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「ルーマニア」の版間の差分

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;日本語表記
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[[日本語]]の表記は、昔の英語式の表記に影響を受けた「ルーマニア」となっている。[[外国地名および国名の漢字表記一覧|漢字表記]]は'''羅馬尼亜'''('''羅馬尼亞'''), 緑馬尼、'''羅'''<ref group="注釈">なお漢字の「羅」は、[[ラテン語]](=古代ローマで話されていた言葉)を漢字一文字で表す場合にも用いられる(英語を「英」、ドイツ語(独逸語)を「独」、フランス語(仏蘭西語)を「仏」と略記することは一般的であるが、これらでは重複は無いので混乱は起きない。たとえば、辞書での語源の解説では(一例として)「仏:terre < 羅:terra」と略記され、これだけで『フランス語の「terre(=土、地球)」の語源はラテン語の「terra」である』という意味なのだと理解できる)。<br/>そもそもルーマニアと古代[[ローマ帝国]]は元から深い関係を持っており、国名でも言語名でも類似の表現になっていて、漢字では「羅」となってしまうのは、ある意味「仕方がない」と言えば仕方がないのだが、辞書や語学書では「羅」がラテン語を指しているのかルーマニア語を指しているのかはっきりせず、略記しづらく難儀である。<br/>特にルーマニア語は[[ロマンス諸語]]のひとつである上、ラテン語の方言から派生している事からルーマニア語の語源の解説をすると、ほぼ必ずラテン語に言及することになる為にどちらも「羅」ではとても不便な状況となっており、現在も問題視されている。</ref>と略される。[[中国語]]も同じく「羅馬尼亞」と表記する。


独立してからの日本語での正式名称は、以下のように変遷している。
独立してからの日本語での正式名称は、以下のように変遷している。

2021年8月8日 (日) 22:34時点における版

ルーマニア
România
ルーマニアの国旗 ルーマニアの国章
国旗 (国章)
国の標語:なし
国歌Deșteaptă-te române!(ルーマニア語)
目覚めよ、ルーマニア人!
ルーマニアの位置
公用語 ルーマニア語
首都 ブカレスト
最大の都市 ブカレスト
政府
大統領 クラウス・ヨハニス
首相 フロリン・クツ
面積
総計 238,391km278位
水面積率 3%
人口
総計(2016年 19,760,000人(?位
人口密度 83人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2013年 6,286億[1]ルーマニア・レウ
GDP(MER
合計(2013年1,889億[1]ドル(54位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2013年3,865億[1]ドル(47位
1人あたり 19,397[1]ドル
独立連合公国の成立
1859年2月5日
オスマン帝国の宗主権喪失
1877年5月9日
通貨 ルーマニア・レウRON
時間帯 UTC+2 (DST:+3)
ISO 3166-1 RO / ROU
ccTLD .ro
国際電話番号 40

ルーマニア: România)は、東ヨーロッパバルカン半島東部に位置する共和制国家首都ブカレスト。南西にセルビア、北西にはハンガリー、北がウクライナ、北東をモルドバ、南にブルガリアと国境を接し、東は黒海に面している。

国土の中央をほぼ逆L字のようにカルパティア山脈が通り、山脈に囲まれた北西部の平原のトランシルヴァニア、ブルガリアに接するワラキア、モルドバに接するモルダヴィア、黒海に面するドブロジャの4つの地方に分かれている。

概要

同国は「多種多様な民族によって形成された国家」であるといって過言ではない。ルーマニアの住民は、紀元前からこの地方に住んでいたトラキア系のダキア人と、2世紀頃にこの地方を征服した古代ローマ人、7世紀から8世紀頃に侵入したスラブ人9世紀から10世紀に侵入したマジャール人、その他にトルコ人ゲルマン人などの混血や同化によって、重層的かつ複合的に形成された等と言述される複合民族 româniロムニルーマニア人)が約9割を占める(なお、români(ルーマニア人)の起源については諸説ある)。

そして少数のマジャール系のセーケイ人ロマ人(≒ジプシー[注釈 1]なども住んでいる。

なおルーマニアという国は、言語的には公用語ラテン語起源の(つまりロマンス諸語の)ルーマニア語で、宗教的には東方教会系のルーマニア正教会が多数派である。それに対し、ポーランド(ヨーロッパの北東部で、ルーマニアの北西方向に位置する国)のほうは同じ「東欧」と言っても、言語的にはスラヴ語派に属するポーランド語が主に話されており、宗教的には西方教会カトリック教会が支配的である。

つまり、ルーマニアとポーランドは、東欧において、言語的にも宗教的にも好対照の存在となっている。

国名

正式名称はルーマニア語で România [romɨˈni.a] ( 音声ファイル)。原音により忠実にカナ表記すると「ロムニア」が近い。

国名の由来(語源)は、ラテン語で「ローマ人(ローマ市民)の土地」という意味の表現。

ハンガリー語の表記は Románia [romaːniɒ](ロマーニア)。

かつて、英語では Rumaniaドイツ語では Rumänienフランス語では Roumanie[注釈 2]と表記するなど、現地の発音とは一つめの母音から既にずれた表記が流通していた。近年では、現地の表記に沿う方向で修正される動きもあり、たとえば英語での公式表記は Romania となったが、英語はロマンス諸語に表記だけを似せても発音は「[roʊˈmeɪniə] ( 音声ファイル)」(ロゥメイニア)となり、あまり参考にならない。

日本語表記

日本語の表記は、昔の英語式の表記に影響を受けた「ルーマニア」となっている。漢字表記羅馬尼亜羅馬尼亞), 緑馬尼、[注釈 3]と略される。中国語も同じく「羅馬尼亞」と表記する。

独立してからの日本語での正式名称は、以下のように変遷している。

現在では政体を指す共和国は含まない国名が正式名称となっており、「ルーマニア共和国」という表記は誤りである。

歴史

古代ダキア
ヴラド・ツェペシュ

古代にはゲタイ人古代ギリシア語: Γέται)と呼ばれる民族が居住していた。紀元前513年、イストロス河(古代ギリシア語: Ἴστρος、現・ドナウ川)の南でゲタイ人部族連合が、対スキタイ戦役中のペルシアダレイオス1世に敗れた(ヘロドトス『歴史』4巻93)。

約600年後、ダキイ人ラテン語: Daci)は、ローマ帝国への侵攻に怒ったローマ皇帝トラヤヌスによる2度の遠征(101年 - 106年)に敗れ、ローマ帝国の領土となった。その王国の4分の1はローマ領となり、ローマ帝国の属州ダキアとなった。現在の国名もその時の状態である「ローマ人の土地(国)」を意味する。国歌の歌詞にトラヤヌスが登場するのは、こうした経緯からである[2]

238年から258年にかけて、ゴート人カルピイ人がバルカン半島まで遠征した。ローマ帝国はドナウ川南まで後退し、以前の属領上モエシアの一部に新しく属領ダキアを再編した。

271年、かつてのダキアにゴート人の王国が建てられ、4世紀終わりまで続いたのち、フン人の帝国に併呑された。中央アジア出身の遊牧民族が入れ替わりルーマニアを支配した。ゲピド人アヴァールトランシルヴァニア8世紀まで支配した。その後はブルガール人がルーマニアを領土に収め、その支配は1000年まで続いた。この頃の史料には、ペチェネグ人クマ人ウゼ人への言及も見られる。その後、13世紀から14世紀にはバサラブ1世によるワラキア公国頃、ドラゴシュによるモルダヴィア公国の成立が続いた。

中世にはワラキア、モルダヴィア、トランシルヴァニアの3公国があった。完全な独立ではなく、オスマン帝国ハプスブルク家の支配下にあった。ワラキアとモルダヴィアは15世紀から16世紀にかけてオスマン帝国の属国であった。モルダヴィアは1812年東部のベッサラビアロシア帝国割譲した(パリ条約により1920年に再合併)。北東部は1775年オーストリア帝国領土となり、南東部のブジャクはオスマン帝国領であった[3]

トランシルヴァニアは11世紀ハンガリー王国の一部となり、王位継承により1310年以降アンジュー家、のちにハプスブルク家領となったが、1526年にオスマン帝国の属国となった(オスマン帝国領ハンガリー)。18世紀には再びハプスブルク家のハンガリー王国領となり、第一次世界大戦の終わる1918年までその状態が続いた。

ルーマニア国土の変遷(1859年 - 2010年)。濃い緑がその時代の領土、薄い緑がルーマニアが領有したことのある地域。

1859年にワラキアとモルダヴィアの公主が統一され、1861年、オスマン帝国宗主下の自治国として連合公国が成立した(ルーマニア公国)。1877年には露土戦争に乗じて完全な独立を果たすため、独立宣言を行った。1878年ベルリン会議で国際的に承認され、ルーマニア王国が成立した。

第一次世界大戦では中央同盟国に攻め込まれ一時屈服したものの、与した連合国が勝利したことからトランシルヴァニアなどを併合して領土を倍増させた[4](「ルーマニア戦線」「トリアノン条約」参照)。同じ1918年ベッサラビアを回復したが、これは1940年に再びソビエト連邦に占領され、最終的に割譲することとなる(現在はモルドバ共和国、ウクライナ)。

第二次世界大戦が始まると、ソ連はベッサラビアなどルーマニアの一部を占領した。国民は列強の領土割譲に対して無為無策であった国王カロル2世を批判し、退位させた。ルーマニアはドイツにつき枢軸国側として参戦した。この参戦により、ソ連が占領した地域を回復した。しかし、ドイツ敗退により再度ソ連に侵攻され、1944年8月の政変で独裁体制を敷いていたイオン・アントネスク元帥ら親ドイツ派を逮捕して連合国側につき、国内のドイツ軍を壊滅させたあとにチェコスロバキアまで戦線を拡大し、対ドイツ戦を続けた。

戦後はベッサラビアとブコヴィナをソ連に割譲させられ、ソ連軍の圧力により社会主義政権が樹立した。王制を廃止し、1947年ルーマニア人民共和国が成立した(1965年にルーマニア社会主義共和国に改称)。しかし、ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権のもと、次第に他の東側諸国とは一線を画す「自主独立路線」を唱え始め西側との結びつきも強めた。1989年ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権が打倒され(「ルーマニア革命」)、民主化された。

2007年1月1日に欧州連合(EU)に加盟した[要出典]。加盟に際しては「改革が不十分である」として欧州理事会によって再審査されたが、「加盟後も改革を続行する」として承認された。

政治

2007年の欧州連合の拡大。黄色で表示されている国が新たに加盟したルーマニアとブルガリア。

現在の政体は大統領国家元首とする共和制国家であり、国民から直接選挙で選ばれる大統領議会から選出される首相が行政を行う半大統領制を採用している。

大統領は任期が5年である(2004年までは任期4年)。立法権二院制の議会に属し、下院代議院)は定数332人、上院元老院)は定数137人で両院とも任期は4年。司法権は最高裁判所に属している。

2004年には北大西洋条約機構(NATO)に参加。2007年1月に欧州連合に加盟した。2006年6月30日、ルーマニア最高国防評議会議長を兼任するバセスク大統領は、タリチェアヌ首相が29日にイラク駐留部隊の年内撤退計画を発表したが、同評議会が同計画を拒否したことを明らかにした。同大統領は熱烈な親米政治家として知られ、外交政策がある日突然変わってはならないとタリチェアヌ首相を批判した。

2007年2月、選挙制度改革を進めようとする大統領と野党が対立。4月19日、権力乱用を理由に大統領の職務停止案の投票が議会で行われ、賛成多数で可決された。4月20日、ルーマニア憲法裁判所英語版はバセスク大統領の職務停止を決定。バカロイウ上院議長が大統領代行に就任した。1か月後の5月20日にバセスクの弾劾の可否を問う国民投票が行われたが、結果は弾劾の否決であり、バセスクは大統領職に復帰した。大統領が議会から弾劾されたのも、大統領が国民投票で弾劾の可否を問われたのも、弾劾が否決されて大統領が留任したのも、ルーマニア史上初のことであった。2016年2月、コメルサントはヨハニス政権下の同国が隣国モルドバの政治危機に乗じて両国の統合を目指し、そのための働きかけを強めていると報じた[5]

2017年、ルーマニア反政府運動英語版が起きた。

なお、ルーマニア国内では旧王家が「王室」を称して公的活動を積極的に展開している。旧王家の家督は「ルーマニア王冠守護者」の称号と「陛下」の敬称を自称し、ルーマニア社会では広範に認められている。現在の家督マルガレータ・ア・ロムニエイ。2018年10月29日、旧王家を軸とする国家的価値推進機関「国王ミハイ1世」の創設に関する法案が下院を通過した[6][7]。この法案には、特権を付与して「王室」を制度化するものであるとする違憲論もある。

国際関係

日本との関係

駐日ルーマニア大使館

駐ルーマニア日本大使館

加筆を求めています。

軍事

2010年2月4日、アメリカのクローリー国務次官補(広報担当)は、ルーマニア政府が地上発射型迎撃ミサイルSM-3イージス・アショア)の配備に同意したことを明らかにした。これは、バラク・オバマ政権が進めた、イラン弾道ミサイルの脅威に対処するための新たな欧州ミサイル防衛(SD)計画に参加したことになる。この件においてアメリカは同計画の参加国が南欧に広がったことを歓迎している。

また2009年10月には、ポーランド政府が新MD計画へ参加する方針をルーマニアが表明していたことが報道されている[8]

地方行政区分

ルーマニアの県

ルーマニアの地方行政は、41の県と首都ブカレストに区分されて行われている。

また、同国の県は「comună(コムーナ)」あるいは「municipiu(ムニチピウ)」などと呼ばれる小規模の自治体に分かれている。

トランシルヴァニア地方

ワラキア地方

モルダヴィア地方

ドブロジャ地方(黒海沿岸)

主要都市

都市 行政区分 人口 都市 行政区分 人口
1 ブカレスト 1,931,838 11 オラデア ビホル県 205,077
2 ヤシ ヤシ県 315,214 12 バカウ バカウ県 178,203
3 クルージュ=ナポカ クルージュ県 310,243 13 ピテシュティ アルジェシュ県 168,958
4 ティミショアラ ティミシュ県 307,347 14 アラド アラド県 167,238
5 コンスタンツァ コンスタンツァ県 304,279 15 シビウ シビウ県 154,458
6 クラヨーヴァ ドルジュ県 299,429 16 トゥルグ・ムレシュ ムレシュ県 145,943
7 ガラツィ ガラツィ県 293,523 17 バイア・マーレ マラムレシュ県 139,870
8 ブラショフ ブラショフ県 277,945 18 ブザウ ブザウ県 134,619
9 プロイェシュティ プラホヴァ県 230,240 19 ボトシャニ ボトシャニ県 115,739
10 ブライラ ブライラ県 215,316 20 サトゥ・マーレ サトゥ・マーレ県 113,688
2007年調査

地理

ルーマニアの地図

西のセルビア、南のブルガリアとの間におけるルーマニアの国境は、基本的にドナウ川を境界としている。モルドバとの国境線であるプルト川もドナウ川と合流し、東に位置する黒海に注ぐ。ドナウ川の河口三角州ドナウ・デルタ)となっており、生物保護区となっている。

これらの自然国境はそれぞれの川の流路変更によって変化する。また、ドナウ・デルタは年に2 - 5km2ずつ面積を増やすため、ルーマニアの領土面積はここ数十年、増加の傾向にある。1969年に23万7,500km2だった総面積は2005年には23万8,319km2となっている。

ルーマニアの地形は34%が山地、33%が丘陵地、33%が平地である。国の中央をカルパチア山脈が占め、トランシルヴァニア平原を取り囲んでいる。カルパチア山脈のうち14の山は2,000メートル級であり、最高峰のモルドベアヌ山は 2,544メートルである。カルパチア山脈は南の丘陵地帯に続き、さらにバラガン平野英語版ルーマニア語版に至る。

経済

IMFの統計によると、ルーマニアの2013年国内総生産(GDP)は約1,889億ドルである。2016年の1人あたりの名目GDPは1万1,859ドル[9]で、世界平均より少し高い程度だが、バルカン半島の旧社会主義国ではクロアチアに次いで高い[1]

ルーマニアは伝統的に農業国であり、第一次産業人口が人口の42.3%を占める(2001年)。一方で、社会主義時代に計画経済のもと工業化が進められた結果、2014年現在では鉄鋼アルミニウム繊維産業といった業種も主要産業となっている[10]。そのほか、17世紀から続くモレニ油田が知られるように、ルーマニアは産油国であるが、今日ではその規模は限られている。

交通

鉄道

航空

国民

1961年から2010年までの人口動態グラフ

民族

民族構成(ルーマニア)
ルーマニア人
  
89%
マジャル人
  
6%
ロマ人
  
2%
その他
  
3%

住民は、ロムニ(ルーマニア人)が89%。マジャル人ハンガリー人)が6%、ロマ人が2%などである。その他にはセルビア人ウクライナ人ドイツ人トルコ人タタール人スロヴァキア人ブルガリア人ロシア人ユダヤ人ノガイ族などが居住している。ルーマニア人は古代のダキア人と植民したローマ人の混血だとされているが、異論もある。マジャル人の多くはハンガリーとの領有権問題を抱えるトランシルヴァニアに居住している。

言語

公用語はルーマニア語である。ルーマニア語はロマンス諸語の一つであり、古代ローマ帝国で話されていたラテン語の方言が変化したものである(なお、東欧ではロマンス系言語を公用語とする国家はモルドバとルーマニアだけである)。その他、ハンガリー語ドイツ語フランス語なども使われている。

宗教

2011年の調査によれば、キリスト教正教会の一派ルーマニア正教会が81%、プロテスタントが6.2%、カトリックが5.1%、その他(その他のキリスト教、イスラム教英語版エホバの証人ユダヤ教)が1.2%、無宗教が0.2%、無効データが6.2%である。

婚姻

統計

2015年を例にとってみると、ルーマニアでは12万5,000組超の婚姻が登録された(ルーマニア国政府の統計局によるデータ)。そのうち18.2%は25 - 29歳の(の年齢帯に統計局によって分類された)男女であり、14.3%は20 - 24歳の男女である。2015年の統計では、婚姻時の女性の平均年齢は29.1歳で、男性の平均年齢は32.5歳であった(平均年齢は、この年、前年と比べてやや上昇した)[11]

離婚数は2015年には3万1,527件であり、この年は前年比で15.9%増加した[11]

行政的な結婚と宗教的な結婚

ルーマニア政府は、ルーマニア国民がそれぞれに住む地域の市役所で行う結婚式のみを法的に認知している。したがって、多くのカップルが市役所での結婚式を終えたあとに改めて宗教的な結婚式を行うことを選ぶ[12]

なお婚姻の際には、自己の姓を用い続ける(夫婦別姓)、相手の姓を用いる(夫婦同姓)、相手の姓を付加する、のいずれかを選択できる。

同性カップルの位置づけ

2019年時点で、ルーマニアでは同性婚を新たにすることは法的には認められていない(ただし、欧州連合においてすでに同性婚をしたカップルがルーマニアで暮らす場合は、婚姻関係にあると法的に認知される。en:Recognition of same-sex unions in Romaniaも参照)。

ルーマニアは、概して言えば、LGBTなどに関しては「保守的」である。LGBTなどの人々はルーマニアでは社会的な障壁に直面することになる。ただし、2000年以降にかなりの変化も見られ、この20年ほどの間に、ホモフォビアやそれに関連するヘイトクライムを禁止する法律が成立してきている(en:LGBT rights in Romaniaも参照可)。

教育

7歳から14歳までの8年間の初等教育前期中等教育義務教育であり、無償となっている。

主な高等教育機関としては、ブカレスト大学(1864年創設)などが挙げられる。

保健

ルーマニアの死亡率はヨーロッパで5番目に高く、人口10万人あたり691人であり、他のEU加盟国に比べて外的要因および感染症寄生虫症による死亡者が多く見られる(4〜5%)[13]

2004年のルーマニアでの主な死因は心血管疾患(62%)であり、次いで悪性腫瘍(17%)、消化器疾患(6%)、事故負傷および中毒(5%)、呼吸器疾患(5%)と続く[14]

総人口の5分の1が伝染病または慢性疾患に苦しんでいると推定されており[15]、2015年の伝染病による死亡率はヨーロッパで4番目に高かった[16]

現在ルーマニアは深刻な野犬の問題に直面しており、全国で推定200万匹が野放しになっている。2005年において同国内で2万人以上が犬に襲われる被害を受けている。

その為 当局は駆除に乗り出そうとしているが、動物保護団体の激しい反対に合い対策は進んでいない。

2006年1月7日、動物愛護活動家でもあるフランスの女優のブリジット・バルドーが声明を出して駆除計画に抗議、ルーマニア当局を非難した。同年1月29日、日本人男性がブカレストで野犬に噛まれて失血死する事件が起きた。

治安

同国はアメリカ情報誌である『グローバル・ファイナンス英語版』が発表した「最も治安の良い国ランキング」によると24位となっている[17]

だが、首都ブカレストに危険地域に指定されている区域が存在することや、都市開発から取り残された貧困層が多いことから生活苦などによる犯罪が生起している状態が続いており、今も問題とされている面を持つ為に現地を訪れる際は充分な注意が求められる。

ルーマニア警察の発表によれば、犯罪発生数がピークであった2012年~2018年には約28%減少しているものの、スリひったくり置き引き車上狙い、自動車盗難等の路上犯罪が後を絶たない状況が続いている。

人権

2015年時点での民主主義指数では、167ヶ国中59位にランクされており、中央または東ヨーロッパの他の国と同様に「欠陥のある民主主義国家」と称されている。

マスコミ

テレビメディア

ラジオメディア

報道機関

印刷・出版

通信

文化

詩人、ミハイ・エミネスク

有名な吸血鬼ドラキュラは、15世紀のワラキア公であったヴラド・ツェペシュがモデルになったとされている。

ウィッチクラフト(魔女文化)が数世紀の歴史を持ち、現在も「魔女」や「まじない師」「占い師」として生計を立てる人々が多く存在する。「魔女」としてお金を得ている者らからも(他の自営業者と同様に)徴税するために2011年1月1日に労働法が改正され、「魔女」が職業として認められることとなった。それ以降、魔女たちは役所で営業許可を得て「魔女」として登録する必要があるほか、占いが外れると罰金が科されたり、逮捕されたりしてしまうようになる可能性もあるという。

食文化

ルーマニア料理は、他のバルカン諸国の料理と比べ、トルコ料理の影響が小さい。

文学

19世紀に活躍した詩人として、ミハイ・エミネスクは特筆される。

音楽

地域ごとに様々な伝統音楽の形式が存在する。また、ロマ(ジプシー)の音楽も盛んである。

世界遺産

ルーマニア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件存在する。

祝祭日

日付 日本語表記 ルーマニア語表記 備考
1月1日 元日 Anul nou
1月15日 ルーマニア文化の日 Cultură Ziua de vacanță
3月から5月、年により移動 復活祭 Paştele 正教会の暦に従う。期間は3日間。復活祭の翌日にはイースターマンデーがあり、連休として設定されている。
5月1日 労働の日 Ziua muncii 国際労働日
6月26日 国旗の日  zi de pavilion ワラキア革命英語版での法令第1号で青・黄・赤の三色旗が国旗とされたことを記念したもの。1998年に導入された。
11月30日 セント・アンドリューの日 Ziua Sfântului Andrei
12月1日 国民の祝日(統一記念日) Ziua Unirii 1918年12月1日のトランシルヴァニアとルーマニアの統一を祝う。
12月8日 憲法記念日 Ziua Constituției
12月25日12月26日 クリスマス Crăciunul 2日間。

この他、伝統的祭日として3月1日の三月祭 (Mărţişorul) がある。これはバレンタインデーに似た祭日である。花のほかに、ペンダント・ヘッドブローチなどを男性から女性に贈る。紅白の細い糸を縒って作った小さなリボンを、プレゼントに結びつけるのが慣わしとなっている。

スポーツ

ナディア・コマネチ
時代が変われど伝説として語り継がれるような存在であり、ルーマニアでは国民的英雄となっている。
現在はルーマニア体操協会の名誉会長、ルーマニアオリンピック委員会の名誉委員長などを務めるほか、多方面で活躍している。

他のヨーロッパ諸国同様、サッカーが盛んである。サッカールーマニア代表は強豪とは言えないが、強豪に強い「大物食い」として知られており、ゲオルゲ・ハジゲオルゲ・ポペスククリスティアン・キヴアドリアン・ムトゥチプリアン・マリカなど名の知れた選手は多い(Category:ルーマニアのサッカー選手も参照)。

サッカーに次いで人気となっているのがハンドボールであり、世界男子ハンドボール選手権では4度の優勝を果たしており、2015年フランスに抜かれるまでは最多優勝国であった。

ラグビールーマニア代表ワールドカップの第1回大会から8回連続出場中である。

女子体操競技においては、ナディア・コマネチ、またシモナ・アマナールアンドレーア・ラドゥカンなどの五輪金メダリストを多数輩出してきた世界屈指の強豪国である。コマネチは1976年のオリンピックで完璧な演技を見せ、オリンピック体操競技史上初の「10点満点」を獲得し、世界中の人々を魅了した。その容姿やトレードマークの白いレオタードから彼女は「白い妖精」の愛称で呼ばれていた。

伝統的な競技としてレスリング形式のスポーツの トレンタ(Trîntă)ルーマニア語版 が開催されている[注釈 4]。なお、現代風の格闘技を愛好する人々もそれなりの数がおり、たとえばK-1で活躍中のダニエル・ギタもルーマニアの選手である。

スキージャンプ場に関しては、ラシュノフ・ジャンプ競技場が最近になって完成したことが明かされている。

著名な出身者

脚注

注釈

  1. ^ ロマ人のことはアルファベットでは「romani」などと書く。「români」(=ルーマニア人)と「romani」(=ロマ人、≒ジプシー)は、表記上や発音上、またその表記の意味も酷似しており非常に紛らわしいものとなっている。
    よほど気をつけない限り、誤解や混線が生じる恐れがある。
  2. ^ フランス語は「ou」と書いて「ウ」と発音する。フランス人がフランス語で「ウ」という音を音写すると、ことごとく「ou」になる。
  3. ^ なお漢字の「羅」は、ラテン語(=古代ローマで話されていた言葉)を漢字一文字で表す場合にも用いられる(英語を「英」、ドイツ語(独逸語)を「独」、フランス語(仏蘭西語)を「仏」と略記することは一般的であるが、これらでは重複は無いので混乱は起きない。たとえば、辞書での語源の解説では(一例として)「仏:terre < 羅:terra」と略記され、これだけで『フランス語の「terre(=土、地球)」の語源はラテン語の「terra」である』という意味なのだと理解できる)。
    そもそもルーマニアと古代ローマ帝国は元から深い関係を持っており、国名でも言語名でも類似の表現になっていて、漢字では「羅」となってしまうのは、ある意味「仕方がない」と言えば仕方がないのだが、辞書や語学書では「羅」がラテン語を指しているのかルーマニア語を指しているのかはっきりせず、略記しづらく難儀である。
    特にルーマニア語はロマンス諸語のひとつである上、ラテン語の方言から派生している事からルーマニア語の語源の解説をすると、ほぼ必ずラテン語に言及することになる為にどちらも「羅」ではとても不便な状況となっており、現在も問題視されている。
  4. ^ なお、このトレンタは同国だけでなく類似する文化圏のモルドバでも支持されている。

出典

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  3. ^ 『ルーマニア史』白水社文庫クセジュ。pp.18-28.
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  17. ^ Safest Countries In The World 2021 - World Population Review World Population Review

参考文献

関連項目

外部リンク

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