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12月12日に[[ベースボール・チャレンジ・リーグ|BCリーグ]]・[[信濃グランセローズ]]の監督に就任することが発表された<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/12/12/kiji/K20141212009447900.html BCリーグ信濃新監督に前DeNA2軍コーチ岡本氏] [[スポーツニッポン]],2014年12月12日閲覧。</ref>。しかし、監督1年目の{{by|2015年}}[[8月18日]]、成績不振の責任をとり、信濃の監督を辞任した<ref>[http://www.grandserows.co.jp/news/%e5%b2%a1%e6%9c%ac%e7%9b%a3%e7%9d%a3%e8%be%9e%e4%bb%bb%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b 岡本監督辞任のお知らせ] [[信濃グランセローズ]],2015年8月18日閲覧。</ref>。監督代行は総合コーチ兼任選手の[[髙橋信二]]。 |
12月12日に[[ベースボール・チャレンジ・リーグ|BCリーグ]]・[[信濃グランセローズ]]の監督に就任することが発表された<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/12/12/kiji/K20141212009447900.html BCリーグ信濃新監督に前DeNA2軍コーチ岡本氏] [[スポーツニッポン]],2014年12月12日閲覧。</ref>。しかし、監督1年目の{{by|2015年}}[[8月18日]]、成績不振の責任をとり、信濃の監督を辞任した<ref>[http://www.grandserows.co.jp/news/%e5%b2%a1%e6%9c%ac%e7%9b%a3%e7%9d%a3%e8%be%9e%e4%bb%bb%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b 岡本監督辞任のお知らせ] [[信濃グランセローズ]],2015年8月18日閲覧。</ref>。監督代行は総合コーチ兼任選手の[[髙橋信二]]。 |
2021年8月23日 (月) 05:53時点における版
Honda鈴鹿硬式野球部 コーチ #75 | |
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2013年8月10日 横須賀スタジアムにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市東淀川区 |
生年月日 | 1973年6月9日(51歳) |
身長 体重 |
176 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト5位 |
初出場 | 1997年4月5日 |
最終出場 | 2005年5月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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岡本 克道(おかもと かつのり、1973年6月9日 - )は、大阪府大阪市東淀川区出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。
2005年から2006年までの登録名は岡本 劼能(読み同じ)。
来歴・人物
柳ヶ浦高校時代に第62回選抜高等学校野球大会、第73回全国高等学校野球選手権大会に出場。卒業後は社会人野球の東芝に入団し1992年の第19回社会人野球日本選手権大会と1993年の第64回都市対抗野球大会[1]で優勝。1996年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスに5位指名され入団。
ストレートを武器に新人の年からリリーフとして活躍し、1997年には19セーブ(同時に新人最多となる22セーブポイントを記録)、1998年には21セーブを記録、シーズン途中まで好調なチームを支えたが故障でシーズン後半は離脱してしまった。チームが優勝した1999年と2000年は疲労性右肩故障により活躍できなかったが、2001年からは再びリリーフとして復活した。
2003年は中継ぎエースとしてチーム最多の54試合に登板。2勝3敗、被本塁打8本、防御率4点台(2002年は1点台)ながらも、初めてチームの優勝に貢献。日本シリーズでも阪神打線を無失点に抑える好投で、日本一にも貢献した。2004年以降は登板数が減り、2006年は一軍登板は無く、同年オフに自由契約[2]となり現役を引退した。
2008年から四国・九州アイランドリーグの長崎セインツのコーチに就任したが、チームの成績が低迷したことから同年前期終了後に6月末をもって解任された。2009年は四国・九州アイランドリーグの香川オリーブガイナーズの投手コーチを務めた。
2010年からは、ホークス時代に投手コーチだった尾花高夫が監督を務める横浜ベイスターズの一軍投手コーチ(ブルペン担当)を務め、2011年からは二軍投手コーチ、2014年からは二軍投手兼育成担当コーチを務め、同年10月3日に2015年度シーズンにおいて契約を結ばないことが発表された[3]。
12月12日にBCリーグ・信濃グランセローズの監督に就任することが発表された[4]。しかし、監督1年目の2015年8月18日、成績不振の責任をとり、信濃の監督を辞任した[5]。監督代行は総合コーチ兼任選手の髙橋信二。
翌年からは社会人野球に活動の場を移し、2016年からはカナフレックス硬式野球部で、2019年からはHonda鈴鹿硬式野球部でコーチを務める。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | ダイエー ソフトバンク |
52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 19 | -- | .333 | 228 | 53.2 | 52 | 3 | 15 | 4 | 1 | 60 | 4 | 1 | 20 | 19 | 3.19 | 1.25 |
1998 | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 21 | -- | .333 | 162 | 39.0 | 34 | 4 | 13 | 1 | 0 | 36 | 1 | 0 | 11 | 11 | 2.54 | 1.21 | |
1999 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 10 | 2.0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4.50 | 1.50 | |
2000 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 34 | 7.2 | 5 | 0 | 7 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 2.35 | 1.57 | |
2001 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 1 | -- | .556 | 267 | 63.2 | 57 | 6 | 26 | 5 | 0 | 52 | 2 | 0 | 22 | 20 | 2.83 | 1.30 | |
2002 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 8 | -- | .833 | 213 | 53.2 | 40 | 5 | 10 | 5 | 1 | 65 | 1 | 0 | 10 | 9 | 1.51 | 0.93 | |
2003 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 2 | -- | .400 | 217 | 53.1 | 50 | 8 | 13 | 2 | 1 | 59 | 0 | 0 | 27 | 24 | 4.05 | 1.18 | |
2004 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 31 | 7.2 | 7 | 1 | 3 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 4 | 4 | 4.70 | 1.30 | |
2005 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1.000 | 63 | 15.0 | 15 | 2 | 2 | 0 | 0 | 16 | 0 | 0 | 9 | 8 | 4.80 | 1.13 | |
通算:9年 | 291 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 16 | 51 | 5 | .515 | 1225 | 295.2 | 261 | 30 | 91 | 17 | 3 | 298 | 8 | 1 | 107 | 98 | 2.98 | 1.19 |
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
記録
- 初登板:1997年4月5日、対西武ライオンズ1回戦(西武ライオンズ球場)、8回裏2死に3番手として救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に大塚光二から
- 初セーブ:1997年5月11日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(北九州市民球場)、9回表に4番手として救援登板・完了、1回1失点
- 初勝利:1997年6月17日、対日本ハムファイターズ13回戦(東京ドーム)、8回裏1死に2番手として救援登板、3回2/3を無失点
- 初ホールド:2005年3月26日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表2死に2番手として救援登板、2/3回無失点
背番号
- 45 (1997年 - 2006年、2009年)
- 88 (2008年)
- 81 (2010年 - 2015年)
登録名
- 岡本 克道 (おかもと かつのり、1997年 - 2004年、2008年 - 2015年)
- 岡本 劼能 (おかもと かつのり、2005年 - 2006年)
脚注
- ^ 日本石油の補強選手
- ^ 2006年度 自由契約選手
- ^ 2015年度 コーチ契約について 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2014年10月3日配信)2014年10月3日閲覧。
- ^ BCリーグ信濃新監督に前DeNA2軍コーチ岡本氏 スポーツニッポン,2014年12月12日閲覧。
- ^ 岡本監督辞任のお知らせ 信濃グランセローズ,2015年8月18日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 岡本劼能 - NPB.jp 日本野球機構