コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

苫米地鉄人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
苫米地 鉄人
2004年2月19日 日南市天福球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市
生年月日 (1981-09-22) 1981年9月22日(43歳)
身長
体重
185 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト6位
初出場 2000年4月2日
最終出場 2002年10月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

苫米地 鉄人(とまべち てつと、1981年9月22日 - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手投手)、現スポーツトレーナー。

トレーナー転身後(写真右)。2018年2月18日日南市天福球場にて

来歴・人物

[編集]

愛知県名古屋市生まれだが、実父の仕事の都合でのちに東京都調布市などに転居。男ばかり三人兄弟の末子。調布シニアで活躍した。 苫米地という姓は青森県三戸郡苫米地に多いとされる。

山梨学院大附属高では、3年夏の山梨大会で4回戦敗退。高校の1学年先輩に森田丈武、1学年後輩に玉山健太、2学年後輩に大島崇行がいた(玉山と大島はプロでもチームメイトとなる)。1999年ドラフト6位で広島東洋カープに入団。入団当初、当時の監督達川晃豊の発案で同期入団の河内貴哉投手とコンビ「うっちーべっちー」で売り出そうとした。

2000年はチームの高卒ルーキーとして、高木宣宏以来18年ぶりに開幕一軍帯同を果たして活躍を見せたものの、2003年以降の4年間は右手親指、肩、肘の故障などで登板機会が減少する。カウント1-3(ワンスリー)からスライダーでストライクを取りにいくほど、スライダーに自信を持ち自在に操るが、ストレートが速くならず配球に苦しんでいた。

2006年10月1日広島から戦力外通告を受けそのまま引退、その後同年12月に結婚。

2007年から、広島市内のIGL医療専門学校鍼灸学科に進学し、2009年に国家資格を取得した。2011年10月にトレーナーとして広島に復帰した[1]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2000 広島 23 2 0 0 0 2 3 0 -- .400 188 40.2 41 8 21 1 4 42 2 1 25 23 5.09 1.52
2002 21 6 1 0 0 5 3 0 -- .625 276 63.1 60 12 31 4 5 60 1 0 33 32 4.55 1.44
通算:2年 44 8 1 0 0 7 6 0 -- .538 464 104.0 101 20 52 5 9 102 3 1 58 55 4.76 1.47

記録

[編集]
投手記録
  • 初登板:2000年4月2日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、5回裏に3番手で救援登板、2回無失点
  • 初奪三振:同上、5回裏に村田真一から空振り三振
  • 初勝利:2000年4月9日、対阪神タイガース3回戦(広島市民球場)、8回表に4番手で救援登板、1回無失点
  • 初先発:2000年8月4日、対阪神タイガース20回戦(広島市民球場)、5回5失点で敗戦投手
  • 初先発勝利・初完投勝利:2002年10月2日、対横浜ベイスターズ25回戦(広島市民球場)、9回2失点
打撃記録

背番号

[編集]
  • 54 (2000年 - 2006年)

脚注

[編集]
  1. ^ “トレーナーとして苫米地氏が広島復帰”. デイリースポーツonline. (2011年11月9日). オリジナルの2013年4月30日時点におけるアーカイブ。. https://archive.md/CYSBs 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]