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2021年8月4日 (水) 17:18時点における版
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スノージェットは、日本の元競走馬。父はトウショウイレブンで名種牡馬・テスコボーイの孫にあたる。
概要
1988年11月にデビューながらこの年だけで3戦1勝とし、翌1989年春には新潟皐月賞を制した。その後も数レース走り迎えた1990年、4歳になったスノージェットは明けすぐの新春スタージョッキー4着を最後に16戦10勝で春から中央競馬へと移籍し、梅内忍厩舎に所属した。
中央初戦は1990年4月、1500万条件の難波ステークスで7着、以下数戦したが勝てず、4歳夏に1度だけ賞金が半減されるという中央競馬のシステムにより500万円以下クラスへ降格となった。ところが降格後の初戦となった英彦山特別2着を皮切りに7月の不知火特別で勝つとそこから3連勝、まだ1500万円以下条件戦にも出走可能でありながら小倉記念も制し重賞初勝利となった。
秋以降は休養に入り、中央移籍初年度は8戦3勝で終えるも、以降引退まで勝利はなく、これが中央最初で最後の勝利且つ、通算でも最後の勝利となる事になった。この年は新潟で1戦0勝の後、中央移籍後は8戦3勝。
1991年、前年に重賞を勝っているにも関わらずOPの関門橋ステークスから始動するも5着に終わると、続いて小倉大賞典、中日新聞杯、中京記念と3戦続けてG3に出走するも勝ちきれなかった。OPの谷川岳ステークス2着を挟み、新潟大賞典、阪急杯、金鯱賞とまたも立て続けにG3に4出走し春を終えた。
更に夏も休むことなくOPの小倉日経賞を挟んで北九州記念、前年優勝の小倉記念に続いて秋の朝日チャレンジカップに出走、何れも掲示板を外した。その後は冬にかけてOPを4戦し2着2回とした後、G3愛知杯に出走も6着、続いて年末にのOP戦を最後にこの年を終える。結局1年を通して走り続け、年間でG3を10戦するも18戦0勝。
1992年、1月のスポニチ賞金杯から始動し8着に終わると、前年のタイトなローテーションとは打って変わって春は休養した。夏のOP東海ステークスで復帰、その後秋にかけて小倉日経賞、北九州記念、小倉記念、朝日チャレンジカップと前年と同じローテーションで出走するも結局勝てず、この年はそれ以降の出走はないまま6戦0勝だった。
1993年、実に3年ぶりに新潟へ再移籍、春から始動したが掲示板にも載れなかった。夏は休んで秋に復帰したが9月の米山特別10着を最後に引退となった。最終年は5戦0勝、通算成績は新潟21戦10勝、中央32戦3勝だった。