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テルテンリュウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テルテンリュウ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1976年5月25日
ロングエース
フミノチェリー
母の父 ガーサント
生国 日本の旗 日本北海道平取町[1]
生産者 稲原牧場[1]
馬主 伊藤輝、伊藤繁子[1][2]
調教師 土門健司[1][2]栗東
競走成績
生涯成績 18戦6勝[1]
獲得賞金 1億6528万0600[1]
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テルテンリュウ日本競走馬種牡馬。おもな勝鞍は宝塚記念東京優駿(日本ダービー)優勝馬ロングエースの代表産駒である。全18戦中17戦で西浦勝一が騎手を務めた。

経歴

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馬齢は当時の表記とする。

中央競馬で競走生活を送る。デビューは1978年12月[1]3日、阪神競馬場新馬戦。ここを勝利し[1]、続く800万円以下条件のシクラメン賞では、のちにクラシック路線などで争うネーハイジェットを降す[1]

1979年、4歳時の春は常に人気となるも、きさらぎ賞2着[1]毎日杯3着[1]など勝ちきれないレースが多かった。皐月賞は回避し、マーガレットステークス(当時2000メートル)を勝利[1]。東京優駿出走に向けて万全の状態でNHK杯へ出走、皐月賞2着のカツラノハイセイコ(3着)も出走していたが、2着に2馬身2分の1差を付け勝利[3]単勝3番人気に支持された[4]東京優駿では、最後の直線で斜行[4][注 1]リンドプルバンに不利を負わせ[5]、カツラノハイセイコと競り合う[5]も最後は3着に終わる[4]。秋は菊花賞を目指したが、体調不良で回避。

1980年古馬となった5歳時はスポーツニッポン賞金杯2着[1]のあと日経新春杯で1番人気を裏切り[1]、オープン戦でその年の京都記念優勝馬アグネスレディーに勝利したが、天皇賞(春)では同い年のニチドウタローの6着だった[1]。そして、中京競馬場で開催された宝塚記念に出走[2]。カネミカサ、リンドプルバン、ニチドウタロー、カネミノブメジロイーグルなど強豪馬が揃うなか1番人気に支持された[2]。レースは不良馬場[2]という過酷な環境で行われたが、1周目の直線で後方から好位に取り付き[2]、逃げたメジロイーグルや先行したハシクランツ、カネミカサを最後の直線で内から差しきり優勝した[2]

続く高松宮杯繋靭帯炎のため出走取消となり[6]、以降も復帰はならず[1]、1981年に競走馬を引退した[1]。その後鹿児島県で種牡馬となったが早世[1]。2年間の供用で遺した産駒は3頭であった[1]

血統

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テルテンリュウ血統ファリス系Blue Peter 4×5=9.38%、Fairway 5×5=6.25%) (血統表の出典)

ロングエース
1969 黒鹿毛
父の父
*ハードリドン
Hard Ridden
1955 黒鹿毛
Hard Sauce Ardan
Sancy Bella
Toute Belle Admiral Drake
Chatelaine
父の母
ウインジェスト
1963 黒鹿毛
*ティエポロ Blue Peter
Trevisana
*ノルマニア Norman
Sainte Mesme

フミノチェリー
1969 鹿毛
*ガーサント
Guersant
1949 鹿毛
Bubbles La Farina
Spring Cleaning
Montagnana Brantome
Mauretania
母の母
キヌコ
1962 黒鹿毛
*ケリー Panorama
Cottesmore
*フェアヒルズ Fairwell
Song of the Hills F-No.1-l

母の半妹アイノクレスピン[1](1977年神戸新聞杯優勝)。

脚注

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注釈

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  1. ^ 騎手の西浦はこの斜行により騎乗停止処分を受けた[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 山野浩一「'85年3歳新種牡馬レヴュー (2)」『優駿』、日本中央競馬会、1985年9月、126頁。 
  2. ^ a b c d e f g 筑紫正臣「第21回宝塚記念」『優駿』、日本中央競馬会、1980年8月、72-73頁。 
  3. ^ 「第27回NHK杯(ダービートライアル)」『優駿』、日本中央競馬会、1979年7月、82頁。 
  4. ^ a b c d 「東京優駿(第46回日本ダービー)成績公報の写し」『優駿』、日本中央競馬会、1979年7月、11頁。 
  5. ^ a b 岡田毅「ハイセイコ 父の無念晴らす」『優駿』、日本中央競馬会、1979年7月、14頁。「5月28日サンケイスポーツ掲載」 
  6. ^ 「第10回高松宮杯」『優駿』、日本中央競馬会、1980年8月、77頁。 

外部リンク

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