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2021年8月8日 (日) 10:28時点における版
レバンテUD | ||||
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原語表記 | Levante Unión Deportiva, S.A.D. | |||
愛称 | Les Granotes (The Frogs) | |||
クラブカラー | 青とえんじ | |||
創設年 | 1909年 | |||
所属リーグ | ラ・リーガ | |||
所属ディビジョン | 1部(2020–21) | |||
ホームタウン | バレンシア | |||
ホームスタジアム | シウダ・デ・バレンシア | |||
収容人数 | 26,354 | |||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
レバンテ・ウニオン・デポルティーボ(スペイン語: Levante Unión Deportiva, S.A.D.、スペイン語: [leˈβante uˈnjon deporˈtiβa])は、バレンシア州バレンシア県バレンシアに本拠地を置くスペインのサッカークラブチーム。2020-21は、プリメーラ・ディビシオンに所属する。
歴史
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cc/Llevant_FC_-_VCF_Mestalla_23.jpg/381px-Llevant_FC_-_VCF_Mestalla_23.jpg)
初期 (1909-1935)
1909年、ラ・マルバリョーサのレバンテ海岸から名を取り、レバンテFCとして設立された[1][2] (2009年9月9日に創立100周年記念[3])。レバンテFCはバレンシアのサッカークラブの草分け的存在のひとつである。現在のローカルライバルであるバレンシアCFはまだ誕生していなかったが、バレンシアではカバニャルFCが1903年から活動していた。グラウンド所有者である香水業者の計画で、造船所近くのラ・プァトゥヘタでカバニャルFCとの初試合が行われた。次に使われたグラウンドも湾岸区域で、クラブは徐々に労働者階級と結びつけられて考えられるようになっていった。1919年には同年に設立されたバレンシアCFと初対戦し、0-1で敗れた。この試合はアルヒロス地区に完成した新しいグラウンドのお披露目試合であった。1928年にはバレンシア州選手権で初優勝し、クラブ初のタイトルを獲得した。
ヒムナスティコFC
パトロナート・デ・ラ・フベントゥ・オブレラ、ウニベルシタリオFCとしてプレーしていたクラブが改名し、1909年にはヒムナスティコFCが誕生した。スペイン国王のアルフォンソ13世の庇護を受け、1920年までにレアル・ヒムナスティコCFと改名した。ヒムナスティコは1920年にバレンシア州選手権で決勝に進出したが、決勝は試合そのものが行われなかった。1931年にはスペイン第二共和政が成立し、クラブ名称からレアルの単語が抜け落ちた。1934-35シーズンのセグンダ・ディビシオン(2部)は10チームから24チームに拡大され、レバンテFCとヒムナスティコは揃ってデビューした。1935年、レバンテFCはバレンシア州、ムルシア州、アンダルシア州のチームが集って行われたレバンテ海岸選手権で優勝した。さらにコパ・デル・レイではバレンシアCFとFCバルセロナを相次いで破って準決勝に進出したが、準優勝したCEサバデルに敗れた。
コパ・デ・ラ・エスパーニャ・リブレ
スペイン内戦中、レバンテFCとヒムナスティコはメディテラニアン・リーグ(地中海リーグ)に参加し、それぞれ5位と6位であった。このリーグに参加したチームはコパ・デ・ラ・エスパーニャ・リブレ(フリー・スペイン・カップ)にも参戦した。この大会はリーグの上位4クラブが参加するように意図されたものであったが、FCバルセロナがメキシコとアメリカ遠征に出発したため、結果としてレバンテFCが代わりに出場することになった。準決勝はレバンテFCとバレンシアCFとで行われ、1937年7月18日にモンジュイックで行われたバレンシア・ダービーはバレンシアCFの勝利に終わった。
2つのクラブの合併
スペイン内戦中にレバンテFCのグラウンドが破壊されたが、選手たちは無傷で残った。それと対照的に、ヒムナスティコはグラウンドは無事であったが選手の多くを失った。この結果、レバンテFCとヒムナスティコの2クラブは1939年に合併し、UDレバンテ=ヒムナスティコとして再出発を切った。合併の2年後にはヒムナスティコの名を外してレバンテUDと名を変え、ホームのユニフォームカラーにはアスルグラーナ(青とえんじ)と呼ばれるヒムナスティコのカラーが使用された。この名称とユニフォームカラーは現在も変わらず残っており、アウェーのユニフォームカラ―にはレバンテFCが当初使用していた白と黒が使われている。
初のプリメーラ参戦
プリメーラ・ディビシオン(1部)への昇格は1960年代まで待たねばならなかった。1962-63シーズンはセグンダ・ディビシオンのグループ2を2位で終え、昇格プレーオフではデポルティーボ・ラ・コルーニャを2試合合計4-2で破って初のプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。1963-64シーズンはライバルのバレンシアCFに2試合とも勝利し、10位で初のシーズンを終えた。1964-65シーズンはFCバルセロナにホームで5-1と大勝したが、リーグ戦14位となり、昇降格プレーオフでCDマラガに敗れてセグンダ・ディビシオン降格となった。1965-66シーズンから約40年間はセグンダ・ディビシオンかテルセーラ・ディビシオン(1976-77シーズン以前は3部、1977-78シーズン以降は4部)またはセグンダ・ディビシオンB(3部、1977年に新設)で過ごし、この間にセグンダ・ディビシオンBで3回、テルセーラ・ディビシオンで1回優勝した。
2度目のプリメーラ参戦以降
2003-04シーズンにはセグンダ・ディビシオンで優勝し、49年ぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たしたが、1シーズンでセグンダ・ディビシオン降格となった。2005-06シーズンは3位となり、プリメーラ・ディビシオンに再昇格した。2006-07シーズンのホームでのバレンシア・ダービーは、リガ・ムスタファの2得点やサルバ・バジェスタとローラン・クルトワの得点で4-2と快勝した。2007-08シーズンは開幕から低迷し、7節終了後にアベル・レシーノ監督を解任したが、開幕10戦で1分9敗(3得点23失点)という有様であった。2008年1月には経営難による給料未払いが発覚し[4]、同月の移籍期間にはサヴィオ、クリスティアン・リガノ、マルコ・ストラーリなど主力5選手が放出された。選手たちは給料未払いの一点について抗議し、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦の試合開始直後には(抗議の意味合いから)何秒間か動くことを拒否した。レアル・マドリード戦後にもストライキの可能性を示唆したが、結局ストライキは行われず、さらなる下部リーグへの降格処分も免れた。2節から最下位を動かず、4試合を残してセグンダ降格が決まった。
2008-09シーズンはセグンダでも最低クラスの年間予算700万ユーロであったが[4]、2008年夏に就任したルイス・ガルシア・プラサ監督は及第点の8位に導いた。2009年春には会社倒産法を適用して経営再建に踏み出し[4]、クラブ創設100周年の2009-10シーズンには、2010年6月13日のCDカステリョン戦(3-1)に勝利してプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。最終節はレアル・ベティスに0-4で大敗したが、ベティスはレバンテUDと同勝ち点の4位に終わっている。2010-11シーズン中には8戦連続無敗というプリメーラでのクラブ記録を打ち立て、エースのフェリペ・カイセドの活躍などもあって14位で残留を果たした。21節から32節までの12試合は8勝3分1敗で勝ち点27を稼ぎ、この期間に限ればFCバルセロナに次ぐ成績を残している。
2011-12シーズンはクラブの総予算がプリメーラ最少の2100万ユーロ[4]であり、選手年俸の総額が約800万ユーロ(約8億4000万円)[5]という低額であった。フアン・イグナシオ・マルティネス監督は、キーパーのグスタボ・ムヌア、ディフェンスのハビ・ベンタやセルヒオ・バジェステロス、アタッカーのフアンルなど、30代のベテラン選手をチームの中心に据え、前任のルイス・ガルシア監督が目指した堅守速攻のスタイルを完成させた[6]。2011年9月19日、ホームのシウタット・デ・バレンシアでレアル・マドリードから勝利を挙げると[7]、10月2日にはレアル・ベティスに勝利してクラブ史上初となる首位(タイ)に浮上し[8][9]、10月23日にはビジャレアルCFを3-0で勝利して単独首位に立った。また、8節のマラガCF戦では先発11人中9人が30代であり、平均年齢31.45歳はリーガ・エスパニョーラの先発メンバーにおける最高齢記録を更新した[4]。その後、9試合未勝利という期間もあったが、最終的には6位でリーグ戦を終え、クラブ史上初めてUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。
2012-2013シーズンは、初参戦したUEFAヨーロッパリーグでベスト16に進むなどの結果を残したが、リーグ戦では11位に終わり二年連続のUEFAヨーロッパリーグ出場は逃したものの残留となった。2013-14シーズンは正GKであったムヌアが移籍しながらも、後釜のケイロル・ナバスがリーグ最多セーブを記録して、そのシーズンのスペインプロリーグ機構のリーグ最優秀GKに選出される活躍を見せ、近年[いつから?]で最小の失点43という成績により10位で終えた。しかし2014-2015シーズンは監督であったホアキン・カパロスの退任に加え、前年の立役者であったナバスも移籍したため、序盤は降格圏に沈むなど低迷するも、2014年10月に招聘された元グラナダCF監督のルーカス・アルカラスがチームを立て直し最終的に14位で残留を果たした。そして2015-2016シーズンは序盤から下位に沈み、2015年10月に前年の残留の立役者であったアルカラス監督を解任して、ルビ新監督に立て直しを託したものの一度も降格圏から抜け出せず、2016年5月2日の第36節の対マラガCF戦に敗れると降格圏である18位以下でシーズンを終えることが確定し、2009-2010シーズン以来、7シーズンぶりのセグンダ降格が決定した。
2015-16シーズン、リーグ最終節マラガ戦に敗れ、リーグ最下位とセグンダ・ディビシオン降格が決まった。しかし、降格した2016-17シーズンにセグンダ優勝を果たし、1年でプリメーラ復帰が確定した。2017-18シーズンはシーズン早々にプリメーラ残留を決め、5月13日のFCバルセロナ戦ではエマニュエル・ボアテングのキャリア初ハットトリックなどによって5-4で大金星を挙げた[10]。これにより、バルセロナはリーグ無敗記録が途絶え、無敗優勝は叶わなかった[11]。
ライバル関係
同じくバレンシアに本拠地を置くバレンシアCFとの試合はバレンシア・ダービーとして盛り上がる。20世紀初頭には、スペインサッカーリーグが創設されたことで、同じカテゴリーでの試合がほとんど行われなくなり、両クラブ間での対戦は減少した。 しかし、21世紀に入ってからは、レバンテが力をつけ始めていき、同カテゴリーでの試合が増えた。レバンテはバレンシアニスタを「チョトス」(バレンシア語で「xotos」)と軽蔑の意を込めて呼んでいる。また、エルチェCF、エルクレスCFとも強いライバル関係を持っている。
また、オランダのサッカークラブFCトゥウェンテとも非公式ではあるが、サポーター同士の繋がりがある。きっかけは2012-13シーズンのUEFAヨーロッパリーグで対戦したことだった。2014年2月にはレバンテのあるサポーターが亡くなったとき、トゥウェンテサポーターがホームスタジアムに亡くなったサポーターに向けての横断幕を掲げ、哀悼の意を示した。
タイトル
国内タイトル
- セグンダ・ディビシオン優勝:2回
- 2003-04, 2016-17
- セグンダ・ディビシオンB優勝:3回
- 1988-89, 1995-96, 1998-99
- テルセーラ・ディビシオン優勝:2回
- 1943-44, 1972-73
- バレンシア州選手権優勝:1回
- 1927-28
- レバンテ海岸選手権優勝:1回
- 1934-35
- コパ・デ・ラ・エスパーニャ・リブレ優勝:1回
- 1937
- トロフェオ・シウダ・デ・バレンシア優勝:1回
- 1996
成績
近年の成績
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d5/Levante_%282013%29.jpg/220px-Levante_%282013%29.jpg)
シーズン 順位 試 勝 分 敗 得 失 点 コパ・デル・レイ 欧州カップ 備考 2004–05 1部 18 38 9 10 19 39 58 37 3回戦 降格 2005–06 2部 3 42 20 14 8 53 39 74 1回戦 昇格 2006–07 1部 15 38 10 12 16 37 53 42 ラウンド32 2007–08 1部 20 38 7 5 26 33 75 26 ラウンド16 降格 2008–09 2部 8 42 18 10 14 59 59 64 2回戦 2009–10 2部 3 42 19 14 9 63 45 71 2回戦 昇格 2010–11 1部 14 38 12 9 17 41 52 45 ラウンド16 2011-12 1部 6 38 16 7 15 54 50 55 準々決勝 2012-13 1部 11 38 12 10 16 40 57 46 ラウンド16 ベスト16 2013-14 1部 10 38 12 12 14 35 43 48 準々決勝 2014-15 1部 14 38 9 10 19 34 67 37 準々決勝 2015-16 1部 20 38 8 8 22 37 70 32 1回戦敗退 降格 2016-17 2部 1 42 25 9 8 57 32 84 2回戦敗退 昇格 2017-18 1部 15 38 11 13 14 44 58 46 ラウンド16 2018–19 1部 15 38 11 11 16 59 66 44 ラウンド16 2019–20 1部 12 38 14 7 17 47 53 49 ラウンド32 2020-21 1部 38 準決勝
過去の成績
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- レバンテUDとして
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- レバンテFC
- 2シーズン : セグンダ・ディビシオン
- 5シーズン : テルセーラ・ディビシオン
- ヒムナスティコFC
- 2シーズン : セグンダ・ディビシオン
- 5シーズン : テルセーラ・ディビシオン
- レバンテUD
- 14シーズン : プリメーラ・ディビシオン
- 38シーズン : セグンダ・ディビシオン
- 12シーズン : セグンダ・ディビシオンB
- 16シーズン : テルセーラ・ディビシオン
- 1シーズン : ディビシオネス・レヒオナレス
欧州の成績
シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
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2012-13 | UEFAヨーロッパリーグ | プレーオフ | ![]() |
1-0 | 2-0 | 3-0 | ![]() |
グループL | ![]() |
3-0 | 0-0 | 2位 | ![]() | ||
![]() |
2-2 | 1-2 | |||||
![]() |
1-0 | 3-1 | |||||
ラウンド32 | ![]() |
3-0 | 1-0 | 4-0 | ![]() | ||
ラウンド16 | ![]() |
0-0 | 0-2 (a.e.t.) |
0-2 | ![]() |
現所属メンバー
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。
リザーブチーム
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
ジョゼップ・エスコラ 1955-1956
エンリケ・オリサオラ 1964-1965
ホセ・フンコサ 1972-1973
ファンデ・ラモス 1994-1995
マネ 1996-1997
カンタレロ 2002-2003
マヌエル・プレシアード 2003-2004
ベルント・シュスター 2004-2005
マネ 2005-2006
フアン・ラモン・ロペス・カロ 2006.7-2007.1
アベル・レシーノ 2007.1-2007.10
ジャンニ・デ・ビアージ 2007.10-2008.4
ホセ・アンヘル・モレノ 2008.4-2008.6
ルイス・ガルシア・プラサ 2008.7-2011
フアン・イグナシオ・マルティネス 2011-2013
ホアキン・カパロス 2013-2014
ホセ・ルイス・メンディリバル 2014
ルーカス・アルカラス 2014-2015.10
ルビ 2015.10-2016
フアン・ラモン・ロペス・ムニス 2016-2018
パコ・ロペス 2018-
歴代所属選手
ワールドカップ出場選手
レバンテ在籍中、FIFAワールドカップに臨む各国代表に招集、出場した選手。括弧内は出場大会。
カルロス・カセリー (1974)
ローレン・エタメ・マイヤー (1998)
ナチョ・ゴンサレス (2010)
ケイロル・ナバス (2014)
ルーカス・ヴィントラ (2014)
ファハド・アル=ムワッラド (2018)
ジェフェルソン・レルマ (2018)
GK
アレクサンダル・コチッチ 1996
フアン・ルイス・モラ 2003-2005, 2008-2010
パブロ・カバジェロ 2004-2008
フランシスコ・モリーナ 2006-2007
マルコ・ストラーリ 2007-2008.1
ヴラダン・クヨヴィッチ 2007-2008
グスタボ・ムヌア 2010-2013
ケイロル・ナバス 2011-2014
ミチェル・ランゲラク 2017-2018
アイトール・フェルナンデス 2018-
DF
フアンフラン 1994-1997, 2010-2016
セルヒオ・バジェステロス 1994-1996, 2008-2013
ローレン・エタメ・マイヤー 1997-1998
イニャキ・デスカルガ 2000-2008
イアン・ハート 2004-2007
ヨハン・ミャルビー 2004-2005
フレデリック・デウ 2006-2007
ゼ・マリア 2006-2007
ミゲル・ロブステ 2007-2011
ブルーノ・チリッロ 2007
アルマンド・ロサーノ 2007-2008
ダビド・セラヘリア 2008-2011
フランシスコ・モリネーロ 2008-2009
ハビ・ベンタ 2010-2012
アシエル・デル・オルノ 2011-2012
グスタボ・カブラル 2011-2012
ダビド・ナバーロ 2012-
クリスティアン・レル 2012-2014.1
オスカル・ドゥアルテ 2019-
MF
マルセリーノ・ガルシア・トラル 1990-1991
ビセンテ・ロドリゲス 1997-2000
ファビオ・セレスティーニ 2004-2005
フェリックス・エティアン 1997-2008
モハメド・エル・ヤッゴビ 2001
セルジオ・ドゥダ 2002-2003
ディエゴ・カマーチョ 2004-2007
シルバン・エンディアエ 2005-2007
カルメロ・ゴンサレス 2005-2006
ダミアーノ・トンマージ 2006-2008
ローラン・ロベール 2006-2007.11
オリビエ・カポ 2006-2007
サヴィオ 2007-2008.1
ペドロ・レオン 2007-2008
ミゲル・パジャルド 2008-2012
ビセンテ・イボーラ 2008-2013
ダリウシュ・ドゥドゥカ 2012-2013
アンドレアス・イヴァンシッツ 2013-2015
エニス・バルディ 2017-
ネマニャ・ラドヤ 2019-
FW
ファース・ヴィルケス 1958-1959
ヨハン・クライフ 1980-1981
ドラギシャ・ビニッチ 1989-1990
トミスラフ・エルツェッグ 1999-2000
サリージャス 1999-2001
プレドラグ・ミヤトヴィッチ 2002-2003
セルヒオ・ガルシア 2004-2005
ムスタファ・リガ 2005-2008
ペギー・リュインドゥラ 2006-2007
アルベール・メヨン・ゼ 2006-2007
ニノ 2006-2008
サルバ・バジェスタ 2007
クリスティアン・リガノ 2007-2008.1
ショタ・アルベラーゼ 2008
シスコ・ナダル 2008-2011
アルナ・コネ 2011-2012
テオファニス・ゲカス 2012-2012.11
オバフェミ・マルティンス 2012-2013.3
ホセ・ルイス・モラレス 2013-
ロベルト・ソルダード 2021-
脚注
- ^ “Levante Unión Deportiva SAD”. Laliga.es (2018年9月13日). 2018年9月18日閲覧。
- ^ La nostra història, el nostre orgull
- ^ El Levante cumple cien años
- ^ a b c d e “戦力外の男たちがリーガで快進撃! レバンテが過ごす「夢のシーズン」。”. Sports Graphic Number (2011年11月4日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ “リストラ組が"第2の人生"を謳歌するレバンテの大躍進”. スポルティーバ (2011年10月14日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ “マラガ、ベティス、レバンテ…… スペインで快進撃を続ける地方の雄は勢力図を塗り替えられるか?”. OCN (2011年10月25日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ “マドリー相手の大金星にも冷静なレバンテ”. UEFA.com (2011年9月19日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ “バルサとレバンテが首位に並ぶ”. UEFA.com (2011年10月2日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ “努力が実を結び始めたレバンテ”. UEFA.com (2011年10月3日). 2012年8月22日閲覧。
- ^ “LaLiga – Levante 5–4 Barcelona: Emmanuel Boateng scores the first hat-trick of his career against Barcelona”. MARCA 2018年5月14日閲覧。
- ^ Grounds, Ben (2018年5月14日). “Levante 5-4 Barcelona: Catalans' unbeaten run comes to an end in nine-goal thriller”. Sky Sports 2020年8月31日閲覧。
- ^ “Plantilla” (スペイン語). Levante UD. 202010-14閲覧。