エイトクラウン
エイトクラウン | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1962年4月21日 |
死没 | 1981年11月6日 |
父 | ヒンドスタン |
母 | アルペンローザ |
母の父 | Chamossaire |
生国 | 日本(北海道三石町) |
生産者 | 大塚牧場 |
馬主 | 山口昇 |
調教師 | 田中康三(中京) |
競走成績 | |
生涯成績 | 27戦10勝 |
獲得賞金 | 2058万50円 |
エイトクラウンとは日本の競走馬、繁殖牝馬である。初の牝馬による宝塚記念制覇を成し遂げたことで知られている。
※馬齢は当時の基準(数え年)にて説明する。
戦績
[編集]3歳時の1964年8月にデビュー。4戦目の野地菊特別から阪神3歳ステークスまで4連勝。特に阪神3歳ステークスはそれまでのレコードタイムを1秒以上更新する圧勝だった。3歳時の成績7戦5勝で啓衆社賞最優秀3歳牝馬を受賞する。
明け4歳初戦も勝ち5連勝、桜花賞には1番人気に押されたが逃げたハツユキを捕らえられずに4着、オークスでは3番人気もブービーの16着と大敗。秋には牡馬に混じって菊花賞に挑戦するがやはりブービーの17着に終わる。
5歳時は主に中距離レースを中心に走り、6月の鳴尾記念を勝つと次走の宝塚記念にも勝ち[1]、この年(1966年)の啓衆社賞最優秀5歳以上牝馬を受賞する。
翌1967年1月のオープン特別にて2着に入った後、現役を引退した。
引退後
[編集]生まれ故郷の大塚牧場に戻ったエイトクラウンは、1969年にナオキ(父・サウンドトラック)を産む。このナオキも宝塚記念を制し、宝塚記念史上唯一の母子制覇[2]を果たした。また、1973年に産んだクラウンピラード(父・ダイハード)は、1977年の天皇賞において春秋連続2着入線する。この様に、エイトクラウンは繁殖牝馬としても成功を収めている。
馬名について
[編集]馬主・山口昇は愛知トヨタ自動車の社長でもあった。この経緯から、同馬には当時販売していた高級乗用車「クラウンエイト」をそのまま馬名として日本中央競馬会に申請した。しかし、中央競馬会は「商品と全く同じ名前は馬名として認められない」としてこれを却下。結局、「クラウン」と「エイト」をひっくり返した「エイトクラウン」として馬名申請して受理された。因みに、同馬の1歳年上の半姉はその名もズバリ「トヨタクラウン[3]」だった。
血統表
[編集]エイトクラウンの血統(ボワルセル系 / アウトブリード) | (血統表の出典) | |||
父 *ヒンドスタン Hindostan 1946 黒鹿毛 イギリス |
父の父 Bois Roussel1935 黒鹿毛 |
Vatout | Prince Chimay | |
Vasthi | ||||
Plucky Liege | Spearmint | |||
Concertina | ||||
父の母 Sonibai1939 鹿毛 |
Solario | Gainsborough | ||
Sun Worship | ||||
Udanipur | Blandford | |||
Uganda | ||||
母 アルペンローザ Alpenrosa 1951 栃栗毛 |
Chamossaire 1942 栗毛 |
Precipitation | Hurry On | |
Double Life | ||||
Snowberry | Cameronian | |||
Myrobella | ||||
母の母 Stargrass1942 鹿毛 |
Noble Star | Hapsburg | ||
Hesper | ||||
Grass Widow | Son-in-Law | |||
Silver GrassF-No.2-f |
※サブリナチェリー(ジュニアグランプリ、岐阜金賞など笠松重賞4勝)は本馬の甥にあたる。