「横田めぐみ」の版間の差分
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拉致後、[[1986年]]に結婚し、翌年の[[1987年]]に娘のキム・ヘギョンを出産<ref name=jiji>{{Cite web|url=https://www.jiji.com/jc/d4?p=knv830&d=d4_psn|title=日本人拉致事件 写真特集|date=2018-05-08|accessdate=2020-06-09|publisher=時事ドットコム}}</ref>。 |
拉致後、[[1986年]]に結婚し、翌年の[[1987年]]に娘のキム・ヘギョンを出産<ref name=jiji>{{Cite web|url=https://www.jiji.com/jc/d4?p=knv830&d=d4_psn|title=日本人拉致事件 写真特集|date=2018-05-08|accessdate=2020-06-09|publisher=時事ドットコム}}</ref>。 |
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北朝鮮側はめぐみを含む13人の拉致を認め、うち5人が生存、めぐみを含む8人が死亡したと発表<ref name=megumi/><ref name=ret2/><ref name=ret3>{{Cite web|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kp/page1w_000082.html|title=拉致問題を巡る日朝間のやりとり|date=2018-12-28|accessdate=2020-06-09|publisher=外務省}}</ref>。 |
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=== 死亡説 === |
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北朝鮮側は、「[[1994年]]4月に自殺した」と主張しているが、真偽は不明<ref name=jiji/><ref group=注>当初は「[[1993年]]3月に自殺した」と主張していた。</ref>。 |
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めぐみと面識がある元工作員の[[金賢姫]]によると、めぐみは工作員の日本語教育係や金正日一家の日本語教師を務めるなど、金一家の秘密を知っていることが帰国させない最大の理由であるとの見解を示し、めぐみは現在も生きていると主張した<ref>{{Cite web|url=https://www.sankei.com/world/news/171129/wor1711290003-n1.html|title=【大韓航空爆破30年】実行犯の金賢姫元工作員インタビュー「めぐみさんは金正日一家の秘密を知ってしまった」|date=2017-11-29|accessdate=2020-06-06|publisher=産経ニュース}}</ref><ref group=注>産経新聞のインタビューを受けた2017年現在</ref>。 |
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== 演じた俳優 == |
== 演じた俳優 == |
2021年5月26日 (水) 18:08時点における版
よこた めぐみ 横田めぐみ | |
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生誕 |
1964年10月5日(60歳)[1][2] 愛知県名古屋市[1][2] |
国籍 | 日本 |
親 |
横田滋(父) 横田早紀江(母) |
家族 |
横田拓也(弟) 横田哲也(弟) |
横田めぐみ(よこた めぐみ、1964年〈昭和39年〉10月5日[1][2] - )は、北朝鮮による拉致被害者、政府認定の拉致被害者[3]。
人物
年譜
- 1964年(昭和39年)10月5日 : 日本銀行職員の父・滋と母・早紀江の長女として、名古屋市の聖霊病院で生まれる[1][2]。以後、父・滋の転勤により東京都品川区や広島市に転居[4][5]。
- 1976年(昭和51年)7月23日 : 新潟市に転居する[6]。
- 1977年(昭和52年)
人物像
明るく朗らかな性格。歌ったり絵を描いたりすることが好きで、習字やクラシックバレエを習っていた[8]。
失踪前日の11月14日、父・滋の誕生日に「これからはおしゃれに気をつけて」と言い、櫛をプレゼントした[8]。
拉致被害
1977年(昭和52年)11月15日、北朝鮮の工作員に連れ去られ、約40時間、北朝鮮に向かう船の船倉に閉じ込められた。「お母さん、お母さん」と泣き叫び、北朝鮮に到着時、出入口や壁などを引っ掻いたため爪が剥がれそうになるほど血まみれだった[8]。
拉致後、1986年に結婚し、翌年の1987年に娘のキム・ヘギョンを出産[9]。
1997年(平成9年)1月21日、めぐみが北朝鮮に拉致されていたことが発覚し、平壌で生きているという情報が入る[2][8]。
2002年(平成14年)9月17日、第1回日朝首脳会談において、金正日が日本人拉致を認めて謝罪。 北朝鮮側はめぐみを含む13人の拉致を認め、うち5人が生存、めぐみを含む8人が死亡したと発表[2][8][10]。
2004年(平成16年)11月、北朝鮮がめぐみの遺骨を提出。鑑定の結果、その一部からめぐみのものとは違うDNAが検出される[2][8][10]。
死亡説
北朝鮮側は、「1994年4月に自殺した」と主張しているが、真偽は不明[9][注 1]。
めぐみと面識がある元工作員の金賢姫によると、めぐみは工作員の日本語教育係や金正日一家の日本語教師を務めるなど、金一家の秘密を知っていることが帰国させない最大の理由であるとの見解を示し、めぐみは現在も生きていると主張した[11][注 2]。
演じた俳優
- 若原めぐみ(「北朝鮮拉致・めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」、テレビ東京、2003年)
- 福田麻由子[注 3](「再会〜横田めぐみさんの願い〜」、日本テレビ、2006年)
- 片瀬那奈[注 4](「再会〜横田めぐみさんの願い〜」、日本テレビ、2006年)
- 高山みなみ[2](「めぐみ」、Webアニメ、2008年)
- 菜月(「めぐみへの誓い」、映画、2020年)
関連項目
- 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会
- 金英男 - 横田めぐみの夫とされる人物
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 横田早紀江著「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」48ページ(1999年、草思社、ISBN 4794209215)
- ^ a b c d e f g h i j “アニメ「めぐみ」”. 政府インターネットテレビ. 2021年5月16日閲覧。
- ^ “政府認定の拉致被害者”. 外務省. 2021年5月16日閲覧。
- ^ “「普通の生活をしていた思い出の地」 横田早紀江さん、めぐみさんの母校で講演”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2019年3月23日) 2020年6月9日閲覧。
- ^ “横田滋さん悼む声 広島でも”. 広島ホームテレビ. (2020年6月8日). オリジナルの2020年6月9日時点におけるアーカイブ。 2020年6月9日閲覧。
- ^ 横田早紀江著「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」13ページ(1999年、草思社)
- ^ 横田早紀江著「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」16ページ(1999年、草思社)
- ^ a b c d e f “拉致された13歳の少女 横田めぐみさん” (PDF). 外務省. 2021年5月16日閲覧。
- ^ a b “日本人拉致事件 写真特集”. 時事ドットコム (2018年5月8日). 2020年6月9日閲覧。
- ^ a b “拉致問題を巡る日朝間のやりとり”. 外務省 (2018年12月28日). 2020年6月9日閲覧。
- ^ “【大韓航空爆破30年】実行犯の金賢姫元工作員インタビュー「めぐみさんは金正日一家の秘密を知ってしまった」”. 産経ニュース (2017年11月29日). 2020年6月6日閲覧。