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宝塚記念

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宝塚記念
Takarazuka Kinen[1]
第64回宝塚記念(2023年6月25日)
優勝馬:イクイノックス
鞍上:クリストフ・ルメール
開催国 日本の旗 日本
主催者 日本中央競馬会
競馬場 阪神競馬場
創設 1960年6月26日
2024年の情報
距離 芝2200m(京都競馬場
格付け GI
賞金 1着賞金2億2000万円
出走条件 サラ系3歳以上(国際)(指定)
負担重量 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)
出典 [2][3]
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宝塚記念(たからづかきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。

競走名の「宝塚」は宝塚市を指す。阪神競馬場の所在地で、兵庫県の南東部に位置する[4][5]

正賞は宝塚市長賞、日本馬主協会連合会会長賞、ブリーダーズカップ・チャレンジ[2][3]

概要

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映像外部リンク
宝塚記念専用ファンファーレ(1999年 - )(カンテレ競馬公式YouTube)
第40回宝塚記念(1999年)JRA宝塚記念専用(3m5s〜)
2018年宝塚記念
左:ミッキーロケット(優勝馬 鞍上:和田竜二
右:ワーザー香港代表 鞍上:ヒュー・ボウマン
第60回宝塚記念
優勝馬:リスグラシュー(鞍上:D.レーン
第62回宝塚記念
優勝馬:クロノジェネシス(鞍上:クリストフ・ルメール
第63回宝塚記念
優勝馬:タイトルホルダー(鞍上:横山和生

有馬記念と同様に、ファン投票で出走馬を決め、こちらは上半期の締めくくりを飾る競走として関西地区の競馬を華やかに盛り上げようとの趣旨で企画され、1960年に創設された[5]。「上半期の実力ナンバー1決定戦」として位置づけられている[5]

2011年からブリーダーズカップ・チャレンジの対象競走に指定され、優勝馬には当該年のブリーダーズカップ・ターフへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与される[6][註 1]。また2019年から当競走の優勝馬には当該年のコックスプレートへの優先出走権が付与されることになった[7]

ファンファーレは、1984年から1990年までは関西GI競走ファンファーレとは別の独自のファンファーレ(曲名不詳)が使用され生演奏されたが、1991年から1998年は他の関西地区GI競走と同様に宮川泰作曲の関西GI競走ファンファーレが使用された。その後、1999年より一般公募で選ばれた[8]専用のファンファーレに変更された[註 2][註 3]。作曲者は早川太海[12]

国際的評価

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世界の競馬開催国は、平地競走については国際セリ名簿基準書においてパートIからパートIIIまでランク分けされており、2016年時点で日本は平地競走が最上位のパートIにランク付けされている[1]

また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、宝塚記念は「Long(2101m - 2700m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟(IFHA)が公表した2016年の年間レースレーティング[註 4]の平均値に基づく「世界のトップ100GIレース」によると、宝塚記念は全体の15位にランキングされた。このランキングで日本の競走は宝塚記念を含め12競走がランクインしているが、日本の競走では有馬記念(13位)に次ぐ評価で、「Long(2101m - 2700m)」のカテゴリーからランクインした外国の競走との比較では、ドバイシーマクラシック(9位)に次ぐ評価となっている[13][14]

出走資格

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以下の内容は、2024年現在[2][3]のもの。

  • サラ系3歳以上(出走可能頭数:18頭)
    • JRA所属馬(ファン投票選出馬・JRA選出馬)
    • 地方所属馬
    なお2025年度から、地方競馬所属馬が出走する場合は、オープン馬のみとし、下級条件(JRAでの3勝クラス以下相当)の地方所属馬は出走できないことに改正された[15]
    • 外国調教馬(最大8頭まで、優先出走)

出走馬の選定方法は以下のとおり。

  • 特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる[註 5]
  • 上記以外の馬(外国所属競走馬を除く)は「通算収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方所属馬も同様)。

負担重量

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  • 定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)[2][3][16]
  • 負担重量の変遷[16]
    • 第1回 - 第3回、第9回 - 第12回、第27回:馬齢重量
    • 第4回 - 第8回:別定重量
    • 第13回 - 第22回:4歳55kg、5歳56kg、6歳以上55kg(牝馬2kg減)
    • 第23回 - 第26回:4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)
    • 第28回 - 第36回:3歳53kg、4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)
    • 第37回:3歳54kg、4歳以上58kg(牝馬2kg減)
      • ※2000年以前は馬齢表記が異なるため、上の第13回から第37回にある「4歳」は、当時の表記で「5歳」である。

賞金

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2024年の本賞金は1着2億2000万円で、以下2着8800万円、3着5500万円、4着3300万円、5着2200万円[2]

歴史

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旧阪神競馬場の隆盛

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阪神競馬場の前身である鳴尾競馬場阪神競馬倶楽部)は、1907(明治40)年に関西で初めての本格的な競馬場として建設された。当時、日本各地にはさまざまな競馬倶楽部が設立され、それぞれ独自に競馬を営み、レースを開催していた。この時代の鳴尾競馬場を代表する競走が帝室御賞典各内国産馬連合競走だった。これに「阪神4歳牝馬競走」(1931・昭和6年創設)、阪神記念(1934・昭和9年創設)、「阪神記念アラブ系抽選馬競走」(1935・昭和10年創設)が加わり、鳴尾競馬場の「阪神競馬」は馬券の売上高では日本で一・二を争う人気を博していた(1930年から1932年まで全国2位、1933年全国3位、1934年全国1位、1935年全国2位、1936年全国1位など)[17][18][19]

1936(昭和11)年に全国各地の11の競馬倶楽部が統合されて日本競馬会になると、各地で合わせて年に10回行われていた帝室御賞典は、年2回に統合されて大いに格式が引き上げられることになった。これにより、新たな「帝室御賞典」は、春に鳴尾競馬場(阪神)、秋に東京競馬場で行われることになった。1937(昭和12)年秋に東京競馬場で新たな帝室御賞典(現在の天皇賞はこれを正式な「第1回天皇賞」としている。)が行なわれ、翌1938(昭和13)年春には鳴尾競馬場で帝室御賞典が行なわれた。この1938(昭和13)年の暮れには鳴尾競馬場で阪神優駿牝馬競走(後の「優駿牝馬(オークス)」に相当)が創設され、4歳馬[註 6]5大競走の一つも行われるようになり、鳴尾競馬場は名実ともに日本を代表する競馬場となった[17][20][21][22]

旧阪神競馬場の突然の休止

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ところが、1943(昭和18)年に、鳴尾競馬場は日本海軍が接収することになった。もともと鳴尾競馬場の隣接地には、かつての阪神競馬倶楽部の母体となった別の競馬場があったのだが、そこを海軍が買収して川西航空機の工場を置き、軍用機の開発をしていた。その工場で開発・研究中の新型戦闘機紫電改の試験飛行のため、工場の隣にあった鳴尾競馬場の敷地を飛行場に転用することになったのである。1943(昭和18)年2月にはガダルカナル島が陥落するなど戦争の情勢は逼迫していて、鳴尾競馬場は代替用地が確定しないまま海軍に接収され、1943(昭和18)年の春の開催を最後に幕を閉じた。阪神で行なわれていた帝室御賞典(天皇賞)はこれ以降京都競馬場で行なわれることになり、その後も改修による一時的な阪神での開催はあったものの、戻ってこなかった[23][24][25][26]

新しい阪神競馬場の用地はひとまず目処が立ち、1周2500mとなる「東洋一[26]」の新競馬場の構想が進んだ。しかし戦局は悪化の一途をたどり、競馬場建設どころではなくなってきた。そのまま終戦を迎えると、こんどは新競馬場用地として確保していた土地が米軍に接収され、進駐軍のゴルフ場になってしまった[25][23][24][26]

再開された阪神競馬場の不振

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経営母体の日本競馬会では国庫納付金を滞納するほど経営が悪化していて、新たな用地を買い付ける資力もなく、結局、空襲で破壊された川西航空機の工場跡地を整備して「仮設競馬場」として再出発することになった。こうして1949(昭和24)年にようやく阪神競馬場として再開にこぎつけた。この時に阪神3歳ステークスが創設、翌年に桜花賞が移設され、その後もチャレンジカップ(1950年創設)、鳴尾記念(1951年創設)、神戸新聞杯(1953年創設)、阪神大賞典(1953年創設)と重賞競走が拡充された[27][28][25][29]

しかしながら、再開された競馬場は奮わなかった。終戦から5年経った1951(昭和26)年になっても、破壊された工場の残骸が競馬場の中央に散乱して醜い状態だった。観戦スタンドは木造の仮設のもので、用地確保にも問題があり、競走馬の調教用地に当て込んでいた土地が権利争いになって、競馬場には厩舎が併設できなかった。馬場そのものも地盤が弱く、雨が降ると水たまりができるような有様で、こうした理由で客足も伸びず、馬券の売上は目標の30%にも届かなかった[27][30]

競馬場の再興と宝塚記念の創設

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1954(昭和29)年に日本中央競馬会が発足した。元農林大臣の有馬頼寧が日本中央競馬会の理事となり、「有馬特例法」と通称される[註 7]法律を通し、競馬の収益を競馬場施設の改修に充当できるようにすると、各地の競馬場の復興が実現した。阪神競馬場でも競馬場の底地と施設が日本中央競馬会に買収され、新しい観戦スタンドが建設されて1959(昭和34)年10月に落成している。このほか障害専用走路、診療所、監視塔、事務所棟、子どもの遊技場などが次々と整備された。阪神競馬場のシンボルでもあるセントウル像は翌1960(昭和35)年に設置された[27][31][30]

有馬頼寧が1956(昭和31)年に中山競馬場に中山グランプリ(後の有馬記念)を創設した。これは、出走馬をファン投票で決めるという全く新しいタイプの競走で、大いに人気を博した。阪神競馬場では、新スタンドが落成した翌春(1960(昭和35)年)の開催から、「有馬記念の関西版[32]」として「人気投票」による競走を創設することになった。これが第1回宝塚記念である[29][28][33][34]

第1回宝塚記念は1800mで行なわれ、ファン投票による選出馬10頭と推薦委員会による選出馬10頭の合計20頭が選ばれた。しかし実際に出走したのはそのうち9頭だけだった。優勝したホマレーヒロはファン投票4位の選出馬だった[35][28]

創設後の変遷

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初年度は1800mで行われたが、翌1961(昭和36)年の第2回からは2000mになった。さらに1966(昭和41)年には2200mに延長されている[35]

出走馬は当初は「4歳以上」(現在の馬齢表記では「3歳以上」に相当)と定められていた。「春競馬」に位置づけられているとはいえ、春競馬の最後に開催されるため、開催日は6月末から7月上旬になっていた。これが1968年から1ヶ月前倒しされることになり、5月末から6月初旬の開催になった。これに伴って出走条件は「5歳以上」と変更になり、古馬限定戦となった。負担重量については「別定」と称していたが、実際には5歳55kg、6歳56kg、7歳以上55kg、牝馬は2kg減量となっていて、事実上の「定量」戦であるうえに、この値は「馬齢」重量とも一致している。これは敢えてそのようにしているものである。「定量」や「馬齢」としてしまうと、宝塚記念の開催時期を移動するたびに負担重量が変動してしまうが、「別定」としておけば開催時期を春や夏に移動しても、競走での負担重量そのものは変わらず維持できるように意図されたものだった[35][19]

1987(昭和62)年からは再び「4歳馬」(現在の3歳に相当)の出走が可能になり、開催時期も繰り下げられて日本ダービーオークスなどで活躍した「4歳馬」のエントリーが容易になるように変更されている。1996(平成8)年から1999(平成11)年は7月開催だったが、2000(平成12)年からは6月下旬の開催となり、「春の中距離実力日本一」決定戦と位置づけられるようになった[35]

2017(平成29)年には天皇賞(春)、同年にG1に昇格した大阪杯とともに同一年に行われる3競走を全て優勝した馬に褒賞金の制度が創設された[36]

2025(令和7)年からは暑熱や梅雨の影響を鑑み、開催時期が2週前倒しされて6月中旬に変更予定[37]

年表

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  • 1960年 - 4歳以上の馬による重賞競走「宝塚記念」を創設。阪神競馬場・芝1800mで施行[5]
  • 1966年 - 京都競馬場の芝外回り2200mで施行。これ以降、施行距離が芝2200mで定着。
  • 1968年 - 出走資格を「5歳以上」に変更。
  • 1976年 - 全国発売を開始。また厩務員労働組合の争議のため日程変更が行われ、京都競馬場での施行となった。
  • 1980年 - 京都競馬場がスタンド改築工事のため、この年のみ中京競馬場で施行。
  • 1984年 - グレード制導入、GI[註 8]に格付け。
  • 1987年 - 出走資格を「4歳以上」に変更。
  • 1993年 - 「皇太子殿下御成婚奉祝」の副称を付けて施行[16]
  • 1995年
    • 「震災復興支援競走」の副称を付けて施行(1996年まで)[16]
    • 指定交流競走となり、地方所属馬も出走可能になる[16]
  • 1997年 - 国際競走に指定、外国調教馬が5頭まで出走可能になる[16]
  • 1999年 - この年から専用ファンファーレに変更。
  • 2001年
    • 馬齢表記を国際基準へ変更したことに伴い、出走条件を「3歳以上」に変更。
    • 国際GIに指定。
  • 2004年 - 「日本中央競馬会創立50周年記念」の副称を付けて施行[16]
  • 2011年 - 「ブリーダーズカップ・チャレンジ」指定競走となる。
  • 2012年 ‐ この年はCD音源による宝塚記念のオリジナルファンファーレが使用された[註 9]
  • 2014年 - 「日本中央競馬会創立60周年記念」の副称をつけて施行[38]
  • 2020年 - 新型コロナウイルス感染拡大防止のため「無観客競馬」として実施[39]
  • 2024年 - 阪神競馬場リフレッシュ工事に伴う開催日割の変更のため京都競馬場で施行[40]
  • 2025年 - 施行時期を2週早め、安田記念の翌週となる6月第2週へ移動。

歴代優勝馬

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優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記に揃えている。

コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。

回数 施行日 競馬場 距離 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主 単勝オッズ 単勝人気 1着本賞金
第1回 1960年6月26日 阪神 1800m ホマレーヒロ 牡4 1:49.6 近藤武夫 武輔彦 仁木清七 5.7[41] 2 120万円
第2回 1961年7月2日 阪神 2000m シーザー 牡4 2:04.6 伊藤修司 伊藤勝吉 伊藤由五郎 1.4 1 200万円
第3回 1962年7月1日 阪神 2000m コダマ 牡5 2:03.4 栗田勝 武田文吾 伊藤由五郎 1.5 1
第4回 1963年6月30日 阪神 2000m リユウフオーレル 牡4 2:02.1 宮本悳 橋本正晴 三好笑子 3.7 2 300万円
第5回 1964年7月5日 阪神 2000m ヒカルポーラ 牡5 2:03.3 高橋成忠 佐藤勇 坪田喜之助 1.9 1
第6回 1965年6月27日 阪神 2000m シンザン 牡4 2:06.3 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉 1.7 1 500万円
第7回 1966年6月26日 京都 2200m エイトクラウン 牝4 2:15.0 内藤繁春 田中康三 山口昇 12.2 4
第8回 1967年7月2日 阪神 2200m タイヨウ 牡4 2:19.4 内藤繁春 武田文吾 内藤博司 10.4 4 700万円
第9回 1968年5月26日 阪神 2200m ヒカルタカイ 牡4 2:14.7 野平祐二 藤本冨良 長山善健 2.0 1 1000万円
第10回 1969年6月1日 京都 2200m ダテホーライ 牡4 2:16.1 宇田明彦 星川泉士 伊達牧場 2.9 2 1200万円
第11回 1970年5月31日 阪神 2200m スピードシンボリ 牡7 2:13.3 野平祐二 野平省三 和田共弘 1.6 1 1400万円
第12回 1971年5月30日 阪神 2200m メジロムサシ 牡4 2:17.3 横山富雄 大久保末吉 メジロ商事(株) 5.7 3 1700万円
第13回 1972年6月4日 阪神 2200m ショウフウミドリ 牡6 2:19.9 松本善登 武田文吾 松本市三郎 4.9 3 2300万円
第14回 1973年6月3日 阪神 2200m ハマノパレード 牡4 2:12.7 田島良保 坂口正二 (株)ホースタジマ 14.3 4 2600万円
第15回 1974年6月2日 京都 2200m ハイセイコー 牡4 2:12.9 増沢末夫 鈴木勝太郎 ホースマンクラブ 3.5 1 3000万円
第16回 1975年6月1日 阪神 2200m ナオキ 牡6 2:16.7 佐々木昭次 田中康三 桜山ホース(株) 2.8 2 3200万円
第17回 1976年6月6日 京都 2200m フジノパーシア 牡5 2:17.5 大崎昭一 柴田寛 真田繁次 3.6 1 3500万円
第18回 1977年6月5日 阪神 2200m トウショウボーイ 牡4 2:13.0 武邦彦 保田隆芳 トウショウ産業(株) 5.6 2 3700万円
第19回 1978年6月4日 阪神 2200m エリモジョージ 牡6 2:14.2 福永洋一 大久保正陽 山本慎一 3.6 2 4500万円
第20回 1979年6月3日 阪神 2200m サクラショウリ 牡4 2:12.4 小島太 久保田彦之 (株)さくらコマース 2.9 1 5000万円
第21回 1980年6月1日 中京 2400m テルテンリュウ 牡4 2:31.9 西浦勝一 土門健司 伊藤繁子 5.4 1 5500万円
第22回 1981年6月7日 阪神 2200m カツアール 牡5 2:14.1 樋口弘 柳田次男 栗林英雄 6.4 3
第23回 1982年6月6日 阪神 2200m モンテプリンス 牡5 2:12.6 吉永正人 松山吉三郎 毛利喜八 2.1 1 6500万円
第24回 1983年6月5日 阪神 2200m ハギノカムイオー 牡4 2:12.1 伊藤清章 伊藤修司 日隈広吉 1.9 1 6700万円
第25回 1984年6月3日 阪神 2200m カツラギエース 牡4 2:12.4 西浦勝一 土門一美 野出一三 2.6 1 7300万円
第26回 1985年6月2日 阪神 2200m スズカコバン 牡5 2:15.9 村本善之 小林稔 永井永一 5.9 2 7600万円
第27回 1986年6月1日 阪神 2200m パーシャンボーイ 牡4 2:14.4 柴田政人 高松邦男 伊達秀和 7.1 3 7800万円
第28回 1987年6月14日 阪神 2200m スズパレード 牡6 2:12.3 蛯沢誠治 富田六郎 小紫芳夫 5.8 3 8500万円
第29回 1988年6月12日 阪神 2200m タマモクロス 牡4 2:13.2 南井克巳 小原伊佐美 タマモ(株) 3.0 2 9500万円
第30回 1989年6月11日 阪神 2200m イナリワン 牡5 2:14.0 武豊 鈴木清 保手浜弘規 4.8 2 1億300万円
第31回 1990年6月10日 阪神 2200m オサイチジョージ 牡4 2:14.0 丸山勝秀 土門一美 野出長一 11.4 3 1億1000万円
第32回 1991年6月9日 京都 2200m メジロライアン 牡4 2:13.6 横山典弘 奥平真治 (有)メジロ牧場 4.1 2 1億2000万円
第33回 1992年6月14日 阪神 2200m メジロパーマー 牡5 2:18.6 山田泰誠 大久保正陽 (有)メジロ牧場 23.1 9 1億3000万円
第34回 1993年6月13日 阪神 2200m メジロマックイーン 牡6 2:17.7 武豊 池江泰郎 メジロ商事(株) 1.5 1
第35回 1994年6月12日 阪神 2200m ビワハヤヒデ 牡4 2:11.2 岡部幸雄 浜田光正 (有)ビワ 1.2 1
第36回 1995年6月4日 京都 2200m ダンツシアトル 牡5 2:10.2 村本善之 山内研二 山元哲二 5.1 2 1億3200万円
第37回 1996年7月7日 阪神 2200m マヤノトップガン 牡4 2:12.0 田原成貴 坂口正大 田所祐 2.0 1
第38回 1997年7月6日 阪神 2200m マーベラスサンデー 牡5 2:11.9 武豊 大沢真 笹原貞生 2.3 1
第39回 1998年7月12日 阪神 2200m サイレンススズカ 牡4 2:11.9 南井克巳 橋田満 永井啓弐 2.8 1
第40回 1999年7月11日 阪神 2200m グラスワンダー 牡4 2:12.1 的場均 尾形充弘 半沢(有) 2.8 2
第41回 2000年6月25日 阪神 2200m テイエムオペラオー 牡4 2:13.8 和田竜二 岩元市三 竹園正繼 1.9 1
第42回 2001年6月24日 阪神 2200m メイショウドトウ 牡5 2:11.7 安田康彦 安田伊佐夫 松本好雄 3.4 2
第43回 2002年6月23日 阪神 2200m ダンツフレーム 牡4 2:12.9 藤田伸二 山内研二 山元哲二 2.4 1
第44回 2003年6月29日 阪神 2200m ヒシミラクル 牡4 2:12.0 角田晃一 佐山優 阿部雅一郎 16.3 6
第45回 2004年6月27日 阪神 2200m タップダンスシチー 牡7 2:11.1 佐藤哲三 佐々木晶三 (株)友駿ホースクラブ 3.5 1
第46回 2005年6月26日 阪神 2200m スイープトウショウ 牝4 2:11.5 池添謙一 鶴留明雄 トウショウ産業(株) 38.5 11
第47回 2006年6月25日 京都 2200m ディープインパクト 牡4 2:13.0 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株) 1.1 1
第48回 2007年6月24日 阪神 2200m アドマイヤムーン 牡4 2:12.4 岩田康誠 松田博資 近藤利一 6.7 3
第49回 2008年6月29日 阪神 2200m エイシンデピュティ 牡6 2:15.3 内田博幸 野元昭 平井豊光 11.3 5
第50回 2009年6月28日 阪神 2200m ドリームジャーニー 牡5 2:11.3 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング 7.1 2
第51回 2010年6月27日 阪神 2200m ナカヤマフェスタ 牡4 2:13.0 柴田善臣 二ノ宮敬宇 和泉信一 37.8 8
第52回 2011年6月26日 阪神 2200m アーネストリー 牡6 2:10.1 佐藤哲三 佐々木晶三 前田幸治 13.6 6
第53回 2012年6月24日 阪神 2200m オルフェーヴル 牡4 2:10.9 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング 3.2 1
第54回 2013年6月23日 阪神 2200m ゴールドシップ 牡4 2:13.2 内田博幸 須貝尚介 小林英一 2.9 2
第55回 2014年6月29日 阪神 2200m ゴールドシップ 牡5 2:13.9 横山典弘 須貝尚介 小林英一 2.7 1
第56回 2015年6月28日 阪神 2200m ラブリーデイ 牡5 2:14.4 川田将雅 池江泰寿 金子真人ホールディングス(株) 14.2 6 1億5000万円
第57回 2016年6月26日 阪神 2200m マリアライト 牝5 2:12.8 蛯名正義 久保田貴士 (有)キャロットファーム 25.1 8
第58回 2017年6月25日 阪神 2200m サトノクラウン 牡5 2:11.4 M.デムーロ 堀宣行 里見治 9.0 3
第59回 2018年6月24日 阪神 2200m ミッキーロケット 牡5 2:11.6 和田竜二 音無秀孝 野田みづき 13.1 7
第60回 2019年6月23日 阪神 2200m リスグラシュー 牝5 2:10.8 D.レーン 矢作芳人 (有)キャロットファーム 5.4 3
第61回 2020年6月28日 阪神 2200m クロノジェネシス 牝4 2:13.5 北村友一 斉藤崇史 (有)サンデーレーシング 4.1 2
第62回 2021年6月27日 阪神 2200m クロノジェネシス 牝5 2:10.9 C.ルメール 斉藤崇史 (有)サンデーレーシング 1.8 1
第63回 2022年6月26日 阪神 2200m タイトルホルダー 牡4 2:09.7 横山和生 栗田徹 山田弘 4.2 2 2億円
第64回 2023年6月25日 阪神 2200m イクイノックス 牡4 2:11.2 C.ルメール 木村哲也 (有)シルクレーシング 1.3 1 2億2000万円
第65回 2024年6月23日 京都 2200m ブローザホーン 牡5 2:12.0 菅原明良 吉岡辰弥 岡田牧雄 7.5 3

宝塚記念の記録

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  • レースレコード - 2:09.7(第63回優勝馬 タイトルホルダー)なお、このタイムは阪神競馬場芝2200m3歳以上のコースレコードでもある。
    • 優勝タイム最遅記録 - 2:19.9(第13回優勝馬 ショウフウミドリ)[42]
  • 最年長優勝馬 - 7歳
    • スピードシンボリ(第11回) 、タップダンスシチー(第45回)
  • 最多優勝馬 - 2勝
    • ゴールドシップ(第54回・第55回) 、クロノジェネシス(第61回・第62回)
  • 最多優勝騎手 - 4勝
    • 武豊(第30回・第34回・第38回・第47回)[43]
  • 最多優勝調教師 - 4勝
    • 武田文吾(第3回・第6回・第8回・第13回)[44][45]
  • 最多優勝馬主 - 4勝
    • (有)サンデーレーシング(第50回・第53回・第61回・第62回)
  • 最多勝利種牡馬 - 5勝
  • 親子制覇
    • エイトクラウン - ナオキ
    • グラスワンダー - アーネストリー
    • ディープインパクト - マリアライト

[46][47]

  • 兄弟制覇
  • 騎手・調教師の両方で優勝
    • 伊藤修司(第2回、第24回)

外国調教馬の成績

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歴代ファン投票1位馬

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馬齢は2000年(平成12年)以前も現行表記にそろえている。

回数 開催年 馬名 性齢 票数 着順
第1回 1960年 コダマ 牡3 不出走
第2回 1961年 シーザー 牡4 優勝
第3回 1962年 コダマ 牡5 優勝
第4回 1963年 リユウフオーレル 牡4 優勝
第5回 1964年 リユウフオーレル 牡5 3着
第6回 1965年 シンザン 牡4 優勝
第7回 1966年 キーストン 牡4 不出走
第8回 1967年 ニホンピローエース 牡4 不出走
第9回 1968年 リュウファーロス 牡5 不出走
第10回 1969年 アサカオー 牡4 不出走
第11回 1970年 リキエイカン 牡4 5着
第12回 1971年 ダテテンリュウ 牡4 不出走
第13回 1972年 アカネテンリュウ 牡6 不出走
第14回 1973年 タイテエム 牡4 2着
第15回 1974年 タケホープ 牡4 不出走
第16回 1975年 キタノカチドキ 牡4 不出走
第17回 1976年 ロングホーク 牡4 2着
第18回 1977年 テンポイント 牡4 2着
第19回 1978年 グリーングラス 牡5 2着
第20回 1979年 サクラショウリ 牡4 優勝
第21回 1980年 シービークロス 牡5 不出走
第22回 1981年 カツラノハイセイコ 牡5 2着
第23回 1982年 モンテプリンス 牡5 優勝
第24回 1983年 アンバーシャダイ 牡6 不出走
第25回 1984年 ミスターシービー 牡4 不出走
第26回 1985年 シンボリルドルフ 牡4 取消
第27回 1986年 スダホーク 牡4 5着
第28回 1987年 ミホシンザン 牡5 不出走
第29回 1988年 タマモクロス 牡4 優勝
第30回 1989年 ヤエノムテキ 牡4 119,765票 7着
第31回 1990年 オグリキャップ 牡5 152,016票 2着
第32回 1991年 メジロマックイーン 牡4 136,325票 2着
第33回 1992年 メジロマックイーン 牡5 135,300票 不出走
第34回 1993年 メジロマックイーン 牡6 139,693票 優勝
第35回 1994年 ビワハヤヒデ 牡4 148,768票 優勝
第36回 1995年 ライスシャワー 牡6 105,799票 競走中止
第37回 1996年 ナリタブライアン 牡5 140,970票 不出走
第38回 1997年 マーベラスサンデー 牡5 97,617票 優勝
第39回 1998年 エアグルーヴ 牝5 133,223票 3着
第40回 1999年 スペシャルウィーク 牡4 136,079票 2着
第41回 2000年 テイエムオペラオー 牡4 87,936票 優勝
第42回 2001年 テイエムオペラオー 牡5 89,384票 2着
第43回 2002年 ジャングルポケット 牡4 72,159票 不出走
第44回 2003年 シンボリクリスエス 牡4 59,817票 5着
第45回[48] 2004年 リンカーン 牡4 60,865票 3着
第46回[49] 2005年 ゼンノロブロイ 牡5 67,667票 3着
第47回[50] 2006年 ディープインパクト 牡4 89,864票 優勝
第48回[51] 2007年 メイショウサムソン 牡4 76,932票 2着
第49回[52] 2008年 ウオッカ 牝4 75,594票 不出走
第50回[53] 2009年 ウオッカ 牝5 139,507票 不出走
第51回[54] 2010年 ブエナビスタ 牝4 92,024票 2着
第52回[55] 2011年 ブエナビスタ 牝5 97,429票 2着
第53回[56] 2012年 オルフェーヴル 牡4 72,253票 優勝
第54回[57] 2013年 オルフェーヴル 牡5 70,519票 不出走
第55回[58] 2014年 ゴールドシップ 牡5 51,366票 優勝
第56回[59] 2015年 ゴールドシップ 牡6 66,123票 15着
第57回[60] 2016年 キタサンブラック 牡4 82,121票 3着
第58回[61] 2017年 キタサンブラック 牡5 101,621票 9着
第59回[62] 2018年 サトノダイヤモンド 牡5 63,599票 6着
第60回[63] 2019年 アーモンドアイ 牝4 78,778票 不出走
第61回[64] 2020年 アーモンドアイ 牝5 111,842票 不出走
第62回[65] 2021年 クロノジェネシス 牝5 137,448票 優勝
第63回[66] 2022年 タイトルホルダー 牡4 191,394票 優勝
第64回[67] 2023年 イクイノックス 牡4 216,379票 優勝
第65回[68] 2024年 ドウデュース 牡5 238,367票 6着

関連項目

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脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ ただしブリーダーズカップへの種牡馬登録と産駒登録は必要。
  2. ^ 中央競馬で専用のファンファーレが演奏される競走は、他に名鉄杯特別競走)がある。
  3. ^ 2014年に宝塚市制60周年とJRA創立60周年が重なることから、これを記念して「宝塚市制60周年記念」「宝塚歌劇100周年花のみち特別」[9]が開催され、陸上自衛隊第3音楽隊によるファンファーレの生演奏が行われたが、2015年は宝塚記念の開催日に「花のみちステークス」、宝塚記念(本馬場入場で使用される「ザ・チャンピオン」を含む)、「リボン賞」の3競走で陸上自衛隊第3音楽隊によるファンファーレの生演奏が行われた[10][11]
  4. ^ 年間レースレーティングは、個々のレースにおける上位4頭のレーティングを年度末のランキング会議で決定した数値に置き換え算出した平均値。なお、牝馬限定競走以外のレースで、対象馬が牝馬の場合はアローワンスが加算される(日本の場合+4ポンド)。
  5. ^ 第10位までで出走の意思がない馬がいた場合、11位以下の馬が繰り上げで出走できる権利がある。
  6. ^ 現在の馬齢表記方法では「3歳」
  7. ^ 正式名は「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律」
  8. ^ 当時の格付表記は、JRAの独自グレード。
  9. ^ 2024年も同様の予定だったが、陸上自衛隊中部方面音楽隊の生演奏が行われている。

出典

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  1. ^ a b INTERNATIONAL GRADING AND RACE PLANNING ADVISORY COMMITTEE "INTERNATIONAL CATALOGUING STANDARDS and INTERNATIONAL STATISTICS 2023"” (PDF). The Jockey Club Information Systems, Inc.. p. 90. 2023年9月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e 重賞競走一覧(レース別・関西)” (PDF). 日本中央競馬会. p. 20 (2024年). 2024年4月29日閲覧。
  3. ^ a b c d 2024年第4回京都競馬番組” (PDF). 日本中央競馬会. 2024年4月29日閲覧。
  4. ^ 2023年度第3回阪神競馬特別レース名解説” (PDF). 日本中央競馬会. p. 3. 2023年9月11日閲覧。
  5. ^ a b c d 歴史・コース:宝塚記念 今週の注目レース”. 日本中央競馬会. 2021年6月14日閲覧。
  6. ^ 宝塚記念(GI)優勝馬に「ブリーダーズカップターフ(G1)」優先出走権等が付与”. 日本中央競馬会. 2011年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月12日閲覧。
  7. ^ 宝塚記念(GⅠ)優勝馬に対するコックスプレート(G1)への優先出走権付与について”. 日本中央競馬会 (2019年6月4日). 2019年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月4日閲覧。
  8. ^ JRAヒストリー(2003 - 1994)”. 日本中央競馬会. 2015年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月20日閲覧。
  9. ^ “歌劇100周年で特別レース 阪神競馬場にスター登場へ”. 神戸新聞NEXT. (2014年6月1日). オリジナルの2014年6月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140603153301/http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201406/0007013426.shtml 2015年6月28日閲覧。 
  10. ^ 全頭本命、春のグランプリ。【第3回阪神競馬開催日イベント】”. JRA. 2015年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月28日閲覧。
  11. ^ 中央競馬実況中継 ラジオNIKKEI第2のツイート”. 2015年6月28日閲覧。
  12. ^ 「全人馬の無事を祈って」四半世紀に渡り愛される“宝塚記念ファンファーレ”作曲者の思い”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2024年6月18日). 2024年6月18日閲覧。
  13. ^ 世界のトップ100GIレースがIFHAから発表!”. 日本中央競馬会 (2017年1月25日). 2017年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月7日閲覧。
  14. ^ THE WORLD'S TOP 100 G1 RACES for 3yo's and upwards (PDF) - 日本中央競馬会、2015年3月7日閲覧
  15. ^ 【JRA】2025年度事業計画の追加点を発表 不祥事対策案や北海道2場の空調新設、GⅠ賞金増額など(東スポ競馬)
  16. ^ a b c d e f g 中央競馬全重賞成績集【GI編】
  17. ^ a b 『阪神競馬倶楽部三十年沿革史』p53-58
  18. ^ 『阪神競馬場のあゆみ』p48-81
  19. ^ a b 『阪神競馬場のあゆみ』p88-92「売上げ日本一を目指して」
  20. ^ 『阪神競馬場のあゆみ』p121-128「四歳馬五大クラシック競走の創設」
  21. ^ 『日本競馬史』巻5,p290-319
  22. ^ 『日本競馬史』巻5,p416-425
  23. ^ a b 『阪神競馬場のあゆみ』p128-149「阪神競馬場の移転」
  24. ^ a b 『阪神競馬場のあゆみ』p150-177「戦後競馬の再開と阪神競馬場の苦悩」
  25. ^ a b c 『阪神競馬場50年史』p38-42
  26. ^ a b c 『阪神競馬場50年史』p32-35
  27. ^ a b c 『阪神競馬場のあゆみ』p178-198
  28. ^ a b c 『阪神競馬場のあゆみ』p205-208「重賞競走の充実」
  29. ^ a b 『阪神競馬場50年史』p45-46「相次ぐ重賞競走の創設」
  30. ^ a b 『阪神競馬場50年史』p44-45
  31. ^ 『競馬百科』p65
  32. ^ 『競馬百科』p88
  33. ^ 『競馬百科』p81
  34. ^ 『競馬百科』p86
  35. ^ a b c d 『阪神競馬場50年史』p16「宝塚記念」
  36. ^ 2017年度競馬番組等について”. 日本中央競馬会 (2016年11月16日). 2016年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月16日閲覧。
  37. ^ 2025年度開催日割および重賞競走”. 日本中央競馬会 (2024年9月23日). 2024年9月23日閲覧。
  38. ^ 2014年の成績表参照。
  39. ^ 6月の中央競馬の開催等について”. 日本中央競馬会 (2020年5月28日). 2020年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月17日閲覧。
  40. ^ 2024年度開催日割および重賞競走”. 日本中央競馬会 (2023年10月16日). 2023年10月16日閲覧。
  41. ^ https://db.netkeiba.com/race/196009030610/
  42. ^ グレード制導入後は2:18.6(第33回優勝馬 メジロパーマー)、国際GⅠ制定後は2:15.3(第49回優勝馬 エイシンデピュティ)
  43. ^ 連覇としては内藤繁春(第7回・第8回)が記録
  44. ^ 連覇としては須貝尚介(第54回・第55回)・斉藤崇史(第61回・第62回)が記録
  45. ^ グレード制導入後は池江泰寿(第50回・第53回・第56回)の3勝
  46. ^ 騎手では横山富雄 - 横山典弘 - 横山和生も達成している
  47. ^ 調教師では池江泰郎 - 池江泰寿も達成している
  48. ^ 宝塚記念ファン投票の集計結果について”. ラジオNIKKEI (2004年6月10日). 2023年12月18日閲覧。
  49. ^ 宝塚記念、ゼンノロブロイが最多得票”. netkeiba.com (2005年6月9日). 2023年12月18日閲覧。
  50. ^ 宝塚記念ファン投票最終発表、1位はディープインパクト”. netkeiba.com (2006年6月8日). 2023年12月18日閲覧。
  51. ^ 宝塚記念ファン投票最終結果、メイショウサムソンが1位”. netkeiba.com (2007年6月7日). 2023年12月18日閲覧。
  52. ^ 【宝塚記念(29日・阪神)】~ファン投票最終発表 1位はウオッカ、2位はメイショウサムソン|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI”. ラジオNIKKEI (2008年6月12日). 2023年12月18日閲覧。
  53. ^ 【宝塚記念】ファン投票最終結果~ウオッカ堂々1位”. ラジオNIKKEI (2009年6月11日). 2023年12月18日閲覧。
  54. ^ 【宝塚記念】(27日・阪神)ファン投票最終結果~1位はブエナビスタ、2位はドリームジャーニー”. ラジオNIKKEI (2010年6月10日). 2023年12月18日閲覧。
  55. ^ 【宝塚記念】~ファン投票最終結果発表、今年もブエナ1位”. ラジオNIKKEI (2011年6月9日). 2023年12月18日閲覧。
  56. ^ 【宝塚記念】~ファン投票最終結果、オルフェーヴル断然の1位”. netkeiba.com (2012年6月7日). 2023年12月18日閲覧。
  57. ^ 【宝塚記念】~ファン投票最終結果発表、オルフェーヴルが1位”. netkeiba.com (2013年6月6日). 2023年12月18日閲覧。
  58. ^ 【宝塚記念】~ファン投票最終結果発表、ゴールドシップが1位”. netkeiba.com (2014年6月12日). 2023年12月18日閲覧。
  59. ^ 【宝塚記念】~ファン投票最終結果発表、今年もゴールドシップが1位netkeiba.com、2018年6月8日閲覧
  60. ^ キタサンブラックが1位 競馬の宝塚記念ファン投票日本経済新聞、2018年6月8日閲覧
  61. ^ 【宝塚記念】ファン投票最終結果発表サンケイスポーツ、2018年6月8日閲覧[リンク切れ]
  62. ^ 宝塚記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2018年6月7日). 2018年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月8日閲覧。
  63. ^ 宝塚記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2019年6月6日). 2019年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月6日閲覧。
  64. ^ 宝塚記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2020年6月11日). 2020年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月12日閲覧。
  65. ^ 宝塚記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2021年6月10日). 2023年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月10日閲覧。
  66. ^ 宝塚記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2022年6月9日). 2023年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月9日閲覧。
  67. ^ 宝塚記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2023年6月8日). 2023年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月8日閲覧。
  68. ^ 宝塚記念ファン投票 最終結果発表!”. 日本中央競馬会 (2024年6月6日). 2024年6月6日閲覧。

各回競走結果の出典

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参考文献

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外部リンク

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