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須貝尚介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
須貝尚介
第170回天皇賞パドック(2024年10月27日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県
生年月日 (1966-06-03) 1966年6月3日(58歳)
身長 164cm
体重 54kg
血液型 AB
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 須貝彦三(1985.3 - 1987.2)
フリー(1987.2 - 1994.6)
須貝彦三(1994.7 - 1994.8)
フリー(1994.8 - 1995.12)
須貝彦三(1996.1 - 1999.2)
フリー(1999.3 - 2001.2)
須貝彦三(2001.3 - 引退)
初免許年 1985年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 2008年2月29日
重賞勝利 4勝
通算勝利 4163戦302勝
調教師情報
初免許年 2008年2009年開業)
経歴
所属 栗東T.C.
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須貝 尚介(すがい なおすけ、1966年6月3日 - )は、JRA栗東トレーニングセンター所属の調教師で、元騎手。父は須貝彦三元調教師。須貝四郎は叔父(彦三の弟)。

来歴

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1985年、JRA競馬学校を第1期生として卒業して騎手免許を取得、父の須貝彦三厩舎からデビュー。同期には石橋守柴田善臣らがいる。初騎乗は同年3月2日阪神競馬第1競走のシンコキン、初勝利は翌3月3日阪神競馬第7競走のハギノグッディーであった。デビュー年の成績は150戦14勝。

1990年の第30回きさらぎ賞ハクタイセイで制しJRA重賞初勝利を挙げる。

2008年に調教師免許を取得し、騎手を引退。調教師へ転身した。騎手成績は4,163戦302勝で、そのうち重賞は4勝だった。

2009年に厩舎を開業、3月14日の阪神競馬第7競走のホッコーワンマン(熊沢重文騎手騎乗)で調教師として初勝利を挙げた。

2012年2月12日共同通信杯ゴールドシップで制し、調教師として重賞初勝利を挙げた。同年4月15日皐月賞をゴールドシップで制し、G1初勝利を挙げた。同年10月21日菊花賞をゴールドシップで制しJRA通算100勝目を挙げた。厩舎開業から3年7ヶ月21日での100勝達成で、調教師としてJRA史上最速の記録となった[1]

2014年3月29日、ドバイデューティーフリー(ドバイターフ)をジャスタウェイで制した。1分45秒52と、従来のレコードを2秒以上更新し、6馬身以上の差をつけての圧勝したことが高く評価された。この結果より、国際クラシフィケイションにおいて130ポンドの評価を受け、日本競馬史上初となる単独世界1位にランキングされた。

その快挙によって、2015年ワールド・ベスト・レースホース・ランキングジャスタウェイが日本調教馬初の1位となり、ロンドンで表彰された。

2020年12月20日中京競馬8Rでルビーカサブランカが勝利し、JRA通算400勝を達成した[2]

騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 302 310 326 4163 .073 .147
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1985年3月2日 - シンコキン 8頭 - 6着
初勝利 1985年3月3日 - ハギノグッディー - - 1着
重賞初騎乗 1985年8月18日 函館記念 リウジンフジ 14頭 8 6着
重賞初勝利 1990年2月11日 きさらぎ賞 ハクタイセイ 12頭 1 1着
GI初騎乗 1986年11月2日 エリザベス女王杯 シンマドンナ 19頭 6 7着

主な騎乗馬

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調教師成績

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日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2009年3月8日 1回阪神4日7R 4歳上500万下 ワーキングウーマン 16頭 4 11着
初勝利 2009年3月14日 1回阪神5日7R 4歳上500万下 ホッコーワンマン 15頭 10 1着
重賞初出走 2009年10月17日 4回京都3日11R デイリー杯2歳S ラブグランデー 13頭 7 5着
重賞初勝利 2012年2月12日 1回東京6日11R 共同通信杯 ゴールドシップ 11頭 2 1着
GI初出走 2011年12月18日 5回中山6日11R 朝日杯フューチュリティS マコトリヴァーサル 16頭 12 13着
GI初勝利 2012年4月15日 3回中山8日11R 皐月賞 ゴールドシップ 18頭 4 1着
通算100勝 2012年10月21日 4回京都7日11R 菊花賞 ゴールドシップ 18頭 1 1着
通算400勝 2020年12月20日 3回中京6日8R 3歳以上1勝クラス ルビーカサブランカ 18頭 1 1着

主な管理馬

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2014年安田記念(優勝馬:ジャスタウェイ)の口取り式。中央に須貝

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

エピソード

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2020年のサウジアラビアロイヤルカップに管理馬が勝利した際、新型コロナウイルス対策の接触制限に違反し騎手との写真を撮影したとして、同年11月、JRAは須貝を書面で「調教師としての自覚を著しく欠く行為」として翌2021年3月からの貸与馬房数を2馬房削減する処分を下した。JRAが2020年10月上旬に「GIレースに限り、調教師が優勝馬の馬主らとの撮影を許可し、原則騎手との撮影を禁止」するという感染防止対策の一部緩和を通知したが、須貝がこれを「GIレース」を「Gレース(重賞)」と錯誤し、かつ「騎手との撮影を原則禁止」する部分を見落としたものによる。

JRAの処分に対し須貝は「軽率であった」と自身の行動を反省したものの、馬房削減の処分については「2つの馬房削減により厩務員1人の解雇に直結し労働組合との関係が生じてくるのみならず、登録頭数を5頭減少させなければならず、来年以降入厩を予定していた2歳馬、当歳5頭の馬主にも多大な迷惑をかけることになる」ことで「(JRAの)処分は恣意的で一方的な判断で行われ(処分権者の)JRA理事長の裁量の範囲を逸脱している」「撮影時に現場のJRA職員らが引き留めるなどの注意喚起がなく、事後の弁明の機会もなく、適正な手続きを欠いた処分」と不当として、2021年9月3日にJRAに対し700万円の損害賠償を求めて大津地方裁判所に提訴した[8][9]

裁判は2023年9月6日付で、須貝とJRAの和解が成立した。和解条項には、須貝が写真撮影を行ったことについて、JRAが定める基準にある「不適当な行為」に当たると認める一方で、須貝の2024年3月以降の馬房数査定について、写真撮影の件を理由に「馬房の加増にふさわしくないと認めた者」に該当しないことをJRAが確約する内容が持ち込まれた。これを受けて須貝は損害賠償請求については放棄している[10]

出典

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  1. ^ JRAニュース 開催競馬場・今日の出来事”. 日本中央競馬会 (2012年10月21日). 2012年10月22日閲覧。
  2. ^ 開催競馬場・今日の出来事(12月20日(日曜)) JRA”. www.jra.go.jp. 2020年12月21日閲覧。
  3. ^ 2015年阪神大賞典レース結果 - JBIS 2015年3月23日閲覧
  4. ^ 2015年天皇賞(春)レース結果 - netkeiba.com 2015年5月6日閲覧
  5. ^ ドルチェモア”. www.jbis.or.jp. JBISサーチ. 2022年12月18日閲覧。
  6. ^ フリームファクシ”. JBISサーチ. 2023年2月5日閲覧。
  7. ^ アルテヴェローチェ”. www.jbis.or.jp. JBISサーチ. 2024年10月5日閲覧。
  8. ^ 須貝師がJRA提訴 優勝騎手と記念撮影→コロナ対策違反で馬房削減に不服 - Sponichi Annex 2021年10月22日
  9. ^ 『馬房削減は不当』 須貝尚介調教師がJRAを損賠提訴 JRA側は争う姿勢- 中日スポーツ 2021年10月28日
  10. ^ 「コロナ防止ルール違反の処分不当」JRAと調教師の訴訟、和解成立 - 京都新聞 2023年10月7日

関連項目

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外部リンク

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