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'''谷口 雅彦'''(たにぐち まさひこ、[[1967年]][[5月27日]] - )は日本の[[写真家]]、メディアプロデューサー。日本近現代写真研究家。
'''谷口 雅彦'''(たにぐち まさひこ、[[1967年]][[5月27日]] - )は日本の[[写真家]]、メディアプロデューサー。日本近現代写真研究家。

2021年8月4日 (水) 05:39時点における版

谷口 雅彦(たにぐち まさひこ、1967年5月27日 - )は日本の写真家、メディアプロデューサー。日本近現代写真研究家。

北海道旭川市生まれ。左利きAB型。VIVOの写真家丹野章細江英公に師事。

肖像写真ドキュメンタリー写真、舞踏家身体表現者とのSessionでの写真作品に定評がある。国内外で展覧会多数。

ENKENや縁顕名義で、メディアやアートイベントのプロデュースを行う。

谷口雅彦写真アーカイブ室代表 。ART PROJECT【完全写真化計画】主宰。近現代写真発掘活用プロジェクト代表。「3.11を忘れない写真家の会」代表。

第18回調布映画祭ショートフィルム・コンペディション本審査員。(2015年)

一般社団法人日本写真学会正会員。

2013年から、青森県八戸市在住の写真家高田幸枝と[ユニット#527]を結成。

2017年から音楽家寺岡大悟と写真家のユニット[SHAOSHA ON](シャオシャオン)のメンバー。

来歴

1967年、北海道旭川市春光町生まれ。

1970年、(3歳)初めて写真を撮る(母の笑顔・現存)。

1977年1月26日、(9歳)自らオリンパスペンを購入、写真を撮り始める。

1980年、(12歳)初めてモノクロフィルムの自家現像をする。

1981年、(13歳)初めてカラーネガフイルム自家現像とプリントをする。

1981年7月31日。自宅前で天体望遠鏡【ビクセン・ポラリス8M】に一眼レフを装着し、部分日食の観測&約200枚の写真撮影をする。

1984年、高校の修学旅行で韓国へ。北海道の高校としては史上初めての海外修学旅行第Ⅰ期生となる。

1986年3月、旭川実業高等学校機械科(のち電子機械科)を卒業。在学中に国家資格・ボイラー技士(二級)、危険物取扱者(丙種)、ガス溶接作業者を取得している。

1986年、大学進学のため上京。国士舘短期大学国文科に在籍。中世文学を専攻。卒論は「平家物語義経記の描写比較と義経伝説について」

1988年4月、日本ジャーナリスト専門学校研究科(メディア研修科)入学。

1988年7月から9月にかけて、日本一周の旅を決行。東京から北上、故郷旭川から日本海沿い南下、富山県の本家に初めて訪問。その後、鳥取県まで南下したあと、瀬戸内に移動、姫路市を経て、岡山で瀬戸大橋を渡り、香川県、愛媛県を経て宇和島からフェリーで大分佐伯で九州に渡り、別府、臼杵、都城を経て鹿児島へ。熊本、長崎、佐賀、福岡を経て、本州山口へ。広島、姫路を経て、名古屋、東京。69日間の旅を経験する。

1988年、友人の通う写真専門学校に潜り込み、写真家丹野章の授業を聴講。その日に見つかり、以降、丹野の内弟子になる(丹野が亡くなる2015年まで続く)。

1988年、NHK教育テレビ土曜倶楽部』にて、体験隊として2回出演(体験保父さん・体験ケーブルTV番組作り)。いとうせいこう笑福亭鶴瓶えのきどいちろう山崎哲らと共演。

1989年、日本ジャーナリスト専門学校研究科卒業。在学時、写真家樋口健二、ジャーナリスト猪野健治、映画監督千野皓司、評論家丸山邦男らに学ぶ。

1989年-1992年、東京世田谷の営業写真館フォトスタジオ)株式会社フォートサービスでサラリーマンを経験。

1990年、「昭和天皇大喪の礼」のスクープ写真で、毎日新聞ニュース写真1989年度賞特選を受賞。

1992年、舞踏家土方巽記念アスベスト館で行われていた[からだの学校](校長・大野一雄)の写真教室【CORPUS】第2期に参加(写真家細江英公主宰)、細江に学ぶ。第3期から第7期まで【CORPUS】の助手を務める。舞踏家大野一雄大野慶人元藤燁子和栗由紀夫に出会い、以後、舞踏家、ストリッパーなど、身体表現者たちをモチーフに写真作品を、写真展、写真集、カメラ誌で発表する。1992年からフリーランスの写真家となる。

1994年、誕生日が同じ3人の写真家(菊地美紀1967年5月27日生、村瀬太加夫1969年5月27日生、谷口雅彦1967年5月27日生)で実験写真家ユニット【527】を結成、コピー紙のみで写真展を開催[コピーでlet's527(1996 東京)]したり、国際的なアートイベントに参加して、青山通りに面したビルに5メートルの写真壁画を制作展示[KISS DE 527(1996 東京)]する。9回の展覧会を開催して1998年解散。

1994年8月、日本一周の旅(2回目)を決行。北は北海道稚内、南は鹿児島指宿まで。

1995年、雑誌『自由時間』(マガジンハウス)の特集「写真家荒木経惟が選ぶ20代の写真家15人」に作品が掲載される。

1995年秋、阪神淡路大震災の現場を1週間かけて、4×5サイズのカメラで300カットを撮影して回る。淡路島北淡町も含む。

1996年、劇団・指輪ホテル(主宰・羊屋白玉)の法政大学大講堂で行われた公演の幕間で、出演女優たち21人を撮影した写真スライドムービー[指輪にホレテルショウ]を上映。

1997年から2003年まで、オリエンタル写真工業株式会社(のちに株式会社サイバーグラフィックス社)との協力で、銀塩写真ならびに印画紙普及のための、展覧会やイベントなどを計画。

1997年から2001年、写真の町・東川町と自身の故郷旭川を拠点に、若手写真家を中心とした写真イベント[写真タワープロジェクト](1997年)、[PHOTO DIMENSION](1999年、2000年)のプロデュース(協賛・オリエンタル写真工業株式会社)や写真誌『PHOTO PRE』(窓社)の創刊参画などを経験(2002年-2003年)。

1998年、渡米。サンフランシスコバークレーに約1か月滞在。バークレーでは舞踏家の玉野黄市宅にお世話になり、当時、玉野氏がサンフランシスコで経営していた寿司屋のネタの仕入れを手伝ったりした。

1999年、2000年と、沖縄県与那国島に滞在。地元の土葬で行われる葬儀を体験、カルチャーショックを受ける。

2002年、約3年かけて、ストリップ及びストリップ劇場について実際に何が行われているか、芸の数々を中心に知られざるその世界を写真家として解説、レポートした本を執筆。『裸女の秘技絢爛絵巻 ストリップはいま』(河出書房新社・文庫)を上梓。現在では失われた秘芸やしきたりなどを写真と共にアーカイブしている。

2002年、谷口雅彦写真集『日々の旅 1993-2002』(ワイズ出版写真叢書15)(編集・太田通貴 装丁・原耕一)を上梓。

2007年、[谷口雅彦写真アーカイブ室]を設立。(北海道旭川市

2008年以降、いわゆるファインアートだけでなく、北方謙三今井絵美子平山夢明など小説家や文化人の肖像写真、全国の原子力発電所のある町や未解決事件の現場を追ったドキュメンタリー写真、最新作『オーラ!? キルリアン写真の世界』(双葉社)といったサイエンス写真、また女性誌やWEBの広告写真、ムック本の口絵写真なども手がけている。

2010年、川崎登戸にある自身のアトリエにて四畳半アートフェスティバル](主催:二〇八号展示室)を開催。アトリエ解体の2015年まで14回開催。

2011年、東日本大震災を受けて、「WONDEFUL PHOTO to PEACE 写真で復興プロジェクト」を立ち上げ、共同代表となる。有志の写真家17人で被災前の被災地の写真だけを集めた写真展を開催。のちに「3.11を忘れない写真家の会」と改称。代表となる。東北を中心に巡回展を開催。現在も継続中。

2011年-2012年、母の生まれた中国・大連に4度にわたり訪問。太平洋戦争後、初めて日本人に解放されて間もない旅順を訪ね、二○三高地から旅順港を眺める。

2012年、全国の原子力発電所のある町をレポートした写真集『沈黙と饒舌と 原発のある町』を出版。編集は、白夜書房編集者でエッセイストの末井昭

2013年、青森県八戸市在住の写真家高田幸枝と[ユニット#527]を結成。

2014年11月、俳優高倉健の死去を、中国四川省成都の新聞『成都商報』からの依頼で、詳細取材、配信。中国本土での第1報となる。北京放送が紙面を用いてニュース番組で報道する。

2015年‐2016年、画家、現代美術家、アートライターらとアートプロジェクト[登戸宿河原完全写真化計画]を決行。町(登戸宿河原)をフィールドワークし、シネマリテラシーを取り入れたドラマ『登戸宿河原完全写真化計画』を制作(総合監督)。同時に、同タイトルの展覧会を開催。また登戸駅前の解体予定の旧秋葉ビルで、地域住民に向けてドラマ全編を上映する[シネマ527](旧秋葉ビル2階)を2日間に渡り開催。同時に、純喫茶「十字路」があった1階では、谷口自ら撮影の多摩川の桜を撮った写真展『光、彼方へ sakura of 7 minutes』と3階では、1995年から2007年まで撮影した『登戸1995-2007』を展示。

2015年、沖縄県久高島に1週間滞在。

2017年、谷口雅彦写真40年記念写真全集出版プロジェクトを開始。(全10冊)

2017年、浅草東洋館(旧浅草フランス座)にて「ストリップ70周年記念イベント 裸と笑いの殿堂・フランス座を語る会」に参画。初代浅草駒太夫青空球児ビートきよしのベテラン師匠らと共にストリップを撮り続けている写真家として登壇。

2017年6月‐10月、土方巽生誕90年記念企画[病める舞姫完全写真化計画]に参画(助成:アサヒグループ芸術文化財団)、土方巽ゆかりの世界的舞踏家を被写体に全撮影。翌年9月、写真集出版、秋田県立美術館にて写真展開催。2019年、米ロサンゼルスにて展示。

2017年7月、公益財団法人「ニッポンドットコム」(東京虎ノ門・笹川平和財団ビル)ロビーにて、谷口が撮影した東日本大震災の写真が常設展示される。

2017年12月、NPO法人ダンスアーカイヴ構想からの依頼で、写真家ウィリアム・クラインが写真集『東京』で撮影した舞踏祖土方巽らの当時の写真を、現代のダンサーと写真家でライブで再現してみる実験的身体行為に写真家として参加。ダンサー川口隆夫らと共演(東京・寺田倉庫)。

2018年、八戸在住の写真家高田幸枝と[八戸完全写真化計画]をスタート。2019年から美術家、写真家で東京芸術大学美術学部教授の佐藤時啓氏が加わり、ユニット[八戸完全写真化計画]となる。

2019年、ENKENプロデュースとして 『舞踏家榎木ふく音楽家寺岡大悟セッション 〜ピアノと身体〜』を神奈川県藤沢市片瀬の[カフェハウスもん]で開催。

2020年11月、1週間かけて東日本大震災被災地3県(岩手県・宮城県・福島県)を写真集制作のために追加取材。

2020年12月‐2021年1月、1週間かけて東日本大震災被災地(宮城県・福島県)を写真集制作のために追加取材。

2021年2月3日、2011年から公開していたブログ[続 谷口雅彦 写真の他火(たび)日記]を[谷口雅彦 写真と日々とアーカイブと]に改題し、リニューアル。以前の記事はそのままアーカイブ。

2021年3月、1週間かけて10年を迎える東日本大震災被災地3県(福島県・宮城県・岩手県)を取材。

2021年3月7日発売の写真集「津波を乗り越えた町々 東日本大震災十年の足跡」(双葉社刊)が、3月11日にAmazonランキング(現代日本史)で、3月13日に楽天ランキング(タレント・その他)で、それぞれ売上第1位を記録する。

縁顕名義

縁顕(えんけん)名義で、2017年4月より株式会社サイバーエージェント運営の映像配信プラットフォーム「FRESH! by CyberAgent」にて[○○○みつけた!!!](通称:まるみつ!)(2017年4月6日₋2017年12月14日)及び[磯貝真稟の個人的見解から私の好きなアニメをカッパさんに教えようの番組です。](通称:いかさば!)(2017年4月12日₋2017年8月10日)の2番組をプロデュース。

エピソード

・ちなみに谷口の初代は江戸時代文政年間 1818-1831)に、寺岡新四郎家から分家、谷口姓を名乗り谷口新右衛門となる。以降、本家のある地元富山県小矢部市では現在でも「しんにょさ」の家と呼ばれている。

・明治30年代に谷口三代目に当たる曽祖父・竹次郎(1874‐1942)が富山県西礪波郡石動町から北海道に家族6人で渡道。石川県七尾港から船に乗り、小樽札幌富良野山部、風連と転々とし、祖父の代で北見滝ノ上、昭和26年3月、旭川市近文に移住。曽祖父は晩年、単身小樽市に移り、色内で芝居小屋や映画館、飲食店を経営した。

・父方の祖父(俗名・好太郎・浄實院釈俊栄)が浄土真宗善知識。父は元・国家公務員(旧文部省文部技官・1998年5月退官)。母は旧満州大連)生まれ。母方の祖母は長崎島原の人。

・小説家の井上靖が生まれた陸軍第七師団官舎があった跡地、並び4軒隣りの借家の二階に生まれ育つ(旭川市春光町二区六条)。生地の地番が同じ。井上靖が生まれたのは谷口が生まれる丸60年前のこと。2歳の頃、市内緑町に移る。

・1981年、部分日食を観測、同時に撮影をした際、あらかじめ用意していた35ミリフィルムが足りなくなり、当時、自宅の3軒隣りにあったカメラ店(カラー工芸社西支店)でフイルムを購入することで継続して撮影することができた。モノクロフィルムはイルフォードのみ販売していたことから、以後、谷口もEngland製のイルフォードを使うこととなった。同時にフイルム現像液も購入するようになり、次第に店主の写真家今津秀雄氏とも親しくなる。ちなみに今津氏はキタキツネを撮影する第一人者、その写真集は海外数ヵ国でも出版された。数年が経ち、谷口が旭川を離れ東京で写真関係のサラリーマンをしていた1990年4月20日、今津氏は急逝する。ご家族によると、亡くなる数日前にソファーに寝転がりながら、「谷口君みたいに、ふるさとを出て頑張ることが素晴らしい」と言ってくれていたという。ちなみに旭山動物園の動物写真を撮影している今津秀邦氏は御子息。

・1988年夏、初めての日本一周の撮影旅をして以来、腰のベルトに、1995年からは首からコンパクトカメラを装着し、毎日写真を撮り続けている。いつ何時も写真を撮れるように寝るときは枕元に置いて寝る毎日。1990年代半ば頃から2000年前半にかけては、ヘキサー、ベッサー、2007年頃からは、フイルムカメラからコンパクトデジタルカメラに変更、現在はオリンパスミラーレスカメラ。

・1992年、舞踏家土方巽記念アスベスト館で行われていた[からだの学校](校長・大野一雄)の写真教室【CORPUS】第2期に参加した際、開講式に2期の講師として出席していた師匠丹野章氏が「英公ちゃん、ぼくの弟子の谷口なんだけど預かってくれ」と主宰の細江英公氏に言って、細江氏は「おぉ、丹野さんのお弟子さんですか、どうぞどうぞ」と笑顔で受け入れてくれたという。

・2011年1月11日。郷里、北海道旭川市内にあるJR函館本線の近文駅が明治期の開駅からちょうど100年となるこの日に同駅を訪問。地元地域住民ならびにJR北海道もその日であることを知らず、谷口が旭川駅に問い合わせをしたことで初めて記念日だと知る。たった一人で近文駅で手書きのメッセージと飾りで祝いをしているところを、北海道新聞の写真記者さんが取材をしたことで祝いの人が地元出身の写真家谷口だと判明。翌日の新聞紙面にて「ここが写真家としての出発点、たった一人で100年を祝う」と報じられる。この日のちょうど2カ月後の11日に東日本大震災が発生する。

・明治期から昭和期にかけて撮影された写真を収集することを自身の写真研究の一つとしている。特に明治期の鶏卵紙、大正期から昭和期中期くらいまでのガラス乾板、昭和期の写真アルバムなどを集中的にコレクションしている。(例)上野彦馬撮影の大日本帝国陸軍軍人「梶川重太郎」(明治30年)鶏卵紙、成田常吉撮影の関脇「稲川政右エ門 (4代)」の鶏卵紙、日下部金兵衛小川一真江木松四郎富重利平江崎礼二武林盛一三嶋常磐宮下欽鈴木真一中島待乳菊地新学菊地東陽柴田一奇清水東谷撮影鶏卵紙など。

主な著書

主な写真集

  • 『谷口雅彦写真集 日々の旅1993-2002』ワイズ出版 装幀:原耕一 編集:太田通貴(蒼穹舎)2002年
  • 『稚児と大仏』オフィスMaP 装幀:原耕一 編集:太田通貴(蒼穹舎)2004年
  • 『結(MUSUBU)ストリッパー結奈美子 全撮影谷口雅彦』企画・制作 BLACK PHOTON 2009年
  • 『沈黙と饒舌と 原発のある町』白夜書房 編集:末井昭 2012年
  • 『オーラ!?不思議なキルリアン写真の世界』双葉社 (実験・川口友万)アートディレクション:宮古美智代 2014年
  • 『谷口雅彦写真集 LIVE DANCERS -劇場の天使たち-』SPECTERS COMPANY 2017年
  • 土方巽原作「病める舞姫」東北歌舞伎計画秋田公演(写真・谷口雅彦)』NPO土方巽秋田舞踏会 アートディレクション:宮古美智代 2018年
  • 『写真集東日本大震災10年の足跡 津波を乗り越えた町々』(写真・文 谷口雅彦)双葉社 2021年3月7日

その他の著作(単著)

  • 『裸女の秘技絢欄絵巻 ―ストリップはいま―』河出書房新社 2002年

主な共著

  • 写真集『40+1 PHOTOGRAPHERS PIN-UP』Mach&Company(アートディレクション町口覚)1995年
  • 『性職者の人々』(中山美里と共著)宙出版 2006年
  • 『東京アンダーグラウンドパーティー』(下関マグロと共著)二見書房 2006年
  • 『写真集 秘する肉体 大野一雄の世界』クレオ 2006年
  • 福澤徹三『いわくつき 日本怪奇物件』ハルキホラー文庫 角川春樹事務所 2008年7月 (写真担当)
  • 『「1Q84村上春樹の世界』 (洋泉社MOOK) 洋泉社 2009年
  • 『完本石井輝男映画魂』 (ワイズ出版) 2012年
  • 『漂流遊女』(中山美里と共著)ミリオン出版 2013年
  • 監修・平山夢明『怪談実話 FKB(不思議で怖くて不気味な話)饗宴7』アンソロジー(実話怪談3話を執筆)竹書房 2014年
  • 監修・北芝健、文・川口友万『未解決事件の現場を歩く 昭和編』双葉社 2015年
  • 太宰治の生き方と言葉』(写真担当)メディアソフト 2016年
  • 芥川龍之介の生き方と言葉』(写真担当)メディアソフト 2016年
  • 監修・北芝健、編集・「週刊大衆」編集部『迷宮探訪 時効なき未解決事件のプロファイリング』双葉社 2017年
  • 太田敏孝作品集『樹言辞解』発行・木想舎GEN 発売・ミツイパブリッシング(プロデュース)2019年

本人が登場あるいはモデルの著作

作品掲載(写真)

  • 「顕在化する肉体~舞踏~」『アサヒカメラ朝日新聞社 1994年4月号
  • 「Waguri's butou goes beyond words] 『The Japan Times』1994年
  • 「天才アラーキーが選んだ20代の写真家15人 女赤裸々in Japan」1995年4月20日号 自由時間 マガジンハウス
  • 写真集「40+1PHOTOGRAPHERS PIN-UP」Mach&Company(アートディレクション町口覚)1995年
  • 写真に閉じ込められた男の肉体 BUTOHアバンギャルドな肉体のカタチ 大野一雄和栗由紀夫他」季刊『prints21 1995冬』発行・プリンツ21 発売・悠思社 1995年
  • 「フォトグラファーズ ニュージェネレーション」『vivi増刊 クレイジーバージン 第3号』講談社 1996年1月号
  • 「写真評論家高橋周平が厳選した気鋭のカメラマンの渾身のショット」1996年2月号 SUPER BEST KKベストセラーズ
  • 「ある写真少年の青春物語」『写真時代 International 』-コアムックシリーズ No.7- コアマガジン 1996年6月30日
  • 「新世紀写真家列伝Vol.4・踊る写真家-谷口雅彦」『カシャッ!』 竹書房 1996年9月8日号
  • 「芸人といおうか、これはつかみどころがむずかしい 劇団指輪ホテル」『美術手帖美術出版社 1997年
  • CUM-ADMIX」『PapaMamaStore』Vol.1 芸文社 1998年
  • 「日々の旅 谷口雅彦」(作品99点掲載)写真季刊誌『TIDE』7号 窓社 2001年
  • 「ストリップ劇場」『CONNECT』006号 2002年
  • 「肉体と日本 同世代の表現者同士が辿りつく風景 谷口雅彦(写真家)×工藤丈輝(舞踏家)」写真誌『Photo Pre』創刊号 窓社 2002年
  • 「風と華 イキザマを残す写真 谷口雅彦(写真家)×藤乃(ダンサー)」写真誌『Photo Pre』第2号 窓社 2003年
  • 「さよならさりあん最後の旅」『日本カメラ』2005年
  • 「華の刻印 Exposed Decade」『日本カメラ』2007年2月号
  • 「1984年8月、東京。」『「1Q84村上春樹の世界』 (洋泉社MOOK) 洋泉社 2009年
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」 (KKベストセラーズ)「CIRCUS」」2012年3月4日
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」 (双葉社)「週刊大衆」2012年3月12日
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」 「北海道新聞」全道版(北海道新聞)2012年3月14日 
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」 「日刊スポーツ」2012年3月17日
  • 「写真集 沈黙と饒舌と 中立の立場で原発考える」 「産経新聞」朝刊東京版 2012年3月27日
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」 「SANKEI EXPRESS」2012年4月17日
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」「アサヒカメラ」(朝日新聞出版)2012年5月号
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」 「CAPA」(学習研究社)2012年5月号
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」「日本カメラ」(日本カメラ社)2012年5月号
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」「劇画マッドマックス」(コアマガジン)2012年4月22日
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」 「北海道新聞」2012年5月23日夕刊
  • 「写真集 沈黙と饒舌と」「産経新聞」関西版夕刊一面&三面 2012年7月5日
  • キルリアン写真」「自己組織化するエネルギー プラズマ生命体の謎」(文・川口友万)『月刊ムー』(学研)2015年11月号
  • 東日本大震災 石巻市鮫浦」(日本財団ニッポンドットコム・ロビー)2017年
  • 「3.11東日本大震災10年特集 大津波から十年 石巻は今…」(文・漫画アクション編集部)「漫画アクション」(双葉社)2021年3月2日号
  • 「旭川出身の写真家・谷口雅彦氏による写真集『津波を乗り越えた町々 東日本大震災、十年の足跡』出版」『グラフ旭川』2021年4月号
  • 「震災被災地の10年 静かに寄り添う 旭川出身の写真家谷口雅彦さん[津波を乗り越えた町々]を出版」(北海道新聞)2021年4月10日夕刊

雑誌連載

  • 連載「あなたにそっと教えたい ちょっと幸せ奇談」第1回「ネットで噂になっている伝説 飯田線」週刊大衆ミステリー増刊『奇談』創刊号 双葉社 2008年10月5日号
  • 連載「廃クオリティ」第1回「秋田県 尾去沢鉱山」週刊大衆ミステリー増刊『奇談』創刊号 双葉社 2008年10月5日号
  • 連載「あなたにそっと教えたい ちょっと幸せ奇談」第2回「悪魔と天使が棲む眉山(長崎・雲仙)」週刊大衆ミステリー増刊『奇談』第2号 双葉社 2009年1月6日号
  • 連載「廃クオリティ」第2回「茨城県 明野劇場」週刊大衆ミステリー増刊『奇談』第2号 双葉社 2009年1月6日号
  • 連載「あなたにそっと教えたい ちょっと幸せ奇談」第3回「」週刊大衆ミステリー増刊『奇談』第3号 双葉社 
  • 連載「廃クオリティ」第3回「(三重県)」週刊大衆ミステリー増刊『奇談』第3号 双葉社 
  • 連載「あなたにそっと教えたい ちょっと幸せ奇談」第4回「帰ってきたヒーロー」週刊大衆ミステリー増刊『奇談』第4号 双葉社 2009年 
  • 連載「廃クオリティ」第4回「再生する廃車」週刊大衆ミステリー増刊『奇談』第4号 双葉社 2009年 
  • 連載「漂流遊女」『漫画実話ナックルズミリオン出版(ライター中山美里)2009年‐2011年
  • 連載「あの未解決事件の現場を歩く」『増刊大衆双葉社 2011年-2017年 


ドキュメンタリー記事

  • 人間シリーズ第1982 回」「私は幸せ。裸になれて!」『一匹オオカミの無所属ストリッパー★結奈美子 ”追っかけ”から転身したストリッパー★七雪ニコ 小説家兼ストリッパー★牧瀬茜 伝説の「花電車」ストリッパー★ヨーコ「自分のすべてをさ らけ出す」仕事を選んだ現役ストリッパー4人の証言。』週刊『女性自身』(2010年2月23日) 光文社 文・勝谷誠彦(コーディネート、写真担当)

ポートレート (肖像写真)

主な展覧会

1991年『大道芸人・写真展』ビプランシアター・東京新宿御苑

1991年『樺太1945年夏 舞台写真展』ブティストホール・東京築地本願寺

1993年『匂ひたつ聖夜(よる)-ストリッパー高樹麗の舞台-』Barキャラメル・東京六本木

1994年『顕在化する肉体 ‐舞踏‐』東川町文化ギャラリー・北海道東川町/ JPCCギャラリー・名古屋/ シアターX(カイ)・東京両国

1997年『写真タワー 日々の旅/series ~裸態~』東川町文化ギャラリー・北海道東川町

1998年『LIVE DANCERS』スタジオエビスフォトギャラリー・東京恵比寿

1998年『Hibino-tabi(Journey Day By Day)』SOMAギャラリー・米サンフランシスコ

1998年『夏の日』ギャラリーフォーカス・北海道旭川市

1998年『二十年記 77/98 』(写真生活20年)東川町文化ギャラリー・北海道東川町

2000年『夏晴雨 -なつせいう-』国劇カメラコーナーギャラリー・北海道旭川市

2000年『日々の旅  Jouney Day By Day」』スタジオエビスフォトギャラリー・東京恵比寿

2003年『おむにばす娘』ゴールデン街nagune・東京新宿

2004年『稚児と大仏』コニカミノルタプラザギャラリ-C・東京新宿

2004年『日々の旅1993-2002』オリンパスギャラリー・東京小川町

2005年『さよならさりあん最後の旅』プレイスM・東京新宿御苑

2006年『舞踏家大野一雄100歳記念写真展 秘する肉体』コニカミノルタプラザギャラリーC・東京新宿

2007年『華の刻印 Exposed Decade』ロータスルートギャラリー・東京新宿

2007年『舞踏家大野一雄100歳記念写真展 秘する肉体』井ギャラリー・中国上海

2007年『光、彼方へ』自家焙煎珈琲Full House・川崎市向ヶ丘遊園

2007年『裏新宿完全写真化計画Ⅰ』Lav・東京恵比寿

2007年『光、彼方へ -Digitalからの誘い-』ギャラリーモケラモケラ・北海道旭川市

2007年『Session ₋からだについての写真表現‐』(写真生活30年)ギャラリー東洲館・北海道深川市

2007年『肉体と日本』ココラボラトリー・秋田市

2007年『旅と女と』ガレリアQ・新宿三丁目

2007年『Session』ガレリアQ・新宿三丁目

2008年『他火Ⅰ 旅々』ギャラリー蒼穹舎・新宿御苑

2009年『幻の街 -theater-』(原芳市・三根潤と三人展)サードディストリクトギャラリー・東京新宿三丁目

2009年『他火spinoff (PART.1)当麻へ』gallely stART・川崎市中原区

2009年『他火spinoff (PART.2)石巻から大船渡」』gallely stART・川崎市中原区

2009年『ストリッパー結奈美子』サードディストリクトギャラリー・東京新宿三丁目

2010年『あるくみるとる』カフェギャラリー西瓜堂・埼玉県秩父市

2011年『他火と女と、写真谷口雅彦』Bar&Gallery 70MANTAS

2013年『日常の断片とハレ』(高田幸枝と二人展)ギャラリーミモザ・青森県八戸市

2015年『放電と構成』平間画廊・北海道旭川市

2015年『登戸宿河原完全写真化計画』多摩市民ギャラリー・川崎市多摩区役所2階

2016年『光、彼方へ sakura of 7 minutes』アートサロンsansara・神戸市中央区

2017年『CORPUS展』(平賀淳と二人展)Gallery Photo/synthesis・東京四谷

2018年『病める舞姫完全写真化計画』秋田県立美術館/2019年 国際交流基金センター・米ロサンゼルス

2021年『東日本大震災10年 3.11を忘れない写真家の会』ギャラリーニエプス・ギャラリーヨクト・東京四谷

主なトークショウ&ワークショップ&イベント

大野一雄舞踏公演『御殿、空を飛ぶ』(1993 横浜 写真ワークショップ生CORPUS‘91の『踊る写真展』メンバーとして参加) ●写真展記念トーク&撮影会「顕在化する舞踏を語る」(1994 名古屋 JPCCギャラリー) ●撮影ワークショップ『視覚の検証』(1994 名古屋 JPCCギャラリー) ●劇団指輪ホテル公演 写真スライドショー『指輪にホレテルショ ー』(1996 東京市ヶ谷 法政大学講堂) ●トーク&実験撮影『目隠しして写真を撮る』(1997 北海道札幌市 リーセントギャラリー) ●撮影ワークショップ『ダンサーの体を撮る(写真イベント『写真タワー展』併催)』(1997 北海道東川町) ●映像作家・帯谷有理作品展『路地の子』開催記念トークショウ(1998 東京渋谷) ●『4人の写真家のスライドショウ(元田敬三・有元伸也・野村恵子・谷口雅彦)』(2006 東京 ロータスルートギャラリー) ●写真展記念トークショウ『自作を語る』(2007 北海道旭川市 ギャラリー&カフェモケラモケラ) ●ライブペインティング&音楽&写真&パフォーマンス『S-TRIP』 (2009 渋谷 クラブWOMB) ●aveプレゼンツ『他火 ave×谷口雅彦×青木美砂』写真展トーク (2010 福島 光のしずくパートⅡ) ●写真展『あるくみるとる』記念トーク[写真を語る夕べ](2010 埼玉県秩父市 ギャラリーカフェ西瓜堂) ●ライブ&写真スライドショウ&トーク『写真で復興展記念ave ライブ』(2011 東京新宿御苑 PlaceM) ●トークショウ『写真で復興展 参加写真家トーク』(2011東京新宿御苑 PlaceM) ●ライブ&写真スライドショウ&トークショウ『青木美砂貼り絵展 記念aveライブ』(2011 神奈川県川崎市向ヶ丘遊園自家焙煎珈琲フルハウス) ●[ENKENプロデュース] 『舞踏家榎木ふくと音楽家寺岡大悟セッション 〜ピアノと身体〜』(2019 神奈川県藤沢市片瀬 カフェハウスもん)

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「100万部突破!佐々木譲 笑う警官]」『週刊FRIDAY講談社 2009/7/24号

映画

映画『眼球遊園』「大日本ノックアウトガール」(監督・平山夢明)株式会社バンダイナムコライツマーケティング  スチール担当 2009年

出演

(2013年、Ustream→2015年、YouTubeLIVE→2016年、AbemaTV fresh!→2019年、、YouTubeLIVE)

  • スナック芸術丸・第三十一夜/性の果てへの旅](MC都築響一)ストリーミングチャンネルDOMMUNE(2015年3月4日)
  • youtube 登戸宿河原完全写真化計画 序章から第8話(全9話)(2015年6月1日‐12月23日)総合監督
  • youtube[谷口雅彦の近くへ行こう 第一回 久高島]Channel527(2015年11月11日)
  • FRESH! by CyberAgent[○○○みつけた!!](共演・音楽家 寺岡大悟)@東京世田谷STUDIO527(2017年4月6日₋2017年12月14日)(縁顕名義でプロデュース)
  • FRESH! by CyberAgent[谷口雅彦 写真の教室](共演・土屋コージン)@東京世田谷STUDIO527(2017年6月29日‐2017年11月9日)
  • FC2公式LIVEの[魁!!同中応援団](共演・書家 林幽弦)space CUBE@東京千代田区(2017年5月20日₋2017年)
  • FRESH! by CyberAgent[谷口雅彦の近くへ行こう]@東京世田谷STUDIO527(2017年8月10日‐2017年10月26日)
  • youtube[病める舞姫完全写真化計画](2018年6月6日)秋田県秋田市
  • FRESH! by CyberAgent[ミンナナカヨシ]@神奈川藤沢(2018年7月19日‐2018年12月27日)

谷口雅彦写真40年記念写真全集出版プロジェクト

2017年1月26日に写真人生40年を迎えた谷口雅彦の、40年の写真作品・言葉などを全集としてZINEレーベル[スペクターズ]より発表していくプロジェクト。

  • 創刊号『光、彼方へ。Sakura of 7 minutes』2017年1月26日発行

   満開の桜と戯れるようにして撮り続けることわずか7分の瞬間芸術。

  • 2号『石巻から大船渡』2017年2月6日発行

   漂泊する写真家が見た東北の街--旅を住処とする谷口の真骨頂がここにある。

  • 3号『尾去沢鉱山』2017年2月17日発行

   神殿のごとき朽ちた建物。ガレ場と化した赤茶けた山肌。廃鉱山が見せる荘厳なる輝き。

  • 4号『裸のない体 not body naked』2017年2月26日発行

   躍動する被写体を4連写のトイカメラで撮影した挑戦的作品。

  • 5号『Session サルメトウマヲトコ』2017年3月17日発行

   谷口がデビュー以来こだわり続ける身体表現者とのセッション作品。

  • 6号『谷口雅彦 写真日記 故郷への手紙』2017年4月7日発行

   1枚の写真をきっかけに始まった連載企画。若干32歳の写真家が写真と言葉に込めた魂の叫び!

◦7号『Sequence』2017年5月17日発行

  人体と自然の融合。ヌードと背景の連続性。作家が内包する狂気の一断面が表出する。

◦8号『Session』2017年5月27日発行

谷口雅彦40年の写真史に刻まれた伝説。土方巽の系譜を継ぐ若手舞踏手たちとの初の野外コラボ!写真家として生きる決意がみなぎる初期作品。

  そこにあるのはひたすらな衝動と挑発的な問いかけ!

◦9号『臨床写真学Case.01 ルイ⑱サイ』 2017年8月12日発行 

全集初の撮り下ろし作品。ショウジョともムスメともつかないアイマイなる18サイのホンシツを臨床写真学的にエグル!!

◦10号『谷口雅彦写真集成 [写真の他火]編』 2017年11月7日発行

棘はなくともグサリと刺さる。写真家の言葉には時にハッとさせられる。写真と向き合い己と向き合う中で紡ぎ出す点において写真家にとっては写真

も言葉も同列にある。谷口雅彦写真全集初の言葉集。

(著者)谷口雅彦 (編集)土屋コージン

(制作)SPECTERS FACTORY (発行)SPECTERS COMPANY

(共同運営)スペクターズカンパニー、オフィス527 (協力)谷口雅彦写真アーカイブ室<北海道旭川市>

寄稿

  • 連載「谷口雅彦写真日記」『さっぽろたうん情報』1998年~1999年 全6回
  • コラム「写真の日々」『写真王国』写真王国/1999年
  • 「『平家物語』は人間の哀歓を描いた壮大な物語」『「1Q84村上春樹の世界』 (洋泉社MOOK) 洋泉社 2009年
  • 「写真集『原発のある町』を出して とにかく、声を出すこと」[北海道新聞]2012年5月23日付

インタビュー

評論・書評

  • 「写真集[日々の旅]について」写真誌『Photo Pre』第2号 窓社 2003年
  • 『裸女の秘技絢欄絵巻 ―ストリップはいま―』について 坪内祐三『文庫本福袋』 文藝春秋、2004年、文春文庫、2007年
  • 「写真集[沈黙と饒舌と 原発のある町]について」『アサヒカメラ』2012年5月号 朝日新聞出版
  • 「感電するアート 『オーラ!? 不思議なキルリアン写真の世界』」(レビュー 内藤順) WEB『HONZ』 2014年5月1日
  • 「土方巽原作「病める舞姫」東北歌舞伎計画秋田公演(写真・谷口雅彦)』について」 『内館牧子の明日も花まるっ!』[秋田魁新報]2020年5月17日付朝刊

受賞歴

脚注・出典

外部リンク