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*[[椿 (歌手)|椿]] - 『CAMELLIA』(2004年)
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*[[ケルティック・ウーマン|Celtic Woman(feat. Gwinnett Young Singers)]] - 『Bridge Over Troubled Water』(2011年)
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*[[サーカス (歌手)|サーカス]] - 『GOLDEN☆BEST 歌の贈り物』(2003年)
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*[[バリー・マニロウ]] - 『The Greatest Songs Of The Seventies』(2007年) Produced by Walter Afanasieff
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*[[アルフィー・ボー]] - 『[[ストーリーテラー (アルフィー・ボーのアルバム)|Storyteller]]』(2012年)
*[[アルフィー・ボー]] - 『[[ストーリーテラー (アルフィー・ボーのアルバム)|Storyteller]]』(2012年)

2021年7月6日 (火) 11:29時点における版

明日に架ける橋
サイモン&ガーファンクルシングル
初出アルバム『明日に架ける橋
B面 キープ・ザ・カスタマー・サティスファイド
リリース
録音 1969年
ジャンル フォークロック
時間
レーベル アメリカ合衆国の旗 コロムビア・レコード
日本の旗 CBS・ソニーレコード
作詞・作曲 ポール・サイモン
プロデュース ポール・サイモン、アート・ガーファンクルロイ・ハリー
チャート最高順位
サイモン&ガーファンクル シングル 年表
ボクサー
b/w
ベイビー・ドライバー
(1969年3月)
明日に架ける橋
b/w
キープ・ザ・カスタマー・サティスファイド
(1970年1月)
いとしのセシリア
b/w
ニューヨークの少年
(1970年3月)
ミュージックビデオ
「Bridge Over Troubled Water」 - YouTube
テンプレートを表示

明日に架ける橋」(あすにかけるはし、原題:Bridge over Troubled Water)は、サイモン&ガーファンクル1970年に発表した楽曲。サイモン&ガーファンクルにとって3作目となる全米1位獲得シングルで、最大のヒット曲となった。

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500(2010年版)では48位にランクされている[3]

解説

ポール・サイモンが、ゴスペルに影響を受けて作った曲。当初はGのキーで作曲され、ポールはファルセットで歌ってみたがうまくいかず、最終的に、アート・ガーファンクルがリード・ボーカルで、キーもEフラットに下げる形になった[4]。音楽評論家のWilliam Ruhlmannは、allmusic.comにおいて、「1969年から1971年にかけて、"ピーター・ポール&マリー"のデイ・イズ・ダン、ビートルズの"レット・イット・ビー"、ジェームス・テイラーの"きみの友だち"(作者キャロル・キングのヴァージョンも知られる)といった、困難に直面した時の慰めとなる曲が多く発表されたが、この曲はとりわけよく知られている」と評している[4]

レコーディングにはラリー・ネクテルピアノ)、ジョー・オズボーンベース)、ハル・ブレインドラムス)といったスタジオ・ミュージシャンが参加し、ジミー・ハスケルとアーニー・フリーマンがストリングスアレンジを担当。

アルバム『明日に架ける橋』と同時期にシングルとしてリリースされ、Billboard Hot 100で6週連続1位を獲得。年間チャートの1位に輝いた。イギリスでも3週連続で1位となる[5]グラミー賞では、最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を含む4部門を受賞[6]。同名のアルバムも、最優秀アルバム賞と最優秀録音賞を受賞した。膨大な数のアーティストにカヴァーされたスタンダード・ナンバーとなり、1970年の時点で、『ビルボード』にチャート・インしたアルバム24枚に、この曲が収録されていたという[4]。1971年には、アレサ・フランクリンによるカヴァー・ヴァージョンがシングル・ヒットして、『ビルボード』R&Bチャートの1位に達した。

この曲は、サイモン&ガーファンクル解散後も、それぞれのライヴで歌われた。ポールのライヴ・ヴァージョンは『ライヴ・ライミン』(1974年)と『ライヴ・イン・セントラル・パーク』(1991年)に、アートのライヴ・ヴァージョンは『アクロス・アメリカ〜ベリー・ベスト・オブ・アート・ガーファンクル』(1996年)に収録。また、再結成ツアーでは1番をアート、2番をポールが歌い、3番を2人で歌うパターンが多い。

日本では1970年3月21日に本作が先行発売され、発売元のCBSソニーにより邦題が付けられて、4月21日に発売されたアルバムにも踏襲された。曲がヒットした同年に、森山良子が『第21回NHK紅白歌合戦』で歌唱し、翌1971年のアルバム『ビートルズ、サイモン&ガーファンクルを歌う』に収録した。また1990年には、ポールが『第41回NHK紅白歌合戦』に中継で出演し、この曲を歌った。

カバー・バージョン

明日に架ける橋
アレサ・フランクリンシングル
初出アルバム『Aretha's Greatest Hits』
B面 ブランド・ニュー・ミー
リリース
録音 1970年8月 ニューヨーク アトランティック・レコーディング・スタジオ
ジャンル ゴスペル
レーベル アトランティック・レコード
作詞・作曲 ポール・サイモン
プロデュース トム・ダウドアリフ・マーディン、ジェリー・ウェクスラー[8]
チャート最高順位
アレサ・フランクリン シングル 年表
ユア・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ
(1971年)
明日に架ける橋
(1971年)
スパニッシュ・ハーレム
(1971年)
テンプレートを表示
1970年
1971年
1972年年
2000年以降

脚注

関連項目

先代
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
「サンキュー/エヴリバディ・イズ・ア・スター」
Billboard Hot 100 ナンバーワン・シングル
1970年2月28日 - 4月4日(6週)
次代
ビートルズ
レット・イット・ビー