名、内親王2名、女王3名)、皇室史上において8人10代実在した女性天皇の在位を再容認するための皇室典範の改正是非の議論がされている。
よく誤解されるが彼女は天皇の直系男系子孫であるため、あくまで男系皇族であり、女系皇族ではない。
来歴
[編集]2001年(平成13年)12月1日14時43分、皇太子徳仁親王(現・天皇)と皇太子妃雅子(現・皇后)の間に第1子(第1皇女子)として、東京都千代田区の宮内庁病院で出生。誕生時の身長は49.6センチメートル、体重は3,102グラム[6]。
皇室においては、清子内親王(黒田清子)以降9人連続の女子(内親王4名・女王5名)の誕生となった(詳細は「皇室#現行皇室典範下で誕生した皇室の子女」参照)。
同日、祖父である第125代天皇明仁から守り刀(人間国宝である大隅俊平作)と袴が贈られる「賜剣の儀」が行われた[7][8]。刀身は約25センチで、全長約40センチ。
また、内閣総理大臣小泉純一郎(当時:第1次小泉内閣)が「内親王殿下の御誕生を迎えて」の内閣総理大臣謹話を発表した[9]。
同年12月7日、「浴湯の儀」・「命名の儀」・「賢所皇霊殿神殿に誕生命名奉告の儀」が行われ、天皇から「愛子(読み:あいこ)」と命名され、「敬宮(読み:としのみや)」の御称号を受けた。名と御称号の由来は
「 | 人を愛する者は人恒に之を愛し、人を敬ふ者は人恒に之を敬ふ。 | 」 |
—『孟子』離婁下 |
に拠る。皇太子・同妃(当時)、そして学者[10]が相談して内定し、祖父の天皇明仁(当時)も両親である皇太子・同妃(当時)の意向を尊重して命名した[11][12]。
浴湯の儀に伴って行われる「読書鳴弦」の儀式では、元・学習院大学長児玉幸多により、『日本書紀』から8人10代存在した女性天皇のうち最初の女帝にあたる推古天皇に関する部分が読まれている[12]。お印のゴヨウツツジは那須御用邸でも5月に咲く花で、両親の「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いを込めた[13]。
平成の皇太子夫妻の待望の第一子誕生に対して、国民の祝賀の記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人、合計77万人に達した。12月2日夕、皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、奉祝国会議員連盟会長の麻生太郎をはじめ政治家や竹下景子、西田ひかるなどの芸能人、毛利衛、長嶋茂雄などの著名人が祝辞を述べ、2万5千人が集まり万歳して祝意を表した[14][15]。
幼時には、両親(皇太子・同妃)から「愛ちゃん」と呼ばれた[16]。
2005年(平成17年)春から週2回、東京都渋谷区のこどもの城に通い、音楽遊びなどを通じて集団生活に親しんだ[17]。
2006年(平成18年)4月11日、学習院幼稚園に入園。同年8月、皇太子・同妃(当時)である両親のオランダ旅行・滞在に同行して、初めて海外訪問した[18]。
同年11月11日に、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を行った。このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生のときに贈られたものである。この頃には自転車の練習なども始めている[19]。
2008年(平成20年)3月に学習院幼稚園を卒園し、同年4月に学習院初等科に入学。2009年(平成21年)の初等科2年生時には、漢字の書き取りや習字を行う姿が報道された。
2010年(平成22年)2月下旬から風邪を疾患するなど体調不良が原因となり学校を欠席しがちだった[20]が、同年3月5日になって野村一成(当時の東宮大夫)が、「3月上旬に発生した初等科での児童同士のトラブルから体調不良となり、学校を欠席した」と発表した後、同日にまた学校法人学習院側も記者会見を開き同様の発表がなされ、大きな波紋を呼んだ(詳細は「愛子内親王不登校騒動」)[21][22][23][24]。
2011年(平成23年)秋より、初等科への通学は平常な状態に戻った[25][26]。
2012年(平成24年)には学習院初等科5年生となり、「管弦楽部(パートはチェロ)、バスケットボール部などの部活動での練習にも励み、学習院女子大学で開催された英会話セミナーにも通い出した」と報道された[27]。
2014年(平成26年)3月に学習院初等科を卒業し、同年4月に学習院女子中等科に入学[28][29]。同年7月15日に自身の曽祖父母にあたる昭和天皇・香淳皇后の武蔵野陵を初めて参拝し[30]、また、7月30日に伊勢神宮を初めて参拝した[31]。同年8月3日、全国高等学校総合体育大会を両親との一家で訪れ、女子サッカーと男子バレーボールの試合を観戦した[32]。
同年12月1日、13歳の誕生日を迎え、皇居内の御所に居住する祖父母の天皇明仁と皇后美智子(当時)を初めて一人で挨拶のため訪問した。春からはテニスとソフトボールを始めている。授業の科目数も増え、学業にスポーツにと忙しい日々を過ごす[33]。
2015年(平成27年)戦後70年の節目の夏には、初めて第二次世界大戦の企画展示(「昭和館」東京都千代田区)に足を運び見学したほか、戦争体験者からも直接話を聞いた[34][35][36]。
2016年(平成28年)8月、学習院女子中等科第3学年在学中の夏休みに両親の皇太子徳仁親王同妃雅子(当時)の地方公務に初めて同行し長野県上高地を訪れた[37][38]。同年9月26日から胃腸が弱りふらつきなどの症状のため学校を欠席したが[39]、休養に努め11月に学校に復帰した。
2017年(平成29年)3月、学習院女子中等科を卒業し[40]、発表された卒業文集の作文「世界の平和を願って」[41]では、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」などと、修学旅行で広島を訪れ原爆の悲劇を見て感じた平和を築いてゆく願いを綴り、多くの国民の感動を呼んだ。同年4月、学習院女子高等科に入学[42]。
2018年(平成30年)7月22日 - 8月9日まで、イギリスに短期留学した。(学習院女子高等科の海外研修プログラム) 首都ロンドン郊外のイートン校で英語教育、更にポーツマスやオックスフォードで英国の文化を体験した[43]。
2019年(令和元年)5月1日、天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行(前日の2019年(平成31年)4月30日に祖父の天皇明仁が退位し上皇となり、祖母の皇后美智子は上皇后となる)により父の皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位、母の皇太子妃雅子も皇后となる。
2020年(令和2年)3月に学習院女子高等科を卒業。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、両親である天皇徳仁と皇后雅子は卒業式への出席を控えた。
同年4月より父の母校でもある学習院大学文学部日本語日本文学科に入学(父の天皇徳仁は、同学部史学科出身である)[44]。
2021年(令和3年)3月26日に、第204回国会で成立した令和3年度予算に同年12月1日に成人する愛子内親王のティアラ代が、宮内庁の予算としては盛り込まれなかった。ティアラは成年の女性皇族が宮中晩餐会など公式の場で付ける髪飾りだが、宮内庁では「新型コロナの状況に鑑み、盛り込まなかった」とした。11月16日、コロナ禍の状況を鑑みてティアラを新調しないことが宮内庁より発表され、叔母の黒田清子のティアラを借用して成年行事に臨むこととなった[45]。なお、女性皇族の成年に際してのティアラの制作は近年の実例で、2011年(平成23年)10月23日の眞子内親王成年の際は、指名競争入札で和光が、2014年(平成26年)12月29日の佳子内親王成年の際は、初めて企画コンペティションによる公募入札が行われ、大手宝飾品製作のミキモトがそれぞれ落札した。予算はイヤリングなどと合わせ眞子内親王が2856万円、佳子内親王は2793万円[46]で、宮内庁が管理する公金から支出された。そのためティアラは国有財産で、結婚により皇室を離脱する際には返還される。父徳仁の即位に伴い、母雅子は祖母の上皇后美智子から、義叔母の文仁親王妃紀子は皇后雅子から、それぞれ由緒あるティアラを引き継いだとされる。
同年12月1日、成年(20歳)。これにより、女性皇族10名全員が成人し、未成年の皇族は悠仁親王のみとなった。4日後の12月5日、父の天皇徳仁より宝冠大綬章を授与された(ただし、受章日は誕生日となる12月1日付である)[47][48][49]。
2022年(令和4年)3月17日、成年の記者会見を行った[50]。
同年夏、宮内庁は2023年度予算案に愛子内親王が着用するティアラなどの装飾品の制作費を再び計上しないことを明らかにした。理由はコロナ禍で国民が苦しむなかで、愛子内親王が両親の気持ちを考慮し、固辞したためとされる[46]。
2024年(令和6年)1月22日、大学卒業後の同年4月1日からの日本赤十字社常勤嘱託職員への就職が内定したと発表される[51]。
同年3月20日、学習院大学日本語日本文学科を卒業。卒業論文は『式子内親王とその和歌の研究』[52]。また、3月26日に伊勢神宮[53]、3月27日に神武天皇陵を単独参拝した[54]。これに伴い斎宮歴史博物館、いつきのみや歴史体験館も視察。自身初の単独地方訪問となった[55]。4月1日、日本赤十字社に入社し、清家篤社長より辞令を受け、事業局パートナーシップ推進部ボランティア活動推進室青少年・ボランティア課に配属され、常勤嘱託職員として勤務開始[56][5][57]。
同年4月23日、赤坂御苑で開催された春の園遊会に初参加した[58]。
内親王を巡って
[編集]2000年代を迎え、待望久しかった皇太子夫妻の第1子であったことから、誕生と同時に注目を集めた。出産翌日には皇居前広場で祝賀の「国民の集い」が行われ、約2万5000人もの市民が集った。皇居に記帳所が設置され、また赤坂では提灯行列が行われた。出産翌日に対面した父・皇太子は「非常に元気そうですね」という感想を述べた[59]。
しかし、「発達の遅れがあるのではないか」等の誹謗中傷が、一部の国内週刊誌に取り上げられた[60][61]。この状況を受け、同年6月の定例会見にて林田英樹東宮大夫は、ただちに「事実無根で不本意」と否定[62]。宮内庁は同年9月にスナップ写真や父の皇太子徳仁親王が東宮御所内で撮影したビデオ映像を公開し、事態の収束につとめた。同映像の中には父親の皇太子を「パパ」と呼びながら絵本を読む姿などが映されていた。
学習院幼稚園に入園してからは、運動会の大玉転がし、オール学習院の集いでの合唱の様子などがテレビ報道で公開されている。その後は、こうしたメディアの定期的な取材を受けることにより、愛子内親王が心身とも健康であることが浸透した。2013年(平成25年)においては、「学習院初等科での成績は学年でのトップクラス」と伝えられている[63]。
皇室では、清子内親王から愛子内親王に至るまで9人連続で女性皇族(内親王4名・女王5名)が誕生しており、1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王以降男子は誕生しなかった。皇統に属する男系男子にのみ皇位継承権を認める現行の皇室典範見直しの機運が高まり、皇太子徳仁親王に第一子として女子が誕生したこともまたこれを後押しした。[要出典]
そのため、2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて、当時の内閣総理大臣小泉純一郎の私的諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」において愛子内親王の即位を念頭においた女性天皇・女系天皇の可能性が検討された(詳細は「皇位継承問題」も参照)。有識者会議は2005年11月24日に象徴天皇制の安定的な維持のため、皇位継承資格を女性や天皇・皇族の女系子孫に拡大することなどを求める最終報告書[64]をまとめ、小泉総理に提出。
しかし、2006年(平成18年)2月に秋篠宮妃の第3子懐妊が判明。9月6日に皇室で41年ぶりの男子である悠仁親王を出産したこと、総理大臣に皇室典範改正に慎重な安倍晋三が就いたことなどから改正の動きは止まった。
その後も2019年(平成31年)の退位特例法による天皇の退位を契機として将来の皇室制度の持続可能性について議論が再燃するなどの動きがあったが、現在に至るまで皇室典範改正には至っていない。
逸話
[編集]スポーツ試合観戦
[編集]- 大相撲:幼少期の趣味の一つは大相撲の観戦。力士の四股名だけでなく下の名前や出身地も暗記していた[65]。2006年(平成18年)初場所をテレビ放送で観戦中に父親の徳仁親王が旭天鵬対玉乃島戦について話を向けると、「小結同士」と答えたという。愛知万博を訪問する徳仁親王が「愛知県に行く」と話すと「琴光喜関の出身地の愛知県」と答えた。2006年(平成18年)9月10日、両国国技館にて両親と共に初めて秋場所を観戦し、「夢じゃなかったのかしら」と述べた。2007年(平成19年)9月22日の大相撲秋場所14日目にも両親の皇太子夫妻と共に訪れ、星取表に勝敗を書きこむなど熱心に観戦した。
- 野球:2009年(平成21年)の2009 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を契機に、野球にも興味を持ち始め[66][67]、選手では内川聖一がお気に入りという[67]。2009年(平成21年)7月12日にはプロ野球公式戦のデーゲーム、ヤクルト - 横浜戦(神宮球場)を両親とともに皇太子一家で初観戦した。
運動・スポーツ
[編集]- 運動神経:体を動かすことが好き[50]。競走が速く、学習院初等科運動会では度々リレーの選手に選ばれていた。2013年(平成25年)の6年生の時には校内の遠泳行事に参加し3kmを泳ぎきった。運動会では組体操に参加した[68]。
- バスケットボール:2012年(平成24年)の初等科5年生時に運動のクラブ活動として、バスケットボール部に入部。初めは野球部を考えたが、女子の団体競技としてバスケットボールを選択した[69]。
- スキー:幼少より親しんでいる。2013年(平成25年)1月、冬休みに学習院初等科の同級生グループと長野県奥志賀高原スキー場にスキー合宿に出掛けレッスンを受けた[70]。3月下旬にも同県に一家でスキーに訪れ、練習の成果もあり上級者向けコースに挑戦した。同年4月5日、宮内庁は敬宮愛子内親王の春休みのスキー映像と写真を公開した[71][72]。
- テニス、ソフトボール:2014年(平成26年)、中学生になってからはテニスとソフトボールに関心を持ち赤坂御用地のコートや庭で、両親や宮内庁職員とプレーを楽しむことがある。
- ジョギング:父・徳仁と一緒に敷地内をジョギングしている[50]。
- バドミントン、バレーボール:新型コロナウイルス感染症の流行後、感染症対策を徹底しつつ、マスクを着用した上で、宮内庁職員と一緒に楽しむことがある[50]。
日本文化と音楽
[編集]- 書道 - 幼少よりたしなんでおり、宮内庁職員文化祭に力強い作品を出展している。
- 百人一首 - 2015年(平成27年)2月に学習院女子中等科で行われた百人一首大会では、40枚ほどの札を取って圧勝するなど、日本の伝統文化にも親しんでいる[73]。
- チェロ - 学習院初等科の4年の時にクラブ活動として管弦楽部に入部。チェロを担当し熱心に練習している。
- 和歌 - 2022年(令和4年)、初めて歌会始の儀に歌を寄せ、『英国の学び舎に立つ時迎へ 開かれそむる世界への窓』と、 高校2年の夏に参加したサマースクールで、イギリスの地に立ったときに今世界への窓が開かれようとしている、という心の高まりを詠んだ。
自然
[編集]ペット
[編集]自身が誕生した頃から自宅の東宮御所(当時 → 赤坂御所)で飼われている犬や猫を可愛がっている[74][75]。誕生日会見などでも一緒に写ることがある[76][77]。迷い犬や猫、動物病院で保護された犬や猫を譲り受けている。
- 「ピッピ」と「マリ」
- 愛子内親王の誕生前より両親の皇太子夫妻(当時)が飼育していた犬。赤坂御用地に迷い込んだ雌犬が産んだ10匹の子犬のうちの2匹。2009年(平成21年)に2匹共、老衰で他界した。
- 「由莉」(ゆり)
- 2009年(平成21年)4月から飼育している柴犬のMIX。まりに似た名前を付けた。写真撮影で一緒に写る時にしているバンダナは愛子内親王の手作り。静養先でも行動を共にすることがある。
- 「にんげん」と「みー」
- 2010年(平成22年)春、学習院初等科3年次に赤坂御用地に紛れ込んだ母猫の『にんげん』は、2016年(平成28年)5月に病気で逝去するまで飼っていたメス猫である(キジトラ白MIX)。「にんげん」は紛れ込んだ後すぐに4匹の子猫を産み、その内1匹を引き取って、「みー」と名付けて飼育している。
- 「セヴン」
- 2016年(平成28年)より飼育している猫。7月生まれ。キジトラ白MIXクラシックタビー。
内親王にちなむ花
[編集]誕生後、以下の3種類のバラが愛子内親王にちなんで名づけられた[78]。
- 京成バラ園芸(本社:千葉県八千代市)のピンク色のフロリバンダ「プリンセスアイコ」
- 岐阜県園芸特産振興会のクリーム色の花「ハイネス愛」
- フランスのメイアン(1850年創立の園芸育種会社)作成の純白のハイブリッド・ティー「ロイヤル・プリンセス」
また、河野メリクロンのシンビジウム「シンビジウム愛子さま」も同様に名付けられた花である[79]。
呼称
[編集]父・徳仁は、自身の一人娘を誕生後の会見から一貫して「愛子(あいこ)」と呼んでいる[80]。2003年(平成15年)時点では、皇太子(当時)は「愛子」、記者は「敬宮さま(としのみやさま)」としている。祖父母の明仁・美智子(当時:天皇・皇后)は「敬宮(としのみや)」としていた[81]が、2006年(平成18年)以降は同様に「愛子」と呼んでいる[82]。
マスメディアの皇室報道においても、当初は御称号から「敬宮さま」の呼称が用いられていた[要出典]が、のちに「愛子さま」へ転じ[要出典]、「愛子さま」という呼称が国民の間にも広く定着している。
宮内庁のウェブサイトでの呼称は、「敬宮殿下(としのみやでんか)」ないし「愛子内親王殿下(あいこないしんのうでんか)」となっている[83]。
系譜
[編集]愛子内親王の系譜 |
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敬宮愛子内親王 | 父: 天皇徳仁 |
祖父: 上皇明仁 |
曾祖父: 昭和天皇 |
曾祖母: 香淳皇后 | |||
祖母: 上皇后美智子 |
曾祖父: 正田英三郎 | ||
曾祖母: 正田富美子 | |||
母: 皇后雅子 |
祖父: 小和田恆 |
曾祖父: 小和田毅夫 | |
曾祖母: 小和田静 | |||
祖母: 小和田優美子 |
曾祖父: 江頭豊 | ||
曾祖母: 江頭寿々子 |
栄典
[編集]日本
[編集]- 宝冠大綬章 -
脚注
[編集]注釈・出典
[編集]- ^ 宮内庁 天皇皇后両陛下
- ^ 2001年(平成13年)12月1日宮内庁告示第12号「皇太子徳仁親王妃雅子殿下は、宮内庁病院において御出産、内親王が御誕生になった件」
- ^ 2001年(平成13年)12月7日宮内庁告示第15号「御誕生になった内親王殿下は、御名を愛子と命ぜられ、敬宮と称される件」
- ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
- ^ a b “愛子さまが日本赤十字社に入社、配属先は青少年・ボランティア課…「身の引き締まる思い」”. 読売新聞オンライン (2024年4月1日). 2024年4月1日閲覧。
- ^ “皇太子ご夫妻に愛子さまご誕生|NHK放送史(動画・記事)”. NHKアーカイブス. (2001年12月1日) 2020年5月5日閲覧。
- ^ “天皇陛下から赤ちゃんに守り刀と袴 賜剣の儀式”. asahi.com (朝日新聞社). (2001年12月1日) 2013年4月15日閲覧。
- ^ (椎谷 2002, pp. 140–143)
- ^ “内閣総理大臣謹話 [内親王殿下の御誕生を迎えて 平成13年12月1日”]. 首相官邸. (2001年12月1日) 2019年7月15日閲覧。
- ^ 秋山虔・鎌田正・米山寅太郎の三名
- ^ “お名前は「敬宮愛子さま」・命名の儀”. NIKKEI NET (日本経済新聞社). (2001年12月7日). オリジナルの2009年6月3日時点におけるアーカイブ。 2013年4月15日閲覧。
- ^ a b (椎谷 2002, pp. 143–166)
- ^ (椎谷 2002, pp. 166–168)
- ^ “皇太子殿下お誕生日に際し(平成14年)”. 宮内庁 (2002年2月20日). 2013年4月15日閲覧。
- ^ (椎谷 2002, pp. 248–264)
- ^ “愛子内親王殿下御誕生につき(平成14年)”. 宮内庁 (2002年4月2日). 2013年4月15日閲覧。
- ^ “愛子さま4歳”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2005年12月1日). オリジナルの2005年12月6日時点におけるアーカイブ。 2013年4月15日閲覧。
- ^ 写真報道:皇太子ご一家オランダで、雅子さま初の海外静養 Epoch Times in Japan、2006年8月20日
- ^ 2006年(平成18年)11月11日 中京テレビ 愛子さま、「着袴の儀」
- ^ 2010年3月6日 東京新聞「愛子さま登校できず「乱暴な子」見て不安訴え」。記事では、“2月22日から26日の間、25日以外を欠席した”としている。なお、2月27-28日は土日
- ^ “愛子さま学校お休みに 同級生の「乱暴なふるまい」で”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2010年3月5日). オリジナルの2010年12月4日時点におけるアーカイブ。 2013年4月15日閲覧。
- ^ 愛子さま、登校できず 一部の児童が乱暴で - 日テレ、2010年3月5日、2020年9月22日閲覧
- ^ 両陛下「十分に配慮を」愛子さま通学問題 - 日テレ、2010年3月11日、2020年9月22日閲覧
- ^ 愛子さま 9歳に 学校で過ごす時間増える - 日テレ、2010年12月1日、2020年9月22日閲覧。
- ^ 【皇室ウイークリー】(206)ブータン国王「明治神宮で陛下の長寿をお祈りした」 20歳眞子さまも宮中晩餐会へ 産経新聞社
- ^ 愛子さま、10歳に 1人での通学増える 日テレNEWS24 、2011年12月1日
- ^ “英語教室では「トッシー」校外学習で愛子さま完全復活”. 朝日新聞出版 (2012年6月29日). 2012年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月15日閲覧。
- ^ 愛子さま:入学式 「中学生活、楽しみ」毎日新聞社
- ^ 2014年(平成26年)4月6日 日テレNEWS24 愛子さま 学習院女子中等科に入学
- ^ “愛子さま 昭和天皇の御陵などを初参拝”. 日テレNEWS24 (読売新聞社). (2014年7月15日) 2014年9月29日閲覧。
- ^ 皇太子ご一家が伊勢神宮ご参拝 愛子さまは初めて 産経新聞社
- ^ 日テレNEWS24 愛子さま、高校総体の男子バレーを観戦 2014年8月3日
- ^ 2014年(平成26年)12月1日 日テレNEWS24 愛子さま13歳に 初めて一人で皇居訪問
- ^ 産経ニュース 愛子さま、14歳のお誕生日
- ^ 2015年7月26日 日テレNEWS24 愛子さま、「戦後70年」の特別展へ
- ^ 2015年(平成27年)8月23日 日テレNEWS24 皇太子ご夫妻と愛子さま 戦時中の生活展へ
- ^ 2016年(平成28年)8月10日 日テレNEWS24 皇太子ご一家、長野で「山の日」記念式典へ
- ^ 2016年(平成28年)8月11日 日テレNEWS24 皇太子ご一家「山の日」記念式典に出席
- ^ 2016年(平成28年)10月7日 日テレNEWS24 愛子さま 体調不良のため2週間学校を欠席
- ^ 2017年(平成29年)3月22日 日テレNEWS24 愛子さま 学習院女子中等科をご卒業
- ^ 2017年(平成29年)3月22日 日テレNEWS24 愛子さま 中学校の卒業文集に作文を
- ^ 2017年(平成29年)4月8日 日テレNEWS24 愛子さま高校にご入学 スキー日焼けで笑顔
- ^ 「愛子さま、英留学に出発」時事通信、2018年7月22日
- ^ 共同通信 『愛子さま、学習院大に進学へ 陛下と同じ文学部』2020年2月21日付
- ^ “来月20歳の愛子さまに勲章授与へ コロナ思い、ティアラ新調せず:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年11月16日閲覧。
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- ^ 2003年(平成15年)、皇太子誕生日記者会見
- ^ 2002年(平成14年)、天皇誕生日記者会見
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- ^ 宮内庁ウェブサイト
参考文献
[編集]- 椎谷, 哲夫『敬宮愛子さまご誕生 宮中見聞記』(初版第二刷)明成社、2002年。ISBN 4-944219-10-5。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 宮内庁 公式サイト
- 皇太子ご夫妻に愛子さまご誕生 - NHK放送史
- 【皇室】愛子さま誕生 ご結婚から8年 待望の第一子(2001年12月)【映像記録 news archive】 - YouTube(ANNnewsCH)
- 【皇室】2006年 愛子さま入学・卒業まとめ(映像記録 news archive) - YouTube(ANNnewsCH)
- 愛子さま20歳の誕生日 誕生からこれまで(皇室アーカイブ) - YouTube(TBS NEWS)
- 愛子さま 二十歳迎え…初の記者会見 - YouTube(日テレNEWS)
- 愛子さま学習院大学での立ち寄りスポットを指導教授が案内【皇室ちょっといい話】(139)(2024年3月29日) - YouTube(テレ東BIZ)