「笹倉武久」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
+検証可能性に関するテンプレート using AWB |
m Bot作業依頼: 改名によるテンプレートおよびテンプレート引数の置き換え依頼 (Template:存命人物の出典皆無) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{ |
{{存命人物の出典皆無|date=2013年4月}} |
||
'''笹倉 武久'''(ささくら たけひさ、[[1945年]][[3月28日]] - )は、[[日本中央競馬会]]・[[美浦トレーニングセンター]]の元[[調教師]]で元[[騎手]]。[[千葉県]]出身(出生地は[[東京都]])。 |
'''笹倉 武久'''(ささくら たけひさ、[[1945年]][[3月28日]] - )は、[[日本中央競馬会]]・[[美浦トレーニングセンター]]の元[[調教師]]で元[[騎手]]。[[千葉県]]出身(出生地は[[東京都]])。 |
||
2021年8月3日 (火) 23:28時点における版
![]() |
笹倉 武久(ささくら たけひさ、1945年3月28日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターの元調教師で元騎手。千葉県出身(出生地は東京都)。
来歴
1962年に東京の田中和夫厩舎所属の騎手候補となり、1964年に騎手免許を取得し、同厩舎より騎手デビュー。1971年に仲住達弥厩舎、1973年には石栗龍雄厩舎と所属が変わり、1979年に騎手を引退。騎手成績は中央通算1182戦121勝。引退後は田中和夫厩舎の調教助手へ転身した。騎手時代のおもな成績としては、1974年の第41回日本ダービーでインターグッドに騎乗し、コーネルランサーにハナ差で敗れ2着となったことが挙げられる。
1984年に調教師免許を取得し、翌1985年に厩舎を開業。初出走は同年3月24日中山競馬第1競走のメモリーシローで5着、初勝利は同年4月21日福島競馬第11競走のコウチキャプテンで、延べ5戦目であった。1990年にタマツバキ記念をサシオギで制し、重賞初勝利を挙げた。
有力馬の多い世代の中、逃げ一辺倒の走りでラジオたんぱ賞やオールカマーなど重賞3勝を挙げたツインターボを管理していた以外は、とくに目立つような成績を挙げていない。
2006年9月17日の中山競馬第5競走、スガノキングが最後の勝利。それ以降は管理馬が中央競馬、地方競馬を通じて1度も3着以内に入れず不振を極めた。2008年1月、定年まで8年を残して厩舎を廃業する意向が明らかになり、同年2月29日付で正式に勇退。1月時点で18馬房あったが管理馬は11頭しか集まらず、笹倉は「すべては自分の努力不足」と語っている。調教師としての通算成績は中央競馬3261戦132勝、地方競馬140戦12勝。
おもな管理馬
おもな厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 高橋義博(1988年-1998年 調教助手)
- 宗像徹(1993年-1998年 騎手)