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和泉信一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いずみ しんいち

和泉 信一
生誕 1926年7月25日[1][2]
日本の旗 日本 千葉県船橋市[1]もしくは東京都[2]
死没 (2016-08-26) 2016年8月26日(90歳没)[3]
出身校 東京商科大学[1]
職業
肩書き
  • 株式会社信和商会 元代表取締役会長
  • 日本馬主協会連合会 第13代会長
  • 一般社団法人中山馬主協会 元最高顧問
配偶者 和泉 京子[1]
子供
  • 和泉 信子(娘)
  • 和泉 憲一(息子)
    [2]
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和泉 信一(いずみ しんいち、1926年7月25日[1][2] - 2016年8月26日[3])は、日本実業家馬主

馬主活動

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和泉の勝負服を着用した柴田善臣

日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は赤、白二本輪、青袖、冠名には主に「ナカヤマ」、過去には「イズミ」、「シン」を用いた。日本馬主協会連合会会長を務めたのち、同会の名誉会長となったほか、2011年現在では東日本馬主協議会・中山馬主協会の最高顧問も務めていた[4]

馬主となったきっかけは、大井競馬場で先に馬主となっていた弟の敬三(2005年没)の所有馬が増え持ちきれなくなり、兄である信一に所有を頼んだこと[2]で、大井競馬を経て国営競馬(現中央競馬)の馬主となる。昭和30年代には抽せん馬が大量に当たり、レースで所有馬が上位を独占したこともあった[2]

娘の信子も馬主であった[注 1]が、2009年11月食道がんのため[5]死去した。ナカヤマフェスタは、信子の死後に信一が引き継いだ馬であった。2016年8月26日に信一が90歳で死去[3]した後は、馬主であった息子の憲一[6]が信一の勝負服の柄を引き継いでいる[注 2]

1950年代には北洋牧場を設立[7]し、オーナーブリーダーとしても活動していた。

来歴

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主な所有馬

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GI級競走優勝馬

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重賞競走優勝馬

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その他の所有馬

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信和商会名義の所有馬

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重賞競走優勝馬
その他の所有馬
  • ビッグナカヤマ(1995年アイビーステークス、2戦2勝)
  • エフワンナカヤマ(1998年京成杯2着)

脚注

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注釈

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  1. ^ 勝負服の柄は白、赤星散、袖赤一本輪、冠名は「ナカヤマ」。
  2. ^ 自身がもともと使用していた水色、白襷、緑袖から変更し、父の服色にしたもの。
  3. ^ ここまで信子の名義の戦績。
  4. ^ 岩手県競馬組合移籍時に西村専次に名義変更。

出典

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  1. ^ a b c d e 『大衆人事録』第20版 東日本篇 63頁
  2. ^ a b c d e f 優駿』、中央競馬ピーアール・センター、2010年10月、24-27頁。 
  3. ^ a b c d 和泉信一オーナー死去 ナカヤマフェスタなど所有”. 極ウマ. 日刊スポーツ (2016年9月2日). 2023年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月16日閲覧。
  4. ^ 東京スポーツ・2011年4月20日付 18面
  5. ^ a b 【第1回】ロンシャンに咲くすみれの花(前編)”. ホースマン・サロン. 一般社団法人 中山馬主協会 (2010年10月1日). 2023年3月16日閲覧。
  6. ^ 母キズナのボーンジーニアスが初勝利!父ナカヤマフェスタと同じ勝負服で”. 極ウマ. 日刊スポーツ (2021年9月1日). 2023年3月16日閲覧。
  7. ^ a b 【第5回】馬主事始(後編)”. ホースマン・サロン. 一般社団法人 中山馬主協会 (2010年10月14日). 2023年3月16日閲覧。
  8. ^ 【凱旋門賞】ナカヤマフェスタはアタマ差2着に惜敗!”. 競馬ラボ (2010年10月3日). 2023年3月16日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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先代
谷水雄三
日本馬主協会連合会 会長
2003 - 2005
次代
松本好雄