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2021年8月8日 (日) 11:55時点における版
CEサバデル | |||
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原語表記 | Centre d'Esports Sabadell Futbol Club | ||
愛称 | Arlequinats, Saballuts, Laneros | ||
クラブカラー | 青と白 | ||
創設年 | 1903年 | ||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | ||
所属ディビジョン | セグンダ・ディビシオン | ||
ホームタウン |
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ホームスタジアム | ノバ・クレウ・アルタ | ||
収容人数 | 11,981 | ||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
CEサバデル(Centre d'Esports Sabadell Futbol Club, S.A.D. カタルーニャ語発音: [ˈsentɾə ðəsˈpɔr(ts) səβəˈðeʎ fubˈbɔɫ ˈkɫup])は、カタルーニャ州(スペイン)のサバデイにホームを置くサッカークラブである。2020-21シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)に所属。
歴史
1901年、ジョアン・サウスとサバデル・カタルーニャ派の若手グループがCEサバデル(Centre d'Esports Sabadell)を設立し、1906年6月5日に完全に公認されたサッカークラブとなった。クラブ初の試合はPrat de Sant Oleguer(芝生)で行われたが、1906年6月3日には「チームX」(後のRCDエスパニョール)との試合で新スタジアムのCreu Alta Districtがお披露目された。1912年には、スペインで初めて照明を用いたナイトゲームが同所で行われた。
1933-34シーズンにはコパ・カタルーニャで初優勝し、クラブ初の主要タイトルを獲得するとともに、コパ・デル・プレシデンテ・デ・ラ・レプブリカ(現在のコパ・デル・レイ)への出場権を得た。翌シーズンのリーグ戦では15勝1分の好成績を収め、コパ・デル・プレシデンテでは決勝に進出したが、エスタディオ・チャマルティンで行われた決勝でセビージャFCに0-3で敗れた。1943-44シーズンには初めてプリメーラ・ディビシオン(1部)に参戦して9位となった。1945-46シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)で過ごしたが、プリメーラに昇格したばかりの1946-47シーズンには優勝したバレンシアCFからわずか勝ち点4差で、レアル・マドリードより上に位置する5位と大健闘した。
1968-69シーズンにはプリメーラが16クラブ制になってからクラブ史上最高位の4位となった。1969-70シーズンにはインターシティーズ・フェアーズカップ(UEFAカップの前身)に参加し、1回戦でクラブ・ブルッヘ(ベルギー)に2試合合計3-5で敗れた。トップリーグでの挑戦は7年間で終わり、1972年にセグンダに降格した。
1991年には株式会社化を行った。1992-93シーズン終了後にセグンダ・ディビシオンB(3部相当)に降格し、その直後に深刻な財政難によりテルセーラ・ディビシオン(4部相当)降格となった。その後の17年間は2006-07シーズン(テルセーラ)を除くすべてのシーズンをセグンダBで過ごしたが、2010-11シーズンにはグループ優勝し、昇格プレーオフでSDエイバルにアウェーゴール差で勝利してセグンダ・ディビシオン(2部)昇格を決めた。なお、このシーズンには日本人FW指宿洋史が所属していた。2011-12シーズンは低迷して19位に終わり、本来ならセグンダB降格となるはずであったが、リーグ規定により12位のビジャレアルCF Bが降格処分を受け、サバデルはセグンダ残留となった。
2012年7月、日本の実業家・坂本圭介が新たなオーナーとなった[1]。同年11月、チームイメージキャラクターにCesc Hiroshiを起用(高橋陽一・画、オリジナルキャラクター)。
2020年7月26日、セグンダ・ディビシオン昇格プレーオフ決勝のFCバルセロナB戦に2-1で勝利したことで、5シーズンぶりのセグンダ昇格を決めた[2]。
タイトル
国内タイトル
- コパ・カタルーニャ:1回
- 1933-1934
- コパ・フェデラシオン:1回
- 1999-2000
国際タイトル
なし
過去の成績
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- 14シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
- 44シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
- 23シーズン - セグンダ・ディビシオンB(3部相当)
- 8シーズン - テルセーラ・ディビシオン(4部相当、1977年以前は3部相当)
欧州の成績
シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
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1969-70 | インターシティーズ・フェアーズカップ | 1回戦 | ![]() |
2-0 | 1-5 | 3-5 | ![]() |
現所属メンバー
- 2021年2月1日現在[3]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
- 監督
リザーブチーム
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン選手
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
アントニオ・デラクルス 1987–1988
歴代所属選手
ジョセップ・ゴンサルボ 1943-1944
ペドロ・ザバラ 1967-1970
フアン・セミナリオ 1967-1969
マヌエル・アルムニア 2000-2001
トーマス・ヌコノ 1991-1993
マノロ・サンチェス 1995-1997
指宿洋史 2010-2011
田邉草民 2013-2015
ウィリアムス・ベラスケス 2018
サポーター
CEサバデル公認のサポータークラブは合計10クラブあり、そのうちの1つである"ペーニャ・ブルー・ガールズ (Penya Blue Girls)"は、サポータークラブでは唯一の女性のみで構成されている団体である。
また、スタジアム南部には極右的な思想を持つサポーター、いわゆるフーリガンがおり、試合中の迷惑行為など、問題行動を起こしていた。しかし、クラブのオーナーが日本人実業家の坂本氏に変わってからは、彼らを厳しいく取り締まるようになり、現在彼らはクラブから追放されている[4]。
対外関係
2015年、イングランドのEFLリーグ1に所属するブリストル・ローヴァーズFCとクラブ間で業務提携を行なった。両クラブの共通点にはホームカラーが同色そしてユニフォームの酷似がある[5] 。
脚注
- ^ スペインリーグ初の日本人オーナー、坂本圭介が夢見る「和製欧州クラブ」(Number Web, 2013年3月22日)
- ^ “El Sabadell deja al Barça B sin ascenso a LaLiga Smartbank” (スペイン語). Sport.es (2020年7月26日). 2020年7月26日閲覧。
- ^ “Plantilla”. CEサバデル. 2020年9月29日閲覧。
- ^ “El C E Sabadell estudia expulsar a dos socios que realizaron gestos nazis” (スペイン語). El Pais (2014年12月15日). 2020年7月30日閲覧。
- ^ “Sorry Lionel. We Made Plans – From Issue 14”. standamf.com (2015年9月12日). 2018年5月3日閲覧。
外部リンク