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*初打点:1979年10月21日、対[[読売ジャイアンツ]]26回戦([[後楽園球場]])、9回表に[[赤嶺賢勇]]から適時打 |
*初打点:1979年10月21日、対[[読売ジャイアンツ]]26回戦([[後楽園球場]])、9回表に[[赤嶺賢勇]]から適時打 |
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*初先発出場:1979年10月24日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]25回戦([[草薙球場]])、6番・捕手で先発出場 |
*初先発出場:1979年10月24日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]25回戦([[草薙球場]])、6番・捕手で先発出場 |
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*初盗塁:1980年6月17日、対ヤクルトスワローズ9回戦([[横浜スタジアム]])、9回裏に二盗(投手:[[ |
*初盗塁:1980年6月17日、対ヤクルトスワローズ9回戦([[横浜スタジアム]])、9回裏に二盗(投手:[[尾花高夫]]、捕手:[[大矢明彦]]) |
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=== 背番号 === |
=== 背番号 === |
2021年8月23日 (月) 05:57時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県秋田市 |
生年月日 | 1951年9月18日(73歳) |
身長 体重 |
181 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1974年 ドラフト6位 |
初出場 | 1977年6月26日 |
最終出場 | 1980年9月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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三浦 正行(みうら まさゆき、1951年9月18日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
来歴・人物
秋田市立高卒業後は1970年に電電北海道へ入社し、先輩・村井英司のプロ入り後は正捕手を務めた。1974年のドラフト6位で大洋ホエールズから指名を受けるが、1975年の都市対抗に4番・捕手で出場。1年遅れの同年11月に入団し、1981年に現役を引退。
引退後は大洋→横浜で二軍コーチ補佐兼寮長(1982年 - 1983年)、二軍コーチ補佐(1984年)、一軍バッテリー兼トレーニングコーチ(1985年)、一軍トレーニングコーチ(1986年)、二軍バッテリーコーチ(1987年 - 1989年, 2004年 - 2009年)、二軍バッテリーコーチ補佐(2001年 - 2003年)を務めた。横浜コーチ時代は親身な指導で多くの選手を助け、三浦大輔のボールをプロ入り当時から受けたほか、調子が悪くて二軍落ちした時も優しい言葉で心のケアをした[1]。他チームのキャンプなどを視察し、練習方法の違いも学んだ[2]。2008年12月には野球タイ王国代表候補の指導にあたり、2009年7月にはKBOリーグ・SKワイバーンズの臨時捕手インストラクターも務めた。2010年からはフロントへ異動し、同年は横浜と提携している中国野球リーグ・天津ライオンズ二軍監督として派遣されることが発表された。退団後は60歳を機に帰郷し、2013年に学生野球資格回復制度の1期生として指導者資格を取得。母校・秋田中央高のコーチを2年間務めた後、内川聖一や上林誠知の自主トレーニングでも打撃を指導[3]。2017年9月より延岡学園高校監督に就任[4] したが、2018年8月に持病の膝の手術を行い療養に専念するため監督を退任。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1977 | 大洋 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1979 | 35 | 32 | 28 | 3 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 10 | 1 | .214 | .313 | .286 | .598 | |
1980 | 19 | 5 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:3年 | 55 | 38 | 34 | 4 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 13 | 2 | .176 | .263 | .235 | .498 |
年度別守備成績
年度 | 試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 |
---|---|---|---|---|---|
1979 | 23 | 7 | 7 | 0 | .000 |
1980 | 13 | 4 | 4 | 0 | .000 |
通算 | 36 | 11 | 11 | 0 | .000 |
記録
- 初出場:1977年6月26日、対阪神タイガース12回戦(宮城球場)、8回裏に田村政雄の代打で出場
- 初打席:同上、8回裏に上田次郎の前に三振
- 初安打:1979年5月2日、対広島東洋カープ5回戦(広島市民球場)、8回表に北別府学から単打
- 初打点:1979年10月21日、対読売ジャイアンツ26回戦(後楽園球場)、9回表に赤嶺賢勇から適時打
- 初先発出場:1979年10月24日、対ヤクルトスワローズ25回戦(草薙球場)、6番・捕手で先発出場
- 初盗塁:1980年6月17日、対ヤクルトスワローズ9回戦(横浜スタジアム)、9回裏に二盗(投手:尾花高夫、捕手:大矢明彦)
背番号
- 39 (1976年 - 1981年)
- 84 (1982年 - 1989年)
- 83 (2001年 - 2009年)
脚注
- ^ 日刊スポーツ 延岡学園、短所より長所を伸ばす「三浦番長カラー」 - 野球の国から
- ^ 毎日新聞 春の舞台へ:監督と注目選手/2 延岡学園・三浦正行監督 「自分で考え、楽しむ」指導 /宮崎
- ^ 延岡学園4点リード守りきれず三浦監督「完敗」 強打収穫、守り課題 西日本スポーツ
- ^ “九州高校野球県予選で優勝した延岡学園高監督 三浦正行(みうら・まさゆき)さん”. 宮崎日日新聞. 2017年10月22日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 三浦正行 - NPB.jp 日本野球機構