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|選手名 = 原田 豊 |
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2021年8月4日 (水) 07:53時点における版
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北海道日本ハムファイターズ 二軍監督 #72 | |
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基本情報 | |
国籍 |
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出身地 | 山口県徳山市 |
生年月日 | 1958年12月18日(65歳) |
身長 体重 |
170 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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原田 豊(はらだ ゆたか、1958年12月18日 - )は、山口県徳山市(現:周南市)出身[1]の元アマチュア野球選手、野球指導者。2021年から北海道日本ハムファイターズの二軍監督を務めている。旧姓:西本[2]。
経歴
山口県立柳井高等学校では3年時に主将を務め、夏は県大会決勝で惜敗し甲子園には出場できなかった[2]。
進学した東海大学[3]では、原辰徳と同期で三遊間を組んでいた[1]。
大学卒業後は協和発酵工業に入社し、1981年から1989年までは同社野球部で選手としてプレー。協和発酵では津田恒実とプレー経験があり、1981年には津田とともに日本鋼管福山の補強選手として都市対抗野球大会に出場した[1][2]。
その後、1990年から1994年までは監督を務めた。監督退任後は社業に専念[1]。
2012年から1年間は、母校・山口県立柳井高等学校の野球部監督を務めた[1]。
2014年に北海道日本ハムファイターズの九州・沖縄地区担当のアマスカウトに就任。主な担当選手は清水優心、田中豊樹、高良一輝[4]。2018年をもって退任。
2021年からは二軍監督に就任[5]。プロ経験のない人物がプロ野球二軍監督を務めるのは有本義明以来26年ぶり[3]。
人物
スカウトから二軍総合コーチへの配置転換を伝えられたのは60歳の誕生日を迎えた前後であったため、最初は冗談だと思っていた[6]。
スポーツニッポン記事中ではプロ経験こそないものの、スカウトとして数々の人材を見てきた眼力を持ち、選手に寄り添った指導ができる人物と評価されている[3]。
背番号
- 72(2019年 - )
脚注
- ^ a b c d e “日本ハム原田豊2軍監督「実弾に勝るものなし」”. 日刊スポーツ (2021年2月13日). 2021年2月13日閲覧。
- ^ a b c “ハム新スカウトに巨人原監督同期原田氏”. 日刊スポーツ (2013年11月22日). 2021年2月27日閲覧。
- ^ a b c “日本ハム・原田2軍総合コーチが2軍監督就任へ プロ経験なしは有本氏以来26年ぶり”. スポニチ.com (2020年11月30日). 2021年2月27日閲覧。
- ^ “息子の入団支えた日本ハム原田豊氏は来季育成に着手”. 日刊スポーツ (2018年11月18日). 2021年2月13日閲覧。
- ^ “2021年コーチングスタッフのお知らせ|北海道日本ハムファイターズ”. 北海道日本ハムファイターズ オフィシャルサイト. 2020年11月30日閲覧。
- ^ “日本ハム・原田豊二軍総合コーチ プロとは無縁だったのに50代半ばでに突然スカウトに – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社 (2019年8月15日). 2020年11月30日閲覧。