コンテンツにスキップ

「南流石」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: Refタグつき記述の除去 ビジュアルエディター
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:
{{BLP unsourced|date=2014年1月}}
{{存命人物の出典皆無|date=2014年1月}}
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
| Name = 南流石
| Name = 南流石

2021年8月1日 (日) 06:17時点における版

南流石
生誕 (1958-07-09) 1958年7月9日(65歳)
出身地 日本の旗 日本 神奈川県藤沢市
職業 振付師ダンサー歌手
担当楽器 ボーカル
事務所 流石組
共同作業者 JAGATARARabbit
公式サイト 流石組

南 流石(みなみ さすが、1958年7月9日 - )は日本振付師。表記は振付演出家。神奈川県藤沢市出身。芸名の名付け親は桑田佳祐

略歴

3歳からバレエやジャズダンスなどに取り組み、16歳の頃からインストラクター、20歳の頃にはミュージカルダンサーとして活動。自分自身で創作ダンスを展開し、ストリートパフォーマーとして活動するようになっていく。その後歌手の振り付けやコンサートなどのバックダンサーとしての出演、更にコマーシャルの振り付けなどにも取り組む。振り付けを手掛けたCMは現在まで多数オンエアーされている。振付を担当した歌手も多数に上り、サザンオールスターズの桑田からはこれが縁で芸名を授かっている。稲村ジェーンの振り付けも担当した。また、スタイリストとしても活動。自らが率いるクリエイティブダンスチーム「流石組」(さすがぐみ)で後継者を指導している。

1980年代に活動していたバンド「JAGATARA」のメンバーであり、コーラス・ダンサーとして参加していた。解散後には、同バンドのメンバーらと組んだ「TANGOS」というバンドでもボーカリストとして活動していた。

2000年1月 NHKようこそ先輩という番組で母校である神奈川県藤沢市立片瀬小学校へ行き、生徒とともに校歌に振りをつけ全校生徒で踊った。

2010年10月26日 高齢者対象の運動プログラム「ココロからダンス」のDVD完成披露をかねて、岩手県にて発表を行った。

2011年8月3日 キティちゃんとサスガちゃんでダンスユニットを結成。ユニット名は「KITTYSASUGA」。コンセプトは脳育ダンス。企画協力は脳科学者久保田競、脳科学おばあちゃんで知られる久保田カヨ子

2012年4月1日 テレビ神奈川と流石組の共同企画として、神奈川にゆかりのある真心ブラザーズと共に老若男女地元LOVE SONG活動をスタートさせた。

2012年11月 佐藤タイジ、Watusi、大塚愛などのメンバーを集めたバンド「Rabbit」を結成。翌月にCD「裸人」リリース。

2013年3月17日 熊本県が小山薫堂に制作を依頼した新曲「くまモンもん」が披露された。作詞・作曲はKAN、熊本市出身の森高千里が歌い、振付は南流石が担当している。監督は67544410。

2013年4月1日 テレビ神奈川と流石組の共同企画として、朝帯脳育ダンス番組「みぶりてれび」をスタートさせた。

2013年6月2日 テレビ東京ソロモン流」に「賢人:南流石」として出演、乳幼児から高齢者施設まで加わった0-100ダンスプロジェクトを密着取材。日本、ハワイ、サンフランシスコでロケーションした。

2014年9月 白井貴子と、文部科学省日本ユネスコ国内委員会/ESDメッセージソング「僕らは大きな世界の一粒の命」を制作した。企画/演出/映像制作:流石組

2015年12月 藤沢市のふじさわシティプロモーション「キュンとするまち。ふじさわ」のダンスを考案。

2016年6月20日 国連UNHCR協会の難民支援活動の一環で「つなごう難民プロジェクト」に参加。ヨルダンシリア難民とのダンスコミュニケーションを行った。

2019年6月 日中青少年ダンス交流(外務省後援) で、蘇州市(中国)、上海市(中国)、大阪、金沢、日中4都市連携での、訪中団約120人(障がい児童を含む)を結成し、日中青少年ダンス交流イベントを開催。

2020年5月 嵐のワクワク学校オンラインで『カラダを動かそう』ハピネス体操2020の振付演出を行う。

振り付けを担当した主な芸能人

脚注

関連項目

外部リンク