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「1956年メルボルンオリンピック」の版間の差分

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== ハイライト ==
== ハイライト ==
* 夏季オリンピック史上初めて[[南半球]]で行われた。また、メルボルンの緯度が高いこともあって結果的に北半球が冬になってからの開催となった(このため、夏季オリンピックでは開会・閉会ともに一番遅い時期に行われた大会である)。なお、44年後の[[2000年]]に開催された[[2000年シドニーオリンピック]]は[[9月15日]]から[[10月1日]]、[[2016年リオデジャネイロオリンピック]]は[[8月5日]]から[[8月21日|21日]]に開催され、[[2032年夏季オリンピック|2032年ブリスベンオリンピック]]は[[7月23日]]から[[8月8日]]に開催される予定である([[シドニー]]、[[ブラジル]]の[[リオデジャネイロ]]、[[ブリスベン]]はいずれもメルボルンより緯度が低い)。
* 夏季オリンピック史上初めて[[南半球]]で行われた。また、メルボルンの緯度が高いこともあって結果的に北半球が冬になってからの開催となった(このため、夏季オリンピックでは開会・閉会ともに一番遅い時期に行われた大会である)。なお、44年後の[[2000年]]に開催された[[2000年シドニーオリンピック]]は[[9月15日]]から[[10月1日]]、[[2016年リオデジャネイロオリンピック]]は[[8月5日]]から[[8月21日|21日]]に開催され、[[2032年ブリスベンオリンピック]]は[[7月23日]]から[[8月8日]]に開催される予定である([[シドニー]]、[[ブラジル]]の[[リオデジャネイロ]]、[[ブリスベン]]はいずれもメルボルンより緯度が低い)。
* 3つの国際情勢により[[ボイコット]]をする国々が相次いだ。ひとつは、[[イギリス]]と[[フランス]]が関与した[[スエズ動乱]]に抗議し[[エジプト]]、[[レバノン]]、[[イラク]]が不参加、2つ目は[[ソビエト連邦|ソ連]]による[[ハンガリー動乱|ハンガリー侵攻]]に抗議し[[スペイン]]、[[オランダ]]、[[スイス]]が不参加となった。[[水球]]の[[ハンガリー]]対ソ連戦は[[乱闘]]騒ぎにまで発展していった([[メルボルンの流血戦]])。大会終了後、[[フェレンツ・プスカシュ]]ら45人のハンガリー選手が西側諸国に亡命した。3つ目は[[中華民国]]の参加に抗議し、[[中華人民共和国|中国]]がボイコットした<ref>[http://www.olympic.org/en/content/Olympic-Games/All-Past-Olympic-Games/Summer/Melbourne--Stockholm-1956/ 1956 Games (see All Facts section) olympic.org]</ref>。エジプト、スペイン、オランダ、スイスは後述する馬術競技に参加、一方中国のオリンピック参加は[[1984年ロサンゼルスオリンピック]]まで実現しなかった。
* 3つの国際情勢により[[ボイコット]]をする国々が相次いだ。ひとつは、[[イギリス]]と[[フランス]]が関与した[[スエズ動乱]]に抗議し[[エジプト]]、[[レバノン]]、[[イラク]]が不参加、2つ目は[[ソビエト連邦|ソ連]]による[[ハンガリー動乱|ハンガリー侵攻]]に抗議し[[スペイン]]、[[オランダ]]、[[スイス]]が不参加となった。[[水球]]の[[ハンガリー]]対ソ連戦は[[乱闘]]騒ぎにまで発展していった([[メルボルンの流血戦]])。大会終了後、[[フェレンツ・プスカシュ]]ら45人のハンガリー選手が西側諸国に亡命した。3つ目は[[中華民国]]の参加に抗議し、[[中華人民共和国|中国]]がボイコットした<ref>[http://www.olympic.org/en/content/Olympic-Games/All-Past-Olympic-Games/Summer/Melbourne--Stockholm-1956/ 1956 Games (see All Facts section) olympic.org]</ref>。エジプト、スペイン、オランダ、スイスは後述する馬術競技に参加、一方中国のオリンピック参加は[[1984年ロサンゼルスオリンピック]]まで実現しなかった。
* ドイツが前々回の[[1948年ロンドンオリンピック]]に参加が禁じられて以降、[[1952年ヘルシンキオリンピック]]では[[西ドイツ]]選手のみの参加に終わったが、この大会から[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]との連合チーム([[オリンピックの東西統一ドイツ選手団|東西統一ドイツ]])での参加、その後[[1964年東京オリンピック|1964年]]まで続いた。
* ドイツが前々回の[[1948年ロンドンオリンピック]]に参加が禁じられて以降、[[1952年ヘルシンキオリンピック]]では[[西ドイツ]]選手のみの参加に終わったが、この大会から[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]との連合チーム([[オリンピックの東西統一ドイツ選手団|東西統一ドイツ]])での参加、その後[[1964年東京オリンピック|1964年]]まで続いた。

2021年9月8日 (水) 21:28時点における版

1956年メルボルンオリンピック
第16回オリンピック競技大会
Jeux de la XVIe Olympiade
Games of the XVI Olympiad
開催都市 オーストラリアの旗 オーストラリア メルボルン
参加国・地域数 67
参加人数 3,178人
競技種目数 17競技145種目
開会式 1956年11月22日
閉会式 1956年12月8日
開会宣言 エディンバラ公フィリップ王配
選手宣誓 ジョン・ランディ
最終聖火ランナー ロン・クラーク
主競技場 メルボルン・クリケットグラウンド
夏季
冬季
オリンピックの旗 Portal:オリンピック
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1956年メルボルンオリンピック(1956ねんメルボルンオリンピック)は、1956年(昭和31年)11月22日から12月8日までオーストラリアメルボルンで行われたオリンピック競技大会

ハイライト

実施競技

参加国・地域

計67。

今大会が初参加は青 参加選手数の色分け
今大会が初参加は青
参加選手数の色分け
Participating National Olympic Committees

なお、以下の5か国は、馬術競技スウェーデンの旗ストックホルムで開催)にのみ参加した。

各国の獲得メダル

国・地域
1 ソビエト連邦 ソビエト連邦 (URS) 37 29 32 98
2 アメリカ合衆国 アメリカ合衆国 (USA) 32 25 17 74
3 オーストラリア オーストラリア (AUS)(開催国) 13 8 14 35
4 ハンガリー ハンガリー (HUN) 9 10 7 26
5 イタリア イタリア (ITA) 8 8 9 25
6 スウェーデン スウェーデン (SWE) 8 5 6 19
7 東西統一ドイツ 東西統一ドイツ (EUA) 6 13 7 26
8 イギリス イギリス (GBR) 6 7 11 24
9 ルーマニア ルーマニア (ROU) 5 3 5 13
10 日本 日本 (JPN) 4 10 5 19

主なメダリスト

脚注

関連楽曲

オリンピックの歌(作詞:塩崎敏彦、補作詞:高橋掬太郎、作曲:江口夜詩、歌:林伊佐緒井口小夜子
国民愛唱歌。1956年7月発売(キング)。
若い選手(作詞:池田誠一郎、補作詞:高橋掬太郎、作曲:江口夜詩、歌:津村謙若原一郎春日八郎
「オリンピックの歌」のレコードB面曲。
オリンピック子供の歌(作詞:本間ちづ子、補作詞:高橋掬太郎、作曲:山本雅之

関連項目

外部リンク