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「橋立 (砲艦)」の版間の差分

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2021年7月21日 (水) 11:13時点における版

橋立
艦歴
計画 1937年③計画
起工 1939年2月20日
進水 1939年12月23日
就役 1940年6月30日
その後 1944年5月22日戦没
除籍 1944年7月10日
性能諸元 (竣工時)
排水量 基準:999t 公試:1,110t
全長 80.5m
全幅 9.70m
吃水 2.45m (公試平均)
主缶 ホ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 4,600hp
速力 19.5kt
航続距離 2,500NM / 14kt (重油170t)
乗員 158名
兵装
(竣工時)
12cm連装高角砲1基
12cm単装高角砲1門
25mm連装機銃2基
留式7.7mm機銃2挺

橋立(はしだて)は、日本海軍砲艦橋立型砲艦の1番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。

艦歴

安宅」の代艦として沿岸航洋性を持ち旗艦設備を擁した砲艦として設計された。

大阪鉄工所桜島工場で建造され、1940年6月30日に竣工、砲艦に類別された。

日中戦争において、長江流域の哨戒活動に従事。太平洋戦争においては、中国沿岸における警備、船団護衛に従事した。1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。

1944年5月22日に南シナ海東沙島南方にて、損傷輸送船の救助中に米潜水艦「ピクーダ」(USS Picuda. SS-382)の雷撃により戦没。

艦長

艤装員長
艦長
  • 香川清登 中佐:1940年6月30日 - 1941年9月20日[1]
  • 山代勝守 中佐:1941年9月20日[2] -
  • 村井貞敏 不詳:不詳 - 1944年5月22日戦死

同型艦

脚注

  1. ^ a b 『日本海軍史』第9巻、773頁。
  2. ^ 海軍辞令公報(部内限)第716号 昭和16年9月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 

参考文献

  1. 雑誌「丸」編集部、写真|日本の軍艦 第9巻 軽巡Ⅱ、光人社、1990年
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第一法規出版、1995年。

関連項目