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「長野県上田高等学校」の版間の差分

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2022年10月6日 (木) 20:49時点における版

長野県上田高等学校
本校のシンボル「古城の門」 [1]
地図北緯36度24分3.0秒 東経138度14分56.0秒 / 北緯36.400833度 東経138.248889度 / 36.400833; 138.248889座標: 北緯36度24分3.0秒 東経138度14分56.0秒 / 北緯36.400833度 東経138.248889度 / 36.400833; 138.248889
過去の名称 長野縣尋常中學校上田支校
長野縣中學校上田支校
長野縣立上田中學校
長野縣上田中學校
長野県上田松尾高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長野県の旗長野県
校訓 文武両道・自学自習・試百難・至剛の誇り
設立年月日 1875年
(第16中学区予科学校)
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
学校コード D120220300017 ウィキデータを編集
高校コード 20127J
所在地 386-8715
長野県上田市大手一丁目4番32号
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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校舎
上田城主屋敷跡(現上田高)周りの堀

長野県上田高等学校(ながのけんうえだこうとうがっこう)は、長野県上田市大手一丁目にある公立高校である。男女共学で、全日制普通科と定時制普通科を設置している。全日制では、国立大学を中心に難関大に合格者を輩出している。

概要

長野県東信地区において随一の進学校として周知されており、広く上田・小県、東御、佐久などから入学してくる。東京大学をはじめとする旧帝国大学、国公立大学及び医学部早慶上智などへの進学者を多く輩出する。

校舎は上田藩の藩主館跡に建てられており、校門は上田藩主居館表御門を継承している。周囲には堀も残されている。門、塀、堀はともに上田市の文化財に指定されている。

学内及び学区内の高等学校では部活動を「~部」ではなく「~班」と呼称する。そのため、部活ではなく班活と言う。学祭は、前身の上田松尾高等学校にちなんで「松尾祭」と言う。

2004年より、公立高等学校の通学区制度が変更され、東信地区は第5から第2通学区へと変更になった。前期選抜は2011年度より実施していない。

また2018年現在、スーパーグローバルハイスクール (SGH) 指定校となっている。生徒らは学校理念の「至剛の誇り」とかけて、「SGHを忘れるな」を合言葉としている。

敷地内には『向』と題したブロンズ像が設置されているが[2][3]、これは同校の48期生が卒業30周年を機に寄贈したものである[3]。48期生が彫刻家であり53期生でもある尾澤正毅に制作を打診したところ[3]、意気に感じた尾澤が母校のためにと無償で請け負ったことから[3]、48期生は鋳造費と据付費の実費のみを支払い[3]1980年11月22日に除幕された[3]

沿革

  • 1875年7月 - 本校の前身である、第16中学区予科学校を設置。
  • 1878年6月 - 上田町立上田変則中学校を設置。
  • 1882年4月 - 郡立小県中学校を設置。
  • 1884年9月 - 長野県立長野中学校上田支校を設置。
  • 1893年4月 - 長野県尋常中学校上田支校を設置。
  • 1899年4月 - 長野中学校上田支校となる。
  • 1900年4月 - 長野県立上田中学校となる。
  • 1901年 - 長野県上田中学校野沢分校を設置(現:長野県野沢北高等学校)。
  • 1904年4月1日 - 野沢分校が、長野県立野沢中学校として独立。
  • 1920年 - 長野県令38号により、長野県上田中学校に改称。
  • 1947年4月1日 - 学制改革第1段階(6・3制)実施により長野県上田中等学校併設中学校が設置される。
  • 1948年4月1日 - 学制改革第2段階(6・3・3・4制)実施により長野県上田松尾高等学校となる。定時制を設置。
  • 1950年3月31日 - 長野県上田中等学校併設中学校廃止。高等学校のみとなる。
  • 1957年8月 - 野球班が甲子園に出場(2回戦:平安3-1、準々決勝:広島商0-5)。
  • 1958年4月1日 - 長野県上田高等学校に改称。
  • 1980年 - 『向』除幕式[3]
  • 1987年8月 - 野球班が甲子園に出場(2回戦:習志野2-5)。
  • 1989年1月 - サッカー班が全国大会に出場(1回戦:加治木工1-2)。
  • 2000年 - 創立百周年。11月には、同校出身者である永六輔による講演会が開催された。
  • 2003年4月 - 文部科学省より学力向上フロンティアハイスクールの指定(3年間)を受ける。
  • 2007年4月 - 未履修問題解決のための土曜授業(隔週)の開始。
  • 2013年4月 - 日課55分授業開始。
  • 2014年3月 - 文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール(SGH)アソシエイト校の指定を受ける[4]
  • 2015年3月 - 文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール(SGH)校の指定を受ける[5]
  • 2016年5月 - 台湾の国立苗栗高級中学と姉妹校提携[6]

校歌

著名な出身者

政治・行政

学術

経済

文化・芸能

スポーツ

  • 丸山博 - 日本野球機構規則委員・元セントラル・リーグ審判(旧制中学校卒)
  • 桜井弥一郎 - 野球選手(旧制中学校卒)
  • 倉島今朝徳 - 元プロ野球選手、東京ヤクルトスワローズ球団専務

姉妹提携校

最寄駅

登場作品

関連項目

脚注

出典

  1. ^ 古城の門”. 長野県上田高等学校. 2021年7月16日閲覧。
  2. ^ 「彫刻家、故・尾澤正毅さん『彫刻遺作展』」『◆彫刻家、故・尾澤正毅さん「彫刻遺作展」(28日まで・長野県、青木村郷土美術館) | 東信ジャーナル[Blog版]』東信ジャーナル、2012年10月25日
  3. ^ a b c d e f g 「48期生の近況」『同窓会報』15号、上田高等学校同窓会、1981年5月10日、4面。
  4. ^ SGHアソシエイト一覧(別添2)” (PDF). 文部科学省 (2014年3月28日). 2015年2月6日閲覧。
  5. ^ 別添1,2)平成27年度スーパーグローバルハイスクール指定校一覧等” (PDF). 文部科学省 (2015年3月31日). 2015年5月31日閲覧。
  6. ^ 5月24日(火)國立苗栗高級中學姉妹校協定書調印”. 長野県上田高等学校 (2016年5月24日). 2021年1月25日閲覧。
  7. ^ 最高裁判所裁判官国民審査公報” (PDF). 大分県選挙管理委員会 (2012年12月). 2017-10-21(アーカイブ)閲覧。[リンク切れ]アーカイブ

外部リンク

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