コンテンツにスキップ

「谷水雄三」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 画像
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
8行目: 8行目:
*[[1971年]] - 父の急死により当時32歳でカントリー牧場を引き継ぎ代表者となった。[[勝負服 (競馬)|勝負服]]の柄(黄、水色襷)、[[冠名]]「タニノ」は父と同じものを使用している。
*[[1971年]] - 父の急死により当時32歳でカントリー牧場を引き継ぎ代表者となった。[[勝負服 (競馬)|勝負服]]の柄(黄、水色襷)、[[冠名]]「タニノ」は父と同じものを使用している。
*[[2002年]] - [[タニノギムレット]]が[[東京優駿]](日本ダービー)を制しダービーオーナーとなる。
*[[2002年]] - [[タニノギムレット]]が[[東京優駿]](日本ダービー)を制しダービーオーナーとなる。
*[[2007年]] - [[ウオッカ]]が東京優駿(日本ダービー)を制し2度目のダービーオーナーとなる。
*[[2007年]] - [[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]が東京優駿(日本ダービー)を制し2度目のダービーオーナーとなる。
*[[2011年]] - [[カントリー牧場]]の経営続行を断念した(個人の馬主としての活動はその後も継続)。
*[[2011年]] - [[カントリー牧場]]の経営続行を断念した(個人の馬主としての活動はその後も継続)。


23行目: 23行目:
* タニノエタニティ(2004年[[ダイヤモンドステークス]]3着、2006年[[京都ハイジャンプ]]3着)
* タニノエタニティ(2004年[[ダイヤモンドステークス]]3着、2006年[[京都ハイジャンプ]]3着)
* [[タニノマティーニ]](2005年[[富士ステークス]]2着、2008年[[キーンランドカップ]])
* [[タニノマティーニ]](2005年[[富士ステークス]]2着、2008年[[キーンランドカップ]])
* [[ウオッカ]](2006年[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]、2007年[[チューリップ賞]]、[[桜花賞]]2着、[[東京優駿]]、2008年[[安田記念]]、[[天皇賞(秋)]]、2009年[[ヴィクトリアマイル]]、安田記念、[[ジャパンカップ]])
* [[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]](2006年[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]、2007年[[チューリップ賞]]、[[桜花賞]]2着、[[東京優駿]]、2008年[[安田記念]]、[[天皇賞(秋)]]、2009年[[ヴィクトリアマイル]]、安田記念、[[ジャパンカップ]])
** 2007年度[[JRA賞特別賞]]受賞
** 2007年度[[JRA賞特別賞]]受賞
** 2008年度[[JRA賞]] 年度代表馬 [[JRA賞最優秀4歳以上牝馬|最優秀4歳以上牝馬]]受賞
** 2008年度[[JRA賞]] 年度代表馬 [[JRA賞最優秀4歳以上牝馬|最優秀4歳以上牝馬]]受賞

2021年11月10日 (水) 00:26時点における版

谷水 雄三(たにみず ゆうぞう、1939年3月27日 - )は日本の実業家。関西九州ゴルフ場などを運営するタニミズ企画株式会社の元代表取締役会長。

競馬とのかかわりが深く、父・谷水信夫の跡を継いでカントリー牧場の代表者となり、オーナーブリーダーとして長らく活動した。親子二代続いての東京優駿(日本ダービー)2勝オーナーである。また日本中央競馬会 (JRA) の馬主として、京都馬主協会会長、日本馬主協会連合会会長を務め、現在は日本馬主協会連合会の最高顧問を務める。

来歴

  • 1959年 - 立命館大学を中退し父の信夫の会社でゴルフ場建設に携わり始める。
  • 1971年 - 父の急死により当時32歳でカントリー牧場を引き継ぎ代表者となった。勝負服の柄(黄、水色襷)、冠名「タニノ」は父と同じものを使用している。
  • 2002年 - タニノギムレット東京優駿(日本ダービー)を制しダービーオーナーとなる。
  • 2007年 - ウオッカが東京優駿(日本ダービー)を制し2度目のダービーオーナーとなる。
  • 2011年 - カントリー牧場の経営続行を断念した(個人の馬主としての活動はその後も継続)。

おもな所有馬

エピソード

賞詞

脚注

  1. ^ 官報第5389号 平成22年9月2日付『褒賞』告示参照