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日本語の表記は、'''フィジー共和国'''。通称、'''フィジー'''。他に、フィジイ、フィジィ。
日本語の表記は、'''フィジー共和国'''。通称、'''フィジー'''。他に、フィジイ、フィジィ。


[[1998年]]に'''フィジー共和国'''から'''フィジー諸島共和国'''へと改称したが、[[2011年]][[2月]]に再度フィジー共和国に戻った。また、[[国名の漢字表記一覧|漢字による表記]]は「'''斐濟'''」である。
[[1998年]]に'''フィジー共和国'''から'''フィジー諸島共和国'''へと改称したが、[[2011年]][[2月]]に再度フィジー共和国に戻った。また、[[外国地名および国名の漢字表記一覧|漢字による表記]]は「'''斐濟'''」である。


== 歴史 ==
== 歴史 ==

2021年8月8日 (日) 22:35時点における版

フィジー共和国
Republic of Fiji英語
Matanitu Tugalala o Vitiフィジー語
रिपब्लिक ऑफ फीजीヒンディー語
フィジーの国旗 フィジーの国章
国旗 国章
国の標語:Rerevaka na Kalou ka Doka na Tui
(フィジー語: 神を畏敬し、女王を尊敬する)
国歌God Bless Fiji
フィジーの位置
公用語 英語フィジー語
ヒンドゥスターニー語ヒンディー語ウルドゥー語
首都 スバ
最大の都市 ナシヌー
政府
大統領 ジオジ・コンロテ
首相 ジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ
面積
総計 18,274km2155位
水面積率 極僅か
人口
総計(2012年 858,038人(161位
人口密度 46.4人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 57億[1]フィジー・ドル
GDP(MER
合計(2008年35億[1]ドル(147位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2008年36億[1]ドル(152位
1人あたり 4,185[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスより
1970年10月10日
通貨 フィジー・ドルFJD
時間帯 UTC+12 (DST:あり(2009年11月末より復活))
ISO 3166-1 FJ / FJI
ccTLD .fj
国際電話番号 679
フィジーの地図

フィジー共和国(フィジーきょうわこく)、通称フィジーは、オセアニア国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はビティレブ島スバ南太平洋のフィジー諸島と北に500km程離れた保護領のロツマ島に位置する群島国家である。300余の火山島と珊瑚礁からなる。西にバヌアツ、東にトンガ、北にツバルがある。

国名

正式名称は、Republic of Fiji(リパブリック・オブ・フィージー)。通称、Fiji

国名の由来には諸説あり、説として有力なのは前者である。

  • フィジーの最大の島であるビティレブ島(Viti Levu Island)の「ビティ(Viti)」をヨーロッパから来た宣教師が「フィジー(Fiji)」と発音したという説。
  • 1773年にジェームズ・クックがトンガを発見した際、トンガ人から隣に「フィージー」と言う国があると聞き、これを「Feejee」と書き残して、それが今の国名になったという説

日本語の表記は、フィジー共和国。通称、フィジー。他に、フィジイ、フィジィ。

1998年フィジー共和国からフィジー諸島共和国へと改称したが、2011年2月に再度フィジー共和国に戻った。また、漢字による表記は「斐濟」である。

歴史

旧首都レブカ1842年

政治

パプアニューギニアと並ぶ南太平洋の島嶼国のリーダー。

大統領元首に戴く象徴大統領制、首相が行政権を掌握する議院内閣制で、議会は一院制で任期4年、定数は50。フィジー全土を一つの選挙区としたオープンリスト比例代表制。選挙権は18歳から[8]。以前は二院制であったが、2013年の新憲法公布により一院制に。

イギリス国王を元首に戴く立憲君主制への復帰も検討されている。

2014年9月まで軍事政権。軍事政権は、2009年3月に民政復帰のための総選挙を実施するとしていたが、延期されていた。2009年4月高裁が軍事政権を違法と判断を下したため、イロイロ大統領は憲法を廃止して自らが政府の実権を握ったと言明し、バイニマラマ軍司令官を暫定首相に再任し、国内に30日間の非常事態宣言を発令し、総選挙を2014年に先送りすると表明した。軍事政権はメディアへの検閲を開始し、オーストラリアABC放送の記者らを国外退去させた。市民生活は通常通り。2013年に新憲法を2014年9月に総選挙を実施、フィジー第一党が過半数の議席を獲得し、バイニマラマ首相が再任された。その後、2016年9月、内閣改造に伴い,バイニマラマ首相は外相も兼任[9]

外交・国防

対外関係

フィジーは伝統的に、日本やオーストラリア、ニュージーランドなど、アジア・太平洋諸国との関係を重視してきたが、軍事政権樹立後は民政復帰や民主化への対応をめぐって内政干渉を行うオーストラリアやニュージーランドと対立している。遂には、両国大使のフィジーからの退去を命ずる一方[10][11]、オーストラリアとニュージーランド政府もフィジー大使の国外退去を命じる局面もあった。

オーストラリアやニュージーランドとの関係

オーストラリアやニュージーランドとの貿易額はシンガポールについで大きく、フィジーはオーストラリアから小麦粉や食料品その他を輸入している。ニュージーランドからは牛乳や肉その他食料品の輸入が多い。フィジーにはビジネス目的に暮らしているオーストラリア人やニュージーランド人も多く、Fiji Australia Business CouncilやFiji New Zealand Business Councilもある。

貿易以外では、フィジーのリゾートはオーストラリア人やニュージーランド人による経営が多く、Fiji Australia Business Councilは、オーストラリア政府のフィジー政府に対する姿勢をビジネス促進に対する障害として批判する発言をしたこともある。

日本との関係

太平洋戦争以前には、フィジーへの日本人移民の導入が試みられていた。しかし病気(脚気)が原因で定着せず、太平洋戦争の勃発によって中断された。日本軍とフィジー軍は太平洋上で戦闘状態になったものの、フィジー本土上陸戦は行われなかった。現在も太平洋戦争に備えた防塁等防御構築物の跡は残されている。1970年(昭和45年)の独立を日本も承認し、1979年にはスバに在フィジー日本大使館が開設された。在日本フィジー大使館は1981年に東京都に開設され、1990年(平成2年)には大阪に、2012年には横浜にそれぞれ名誉領事も任命している。フィジーはラグビーが盛んで、日本で活躍するラグビー選手もいる[12]。また、公用語が英語で費用が比較的安価であることから、語学留学先としての人気もある。

中国の進出

オーストラリアとニュージーランドの度重なる内政干渉による圧力のため、近年フィジー軍政は新たな活路として中国との関係を強化している。以前は、ほとんどいなかったとされる中国人がフィジーを訪れるようになり、年間1万人にまでになった。このため首都スバ市内には中国人経営の店舗が拡大している。2010年にはエアパシフィックとキャセイ航空の共同運航で香港から直行便が就航した。中国人は首都スバにいくビジネスマンが大半で、フィジー本島西部ナンディではあまり見かけない。

また、フィジー各地で中国の援助による建築やインフラ整備が進み、娯楽施設や幹線道路、水力発電所を建設している。

中国がフィジーに援助をする狙いは、豊富な漁業資源の獲得にあると見られている。理由は中国の経済成長により、国内のマグロ消費量が多くなっていることがあげられる。近年、中国の遠洋漁船がスバ港で多く見られるようになり、今では7割の外国船が中国の漁船である。また、フィジー最大の水産企業は中国の国営企業3社で、27隻のマグロ漁船で5分の1のマグロを水揚げしている。この国営企業はフィジー軍政のバイニマラマ首相とも太いパイプがある[13]

2010年1月、中国政府はフィジー大統領府の敷地を囲む塀の無償援助をフィジー政府に約束した[14]。塀の工事は中国の中鉄五局グループ(大手ゼネコン中国中鉄グループの一員)が請け負った[14]。長さ2.4キロメートルの塀は2011年2月に竣工した[15]

領土問題

フィジーの南、トンガの南西およそ400kmにあるミネルバ・リーフの領有権を主張している。ミネルバ・リーフにおいては1972年1月にユダヤ系アメリカ人のマイケル・オリバーがマイクロネーションとしてミネルバ共和国の独立を宣言したが、周辺のフィジー、トンガ、ナウル西サモアクック諸島自治政府は、オーストラリアやニュージーランドと協議し同年6月にトンガ軍が上陸し占領した。しかし翌月フィジー軍が上陸し領有権を主張、このときはトンガの正式な領有権主張を認めたフィジー政府だったが、再び領有権を主張し2005年国際海底機構に提訴した。また、ミネルバ共和国の後継を主張するメンバーがミネルバ公国として再度領有権を主張するなど混乱が続いている。

地方行政区分

フィジーの地図(詳細)

フィジーは、4つの地域 (division) という行政区画に分かれる。( )内は地域政府所在地。

  • 中央地域、Central Division(スバ、Suva)
  • 北部地域、Northern Division (ランバサ、Labasa)
  • 東部地域 Eastern Division (レブカ、Levuka)
  • 西部地域 Western Division (ラウトカ、Lautoka)

群島の北部にあるロツマ島は、保護領である。

地理

主な島

気候

全島が熱帯雨林気候(Af)となっており、年中高温多雨。南東貿易風の影響下にはいる5月〜11月は降雨も少ない。

経済

28の色で識別されたフィジーの輸出品目

主に農業や衣料や観光で成り立っている。観光で得る収入は2億7000万ドルにのぼり、耕地面積は26万haある。農業に従事する人は13万人いる。貿易は大幅な輸入超過である。 輸出品は、野菜や果物、アメリカで人気の高いフィジーウォーター、砂糖、マホガニー、パルプ、衣料品、コプラ、ココナッツ石鹸、食料品などである。サトウキビ栽培は19世紀にヨーロッパ人が島にやって来たときに始まる。当初は、サトウキビ栽培に適した土地に製糖所を作るという 小規模なものであったが、植民地政府が奨励し経済的基盤としたためにサトウキビ産業として発展した。1988年までは最も重要な産業であったが、観光や衣料の輸出などの他の産業に押され気味である。しかし、労働力の四分の一を雇用している[16]2000年の映画『キャスト・アウェイ』の劇中で、主人公が漂着するクック諸島の南方600マイルに位置する無人島の場面があり、モンドリキ島がその撮影地となった。

交通

国際線の主要玄関となるナンディ国際空港は国営フィジー・エアウェイズが本拠としており、国内線が主であるナウソリ国際空港のほか各島に13の空港がある。島の間はフェリーが通う。大きな島ではタクシーのほかバスが利用されている。砂糖産業の盛んなビティレブ島西部とバヌアレブ島にはサトウキビ輸送専用の鉄道が約600㎞敷設されており、収穫期には貨物列車がサトウキビを製糖工場へと輸送している[17]。自動車の通行区分は、日本イギリスと同じ左側通行

観光

ヤシが生い茂るフィジーのビーチ

2010年度の調査では、フィジーを訪れた観光客は631,868人で2009年より16.5% 増加した。オーストラリア人観光客が50.4%を占めて一番多く、前年より28%増加して31万8135人。2位はニュージーランド 97857人、3位はアメリカ 53122人、4位は南太平洋諸国 39198人、5位はヨーロッパ諸国 30088人。日本人の入国者は1%に満たない程度だが、2004年より英語学習を目的とした留学生もいる。ナンディラウトカにキャンパスを置くFree Bird Institute(フリーバードインスティテュート)などで、年間1500名以上の留学生英語留学している。

情報・通信

フィジーの主要放送局はフィジーワンと、Mai TVがあり、そのほか有料のスカイTVもある。インターネットはConnect, Kida net, Vodafone など各社がある。 フィジーにもキャンパスを設置する南太平洋大学プロバイダを行っている。 新聞は売店などで80セントから90セントで手に入る。新聞は英語のフィジータイムス、フィジーサンのほか、フィジー語やヒンドゥー語の新聞が発行されている。

国民

フィジー系の女性(1935年)

2007年時の住民は、フィジー系が56.8%、インド系移民が37.5%[18]、ロツマ人1.2%、ヨーロッパ人や他の太平洋の島民、華人などが4.5%である[19]

宗教は、キリスト教が64.7%、ヒンドゥー教が27.9%、イスラム教が6.3%、その他0.6[19]%である。

言語は、英語フィジー語ヒンディー語フィジー・ヒンディー語)が公用語。

フィジー系とインド系

フィジーの住民は、先住民であるフィジー系と、イギリスが植民地時代に強制入植させた新しい住民であるインド系が多数を占める。リトル・インディアの相を呈する。19世紀の後半、西洋との接触でもたらされた伝染病が原因で、フィジー人絶滅の危機にさらされた。宗主国のあいだで奴隷制を終焉させ、先住民保護思想が広がっていたので、宗主国イギリスは人種絶滅を避けるためサトウキビ・プランテーションの契約労働者としてインド人導入政策をとった。こうしてインド人移民が始まったのである。1879年479人が移民した。[20]

フィジー系のみで構成される伝統的社会指導者評議会 (GCC) による大統領任命が行われるなど、歴史的には政治面でのフィジー系の優遇政策がとられてきたが、ビジネスに長けたインド系へのやっかみもある。1999年5月の総選挙でインド系首相が就任したが、2000年5月にフィジー系の政治的優位の強化を主張する武装勢力によるクーデターが発生した。ただし、現政権によってGCCは廃止された。

ライセニア・ガラセ政権がフィジー系・インド系の対立の改善を図るが、2000年のクーデターでフィジー系の攻撃標的にされた軍司令官が宥和政策の実施を行うための法律は、実は2000年クーデター参加者の特赦が目的であると、これを拒否、2006年12月ガラセ首相を強行解任。大統領が司令官の方針に同調。

近年はフィジー系とインド系の結婚が進み、混血も多い。 現政権はフィジー系とインド系の融合で、現政権のトップはフィジー人のバイニマラマであるが、国のナンバー2である司法長官はインド系の元弁護士カイユン(本名:アイヤズ・サイェド=カイユーム/Aiyaz Sayed-Khaiyum)である。カイユンは2011年3月にフィジー系女性と結婚した。

文化

同国の文化は多国籍文化である。主にインド・中国・ヨーロッパの文化、および太平洋に存在する同国の近隣国からの様々な文化の導入によって進化して来た。特にトンガロツマの言語に関連するものを含む面が顕著に現れている。

また、独特の共同体と国民のアイデンティティを生み出していることから、その文化は色濃いものとなっている。

建築

Nausori HighlandsNavalaにある小屋

各村には、集会などに用いられるブレ英語版と呼ぶ建物がある。

食文化

音楽

世界遺産

祝祭日

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日    
3月-4月 (イースター前の金曜日) 聖金曜日   移動祝日
3月-4月 (イースター前の土曜日) 聖土曜日   移動祝日
3月-4月 イースター   移動祝日
5月 青年の日   移動祝日
5月 ラトゥー・サー・ララ・スクナ・デー   移動祝日
6月 女王誕生祭   移動祝日
10月 フィジー・デー   移動祝日
11月 ディーワーリー   移動祝日
12月25日 クリスマス    
12月26日 ボクシング・デー    
ヒジュラ暦ラビー・アル=アウワル月12日 預言者生誕祭   移動祝日

スポーツ

ラグビーが国技と言われるほど盛んであり[21]、15人制では2007年のラグビーワールドカップではベスト8に入ったほか、7人制ではラグビーワールドカップセブンズで1997年と2005年の2回優勝。オリンピックでは7人制として初めて開催された2016年のリオデジャネイロオリンピックで優勝。全種目を通じフィジー初の五輪メダルを獲得した。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 過酷な輸送条件と労働環境のため問題視されるようになり1920年公式に停止となった。

出典

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [3]
  4. ^  『中国の援助、フィジーのクーデター以降急上昇』国際機関太平洋諸島センター http://www.pic.or.jp/news/080505.htm#2
  5. ^ PIF PRESS STATEMENT 2 May 2009
  6. ^ CNN」日本語版サイト 2009年9月2日付。http://www.cnn.co.jp/world/CNN200909020012.html
  7. ^ フィジー共和国(Republic of Fiji)基礎データ”. 日本国外務省. 2017年2月13日閲覧。
  8. ^ フィジー政府のサイト
  9. ^ フィジー共和国基礎データ
  10. ^ New Zealand expels Fiji diplomat”. CCTV (2009年11月4日). 2019年10月31日閲覧。
  11. ^ 政府開発援助(ODA)国別データブック 2008 フィジー” (PDF). 外務省. p. 1 (2009年). 2019年10月31日閲覧。
  12. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
  13. ^ NHKbs1「きょうの世界」 2009年6月2日放送回より。
  14. ^ a b 中斐签署斐济总统府围墙项目实施合同」(中国外交部公式サイト、2012年1月7日、2012年5月26日閲覧)
  15. ^ 中国援斐济总统府和植物园围墙项目竣工交接」(中国商務部公式サイト、2011年4月6日、2012年5月26日閲覧)
  16. ^ 丹羽典生「サトウキビ産業盛衰史」/吉岡政徳・石森昭男編著『南太平洋を知るための58章 メラネシア ポリネシア』明石書店 2010年 99ページ
  17. ^ 「世界の鉄道」p131 一般社団法人海外鉄道技術協力協会著 ダイヤモンド・ビッグ社 2015年10月2日初版発行
  18. ^ 1987年のクーデター以降海外へ流出激増、2007年の統計では、フィジー総人口に占める割合は36%まで下がっている。将来3分の1まで下がることが確実視されている。(丹波典生「リトル・インディアの行方」/吉岡政徳・石森昭男編著『南太平洋を知るための58章 メラネシア ポリネシア』明石書店 2010年 98ページ)
  19. ^ a b https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/fj.html
  20. ^ 丹波典生「リトル・インディアの行方」/吉岡政徳・石森昭男編著『南太平洋を知るための58章 メラネシア ポリネシア』明石書店 2010年 95-96ページ
  21. ^ フィジーについての話題集 外務省 2000年6月

外部リンク

政府
日本政府
観光
その他