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'''清山 宏明'''(きよやま ひろあき、[[1968年]][[3月13日]] - )は、[[日本中央競馬会|JRA]]・[[栗東トレーニングセンター]]に所属していた元[[騎手]]で、現在は[[調教助手]]。[[鹿児島県]]出身。 |
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2021年8月1日 (日) 08:18時点における版
清山 宏明(きよやま ひろあき、1968年3月13日 - )は、JRA・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手で、現在は調教助手。鹿児島県出身。
来歴
1986年、JRA競馬学校騎手課程を第2期生として卒業し騎手免許を取得、小原伊佐美厩舎からデビューする。同期には熊沢重文、松永幹夫、横山典弘らがいる。
同年3月7日に初騎乗となった中京競馬場での第1レースでは、サンエムリーダーに騎乗し8着で、4月5日、小倉競馬場での第3レースに出走したブライトインターで勝利しJRA初勝利を挙げる。
1993年、京阪杯をロンシャンボーイで制し重賞初勝利を挙げる。この年は年間17勝(うち重賞3勝)とキャリアハイの成績を残した。
1995年にフリーとなるも、1999年に領家政蔵厩舎所属となる。
2002年1月にふたたびフリーとなるが、6月10日付で騎手を引退し、再度領家政蔵厩舎に戻り同厩舎所属の調教助手となった。騎手成績は、通算2178戦141勝(中央のみ)。
2006年に服部利之厩舎に移籍するも、翌2007年、角居勝彦厩舎に移籍する。 角居厩舎に所属後は、ウオッカやキセキなどの調教を担当している。
また、2010年代に入ってからは多忙な調教師に代わって、評判馬や一流馬が多い同厩舎のスポークスマンとしてメディアに登場することもある。