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[[長崎県]]八幡町(現在の[[長崎市]])[[八幡神社]]境内にて、ロシア人アレクサンドル・ステパノヴィチ・ワホーヴィチと日本人本山恵子の間に生まれる。日本名、'''大泉 清'''。ロシア名'''アレクサンドル・ステパノヴィチ・キヨスキー'''<ref>本名の清を、父からロシア風に改称を強要されたもの。</ref>。
[[長崎県]]八幡町(現在の[[長崎市]])[[八幡神社]]境内にて、ロシア人アレクサンドル・ステパノヴィチ・ワホーヴィチと日本人本山恵子の間に生まれる。日本名、'''大泉 清'''。ロシア名'''アレクサンドル・ステパノヴィチ・キヨスキー'''<ref>本名の清を、父からロシア風に改称を強要されたもの。</ref>。


父はロシアの農家の出で[[ペテルブルク大学]]出身の[[法学博士]]。[[天津]]の領事館に勤務していたが、ロシア皇太子時代の[[ニコライ2世]]の[[侍従]]として来日した折、日本側の接待役で[[ロシア文学]]研究家だった恵子と知り合い、周囲の反対を押し切って結ばれた。恵子は産後の肥立ちが悪く、清を産んでから一週間にして死去(享年16)。このため、清は母方の祖母に引き取られ、大泉姓を継いだ。
父はロシアの農家の出で[[ペテルブルク大学]]出身の[[法学博士]]。[[天津]]の領事館に勤務していたが、ロシア皇太子時代の[[ニコライ2世 (ロシア皇帝)|ニコライ2世]]の[[侍従]]として来日した折、日本側の接待役で[[ロシア文学]]研究家だった恵子と知り合い、周囲の反対を押し切って結ばれた。恵子は産後の肥立ちが悪く、清を産んでから一週間にして死去(享年16)。このため、清は母方の祖母に引き取られ、大泉姓を継いだ。


小学校3年まで長崎で過ごしたが、[[漢口]]の領事をしていた父を頼って大陸に渡ったところ、まもなく父とも死別。このため、父方の叔母に連れられてロシアに行き、[[モスクワ]]の小学校に編入(ロシアでは近所に[[レフ・トルストイ]]がいた)。その後、[[フランス]]に移り、[[パリ]]の[[リセ]]に数年間在学したが停学処分を受け、[[スイス]]や[[イタリア]]を経て日本に戻り、[[長崎県|長崎]]の[[鎮西学院高等学校|鎮西学院中学]]を卒業。さらにロシアへ戻り、[[ペトログラード]]の学校に在学したが、[[ロシア革命]]の混乱を避けて帰国し、[[第三高等学校 (旧制)|旧制第三高等学校]](現在の[[京都大学]]総合人間学部)に入学。在学中、幼馴染の福原美代と結婚。
小学校3年まで長崎で過ごしたが、[[漢口]]の領事をしていた父を頼って大陸に渡ったところ、まもなく父とも死別。このため、父方の叔母に連れられてロシアに行き、[[モスクワ]]の小学校に編入(ロシアでは近所に[[レフ・トルストイ]]がいた)。その後、[[フランス]]に移り、[[パリ]]の[[リセ]]に数年間在学したが停学処分を受け、[[スイス]]や[[イタリア]]を経て日本に戻り、[[長崎県|長崎]]の[[鎮西学院高等学校|鎮西学院中学]]を卒業。さらにロシアへ戻り、[[ペトログラード]]の学校に在学したが、[[ロシア革命]]の混乱を避けて帰国し、[[第三高等学校 (旧制)|旧制第三高等学校]](現在の[[京都大学]]総合人間学部)に入学。在学中、幼馴染の福原美代と結婚。

2021年6月13日 (日) 10:00時点における版

大泉黒石

大泉 黒石(おおいずみ こくせき、1893年(明治26年)10月21日/1894年(明治27年)7月27日 - 1957年(昭和32年)10月26日)は日本作家、ロシア文学者[1]。自称「国際的の居候」。アナキスト的思想を盛り込んだ小説『老子』『人間廃業』などのベストセラーがある。

生涯

長崎県八幡町(現在の長崎市八幡神社境内にて、ロシア人アレクサンドル・ステパノヴィチ・ワホーヴィチと日本人本山恵子の間に生まれる。日本名、大泉 清。ロシア名アレクサンドル・ステパノヴィチ・キヨスキー[2]

父はロシアの農家の出でペテルブルク大学出身の法学博士天津の領事館に勤務していたが、ロシア皇太子時代のニコライ2世侍従として来日した折、日本側の接待役でロシア文学研究家だった恵子と知り合い、周囲の反対を押し切って結ばれた。恵子は産後の肥立ちが悪く、清を産んでから一週間にして死去(享年16)。このため、清は母方の祖母に引き取られ、大泉姓を継いだ。

小学校3年まで長崎で過ごしたが、漢口の領事をしていた父を頼って大陸に渡ったところ、まもなく父とも死別。このため、父方の叔母に連れられてロシアに行き、モスクワの小学校に編入(ロシアでは近所にレフ・トルストイがいた)。その後、フランスに移り、パリリセに数年間在学したが停学処分を受け、スイスイタリアを経て日本に戻り、長崎鎮西学院中学を卒業。さらにロシアへ戻り、ペトログラードの学校に在学したが、ロシア革命の混乱を避けて帰国し、旧制第三高等学校(現在の京都大学総合人間学部)に入学。在学中、幼馴染の福原美代と結婚。

その後三高を退学し、1917年に上京。第一高等学校に在籍したが、まもなく退学した。

石川島造船所書記から屠殺場番頭に至る職を転々としつつ小説家を志し、1919年に『中央公論』誌編集長滝田樗陰に認められて、同誌に特異な自伝『俺の自叙伝』を連載し脚光を浴びる。

以後、ベストセラーになった『老子』、その続篇『老子とその子』、『人間開業』『人間廃業』などを世に送り出して文壇の寵児となった。ゴーリキーを愛好し、『どん底』の原典訳や、『露西亜文学史』も執筆した。一時期映画界にも関わり日活にシナリオを書いたこともある。

しかし『中央公論』ではそれまで説苑欄に寄稿していたのを、創作欄に小説を掲載したところ、村松梢風や大泉など情話作家と呼ばれた作家の創作欄掲載に対して芥川龍之介佐藤春夫らが抗議するということがあり、また1926年頃から超国家主義的な世相や混血児への差別などを背景に文壇で疎外されるようになった。

その後は紀行文などを執筆し、戦時中は食用雑草の献立法『草の味』も刊行。戦後は横須賀で、語学を活かして通訳として生計を立てて暮らした。

ロシア文学者としての著書に『露西亜文学史』。1988年、『大泉黒石全集』が緑書房から刊行された。

息子は俳優の大泉滉

作品

1922年6月刊行の『老子』は、の老哲人李耳が旅先で、旅芸人の鳳と、革命家の労働者彭と知り合い、宿の娘を救い出そうとして犯罪に巻き込まれ、獄中で「道」の哲理を説くに至る物語。3ヶ月間に13版を重ねる売れ行きを見せ、続いて同年11月に続編『老子とその子』も出版された。当時中村星湖はこれを宗教文学と呼んだが[3]、後年に由良君美は「ニヒリズム文学」「国家も社会も否定する無為のアナキズムに本来の人間主義を真のインターナショナリズムを回復しようとする」立場と評している[4]。実際に甘粕事件などの思想弾圧を背景とする検閲による伏字も多く、1923年7月に『老子』出版記念講演会が予定されたが官憲により中止された。

著作リスト

小説・ノンフィクション

  • 露西亜西伯利ほろ馬車巡礼 磯部甲陽堂 1919
  • 俺の自叙伝 玄文社 1919
    • 『ドキュメント日本人 9 虚人列伝』(学芸書林 1969年)に抄録
  • 闇を行く人 ロシヤ秘話 日新閣 1919
  • 悲劇小説犯さぬ罪 盛陽堂 1920
  • 恋を賭くる女 南北社 1920
  • 露西亜文学史 大鐙閣 1922(「ロシア文学史」講談社学術文庫 1989年)
  • 小説老子 新光社 1922
  • 老子とその子 春秋社 1922
  • 血と霊 春秋社 1923
  • 弥次郎兵衛喜多八 盛陽堂 1923
  • 大宇宙の黙示 新光社 1924 改題「予言」
  • 黄夫人の手 春秋社 1924
  • 人生見物 紅玉堂書店 1924
  • 人間廃業 文録社 1926
  • 人間開業 毎夕社出版部 1926
  • 眼を捜して歩く男 怪奇小説集 騒人社書局 1927 (騒人文庫)
  • 灯を消すな 趣怪綺談 大阪屋号書店 1929
  • 峡谷を探ぐる 春陽堂 1929
  • 当世浮世大学 現代ユウモア全集刊行会 1929 (現代ユウモア全集)
  • 峡谷と温泉 二松堂書店 1930
  • 読心術 万里閣書房 1930
  • 天女の幻 盛陽堂書店 1931
  • 山と峡谷 二松堂書店 1931
  • 峡谷行脚 附 山と温泉 興文書院 1933年
  • おらんださん 大新社 1941
  • 山の人生 大新社 1942
  • 白鬼来 阿片戦争はかく戦はれた 大新社 1942
  • 草の味 大新社 1943年(大泉清名義)
  • ひな鷲わか鷲 大新社 1944

翻訳

作品集

  • 『黒石怪奇物語集』新作社 1925年(桃源社 1972年)
  • 『大泉黒石全集』(全9巻) 造型社・緑書房 1988年
  • 『不死身 幽鬼楼』(大衆「奇」文学館)勉誠出版 1998年
  • 『黄夫人の手 黒石怪奇物語集』河出書房 2013年

  1. ^ 生年月日に2説あり、1923年『文芸年鑑』には明治26年10月21日とある。
  2. ^ 本名の清を、父からロシア風に改称を強要されたもの。
  3. ^ 『文藝年鑑』1923年創刊号「創作界概況」
  4. ^ 『人間廃業』1972年

参考文献

  • 由良君美「解説」(『人間廃業』桃源社 1972年)
  • 由良君美「大泉黒石掌伝」(『大泉黒石全集』1988年)
  • 由良君美「無為の饒舌-大泉黒石素描」(『ユリイカ』1970年10月号/『風狂虎の巻』1983年)
  • 大村彦次郎『時代小説盛衰史』筑摩書房 2012年

外部リンク