「赤羽秀男」の版間の差分
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|名 = 赤羽秀男 |
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2021年8月4日 (水) 01:42時点における版
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赤羽秀男 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 栃木県 |
生年月日 | 1951年2月18日(73歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
東京・茂木為二郎(1972 - 1976) 東京→美浦・佐藤林次郎(1976 - 1989) |
初免許年 | 1972年3月4日 |
免許区分 | 平地(初期には障害競走の免許も保持) |
騎手引退日 | 1989年4月9日 |
重賞勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 139勝 |
赤羽 秀男(あかば ひでお、1951年2月18日 - )は、栃木県出身の元騎手。
来歴
実家は農家。小学校2年時に父が脳卒中で倒れてそのまま息を引き取り、母が家業を引き継いだ。叔父にすすめられて中学卒業後に馬事公苑騎手養成長期課程を受験したが、40kg規定のところを42kgと体重オーバーで不合格。東京で浪人生活を送ることになり、出版社で返本の片付けや電話応対のアルバイト、文房具店で店員をしながらロードワークで減量に励む中、母が肝癌のため宇都宮市内の病院で死去。2度目の受験では見事に合格したが、卒業後の騎手免許試験も1度目は不合格となり、東京・茂木為二郎厩舎に騎手候補生として入門。2度目の試験で合格して1972年に茂木厩舎からデビューし、同年3月4日の中山第6競走4歳未勝利のパラマスで初騎乗(14頭中5着)。4月9日の中山第2競走4歳未勝利・オカザキジョウで初勝利を挙げ、1年目は平地10勝、障害2勝の合計12勝と初年度から2桁をマーク。2年目の1973年には自己最高の27勝で全国19位と成績を上げ、3年目の1974年からは平地の騎乗に専念し、同年の14勝を最後に勝利数は一桁台となる。1976年には恩師・茂木の死去により佐藤林次郎厩舎に移籍し、同年の牝馬東京タイムズ杯でベロナスポートに騎乗して自身唯一の重賞制覇を飾ると、1982年5月16日の新潟第6競走5歳以上400万下・シールドランサーで通算100勝を達成。新馬戦からアイフル、リアルバースデー、リンドホシ、ハーディゴッドをお手馬にしていたが、茂木厩舎の先輩であった菅原泰夫や大崎昭一に乗り替わったため、重賞の勝鞍を挙げるまでは騎乗できなかった。1988年10月1日の福島第1競走3歳未勝利のトウホーヤマニンが最後の勝利となり、1989年2月12日の東京第6競走4歳以上400万下のモガミデンカ(11頭立ての8着)が最後の騎乗となった。同年4月9日に現役を引退。
騎手成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 騎乗回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 136 | 125 | 152 | 1,318 | 1,731 | .078 | .129 |
障害 | 3 | 4 | 7 | 28 | 42 | .071 | .167 |
計 | 139 | 129 | 159 | 1,346 | 1,773 | .078 | .151 |