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2021年5月29日 (土) 11:43時点における版
西五辻 文仲(にしいつつじ あやなか、1859年2月3日(安政6年1月1日[1][注 1])- 1935年(昭和10年)4月17日[1][2])は、明治期の宮内官、政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。旧姓・五辻[1]、幼名・亀麿[3]、旧名・清純[1]。
経歴
山城国京都で五辻高仲の三男として生まれる[1]。興福寺明王院住職[1][注 2]となるが、慶応4年4月(1868年)復飾を命ぜられ[1]、春日社新社司となる[3]。明治2年12月(1870年1月)、華族に列し西五辻家を創建した[1]。明治3年9月22日(1870年10月16日)元服し昇殿を許された[4]。1876年5月、永世華族となり、1884年7月8日、男爵を叙爵した[1][5]。
開成学校でドイツ学を修め、1873年、宮内省九等出仕となる[2][3][4]。この年、明治天皇から下命を受け築地西洋館にて西洋料理のマナーを学び、宮中で西洋料理練習会を開催した。[要出典]以後、宮中祗候、歌御会始講頌、青山御所勤務、日本大博覧会評議員などを務めた[2][3][6]。
1890年7月、貴族院男爵議員に選出され、1911年7月まで三期在任した[2][6]。1933年12月11日に隠居した[1][7]。
親族
- 妻 西五辻為子(裏松勲光二女)[1]
- 長男 西五辻美仲(早世2歳)
- 長女 西五辻貞子(早世2歳)
- 次女 西五辻幸子(早世2歳)
- 三女 山口正子(男爵山口豊男夫人)[1][6]
- 次男 西五辻朱仲(嫡男)
- 三男 西村敬仲
- 四女 説田桃子(説田彦助夫人)[1][6]
- 五女 原清子(原正年夫人)
- 六女 石本留子(石本貫一夫人)
- 西五辻光仲(養子)(男爵)[1]
- 兄 五辻安仲(子爵)[8]
注釈
注釈
出典
参考文献
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上下巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『日本人名大事典』第5巻、平凡社、1979年(『新撰大人名辞典』(昭和12年刊)の改題複製)。
- 人事興信所編『人事興信録』第9版、1931年。
- 『西五辻家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 西五辻家初代 1884年 - 1933年 |
次代 西五辻光仲 |