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1981年秋より、天皇賞は春・秋ともに優勝馬であっても再出場が可能となり、さらに同年には八大競走と同格のジャパンカップも開設されたため、牡馬が勝ち得るレースはクラシック三冠、春・秋の天皇賞、ジャパンカップおよび有馬記念の7レースとなったが、このすべてを制した競走馬はいない。最も近づいたのは、いずれも天皇賞・秋を除く6レースで1着となった[[シンボリルドルフ]]と[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]の2頭だが、前者は天皇賞・秋で2着に敗れ、後者は天皇賞・秋にはレースそのものに出走していなかった<ref group="注">3歳時には菊花賞に、4歳時は凱旋門賞に出走したため、日程上天皇賞・秋への出走が困難であったことが主因。</ref>ため、完全制覇を逃している。なお、前者は[[1985年]]の春の天皇賞を制した時点でシンザンと同様に五冠であったが、後にジャパンカップと2度目の有馬記念を制したことから「七冠馬」と称されて、後者もシンザンと同様の五冠であるが、こちらは4歳時に宝塚記念とジャパンカップを制していたことから、こちらも「七冠馬」とアピールされた。なお、シンザンも宝塚記念を制してはいるが、当時同競走は大レース扱いではなかった。
1981年秋より、天皇賞は春・秋ともに優勝馬であっても再出場が可能となり、さらに同年には八大競走と同格のジャパンカップも開設されたため、牡馬が勝ち得るレースはクラシック三冠、春・秋の天皇賞、ジャパンカップおよび有馬記念の7レースとなったが、このすべてを制した競走馬はいない。最も近づいたのは、いずれも天皇賞・秋を除く6レースで1着となった[[シンボリルドルフ]]と[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]の2頭だが、前者は天皇賞・秋で2着に敗れ、後者は天皇賞・秋にはレースそのものに出走していなかった<ref group="注">3歳時には菊花賞に、4歳時は凱旋門賞に出走したため、日程上天皇賞・秋への出走が困難であったことが主因。</ref>ため、完全制覇を逃している。なお、前者は[[1985年]]の春の天皇賞を制した時点でシンザンと同様に五冠であったが、後にジャパンカップと2度目の有馬記念を制したことから「七冠馬」と称されて、後者もシンザンと同様の五冠であるが、こちらは4歳時に宝塚記念とジャパンカップを制していたことから、こちらも「七冠馬」とアピールされた。なお、シンザンも宝塚記念を制してはいるが、当時同競走は大レース扱いではなかった。


牝馬は、ジャパンカップを含めると[[アーモンドアイ]]<ref group="注">2018年桜花賞、2018年優駿牝馬、2018年ジャパンカップ、2019年天皇賞・秋、2020年天皇賞・秋、2020年ジャパンカップ</ref>が6勝で最多。以下5勝で[[ジェンティルドンナ]]<ref group="注">2012年桜花賞、2012年優駿牝馬、2012年ジャパンカップ、2013年ジャパンカップ、2014年有馬記念</ref>、4勝で[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]<ref group="注">2009年桜花賞、2009年優駿牝馬、2010年天皇賞・秋、2011年ジャパンカップ</ref>、3勝で[[クリフジ]]<ref group="注">1943年東京優駿、1943年阪神優駿牝馬、1943年京都農林省賞典四歳呼馬(現在の菊花賞)</ref>と[[ウオッカ]]<ref group="注">2007年東京優駿、2008年天皇賞・秋、2009年ジャパンカップ</ref>の2頭が続いている。なお、クリフジが活躍した時代は有馬記念とジャパンカップの創設前であり、3勝のうち2勝は牡牝混合競走である。また、ジェンティルドンナとアーモンドアイの2頭は、八大競走には含まれないが[[秋華賞]]も制し牝馬三冠を達成した。続く2勝を記録した牝馬は多数いるが、2勝とも牝馬限定以外の八大競走だったのは、[[ヒサトモ]]<ref group="注">1937年東京優駿、1938年帝室御賞典(現在の天皇賞・秋)</ref>、[[ガーネツト]]<ref group="注">1959年天皇賞・秋、1959年有馬記念</ref>、[[トウメイ]]<ref group="注">1971年天皇賞・秋、1971年有馬記念</ref>の3頭である。なお、3頭の現役期間についてもジャパンカップ(ヒサトモは有馬記念も)の創設前であった。
牝馬は、ジャパンカップを含めると[[アーモンドアイ]]<ref group="注">2018年桜花賞、2018年優駿牝馬、2018年ジャパンカップ、2019年天皇賞・秋、2020年天皇賞・秋、2020年ジャパンカップ</ref>が6勝で最多。以下5勝で[[ジェンティルドンナ]]<ref group="注">2012年桜花賞、2012年優駿牝馬、2012年ジャパンカップ、2013年ジャパンカップ、2014年有馬記念</ref>、4勝で[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]<ref group="注">2009年桜花賞、2009年優駿牝馬、2010年天皇賞・秋、2011年ジャパンカップ</ref>、3勝で[[クリフジ]]<ref group="注">1943年東京優駿、1943年阪神優駿牝馬、1943年京都農林省賞典四歳呼馬(現在の菊花賞)</ref>と[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]<ref group="注">2007年東京優駿、2008年天皇賞・秋、2009年ジャパンカップ</ref>の2頭が続いている。なお、クリフジが活躍した時代は有馬記念とジャパンカップの創設前であり、3勝のうち2勝は牡牝混合競走である。また、ジェンティルドンナとアーモンドアイの2頭は、八大競走には含まれないが[[秋華賞]]も制し牝馬三冠を達成した。続く2勝を記録した牝馬は多数いるが、2勝とも牝馬限定以外の八大競走だったのは、[[ヒサトモ]]<ref group="注">1937年東京優駿、1938年帝室御賞典(現在の天皇賞・秋)</ref>、[[ガーネツト]]<ref group="注">1959年天皇賞・秋、1959年有馬記念</ref>、[[トウメイ]]<ref group="注">1971年天皇賞・秋、1971年有馬記念</ref>の3頭である。なお、3頭の現役期間についてもジャパンカップ(ヒサトモは有馬記念も)の創設前であった。


=== 種牡馬 ===
=== 種牡馬 ===

2021年11月10日 (水) 00:19時点における版

八大競走(はちだいきょうそう)とは、日本中央競馬における3歳(4歳)馬のクラシックの5競走桜花賞皐月賞優駿牝馬(オークス)東京優駿(日本ダービー)菊花賞五大競走あるいは五大クラシックという)に古馬天皇賞(春・秋)有馬記念の3競走を加えた8つの競走であり、1984年グレード制が導入されるまで、重賞の中で特に格の高い競走とされていた。

本項では八大競走のほか、それと関連するレースならびに八大競走と同格に扱われていた競走であるジャパンカップ[1]についても一部記述する。

概要

八大競走のうち、有馬記念を除く7つの競走は、いずれも戦前に創設され、4歳(旧表記)馬の5競走はイギリスのクラシックを範とし、日本でも「4歳馬の最高峰」とされた。

天皇賞は1905年(明治38年)創設の「The Emperor's Cup」に起源を持つ最も歴史の長い競走で、長年にわたり「古馬の最高峰」とされていた。有馬記念は1956年に創設(第1回は中山グランプリ。第2回から有馬記念に変更)され、ファン投票で出走馬を決定する競走であるとともに、一年の総決算競走という位置付けで行われている。この有馬記念を加えて1956年より八大競走と称されることになった。1984年にグレード制が導入された際も、これらの競走はすべてグレードワン(Grade I,GI)に格付けされた。

グレード制導入以前はこれらのレースに加えて中山大障害宝塚記念、ジャパンカップなどが全国発売競走であった。

なお、宝塚記念とジャパンカップ、あるいは天皇賞(春・秋)をまとめて1競走として、宝塚記念、ジャパンカップと1976年創設のエリザベス女王杯を加えて「十大競走」とする意見があり、一部競馬関係誌などでも十大競走という表現もなされた。

しかし1984年のグレード制導入と同時に、安田記念のG1競走への位置づけと新たにマイルチャンピオンシップの創設、天皇賞・秋の距離短縮で、数字を入れての「○大競走」という表現は使われなくなった。この時から、これらの競走は「大レース」ではなく「G1レース」という言葉に入れ替わって一般化した。ただしこのうち、1981年に創設されたジャパンカップについては、日本中央競馬会(JRA)の公式では八大競走ではないが、国際競走であることと、同会の厩舎関係者表彰においては、最優秀騎手賞と最優秀調教師賞の資格を得るにあたり「1着をとらねばならない競走」のひとつに指定され、八大競走と同格の扱いを受けていた[1]。一方で宝塚記念とエリザベス女王杯は八大競走と同格扱いとはならなかった。

1990年代以降は、GI競走の増加とそれに伴う路線細分化や国際化、安田記念やエリザベス女王杯などの地位向上などの動きもあって、八大競走およびジャパンカップの地位は相対的に低下しているが、一部マスコミや関係者の間ではジャパンカップ以外の競走に対して現在でも「八大競走」という表現を使用しており、他のGIレースとは一線を画している[2]。なお、日本中央競馬会は2004年に創設した調教師顕彰者の選考基準において「旧八大競走」との表現を用いている[3]

2010年以降、GI競走における本馬場入場曲については岩代太郎作による楽曲(東日本は『Glory』、西日本は『Victory Road』)が使用されているが、八大競走においては2009年度まで使用されていた楽曲が引き続き使用されており、東日本は『グレード・エクウス・マーチ』(作:すぎやまこういち)、西日本は『ザ・チャンピオン』(作:鷺巣詩郎)となっている(但し、八大競走以外にも使用されるケースは例外的に存在する)。

完全制覇・記録

八大競走の歴代優勝記録は各競走(皐月賞東京優駿菊花賞桜花賞優駿牝馬、春秋の天皇賞有馬記念)の項を、ジャパンカップの記録はジャパンカップの記事をそれぞれ参照。

競走馬

八大競走のうち桜花賞、優駿牝馬は牝馬限定であり、また1981年春までは天皇賞は一度優勝すると出走できない、いわゆる勝ち抜け制であったため、八大競走のうち牡馬が勝ち得る最大のレース数はクラシック三冠競走といずれかの天皇賞、有馬記念の5レースだった。この5レースすべてを初めて制したのはシンザンで、初めて「五冠馬」という言葉が使われた。

1981年秋より、天皇賞は春・秋ともに優勝馬であっても再出場が可能となり、さらに同年には八大競走と同格のジャパンカップも開設されたため、牡馬が勝ち得るレースはクラシック三冠、春・秋の天皇賞、ジャパンカップおよび有馬記念の7レースとなったが、このすべてを制した競走馬はいない。最も近づいたのは、いずれも天皇賞・秋を除く6レースで1着となったシンボリルドルフディープインパクトの2頭だが、前者は天皇賞・秋で2着に敗れ、後者は天皇賞・秋にはレースそのものに出走していなかった[注 1]ため、完全制覇を逃している。なお、前者は1985年の春の天皇賞を制した時点でシンザンと同様に五冠であったが、後にジャパンカップと2度目の有馬記念を制したことから「七冠馬」と称されて、後者もシンザンと同様の五冠であるが、こちらは4歳時に宝塚記念とジャパンカップを制していたことから、こちらも「七冠馬」とアピールされた。なお、シンザンも宝塚記念を制してはいるが、当時同競走は大レース扱いではなかった。

牝馬は、ジャパンカップを含めるとアーモンドアイ[注 2]が6勝で最多。以下5勝でジェンティルドンナ[注 3]、4勝でブエナビスタ[注 4]、3勝でクリフジ[注 5]ウオッカ[注 6]の2頭が続いている。なお、クリフジが活躍した時代は有馬記念とジャパンカップの創設前であり、3勝のうち2勝は牡牝混合競走である。また、ジェンティルドンナとアーモンドアイの2頭は、八大競走には含まれないが秋華賞も制し牝馬三冠を達成した。続く2勝を記録した牝馬は多数いるが、2勝とも牝馬限定以外の八大競走だったのは、ヒサトモ[注 7]ガーネツト[注 8]トウメイ[注 9]の3頭である。なお、3頭の現役期間についてもジャパンカップ(ヒサトモは有馬記念も)の創設前であった。

種牡馬

ヒンドスタンパーソロンサンデーサイレンスディープインパクト[4]は産駒が八大競走を完全制覇しており、ジャパンカップ創設より10年以上前に没しているヒンドスタン以外は産駒がジャパンカップも制している。とりわけ、サンデーサイレンスの産駒は全てのレースにおいて3勝以上を挙げている[注 10]。上述の4頭はいずれも三冠馬(それぞれシンザンシンボリルドルフ、ディープインパクト、コントレイル)の父であり、サンデーサイレンスとディープインパクトは牝馬三冠馬(それぞれスティルインラブジェンティルドンナ)も輩出している。
なお、戦前に活躍した種牡馬のトウルヌソルの産駒は、戦後に創設された有馬記念とジャパンカップを除く7レースを制している。

騎手

保田隆芳武豊クリストフ・ルメール[4]が八大競走を(武とルメールはジャパンカップも)完全制覇している。武は全ての八大競走とジャパンカップを3勝以上勝利[注 11]している。現役騎手では横山典弘が桜花賞、ミルコ・デムーロが天皇賞・春、福永祐一有馬記念を勝利すればそれぞれ八大競走制覇となる。

ジャパンカップを除くと、あと1つ届かなかったのは、加賀武見(皐月賞勝利なし。ただし加賀は皐月賞には1961年から1979年まで19年連続で出走して「同一クラシック最多連続出場」を記録している)、柴田政人(優駿牝馬勝利なし)、河内洋(天皇賞・秋勝利なし)、岡部幸雄(桜花賞勝利なし)、安藤勝己(皐月賞勝利なし)、蛯名正義(東京優駿勝利なし)の6人。ただしジャパンカップは1981年創設のため、加賀の主な活躍時期はジャパンカップ創設前であった。

調教師

尾形藤吉武田文吾が八大競走を完全制覇している。

あと1つ届かなかったのは、田中和一郎(有馬記念勝利なし)、藤本冨良(天皇賞・秋勝利なし)、稲葉幸夫(皐月賞勝利なし)の3人。但し田中は第1回中山グランプリ(1956年12月)開催直後の翌1957年1月に逝去しており、主な活躍時期が有馬記念創設前(八大競走ではなく七大競走時代)という事情もあった。

馬主

サンデーレーシングが八大競走とジャパンカップを完全制覇している[5]。なお同一名義ではないが、サンデーレーシングが属する社台グループの創業者である吉田善哉は、吉田の個人名義での所有馬と社台グループ配下の法人馬主である社台レースホース名義の所有馬とで事実上八大競走を、金子真人は金子名義の所有馬と法人馬主である金子真人ホールディングスの所有馬とで事実上八大競走とジャパンカップを完全制覇している。

生産者

社台ファームノーザンファームが八大競走とジャパンカップを完全制覇している。

特記事項

旧八大競走とジャパンカップの枠順の決定日は、他のGI競走とは異なり、木曜日に決定することとなっている。また、桜花賞と優駿牝馬を除き、勝馬投票券の金曜日発売を実施している(他のGI競走は金曜日の概ね午前に決定。ただし宝塚記念とチャンピオンズカップに限り、旧八大競走とジャパンカップと同じく木曜日に決定する[6])。

脚注・出典

注釈

  1. ^ 3歳時には菊花賞に、4歳時は凱旋門賞に出走したため、日程上天皇賞・秋への出走が困難であったことが主因。
  2. ^ 2018年桜花賞、2018年優駿牝馬、2018年ジャパンカップ、2019年天皇賞・秋、2020年天皇賞・秋、2020年ジャパンカップ
  3. ^ 2012年桜花賞、2012年優駿牝馬、2012年ジャパンカップ、2013年ジャパンカップ、2014年有馬記念
  4. ^ 2009年桜花賞、2009年優駿牝馬、2010年天皇賞・秋、2011年ジャパンカップ
  5. ^ 1943年東京優駿、1943年阪神優駿牝馬、1943年京都農林省賞典四歳呼馬(現在の菊花賞)
  6. ^ 2007年東京優駿、2008年天皇賞・秋、2009年ジャパンカップ
  7. ^ 1937年東京優駿、1938年帝室御賞典(現在の天皇賞・秋)
  8. ^ 1959年天皇賞・秋、1959年有馬記念
  9. ^ 1971年天皇賞・秋、1971年有馬記念
  10. ^ 内訳は、皐月賞7勝、東京優駿6勝、菊花賞4勝、桜花賞3勝、優駿牝馬3勝、天皇賞・春4勝、天皇賞・秋5勝、ジャパンカップ3勝、有馬記念5勝。
  11. ^ 2019年10月20日時点、3勝:皐月賞・優駿牝馬・有馬記念、4勝:ジャパンカップ、5勝:桜花賞・東京優駿・菊花賞、6勝:天皇賞秋、8勝:天皇賞春。武豊の重賞勝利一覧も参照。

出典

  1. ^ a b 「サークルだより『障害100勝騎手を表彰』」『優駿』、日本中央競馬会、1982年2月、84頁。 
  2. ^ 競馬用語便利帳”. スポニチ競馬. 2013年11月20日閲覧。
  3. ^ 競馬の殿堂”. 日本中央競馬会. 2012年5月26日閲覧。
  4. ^ a b “【天皇賞・春】平成最後の盾はフィエールマン!菊花賞以来のGI2勝目 ルメールは8大競走完全制覇”. サンケイスポーツ (SANSPO.COM). (2019年4月28日). http://race.sanspo.com/keiba/news/20190428/ope19042815470005-n1.html 2019年4月28日閲覧。 
  5. ^ 森本昭夫 (2013年4月29日). “【天皇賞・春】サンデーR、8大競走完全制覇”. サンケイスポーツ (SANSPO.COM). オリジナルの2013年5月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130502003833/http://race.sanspo.com/keiba/news/20130429/ope13042905050005-n1.html 2013年4月29日閲覧。 
  6. ^ 出馬表はいつごろ発表されるのですか?(出馬表の発表日時の詳細) - 日本中央競馬会公式ホームページ「FAQ/お問い合わせ レース(JRA・レース・競走馬)」 2021年10月22日閲覧

関連項目