苫米地鉄人
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2004年2月19日 日南市天福球場にて | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
生年月日 | 1981年9月22日(43歳) |
身長 体重 |
185 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト6位 |
初出場 | 2000年4月2日 |
最終出場 | 2002年10月14日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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苫米地 鉄人(とまべち てつと、1981年9月22日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(投手)、現スポーツトレーナー。
来歴・人物
[編集]愛知県名古屋市生まれだが、実父の仕事の都合でのちに東京都調布市などに転居。男ばかり三人兄弟の末子。調布シニアで活躍した。 苫米地という姓は青森県三戸郡苫米地に多いとされる。
山梨学院大附属高では、3年夏の山梨大会で4回戦敗退。高校の1学年先輩に森田丈武、1学年後輩に玉山健太、2学年後輩に大島崇行がいた(玉山と大島はプロでもチームメイトとなる)。1999年ドラフト6位で広島東洋カープに入団。入団当初、当時の監督達川晃豊の発案で同期入団の河内貴哉投手とコンビ「うっちーべっちー」で売り出そうとした。
2000年はチームの高卒ルーキーとして、高木宣宏以来18年ぶりに開幕一軍帯同を果たして活躍を見せたものの、2003年以降の4年間は右手親指、肩、肘の故障などで登板機会が減少する。カウント1-3(ワンスリー)からスライダーでストライクを取りにいくほど、スライダーに自信を持ち自在に操るが、ストレートが速くならず配球に苦しんでいた。
2006年10月1日広島から戦力外通告を受けそのまま引退、その後同年12月に結婚。
2007年から、広島市内のIGL医療専門学校鍼灸学科に進学し、2009年に国家資格を取得した。2011年10月にトレーナーとして広島に復帰した[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 広島 | 23 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 188 | 40.2 | 41 | 8 | 21 | 1 | 4 | 42 | 2 | 1 | 25 | 23 | 5.09 | 1.52 |
2002 | 21 | 6 | 1 | 0 | 0 | 5 | 3 | 0 | -- | .625 | 276 | 63.1 | 60 | 12 | 31 | 4 | 5 | 60 | 1 | 0 | 33 | 32 | 4.55 | 1.44 | |
通算:2年 | 44 | 8 | 1 | 0 | 0 | 7 | 6 | 0 | -- | .538 | 464 | 104.0 | 101 | 20 | 52 | 5 | 9 | 102 | 3 | 1 | 58 | 55 | 4.76 | 1.47 |
記録
[編集]- 投手記録
- 初登板:2000年4月2日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、5回裏に3番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、5回裏に村田真一から空振り三振
- 初勝利:2000年4月9日、対阪神タイガース3回戦(広島市民球場)、8回表に4番手で救援登板、1回無失点
- 初先発:2000年8月4日、対阪神タイガース20回戦(広島市民球場)、5回5失点で敗戦投手
- 初先発勝利・初完投勝利:2002年10月2日、対横浜ベイスターズ25回戦(広島市民球場)、9回2失点
- 打撃記録
背番号
[編集]- 54 (2000年 - 2006年)
脚注
[編集]- ^ “トレーナーとして苫米地氏が広島復帰”. デイリースポーツonline. (2011年11月9日). オリジナルの2013年4月30日時点におけるアーカイブ。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 苫米地鉄人 - NPB.jp 日本野球機構