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村井英司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村井 英司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道札幌市
生年月日 (1950-01-09) 1950年1月9日(74歳)
身長
体重
173 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手外野手
プロ入り 1973年 ドラフト4位
初出場 1974年4月10日
最終出場 1983年9月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 日本ハムファイターズ (1984 - 1994)

村井 英司(むらい ひでし、1950年1月9日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手捕手外野手)・コーチ

経歴

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札幌市立南小学校→札幌市立柏中学校を経て[2]1965年に進学した北海高校では主将兼外野手を務める。3年次の1967年には夏の甲子園南北海道予選決勝で苫小牧東高を降して甲子園に進むが、村井は予選で骨折したため本大会出場はならなかった。同年のドラフト南海ホークスから15位指名を受けるも拒否し、卒業後の1968年には電電北海道へ入社。捕手として1971年から1973年まで3年連続で都市対抗に出場。ヤクルト若松勉は2歳年上で、北海高校、電電北海道で一緒にプレーした[3]

1973年のドラフト4位で日本ハムファイターズに入団[3]。1年目の1974年7月より正捕手の加藤俊夫の不振、ベテランの岡村浩二腰痛による二軍落ちによって出場機会を得て、一軍の正捕手に定着した[3]。2年目の1975年は加藤や高橋博士の控え捕手に回るが、3年目の1976年からは外野手・指名打者も兼ね、長く活躍した。特に左キラーとして鳴らし、1977年8月16日の南海戦(大阪)では永淵洋三の代打で江夏豊から逆転満塁本塁打を放った[2]1978年には開幕戦から右翼手として起用され25試合に先発出場、自己最高の9本塁打を放つ。1981年には主に左翼手、6番打者として43試合に先発、打率.305の好成績を残す。同年の巨人との日本シリーズでは代打として4打数2安打を記録するが、1983年には出場機会が減少し、同年限りで現役を引退。

引退後も日本ハムに残留し、二軍バッテリーコーチ補佐(1984年)→二軍打撃兼守備コーチ(1985年)→二軍打撃・外野守備コーチ(1986年)、一軍外野守備コーチ(1987年 - 1990年, 1993年 - 1994年)、一軍外野守備コーチ兼打撃コーチ補佐(1991年)→二軍打撃コーチ(1992年)を歴任。二軍コーチ時代は1年目の田中幸雄をマンツーマンで指導し、フォームではなく、体力を付けるためにとにかくバットを振るように命じた[4]。1994年に退団し、郷里の北海道に戻り、NTTドコモエンジニア北海道に勤務する傍らで少年野球を指導[5]1996年7月29日には苫小牧市営緑ヶ丘野球場で「社会人・プロ野球交歓試合」として横浜二軍巨人二軍が北海道選抜と対戦した際、その前日の同28日稲川誠谷木恭平と共に道の選手を指導した。この試合は苫小牧市の協力とイースタン・リーグで来道した横浜二軍と巨人二軍の好意で実現したもので、社会人とプロの試合は、道にとっては1942年以来54年ぶり、全国でも1946年以来50年ぶりであり、日本野球連盟としては設立以来初のことであった。成績は北海道選抜が、横浜二軍と巨人二軍を相手に連勝した[6]。現在は手稲区バッティングセンター「西宮の沢バッティングパーク ピッチャーガエシ」でマンツーマン打撃指導、守備特訓講座も行っている[2][7]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1974 日本ハム 69 197 174 18 37 5 1 5 59 21 3 1 7 0 14 3 2 37 8 .213 .279 .339 .618
1975 50 91 86 7 18 0 0 4 30 10 1 1 1 0 4 0 0 11 1 .209 .244 .349 .593
1976 35 53 46 6 12 3 1 1 20 8 0 1 1 2 4 0 0 4 1 .261 .308 .435 .742
1977 40 62 54 5 10 1 0 4 23 14 0 0 2 1 5 0 0 11 0 .185 .250 .426 .676
1978 61 124 103 17 27 1 0 9 55 27 0 3 3 1 15 0 2 25 4 .262 .364 .534 .898
1979 51 98 89 3 20 3 1 1 28 6 1 0 1 0 7 0 1 17 1 .225 .289 .315 .603
1980 38 89 74 11 19 4 1 2 31 8 1 1 1 1 11 0 2 7 4 .257 .364 .419 .783
1981 74 162 141 9 43 7 0 2 56 10 2 2 2 0 15 0 4 21 6 .305 .388 .397 .785
1982 63 122 103 7 24 4 0 1 31 8 1 0 2 0 16 0 1 13 4 .233 .342 .301 .643
1983 19 30 27 2 5 1 0 0 6 0 0 0 0 0 3 0 0 2 0 .185 .267 .222 .489
通算:10年 500 1028 897 85 215 29 4 29 339 112 9 9 20 5 94 3 12 148 29 .240 .318 .378 .696

年度別守備成績

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年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1974 62 77 63 14 .182
1975 36 44 34 10 .227
1976 19 8 7 1 .125
1977 1 0 0 0 -
1978 2 1 1 0 .000
1979 2 0 0 0 -
1980 1 1 1 0 .000
1982 1 0 0 0 -
通算 124 131 106 25 .191

記録

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初記録

背番号

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  • 33(1974年 - 1983年)
  • 76(1984年 - 1994年)

関連情報

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出演番組

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脚注

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関連項目

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