「マルグレーテ2世 (デンマーク女王)」の版間の差分
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2021年8月8日 (日) 11:13時点における版
マルグレーテ2世 Margrethe II | |
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デンマーク女王 | |
![]() 2012年5月撮影 | |
在位 | 1972年1月14日 – (在位中) |
全名 | Margrethe Alexandrine Þórhildur Ingrid |
出生 |
1940年4月16日(84歳)![]() コペンハーゲン アマリエンボー宮殿 |
王太子 | フレデリック |
配偶者 | |
子女 |
フレデリック王太子 ヨアキム王子 |
家名 | リュクスボー家 |
父親 | フレゼリク9世 |
母親 | イングリッド・アヴ・スヴェーリエ |
宗教 | デンマーク国教会 |
サイン |
![]() |
デンマーク王室 |
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![]() |
|
マルグレーテ2世(デンマーク語: Margrethe II、1940年4月16日 - )は、デンマーク女王(在位:1972年1月14日 - )。
前国王フレゼリク9世の第一王女(第1子)、母はスウェーデン王女のイングリッド王妃。出生時点では王位継承権はなかったが、法改正により継承権を得、父王の崩御に伴い1972年に即位した。
妹が2人おり、末妹のアンネ=マリーは元ギリシャ国王コンスタンティノス2世の王妃である。また、スウェーデン国王カール16世グスタフは母方の従弟に、ノルウェー国王ハーラル5世やベルギー王ボードゥアン1世・アルベール2世・ルクセンブルク大公妃ジョゼフィーヌ=シャルロットの三姉弟は、ともに又いとこ(はとこ)にあたる。
全名は、マルグレーテ・アレクサンドリーネ・トーヒルドゥア・イングリッド(Margrethe Alexandrine Torhildur Ingrid)。
略歴
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/43/Het_Deense_Koninklijk_gezin_in_hun_woning_in_paleis_Brockdorff_in_Slot_Amalienbo%2C_Bestanddeelnr_252-8597.jpg/200px-Het_Deense_Koninklijk_gezin_in_hun_woning_in_paleis_Brockdorff_in_Slot_Amalienbo%2C_Bestanddeelnr_252-8597.jpg)
生い立ち
第二次世界大戦初期のナチス・ドイツによるデンマーク侵攻からわずか一週間後の1940年4月16日、フレゼリク王太子の長女(第1子)としてアマリエンボー宮殿で誕生した。母はスウェーデン王女イングリッド。
名前は、母方の祖母マーガレット・オブ・コノートにちなんで名づけられ、祖母の愛称デイジー(Daisy)も受け継いだ[1][2]。ミドルネームのAlexandrineは、父方祖母アレクサンドリーネから、Ingridは、母イングリッドにちなむ。誕生時に祖父クリスチャン10世はアイスランド王も兼ねていたため、アイスランド語の文字Þを含むアイスランド語の名前Þórhildur(トーヒルドゥア)も付けられた[3]。
誕生当時、デンマークは女性の王位継承権を認めていなかったため、マルグレーテは決して将来の王位継承者として養育される事はなかった。
1950年5月14日、コペンハーゲンのホルメン教会でキリスト教の洗礼を受けた。代父となったのは、父方祖父のクリスチャン10世、父方叔父クヌーズ王子、デンマーク王族のアクセル王子、母方曽祖父であるスウェーデン王グスタフ5世、母方祖父であるグスタフ・アドルフ王太子、母方伯父であるヴェステルボッテン公グスタフ・アドルフ、母方曽祖父コノート公アーサーであった。
推定相続人に
フレゼリク9世とイングリッドの間には、女子3人が誕生したものの男子は授からなかった。この時点では、フレゼリクの弟クヌーズ王子とその息子たちに王位継承がなされるはずであったが、大戦中にナチス寄りだったクヌーズ王子より、フレゼリク9世国王とその娘たちの国民的人気が非常に高かったことから、フレゼリクに男子が授かる事が望み薄になるにつれて、王位継承の変更を求める国民の声が高まった。これに後押しされる形で、1953年に行なわれたデンマーク王国憲法と王位継承法の改定により、男子優先ながら、男子が不在の場合には女子に王位継承権が認められ、弟のいないマルグレーテは13歳で推定相続人となった。
1958年4月16日、18歳となり国家評議会の議席を与えられた。父王の不在時には議長を務めた。
ケンブリッジ大学、パリ大学(ソルボンヌ)、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学んだ。 オーフス大学 (丁: Aarhus Universitet) にも在籍した。
1967年6月10日、フランスのモンペザ伯爵家出身で外交官のアンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルドゥ・ド・モンペザ(Henri Marie Jean André de Laborde de Monpezat)と結婚。結婚に際し、アンリには「王子」の称号が与えられた(以後、デンマーク語読みの「ヘンリック」と記す)。披露宴はフレゼンスボー城で行なわれた。
即位
1972年1月14日、父王フレゼリク9世の崩御(72歳没)に伴い女王に即位した。以降、国家元首として公務に取り組む。デンマークでは初の女王(女性君主)であり、実質的な女王であった摂政マルグレーテ1世からでも560年ぶりである。また、クリスチャン2世以来デンマーク王の名前はクリスチャンかフレゼリクであり、これら以外の名前の王は459年ぶりとなる。
2000年11月7日、母のイングリッド王太后と死別(90歳没)。
2018年2月13日、夫のヘンリック王配と死別(83歳没)。
40年以上の在位に至る現在でも、民意への配慮を欠かさないことで国民に敬慕されている。
人物・エピソードなど
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/Crown-princess_Margrethe_and_Henri_de_Monpezat_1966.jpg/180px-Crown-princess_Margrethe_and_Henri_de_Monpezat_1966.jpg)
- モットーは、「神のご加護、国民の愛、デンマークの強さ(英:God's help, the Love of the People, Denmark's strength)」である。
- 誕生当初は将来のデンマーク女王になるつもりはなかったのにも関わらず、13歳にしていきなり次期王位継承者となったマルグレーテ王女の戸惑いは小さくなかったという。女王になるのを嫌って「私は普通の女の子のように大きくなって、そして普通の結婚をして、普通に暮らしたい」と泣いて叫んだといわれる[4]。
- デンマーク語を母語とするが、フランス語、スウェーデン語、英語、ドイツ語も堪能である。30代の頃にはJ・R・R・トールキン『指輪物語』のデンマーク語訳の作業に参加し、挿絵も担当した[5]。
- 身長180cmの長身で、柔道の心得がある。美人で才能豊か、気さくな人柄で国民に絶対的な人気がある[6]。海外のメディア(テレビ、新聞を問わず)へのインタビューも国家元首という立場でありながら気さくに応じている。
- ヘビースモーカー(愛煙家)である、コペンハーゲン市内の書店で立ち読みしていた、訪問先のフェロー諸島で民俗舞踊の輪に飛び入りで加わった、などのエピソードがある。また服飾デザイナーとしての顔も合わせ持つ。
- 毎年大晦日(12月31日)の18時から約10分間、国民へ向けテレビを介してスピーチをしている。その内容は形式的で中身の無いパフォーマンスチックなものではなく、その時々の世界情勢や国民生活などを考慮した現実的で、かつ前向きなメッセージが込められたもの[独自研究?]となっている。「これを観ないと年を越せない」という国民がいるほど、デンマークの大晦日には欠かせないものとなっている。
訪日歴
王女時代
- 1963年(昭和38年)12月:非公式訪問。
- 1970年(昭和45年)4月:日本万国博覧会に列席のため訪日。
女王時代
王子と孫たち
夫のヘンリック王配との間に、二男をもうけた。また、8人の孫がいる。デンマーク王族は18歳になると政府から歳費を受け取っていたが、世論の批判が高まったため、王室は2016年、「8人いる女王の孫のうち、クリスチャン王子(フレデリック王太子の長男)のみ確実な王位継承予定者として歳費が支給される」と発表した[7]。
- フレデリック王太子(1968年5月26日 - ):2004年5月、オーストラリアのタスマニア州出身のメアリー・ドナルドソンと結婚した。
- ヨアキム王子(1969年6月7日 - ):1995年に5歳年上の香港出身のキャリアウーマン、アレクサンドラ・マンリーと結婚。ヨーロッパ王室で初めてアジア出身の妃を迎えたことで話題になった。しかし、2004年9月16日に別居が王室から発表され、2005年4月8日に離婚。2008年5月24日にフランス人マリー・カヴァリエと再婚。
系譜
マルグレーテ2世 | 父: デンマーク国王 フレゼリク9世 |
祖父: デンマーク国王 クリスチャン10世[6] |
曾祖父: デンマーク国王 フレゼリク8世 |
曾祖母: スウェーデン王女ルイーセ[1] | |||
祖母: アレクサンドリーヌ |
曾祖父: メクレンブルク=シュヴェリーン大公 フリードリヒ・フランツ3世 | ||
曽祖母: ロシア大公女 アナスタシア・ミハイロヴナ[2] | |||
母: イングリッド |
祖父: スウェーデン国王 グスタフ6世アドルフ |
曾祖父: スウェーデン国王 グスタフ5世 | |
曾祖母: バーデン大公女 ヴィクトリア[3] | |||
祖母: マルガレータ |
曾祖父: コノート公アーサー[4] | ||
曾祖母: ルイーズ[5] |
- スウェーデン・ノルウェー国王カール15世と王妃ロヴィーサの長女、母方の祖父はプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世
- ミハイル・ニコラエヴィチ大公(ロシア皇帝ニコライ1世の末子)と妃オリガ・フョードロヴナ(バーデン大公女)の長女
- バーデン大公フリードリヒ1世と妃ルイーゼ・フォン・プロイセン(ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の長女)の長女
- イギリス女王ヴィクトリアと王配アルバートの三男
- プロイセン王子フリードリヒ・カール(父方の祖父はプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世)と妃マリア・アンナの四女
- 弟はノルウェー国王ホーコン7世、妹のインゲボー王女の娘であるマッタ王女はノルウェー国王オーラヴ5世妃、同じくアストリッド王女はベルギー国王レオポルド3世妃
- 祖父スウェーデン国王グスタフ6世アドルフを同じくする。
系図
クリスチャン9世 | |||||||||||||||||||||||||
フレゼリク8世 | (ギリシャ国王) ゲオルギオス1世 | ||||||||||||||||||||||||
(グリクシンブルグ朝) | |||||||||||||||||||||||||
クリスチャン10世 | (ノルウェー国王) ホーコン7世 | ||||||||||||||||||||||||
フレゼリク9世 | (グリュクスボー朝) | ||||||||||||||||||||||||
マルグレーテ2世 | |||||||||||||||||||||||||
ギャラリー
-
1954年撮影(中央)
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1962年11月17日、エジプト訪問時にガマール・アブドゥル=ナーセル大統領と(アブディーン宮殿にて)
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1966年9月4日、婚約者アンリと
-
1975年、オランダ訪問時に儀仗礼を受ける女王(左はユリアナ蘭女王)
-
1975年、ハールレムにて(一番左、中央左はユリアナ蘭女王)
-
2005年7月5日、ジョージ・W・ブッシュ米大統領夫妻と女王夫妻
-
2010年6月18日、スウェーデン王太女ヴィクトリアの結婚式に参列した女王夫妻
-
2015年4月16日、女王の75歳祝賀にて(右はコペンハーゲン市長)
栄典・勲章
デンマーク王国
デンマーク:
Cross of Honour of the Order of the Dannebrog (D.Ht.)[8]
en:Order of the Elephant[8]
Air Force Long Service Medal[8]
Homeguard Medal of Merit[8]
25 years of Homeguard Service Medal[8]
Medal of Honour of the League of Civil Defence[8]
Medal of Honour of the Reserve Officers League[8]
100th Anniversary Medal of the Birth of King Christian X[8]
50th Anniversary Medal of the arrival of Queen Ingrid to Denmark[8]
100th Anniversary Medal of the Birth of King Frederik IX[8]
Queen Ingrid Commemorative Medal[8]
グリーンランド:
外国
など
-
デンマーク王室紋章
-
デンマーク王室旗
-
マルグレーテ2世の王室モノグラム
-
マルグレーテ2世の私的モノグラム
-
マルグレーテ2世とヘンリック王配夫妻の二重モノグラム
脚注
- ^ “Dronning Margrethe - alt om Danmarks dronning”. alt.dk. en:Egmont Publishing. 21. maj 2019閲覧。
- ^ “Ny bog om Margrethe med udslået hår: Sådan er Daisy”. en:B.T.. (9. maj 2013) 21. maj 2019閲覧。
- ^ "Those Apprentice Kings and Queens Who May -- One Day -- Ascend a Throne," New York Times. 14 November 1971.
- ^ “13歳で継承者になったデンマーク王女の戸惑い――日本の皇位継承議論は?【皇室コラム(下)】(日本テレビ系(NNN))”. Yahoo!ニュース (2020年11月25日). 2020年11月26日閲覧。
- ^ 関東学院大教授・君塚直隆:【世界王室物語-ノブレス・オブリージュ】デンマーク 多才な女王の挑戦 (2/4ページ)『産経新聞』
- ^ マイケル・ブース『ありのままのアンデルセン ヨーロッパ独り旅を追う』晶文社、2017年、12頁。ISBN 978-4-7949-6950-7。
- ^ 【世界のロイヤル】デンマークマルグレーテ女王(79)『読売新聞』朝刊2019年5月4日(特別面)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “Dekorationer”. Kongehuset.dk. 2020年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月24日閲覧。
関連項目
- イギリス王位継承順位 - マルガレーテ2世女王はイギリス女王ヴィクトリアの子孫であり、イギリス王位継承権を有する
外部リンク
地位の継承 | |||||||||||||||
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