長野県上田高等学校
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長野県上田高等学校 | |
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本校のシンボル「古城の門」 [1] | |
北緯36度24分3.0秒 東経138度14分56.0秒 / 北緯36.400833度 東経138.248889度座標: 北緯36度24分3.0秒 東経138度14分56.0秒 / 北緯36.400833度 東経138.248889度 | |
過去の名称 |
長野縣尋常中學校上田支校 長野縣中學校上田支校 長野縣立上田中學校 長野縣上田中學校 長野県上田松尾高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長野県 |
校訓 | 文武両道・自学自習・試百難・至剛の誇り |
設立年月日 |
1875年 (第16中学区予科学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D120220300017 |
高校コード | 20127J |
所在地 | 〒386-8715 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長野県上田高等学校(ながのけんうえだこうとうがっこう)は、長野県上田市大手一丁目にある公立高校である。男女共学で、全日制普通科と定時制普通科を設置している。全日制では、国立大学を中心に難関大に合格者を輩出している。
概要
[編集]長野県東信地区において随一の進学校として周知されており、広く上田・小県、東御、佐久などから入学してくる。東京大学をはじめとする旧帝国大学、国公立大学及び医学部・早慶・上智などへの進学者を多く輩出する。
校舎は上田藩の藩主館跡に建てられており、校門は上田藩主居館表御門を継承している。周囲には堀も残されている。門、塀、堀はともに上田市の文化財に指定されている。
学内及び学区内の高等学校では部活動を「~部」ではなく「~班」と呼称する。そのため、部活ではなく班活と言う。学祭は、前身の上田松尾高等学校にちなんで「松尾祭」と言う。
2004年より、公立高等学校の通学区制度が変更され、東信地区は第5から第2通学区へと変更になった。前期選抜は2011年度より実施していない。
また2018年現在、スーパーグローバルハイスクール (SGH) 指定校となっている。生徒らは学校理念の「至剛の誇り」とかけて、「SGHを忘れるな」を合言葉としている。
敷地内には『向』と題したブロンズ像が設置されているが[2][3]、これは同校の48期生が卒業30周年を機に寄贈したものである[3]。48期生が彫刻家であり53期生でもある尾澤正毅に制作を打診したところ[3]、意気に感じた尾澤が母校のためにと無償で請け負ったことから[3]、48期生は鋳造費と据付費の実費のみを支払い[3]、1980年11月22日に除幕された[3]。
沿革
[編集]- 1875年7月 - 本校の前身である、第16中学区予科学校を設置。
- 1878年6月 - 上田町立上田変則中学校を設置。
- 1882年4月 - 郡立小県中学校を設置。
- 1884年9月 - 長野県立長野中学校上田支校を設置。
- 1893年4月 - 長野県尋常中学校上田支校を設置。
- 1899年4月 - 長野中学校上田支校となる。
- 1900年4月 - 長野県立上田中学校となる。
- 1901年 - 長野県上田中学校野沢分校を設置(現:長野県野沢北高等学校)。
- 1904年4月1日 - 野沢分校が、長野県立野沢中学校として独立。
- 1920年 - 長野県令38号により、長野県上田中学校に改称。
- 1947年4月1日 - 学制改革第1段階(6・3制)実施により長野県上田中等学校併設中学校が設置される。
- 1948年4月1日 - 学制改革第2段階(6・3・3・4制)実施により長野県上田松尾高等学校となる。定時制を設置。
- 1950年3月31日 - 長野県上田中等学校併設中学校廃止。高等学校のみとなる。
- 1950年10月 - 創立50周年記念式典。
- 1957年8月 - 野球班が甲子園に出場(2回戦:平安3-1、準々決勝:広島商0-5)。
- 1958年4月1日 - 長野県上田高等学校に改称。
- 1980年 - 『向』除幕式[3]。
- 1987年8月 - 野球班が甲子園に出場(2回戦:習志野2-5)。
- 1989年1月 - サッカー班が全国大会に出場(1回戦:加治木工1-2)。
- 1999年 - 石川県立七尾高等学校と姉妹校提携[4]。
- 2000年 - 創立百周年。11月には、同校出身者である永六輔による講演会が開催された。
- 2003年4月 - 文部科学省より学力向上フロンティアハイスクールの指定(3年間)を受ける。
- 2007年4月 - 未履修問題解決のための土曜授業(隔週)の開始。
- 2013年4月 - 日課55分授業開始。
- 2014年3月 - 文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール(SGH)アソシエイト校の指定を受ける[5]。
- 2015年3月 - 文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール(SGH)校の指定を受ける[6]。
- 2016年5月 - 台湾の国立苗栗高級中学と姉妹校提携[7]。
校歌
[編集]著名な出身者
[編集]政治・行政
[編集]- 小山一平 - 元参議院副議長(旧制中学校卒)
- 土屋陽一 - 上田市長
- 母袋創一 - 元上田市長
- 竜野周一郎 - 元衆議院議員、実業家(旧制中学校卒)
- 岡部次郎 - 元衆議院議員(旧制中学校卒)
- 佐藤一雄[8] - 元水産庁長官
- 柳沢香枝 - 駐マラウイ大使、元国際協力機構理事(女性初)
- 山浦善樹[9] - 最高裁判所裁判官
- 金井章次 - 蒙古聯合自治政府最高顧問、慶大医学部教授、国際連盟事務局保健部軍人(旧制中学校卒)
学術
[編集]- 山極勝三郎 - 病理学者、元東京大学教授
- 小林直樹 - 憲法学者、元東大教授(旧制中学校卒)
- 柴田寿子 - 政治学者、元東大教授
- 森泉章 - 法学者(旧制中学校卒)
- 樫山欽四郎 - 哲学者(旧制中学校卒)
- 市村今朝蔵 - 政治学者(旧制中学校卒)
- 宮坂昌之 - 医学者、大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授
経済
[編集]文化・芸能
[編集]- 永六輔 - 作家(旧制中学校入学後、転校)
- 江文也 - 作曲家(旧制中学校卒)
- 白土三平 - 漫画家(旧制中学校入学後、転校)
- 小山敬三 - 洋画家(旧制中学校卒)
- 新田潤 - 小説家(旧制中学校卒)
- 桜井堅一朗 - アナウンサー
スポーツ
[編集]姉妹提携校
[編集]- 石川県立七尾高等学校
- 国立苗栗高級中学(台湾 / 苗栗県苗栗市)
最寄駅
[編集]登場作品
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “古城の門”. 長野県上田高等学校. 2021年7月16日閲覧。
- ^ 「彫刻家、故・尾澤正毅さん『彫刻遺作展』」『◆彫刻家、故・尾澤正毅さん「彫刻遺作展」(28日まで・長野県、青木村郷土美術館) | 東信ジャーナル[Blog版]』東信ジャーナル、2012年10月25日。
- ^ a b c d e f g 「48期生の近況」『同窓会報』15号、上田高等学校同窓会、1981年5月10日、4面。
- ^ 日本放送協会 (2024年2月16日). “上田高校と姉妹校の石川の七尾高校 生徒がオンラインで交流|NHK 長野県のニュース”. NHK NEWS WEB. 2024年9月27日閲覧。
- ^ “SGHアソシエイト一覧(別添2)” (PDF). 文部科学省 (2014年3月28日). 2015年2月6日閲覧。
- ^ “別添1,2)平成27年度スーパーグローバルハイスクール指定校一覧等” (PDF). 文部科学省 (2015年3月31日). 2015年5月31日閲覧。
- ^ 産経新聞 (2016年5月25日). “上田高と台湾・苗栗高級中学が姉妹校提携 日台友好の架け橋に 長野”. 産経新聞:産経ニュース. 2024年9月27日閲覧。
- ^ “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記:長野県(下)”. 毎日新聞. 2019年10月7日閲覧。
- ^ “最高裁判所裁判官国民審査公報” (PDF). 大分県選挙管理委員会 (2012年12月). 2017-10-21(アーカイブ)閲覧。[リンク切れ]アーカイブ