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'''松本 奉文'''(まつもと ともふみ、[[1977年]][[5月1日]] - )は、[[広島県]][[呉市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]])。右投右打。現在は[[広島東洋カープ]]のスカウト。現役晩年は同姓の選手([[松本高明]])が同じくカープに在籍していた事もあり、ファンからは区別の意味も含め'''デカ松'''と呼ばれていた。 |
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== 来歴・人物 == |
== 来歴・人物 == |
2021年7月28日 (水) 08:21時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県呉市 |
生年月日 | 1977年5月1日(47歳) |
身長 体重 |
182 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト7位 |
初出場 | 2000年4月9日 |
最終出場 | 2005年9月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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松本 奉文(まつもと ともふみ、1977年5月1日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は広島東洋カープのスカウト。現役晩年は同姓の選手(松本高明)が同じくカープに在籍していた事もあり、ファンからは区別の意味も含めデカ松と呼ばれていた。
来歴・人物
プロ入り前
その後亜細亜大学に入学し、大学3年秋の神宮大会で優勝。4年春のリーグ戦では5本塁打と13打点で二冠に輝く。東都大学リーグ通算73試合出場、231打数66安打、打率.286、7本塁打、43打点。ベストナイン2度受賞。亜大では1学年先輩に赤星憲広が、2学年先輩に井端弘和がいた。1999年のドラフト7位で広島東洋カープに入団した。
プロ入り後
2005年は課題とされてきた打撃にようやく確実性が芽生え、自己最高の成績を残した。この年は6月9日の対ソフトバンク戦で2死球を受ける等、4打席連続死球を記録した。[1]しかし、守備力が安定しないこともあって後半戦はファームに降格し、レギュラー奪取には至らなかった。このシーズン終了後の10月7日に球団から戦力外通告を受けてそのまま引退した。このシーズンの最終戦では、引退試合を行った野村謙二郎を始め、同じく同年限りで引退した澤崎俊和や小林幹英と共に野村のセレモニー後ナインから胴上げされた。またこの年に、広島で活躍するモデルと結婚している。
引退後
2006年からは球団職員として出身の亜細亜大学と東海地方を担当するスカウト活動を主に仕事をしている[2]。それと同時に2005年10月末から名前を松本 有史(まつもと ともふみ)に改名した。
2006年の大学生・社会人ドラフトでは、ホンダ鈴鹿の宮崎充登や、同じくホンダ鈴鹿で松本と同じ呉市仁方町出身の中東直己の獲得に主導的役割を果たした。中東は松本の背番号35を継承し、2010年まで使用した。
2008年のドラフトでは母校亜細亜大学の後輩に当たる岩本貴裕獲得に尽力、2009年のドラフトでは、1年生時から密着マークしていた堂林翔太、庄司隼人、2011年のドラフトでは、同じく大学1年生時から密着マークした菊池涼介の獲得に主導的役割を果たした。
また、2014年のドラフトでは、相次ぐケガのため大学での公式戦0勝に終わった薮田和樹を発掘し、ドラフト2位指名にこぎつける。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 広島 | 23 | 36 | 30 | 1 | 4 | 0 | 0 | 1 | 7 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 16 | 0 | .133 | .235 | .233 | .469 |
2002 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2003 | 14 | 17 | 17 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .059 | .059 | .059 | .118 | |
2004 | 13 | 24 | 21 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 10 | 0 | .095 | .208 | .095 | .304 | |
2005 | 30 | 46 | 33 | 7 | 10 | 4 | 0 | 1 | 17 | 6 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 6 | 12 | 1 | .303 | .477 | .515 | .992 | |
通算:5年 | 82 | 125 | 103 | 8 | 17 | 4 | 0 | 2 | 27 | 9 | 0 | 1 | 4 | 0 | 11 | 0 | 7 | 42 | 2 | .165 | .289 | .262 | .551 |
記録
- 初出場・初先発出場:2000年4月9日、対阪神タイガース3回戦(広島市民球場)、8番・三塁手として先発出場
- 初安打:同上、4回裏に湯舟敏郎から遊撃内野安打
- 初本塁打・初打点:2000年9月3日、対ヤクルトスワローズ23回戦(広島市民球場)、5回裏に玉木重雄の代打として出場、前田浩継から左越ソロ
- 4打席連続死球:2005年に記録(全てがホームゲームでの途中出場)
- 4月21日、対中日ドラゴンズ5回戦(広島市民球場)、8回裏2死2塁に高橋聡文から
- 6月8日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(広島市民球場)、7回裏2死に斉藤和巳から
- 6月9日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(広島市民球場)、7回裏1死にペドロ・フェリシアーノから
- 同上、9回裏1死1塁に三瀬幸司から[3]
背番号
- 35 (2000年 - 2005年)
脚注
- ^ これまでに連続打席死球については記録を取っていなかったが、恐らく彼が初めてと思われる。
- ^ 週刊ベースボール2014年3月24日号 P20
- ^ 6月10日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では途中出場で遊撃ゴロを放ち、記録は途絶えた。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 松本奉文 - NPB.jp 日本野球機構