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2021年9月6日 (月) 10:04時点における版
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
日向国および西海道の郡では最大の面積を持ち、南で児湯郡と接し、北で豊後国、西で肥後国と国境を成した。 和名類聚抄によると、郡は四つの郷から構成されており、氷上郷、英多郷、智保郷、刈田郷が記載されている。 建久8年の図田帳(島津家文書)に依ると、塩見・三十五町、富高・三十町、県庄・百三十町、富田・八十丁、岡富庄・五十町、多奴田・十町、田嶋庄・九十町、高智尾社・八町、新名・五十町、浮目・七十町、伊富形(いがた)・十五町、大貫・十二町、三宅郷・二十町、三納(みのう)郷・四十町、間世田・八町、右松保廿・五町。他? 合計六百七十三町。とある。同資料における日向の総町数は八千百六十であるので全体の8%程度である。
近世以降の沿革
- 所属町村の変遷は東臼杵郡#郡発足までの沿革、西臼杵郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(3町75村)
- 慶応4年
- 明治4年
- 明治6年(1873年)1月15日 - 全域が宮崎県(第1次)の管轄となる。
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての臼杵郡が発足。郡役所が延岡に設置。
- 明治16年(1883年)5月9日 - 宮崎県(第2次)の管轄となる。
- 明治17年(1884年)1月26日 - 延岡ほか3町53村の区域をもって東臼杵郡が、三田井村ほか22村の区域をもって西臼杵郡がそれぞれ発足。同日臼杵郡廃止。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 45 宮崎県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代 ----- |
行政区の変遷 - 1884年 |
次代 東臼杵郡・西臼杵郡 |