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|名 = 中野隆良 |
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2021年8月1日 (日) 07:36時点における版
中野隆良 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県(兵庫県生まれ) |
生年月日 | 1940年11月17日(83歳) |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
初免許年 | 1974年(1975年開業) |
引退日 | 2009年2月28日 |
通算勝利 | 5826戦623勝 |
重賞勝利 | 中央40勝/地方9勝 |
G1級勝利 | 8勝 |
経歴 | |
所属 |
中山・中野吉太郎/調教助手(1966 - 1974) 美浦T.C.(1974 - 2009) |
中野 隆良(なかの たかお、1940年11月17日 - )は、千葉県出身(兵庫県生まれ)の元調教助手・元調教師。父は元調教師の中野吉太郎。
略歴
市川中学校・高等学校→明治大学卒業後はサラリーマンを経て、えりも牧場で2年間の勉強を積んだ後、1966年に父・吉太郎の厩舎で調教助手となる。1974年に調教師免許を取得し、1975年に開業。同年9月7日に中山第8競走4歳以上500万下・ヒコノクロカゲ(11頭中6着)で初出走を果たし、11月9日の福島第10競走4歳以上300万下・クリキロク(延べ11頭目)で初勝利を挙げる。同年はこの1勝で終わるが、2年目の1976年から1996年まで21年連続2桁勝利を記録。1976年にはグリーングラスが父の厩舎から転厩し、NHK杯で重賞初出走(16頭中12着)。菊花賞ではGI級レース・八大競走初出走初制覇を達成し、重賞もこれが初勝利であった。グリーングラスはトウショウボーイ・テンポイントと共に「TTG」と呼ばれる三強を形成し、2頭がターフを去った後も現役を続行。1978年には2年連続3度目の挑戦で天皇賞(春)、1979年には3年連続3度目の挑戦で引退レースとなった有馬記念を制覇し、現役最後の年に優駿賞年度代表馬を受賞。1981年8月30日の新潟第1競走アラブ4歳以上オープン・ホクトチハルで通算100勝を達成し、12月にはホクトフラッグで朝日杯3歳ステークスを制覇。GI級レース4勝目を挙げ、同年の優駿賞最優秀3歳牡馬を受賞。1986年にはクシロキングで2度目の天皇賞(春)制覇、函館3歳ステークス・ホクトヘリオスで200勝を達成。ホクトヘリオスはその後の京成杯3歳ステークスも勝ち、朝日杯3歳Sではメリーナイスの2着に入る。古馬になってからはマイルチャンピオンシップでサッカーボーイ(1988年)の2着、オグリキャップ(1989年)の3着と健闘。1988年には自己最多の35勝を挙げて自己最高位の全国3位にランクインし、1990年7月28日の新潟第10競走瓢湖特別・パソドラードで300勝を達成。その後はホクトベガ・ヒシアマゾンと2頭の名牝を輩出し、この2頭で1993年・1994年のエリザベス女王杯を連覇。1994年11月26日の中京第12競走4歳以上500万下・ヒシビゴースで400勝を達成し、同年は35勝と数字で1988年に並び、全国8位と2度目の十傑入りを果たした。1997年は9勝に終わるが、1998年から2006年まで9年連続2桁勝利を記録。2000年5月14日の福島第1競走4歳未出走・ブライアンズホークで500勝、2006年8月27日の新潟第9競走稲妻特別・アンバージャックで600勝を達成。アンバージャックで同年の京阪杯を制したが、これが自身最後の重賞制覇となった。2009年1月17日の中山第6競走3歳新馬・ヒシポジションが最後の勝利となり、2月に定年まで2年を残しながらも月末に行われる調教師免許の更新を行わずに引退することを表明、その際にマスコミに対して「時代の流れについていけなくなった」とコメント。同8日の共同通信杯・ヒシポジションが最後の重賞出走となったが、横山典弘が違和感をもち競走中止。最後のレースとなった同22日の東京第10競走初音ステークスのアクロスザヘイブンも共同通信杯同様に横山が騎手を務め、16頭中9着に終わった。
調教師成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 613 | 590 | 555 | 5732 | .107 | .210 |
障害 | 10 | 7 | 12 | 94 | .106 | .181 |
計 | 623 | 597 | 567 | 5825 | .107 | .208 |
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1975年9月7日 | 4回中山2日8R | 4歳以上500万下 | ヒコノクロカゲ | 11 | 7 | 6着 |
初勝利 | 1975年11月9日 | 3回福島4日10R | 4歳以上300万下 | クリキロク | 11 | 1 | 1着 |
重賞初出走 | 1976年5月9日 | 3回東京6日9R | NHK杯 | グリーングラス | 16頭 | 5 | 12着 |
GI級初出走・初勝利 | 1976年11月14日 | 5回京都4日9R | 菊花賞 | グリーングラス | 21頭 | 12 | 1着 |
代表管理馬
- グリーングラス(1976年菊花賞、1977年アメリカジョッキークラブカップ・日本経済賞、1978年天皇賞 (春)、1979年有馬記念)
- ホクトチハル(1980年アラブ王冠 (春)・(秋)、シュンエイ記念、アラブ大賞典 (秋))
- ブラビオー(1981年関屋記念)
- ホクトフラッグ(1981年函館3歳ステークス・朝日杯3歳ステークス)
- クシロキング(1986年金杯 (東)・中山記念・天皇賞 (春))
- ホクトヘリオス(1986年函館3歳ステークス・京成杯3歳ステークス、1988年京王杯オータムハンデキャップ、1990年東京新聞杯・中山記念)
- バレロッソ(1989年七夕賞)
- ホクトベガ(1993年フラワーカップ・エリザベス女王杯、1994年札幌記念、1995年・1996年エンプレス杯、1996年・1997年川崎記念、1996年フェブラリーステークス・ダイオライト記念・群馬記念・帝王賞・マイルチャンピオンシップ南部杯・浦和記念)
- ヒシアマゾン(1993年阪神3歳牝馬ステークス、1994年クイーンカップ・クリスタルカップ・ニュージーランドトロフィー4歳ステークス・クイーンステークス・ローズステークス・エリザベス女王杯、1995年オールカマー・京都大賞典)
- ヒシナイル(1996年フェアリーステークス)
- マニックサンデー(2000年4歳牝馬特別 (東))
- ヒシアトラス(2005年平安ステークス、2006年マーチステークス・エルムステークス)
- アンバージャック(2006年京阪杯)
主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 南田美知雄(1978年-1982年・1986年-1990年 騎手、1990年-1994年 調教助手)
- 柴田善臣[1](1985年-1993年 騎手)
- 田口大二郎(1994年-? 騎手)
- 佐藤年毅(1999年-2002年 騎手)
脚注
- ^ フリーになる際にわだかまりがあったため、一時期全く起用せず疎遠になっていた時期もあったが、後に和解している。